反旗の砲火と、孤高の聖騎士
それは、大陸を長年支配してきた二つの皇帝ギルドの歴史において、かつてないほど理不尽で致命的な「謀反」であった。
『――ドゴォォォォォォンッッ!!!』
バビロンの西海に展開していた『蒼海の三叉槍』が誇る無敵の魔導艦隊。アルカディアを海から沈めるはずだった数千の砲門が突如として反転し、背後にある皇帝同盟軍の本陣へと一斉にその火線を叩き込んだのだ。
「……な、ぜだ……。あり得ない、どうしてクレイグ大提督の艦隊が我々を撃っている……!?」
巨大な天幕が燃え落ち、火の粉が舞い散る本陣のド真ん中。
同盟軍の財務・兵站統括官であるシオン・マーチャントは、足元に転がった魔導板を見下ろしたまま、信じられないものを見るように呟いた。
彼の完璧な計算式は、完全に崩壊していた。
前線では総帥たちの理不尽な天災がアルカディアの幹部たちによって相殺され、背後からは身内であるはずの海軍による飽和攻撃。十万の軍を支える兵站の心臓部は、数分にして火の海へと変わった。
「ぎゃあぁぁぁッ! 退け、海側へ逃げるな! 撃たれるぞ!」
「前からはアルカディアの化け物どもが来ている! もう終わりだ、全滅だァァッ!!」
指揮系統は完全に麻痺し、パニックに陥った兵士たちが武器を放り出して逃げ惑う。これまで圧倒的な数の暴力で他者を蹂躙してきた彼らは、自分たちが盤面の「敗者」に転落したという事実を受け止めきれず、烏合の衆と化して瓦解しようとしていた。
「……計算が、合わない……。クレイグを寝返らせるほどの対価など、この世に……」
シオンが呆然と炎上する空を見上げた、その時だった。
『――ズガァァァァンッ!!』
艦隊から放たれた極太の魔力砲弾が、シオンの頭上へと正確に降り注いだ。
回避する余裕などない。シオンが己の死を覚悟し、強く目を閉じた瞬間。
「『聖盾』ッ!!」
透き通るような青い光が、シオンの頭上を覆い尽くした。
「……っ!?」
目を開けたシオンの前に立っていたのは、白銀の特注甲冑に身を包んだ長身の騎士。
『日輪の鷲』副総帥にして聖騎士団長、アシュレイ・ヴァン・ルージュであった。
彼は自らの分厚い大剣を天に掲げ、凄まじい砲撃の衝撃を真正面から受け止めていた。その美しい白銀の甲冑は泥と煤に汚れ、口の端からは一筋の血が流れている。
「シオン! 無事か!」
「アシュレイ……!? なぜ戻ってきた! 貴官の機動力なら、単騎で戦線を離脱し立て直すこともできたはずだ! 兵站も崩壊し、指揮官もいないこの本陣で私を助けるなど、何の意味もない無駄な行為だ!」
シオンの悲痛な叫びに、アシュレイは一歩も退かずに大剣を振り払い、周囲に殺到する瓦礫を打ち砕いた。
「損得ではない。私には……民を、味方を庇護するという『大義』がある」
アシュレイの透き通る青い瞳には、一切の迷いがなかった。
圧倒的絶望の中にあってなお、彼は皇帝ギルドがとうの昔に失ってしまった「騎士の誇り」を、ただ一人体現していた。
「この軍勢をここで瓦解させるわけにはいかない。散り散りになれば、被害が広がるだけだ。……シオン、貴官の頭脳は後の皇帝同盟の再建に必ず必要になる。生き延びて、兵を引かせろ!」
「……ッ、バカな男だ、貴様は」
シオンはギリッと奥歯を噛み締め、燃え盛る魔導板を拾い上げると、アシュレイに背を向けて走り出した。
「総員、アシュレイ副総帥の御旗の元へ集え! 陣形を再構築し、後退の時間を稼ぐのだ!」
シオンの拡声魔術が戦場に響き渡る。
逃げ惑っていた兵士たちが足を止め、振り返った。そこには、背後からの容赦ない砲火と、前方から迫るアルカディアの猛攻の間に立ち、巨大な盾となって自分たちを庇い続ける白銀の騎士の姿があった。
「……ア、アシュレイ様が……俺たちのために……」
「副総帥を死なせるな! 陣形を組めェッ!!」
パニックで瓦解寸前だった十万の軍が、アシュレイという「最後の精神的支柱」によって、奇跡的に踏みとどまり始めていた。
泥水の中で輝くその高潔な姿は、恐怖に駆られた兵士たちの心に強烈な楔を打ち込んでいた。
◆ ◆ ◆
「……驚いたな」
その光景を、最前線で瓦礫の山を踏み越えながら見ていた男がいた。
アルカディアの将軍、レオンハルト・フォン・グローリアス。
彼は自身の巨大な魔導ランス『カラドボルグ』を肩に担ぎ、燃え盛る本陣の中央で孤軍奮闘するアシュレイの姿を、信じられないものを見るような目で見つめていた。
「あの状況で、味方を庇って踏みとどまる指揮官がいるとはな。……まるで、絵本に出てくるような完璧な『騎士様』じゃねえか」
レオンハルトの横で、マサムネが静かに鯉口を切る。
「……いかがなされる、レオンハルト殿。敵軍は瓦解しかけていたが、あの騎士の存在が楔となり、再び統率を取り戻しつつある。……ここであの将を討たねば、敵の十万は生きた軍隊として再び牙を剥くぞ」
「……分かってる」
レオンハルトは低く唸り、カラドボルグの柄を強く握りしめた。
彼の脳裏に、かつて王国で騎士団長を務めていた頃の己の姿がフラッシュバックする。
――正義を信じ、民を守るために剣を振るった日々。
しかし、その大義は腐敗した貴族たちの政治と金という「盤面のルール」の前では無力であり、彼は泥水のような絶望の中で酒に逃げるしかなかった。
目の前で血を流しながら兵を庇うアシュレイの姿は、かつてレオンハルトが抱き、そして捨てざるを得なかった「眩しすぎる理想」そのものだった。
(……立派なもんだ。あんな腐り切った皇帝ギルドの中で、一人であの光を保ち続けてるなんてな。……だが)
レオンハルトは、首から下げた銀の認識票――アルカディアの社員証を微かに握った。
彼を泥水から掬い上げてくれたのは、大義でも正義でもなく、カガリという元マフィアの相談役が提示した「完璧な合理性と嘘のない約束」だった。
(あの騎士の眩しさに、昔の俺なら絆されて剣を引いていたかもしれないな。……だが、俺は今の『さながら悪徳ギルド』の居心地を、心底気に入っちまってるんでな)
迷いを断ち切るように、レオンハルトは一歩前に出た。
彼の足元から、大気を重く圧迫する凄まじい重力波が円状に広がり、周囲の瓦礫が宙に浮き上がり、そして粉砕された。
「――そこを退け、白銀の騎士」
地響きのようなレオンハルトの声が、戦場の喧騒を切り裂いてアシュレイへと届いた。
アシュレイが大剣を構え直し、鋭い青い瞳でレオンハルトを睨み据える。
「貴様が、アルカディアの軍神か……。噂には聞いていた。元・王国騎士団長が、悪徳ギルドに魂を売り払い、略奪の先兵に成り下がったと」
アシュレイの非難の言葉に、レオンハルトは凶悪な笑みを浮かべて肩をすくめた。
「違ぇねぇ。俺は今や、裏社会の相談役に飼われてる薄汚い用心棒さ。……だがな、あんたのその背負ってる『十万の命』って荷物は、うちのボスの帳簿の中じゃあ不良債権なんだよ」
「……ならば、私がこの命を懸けて、そのふざけた帳簿ごと貴様らを討ち果たすまで! 誇り無き力に、この皇帝同盟の歴史は屈しない!」
アシュレイの全身から、天を衝くような白銀の闘気が立ち上る。
それは、純粋な大義のみで練り上げられた、一切の淀みがない強大な魔力の塊だった。
「……上等だ。あんたのその綺麗事、どこまでうちの物理法則に抗えるか、試させてもらおうか!」
レオンハルトがカラドボルグの穂先に極大の重力を収束させ、大地を爆発的に蹴り出した。
アシュレイもまた、大剣に聖なる光を纏わせ、真っ直ぐにレオンハルトへと突進する。
「『星墜』ッ!!」
「『聖断』ッ!!」
泥水の中で新たな正義を見出した軍神と、絶望の中で大義を貫き通す理想の騎士。
二つの相容れないイデオロギーが、戦場のド真ん中で激突した。
_______________________あとがき_______________________
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
アシュレイかっこよすぎて森…
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