濁る西海と、鋼鉄の浪漫
アルカディアの領土の西に広がる、広大な海域。
鉛色の雲が垂れ込める荒波の中を、数十隻にも及ぶ巨大な『魔導戦艦』の群れが、圧倒的な威容をもって進軍していた。
皇帝同盟軍の一角、『蒼海の三叉槍』が誇る無敵の主力艦隊。
その旗艦である超弩級戦艦『リヴァイアサン』の艦橋から、海軍大提督クレイグ・タイドウォーカーは、厳めしい顔つきで眼下の西海を見下ろしていた。
彼の背には、自身の身の丈ほどもある巨大な鋼の錨が鎖と共に背負われていた。
「……提督。総帥より下達された『作戦』の実行時刻が迫っております」
クレイグの背後で、副官であり海兵突撃隊長のドレイク・アインクラッドが報告する。
「バビロン周辺海域および河川への、遅効性魔薬の大量投棄。さらに上空からの降雨による広域汚染……。これにより、アルカディアの西側物流網は完全に死滅し、彼らの拠点は数年間、不毛の毒地と化すでしょう。素晴らしい効率です」
「……黙れ、ドレイク」
クレイグは、潮風に焼かれた屈強な腕を組み、低い怒声を漏らした。
「我々海軍の誇りは、圧倒的な艦隊の砲火と水魔術の練度で敵を沈めることにある。海を自らの手で汚染し、民の生活基盤まで焼き尽くすなど、武人のやることではない」
「甘いことを仰る。相手はあのバビロンの絶対結界をたった数日で陥落させた化け物どもですよ? 誇りなどという見えない盾で、我々の命が守れるとでも? 総帥の決定こそが絶対の『正義』でしょう」
ドレイクが鼻で笑うが、クレイグはギリッと奥歯を噛み締めた。
海を愛し、長年この艦隊を無敗で率いてきた彼にとって、自らの手で海を汚す作戦は苦渋に満ちた行いだった。だが、十万の軍という巨大なシステムの一部である以上、一介の提督にその決定を覆す権限はない。
その時、艦橋の奥から、ヒールの高い靴音を響かせて一人の女魔術師が現れた。
深淵魔術官、セリア・アクアベイン。
美しい顔立ちと優雅な身のこなしの裏に、底知れない冷酷さとサディズムを隠し持つ殺戮のプロフェッショナルだ。
彼女の後ろには、華奢な身体に大きすぎるローブを羽織った少女――気象・環境魔術特務官であるルミラ・ウィーバーが、感情の抜け落ちたうつろな瞳で静かに付き従っていた。
「クレイグ提督。そんなに怖い顔をなさらないでくださいな。これは戦争です。勝つための最短ルートを選ぶのは、当然のことでしょう?」
セリアは赤い唇に嗜虐的な笑みを浮かべ、ルミラの肩に冷たい指先を置いた。
ルミラは、ただ与えられた命令を待つ人形のように立ち尽くしている。
「さあ、ルミラ。座標の固定は済んでいるわね。バビロンの頭上へ向けて『猛毒の雨雲』を形成しなさい。アルカディアの兵糧も、スラムのゴミどもも、すべて等しく溶かしてあげるのよ」
「……はい。座標軸、固定完了。魔力充填、気象操作を開始します」
ルミラは一切の感情を交えず、ただ機械のように淡々と頷いた。
彼女が細い腕で杖を掲げると、艦隊の上空の雲が不気味な紫色へと変色し、渦を巻きながら巨大な雨雲となって東のバビロン方面へとゆっくりと流れ始めた。
「素晴らしいわ。本当に手のかからない、優秀な子」
セリアは満足げにルミラの頭を撫でると、冷たい視線をクレイグへと向けた。
「そういうわけです、提督。我々は我々の仕事を果たしました。あとは、あなたの自慢の艦隊で、毒の雨に打たれ弱り切った敵の息の根を止めるだけですよ」
「…………ッ」
クレイグは無言のまま、紫色に染まっていく空と、黒く濁り始める西の海面を睨みつけた。
胸の奥で渦巻く怒りと葛藤を分厚い胸板の奥に無理やり押し込め、クレイグは歴戦の大提督として、前線を睨み据える。
「……全艦、戦闘態勢を維持しろ! アルカディアの残存戦力が海に出た瞬間、一隻残らず海の底へ沈めるぞ!」
◆ ◆ ◆
「おおおおおッ! ついに完成いたしましたぞォォォ!!」
アルカディア新本部、地下二階の防爆工房。
バルカス・ロッソの野太い歓声が、ミスリル鉱の分厚い壁を震わせていた。
「ちょっとバルカスさん、すごい音がして! ……って、何これ!?」
様子を見に来たギルドマスターのアリサが、目の前の光景に目を丸くして固まった。
工房の中央に鎮座していたのは、見上げるほどの大きさを持つ人型の『特注・防爆魔導重機』だった。
分厚い鋼鉄で覆われた逆関節の強靭な双脚が大地を掴み、搭乗者を完全に保護するドーム状の重装甲殻には、動力源である高純度魔石の青白い光がスリットから漏れ出ている。
右腕には城壁すら粉砕する巨大な魔導パイルバンカーが、左腕には高出力の魔力砲塔が備え付けられた、圧倒的な質量の塊。
それはまさに、太古の軍神を鋼鉄で再現したかのような、二足歩行の魔導アーマーであった。
「名付けて『アルカディア・ギア零式』! これぞドワーフの浪漫、物理と魔導の完全なる融合ですぞ!」
徹夜続きで目を血走らせたバルカスが、自慢げに装甲をバンバンと叩く。
「あのバビロンの戦いで、私だけ安全な地下にいるのが歯痒くてなりませんでしたからな。カトレイア殿の栄養サプリで私の肉体も強化されております! 次の戦では、私もこれに乗って前線で大暴れさせてもらいますぞ!」
「だ、ダメだよバルカスさん! もしそれが爆発したらどうするの!? 第一、あなた技術部門のトップでしょ、最前線に出るなんて危なすぎるよ!」
アリサが慌てて重機によじ登ろうとするバルカスを引っ張って止める。
「はっはっは! 団長の優しさは身に沁みますが、職人たるもの、己の作品の性能試験を人任せにはできませんゆえ!」
二人の微笑ましくも騒がしいやり取りを、工房の入り口から静かに見つめている男がいた。
「……見事な出力だ。だがバルカス、対魔法用のコーティングをさらに三層増やしておけ。皇帝同盟の火力は、三流の高利貸しとは桁が違う」
「カガリ様! ははっ、ご安心を! 竜殻石を練り込んだ特別装甲を追加で施しておきますぞ!」
「それと、アリサ」
カガリは、バルカスの言葉を遮るようにアリサを見た。
「君の優しさはファミリーの潤滑油だが、時には戦力を信じて投資する覚悟も必要だ。彼の浪漫は、間違いなく次の戦局で必要になる」
「うぅ……カガリさんがそう言うなら、信じますけど……絶対に無理はしないでくださいね、バルカスさん」
アリサの言葉に、バルカスは力強く頷いた。
「さて。技術部門の準備は整った。……次は、表の『査定』だ」
カガリはスーツの袖口を整え、魔導昇降機へと踵を返した。
◆ ◆ ◆
最上階、コンシリエーレ・ルーム。
巨大な大陸地図が広げられた円卓の前に、マサムネとレオンハルトの二将軍が並び立っていた。
「……呼んだか、カガリ」
レオンハルトが、肩の凝りをほぐすように首を鳴らす。
「ああ。君たちに、簡単な『出張査定』を頼みたい」
カガリは地図の一点――バビロンと皇帝同盟軍の本陣との中間に位置する、巨大な渓谷のポイントを万年筆で指し示した。
「現在、敵の第一突撃部隊および重装要塞部隊が、この渓谷に強固な防衛拠点を構築中だ。……総数はおよそ一万。大将は『日輪の鷲』の幹部、ガレスとオズワルドという男らしい」
「一万の拠点構築。……放置すれば、バビロン侵攻への厄介な足場になりますな」
マサムネが静かに分析する。
「その通りだ。だからこそ、拠点として完全に機能する前に、その耐久値と敵幹部の実力を『テスト』してきてほしい」
カガリの言葉に、レオンハルトが獰猛な笑みを浮かべた。
「へっ……要するに、ちょっとばかりド派手に挨拶してこいってことだな?」
「ただの挨拶ではない。敵に『アルカディアは正面からでも容易く拠点を抜ける』という心理的負債を抱えさせることが目的だ。……ただし、絶対に深追いはするな。敵の大将の首を取る必要もない」
カガリは、銀の懐中時計をパチンと開いた。
「あくまでこれは、私が仕掛ける『本命の監査』のための目眩だ。……二人の将軍の暴力を、存分に見せつけてきたまえ」
「御意。……拙者の神速、前菜として存分に振る舞ってご覧に入れよう」
「面白ぇ。まとめて蹴散らしてきてやるぜ」
二人の絶対的強者が、迷いなく執務室を後にする。
カガリは一人残された部屋で、静かに葉巻に火を点け大戦の盤面を思案し始めた。
陸と海、そして空。巨大な皇帝同盟が抱えるいくつもの『歪み』を、コンシリエーレの冷徹な知略が一つ一つ、確実に食い破ろうとしていた。
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