極限の引力と、両軍を黙らせる矜持
皇帝同盟という巨大なシステムは、もはや完全にその「脳」と「神経」を機能不全に陥らせていた。
『――退くぞ!!』
『ええい、忌々しい……! 海の犬どもめ、この屈辱、必ずや万倍にして返してくれるわ!』
ガレナ渓谷の中央戦線を荒らし回っていた二つの理不尽な災害――『雷神』と『風神』の両総帥は、形振り構わず後退を開始していた。
セレーネの放った星天の領域を断ち切る一撃と、バルカスが放った特注重機の荷電粒子砲。それらによって大きな手負いとなった彼らは、背後で崩壊する味方の本陣を省みることはなかった。これ以上の魔力の損耗は、大陸における自身の「覇権そのもの」を失うリスクとなる。彼らは冷徹に損切りを行い、残存魔力を推進力に変換して戦場から逃亡したのである。
残る幹部たちも同様だった。
海兵突撃隊長のドレイクは、裏切った自軍の砲火とクロウ率いる遊撃部隊の急襲を受け、とうの昔に瓦礫の下へ沈んでいた。
深淵魔術官セリアもまた、逃げ惑う最中にユリウスの『空間断絶』によって完全に退路を塞がれ、ヴィクトルの血の監査の前に、無惨な形で無力化されていた。
強大すぎた十万の帝国は、指揮系統を完全に喪失し、「首から下が麻痺した状態」となって炎の中に立ち尽くしていた。
「クソォォォッ!! 総帥まで逃げただと!? ええい、ならば俺たちが空から焼き尽くしてやる!!」
上空で飛竜に跨る飛竜騎兵隊長ザイードが、血走った目で絶叫した。
彼と同じく空に取り残された気象・環境魔術特務官ルミラは、虚ろな瞳のまま杖を構え直し、残された魔力を振り絞って再び局地的な雷雲を形成しようとする。
彼らが地上のアルカディア軍に向けて絨毯爆撃を仕掛けようとした、その瞬間だった。
『――ッッ!?』
ザイードの跨る飛竜が、突如として上空で「悲鳴」を上げてパニックを起こし、大きく高度を落とした。
ルミラの形成しかけていた雷雲も、下から吹き上がってきた異常な乱気流によって無惨に掻き消されていく。
「な、何事だ!? 風が……いや、空気が重い!?」
ザイードが地上を見下ろし、息を呑んだ。
炎上する本陣の中央。そこだけが、まるでこの世の理から切り離されたかのように「異様な空間」へと変貌していた。
片や、全身から大気を軋ませるほどの黄金の覇気を立ち昇らせる、アルカディアの軍神レオンハルト。
片や、十万の絶望を背負いながらも、天を衝くような白銀の闘気を放つ、皇帝同盟の聖騎士アシュレイ。
二人の規格外の「(元)騎士団長」から放たれる凄まじいプレッシャーが真正面から激突し、戦場の中央に巨大な『見えないドーム状の力場』を形成していたのだ。
二人の闘気はあまりにも拮抗しており、その空間の密度は極限まで高まっていた。
もし上空から安易に魔法やブレスを撃ち込めば、その巨大なエネルギーの均衡が暴走し、周囲にいる自軍の兵士たちもろとも跡形もなく粉砕してしまうだろう。
「……手出しは無用でござるな。カトレイア殿、防壁の出力を維持し、兵たちを下がらせよ」
「言われずとも分かっている。……なんという密度だ。あれに割って入れる者など、この場にはおらん」
マサムネが静かに刀を納め、カトレイアが大盾を構えてアルカディアの兵士たちに後退を指示する。
上空のザイードとルミラも、そしてパニックに陥っていた同盟軍の残存兵たちも、自然と武器を下ろし、息を潜めた。
何万という人間がひしめく喧騒の戦場が、ただ二人の男の矜持のぶつかり合いによって、水を打ったような「沈黙の円形闘技場」へと変わったのである。
◆ ◆ ◆
「……いいツラ構えだ。あんたみたいな芯の通った騎士が、なぜこんな腐った同盟なんかに尽くしてる?」
レオンハルトが、愛槍『カラドボルグ』を無造作に肩に担ぎながら低く問う。
圧倒的な重力場の中にありながら、アシュレイは白銀の特注甲冑を微かに軋ませるだけで、一歩も退かずに大剣を構え直した。
「組織が腐敗していることなど、百も承知だ。……だが、我々が瓦解すれば、中央平原の治安は崩壊し、無数の民が野盗や魔物の犠牲になる。私がこの剣を置き、大義を捨てることは……何万という民の明日を捨てることと同義なのだ!」
アシュレイの悲痛な、しかし揺るぎない覚悟。
彼は踏み込みと同時に大剣を上段から振り下ろした。純粋な膂力と聖なる魔力が乗った、一撃必殺の『聖断』。
空気を切り裂く轟音が響き、白銀の刃がレオンハルトの脳天へと迫る。
「……立派だが、あんたの背負う荷物は重すぎる」
レオンハルトの瞳に、獰猛な光が宿った。
これまでの彼は、大軍との戦いに向けた広域戦闘に特化した重力魔法を用いてきた。だが今、彼の足元から広がっていた黄金の重力波が、シュガァァッ! という音と共に、彼とアシュレイの周囲わずか数メートルの空間にまで『極限圧縮』された。
広範囲に散らばっていた加重は、対個人特化の極小領域へと濃縮される。
「『超重力領域』」
「な……!?」
アシュレイの顔が驚愕に歪む。
振り下ろしたはずの大剣が、レオンハルトに届く数ミリ手前で、まるで目に見えない分厚い鋼鉄の壁に阻まれたかのようにピタリと停止したのだ。
「その重たすぎる理想……一人じゃ到底持ち上がらねぇぜ!」
レオンハルトがカラドボルグを力強く握り込む。
その瞬間、彼の魔法の真髄が牙を剥いた。
カラドボルグの漆黒の穂先に、極限まで圧縮された重力が収束していく。
尋常ならざる重力の凝縮は「空間そのものを歪曲」させ、分厚い魔導ランスの刃先を、物理的な限界を超えた『極薄の刃』へと変貌させたのだ。
光すらも歪んで逃げ出せない、空間の断層めいた絶対的な鋭利さ。
「『極点圧縮・引力突』ッ!!」
レオンハルトが槍を突き出す。
その初動は「刺突」ではなく、恐るべき「引力」だった。
アシュレイの身体が、そして彼が構えていた大剣が、ブラックホールに吸い込まれるように強制的にレオンハルトの槍の穂先へと引き寄せられる。
回避不能。防御不能。
「――おおおおおおッ!!」
だが、アシュレイは体勢を崩されながらも、その引力を逆利用した。
引き寄せられる勢いに自らの全魔力を乗せ、大剣を盾のように前面へ構え、激突の瞬間に己の闘気を爆発させたのである。
『ギィィィィィィンッッッ!!!!!』
重力によって極薄の刃と化したカラドボルグが、アシュレイの白銀の大剣と正面から激突する。
火花ではなく、空間そのものが軋んで発生した「青白いプラズマ」が周囲に撒き散らされた。
「ぐ、ぅぅぅぉぉぉッ!!」
アシュレイの特注甲冑の肩当てが弾け飛び、口から鮮血が舞う。
極限の引力から瞬時に「反発する超重力」へと切り替わったレオンハルトの突きは、アシュレイの強固な防御ごと彼を数メートル後方へ吹き飛ばした。
「……っ、ハァッ、ハァッ……見事だ……アルカディアの、軍神……!」
膝をつき、大剣を杖代わりにして荒い息を吐くアシュレイ。
彼の両腕は限界を超えた衝撃により微かに痙攣しており、白銀の鎧は至る所がひしゃげていた。
対するレオンハルトも無傷ではなかった。
アシュレイが放った決死の魔力爆発を至近距離で浴びた彼の軍装は焼け焦げ、頬には一筋の深い切り傷が刻まれている。
「……まだ立つか。本当に、絵本から抜け出してきたような野郎だ」
レオンハルトはカラドボルグを横に構え、血を拭いながら皮肉な笑みを浮かべた。
大義のために己を削る騎士と、理不尽な世界で再び槍を振るう理由を見つけた軍神。
言葉はもはや不要だった。
アシュレイが残された全ての魔力を白銀の大剣に込め、立ち上がる。
レオンハルトが黄金の重力波を穂先に極限圧縮し、腰を落とす。
両軍が固唾を呑んで見守る中、二人の孤高なる騎士は、決着の最後の一撃を放つべく、同時に大地を蹴った。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
「青白いプラズマ」が実際起きるか…?全く知りません笑
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