黄金の魔窟と、終わらない遊戯(ルーレット)
『グランド・パレス・カジノ』の内部は、外の青空とは完全に切り離された「永遠の夜と熱狂」に支配されていた。
「わぁ……! すごい熱気……!」
アリサが思わず声を漏らす。
天上のシャンデリアから降り注ぐ魔導ネオンの光が、床に敷き詰められた深紅の絨毯を妖しく照らし出している。無数に並ぶ豪奢な遊戯台では、貴族や豪商たちが血眼になってカードやダイスに興じ、けたたましい歓声と絶望的な悲鳴が秒刻みで交錯していた。
まさに、大陸中の欲望を煮詰めたような魔窟である。
「こっちよ。はぐれないようにね」
セレーネは、喧騒の中を慣れた足取りで進んでいく。
桜色の直毛を胸のあたりまで無造作に伸ばし、服装はグランド・パレス・カジノの正規従業員の制服をベースにしてはいるが、少しラフにアレンジしているように見える。
足元はグラディエーターサンダルという全体的に身軽な格好ではあるが、その背中の無骨な剣帯には、彼女の身長を優に超える巨大な『黒鋼の大剣』が背負われていた。刀身に三日月の紋章が深く刻まれたその異様な質量の武器を、彼女は羽のように軽々と持ち歩いている。
彼女が通るたび、血走った目をした客たちも、屈強な警備兵たちも、まるで見えない壁に押されるようにスッと道を空けた。
カジノの裏口を抜け、重厚な防音扉を一枚隔てると、先程までの狂騒が嘘のように静まり返った。
そこは、煌びやかな表舞台とは対極にある、従業員や警備隊が使う無機質な裏通路だった。
「ちょうどメンテナンスの時間だから、私の詰所に行く前にご飯にしましょ。……この時間帯の表のレストランは、負け犬たちの殺気で飯が不味くなるからね」
セレーネの案内でたどり着いたのは、裏路地にひっそりと佇む大衆食堂だった。
飾り気のない木のテーブルと、香辛料の食欲をそそる匂いが漂う、実用的な空間だ。
「……で。アリサが大歓迎なのは当然として」
セレーネは、運ばれてきた山盛りの串焼き肉を前に腕を組み、レオンハルトとカトレイアを真っ直ぐに見据えた。
「そっちの物騒な二人は、一体何者なの? ただの観光客に見えないのは、この街で嫌ってほどヤバい奴らを見てきた私の勘が保証してるわ。……アリサ、あんた変な組織に脅されてたりしないわよね?」
「ち、違うよセレーネ! レオンハルトさんもカトレイアさんも、私のギルドの大事な仲間だから!」
アリサが慌てて両手を振って弁明する。
「お前らみたいな連中と一緒にすんな、と言いたいところだが。まあ、お嬢ちゃんの過保護な用心棒ってところさ」
レオンハルトが肩をすくめ、迷いなく串焼きを一本手に取って豪快に齧り付いた。
「美味えな、この肉。表のボッタクリみたいなレストランより、よっぽど信用できる味がするぜ」
その遠慮のない食べっぷりを見て、セレーネは深くため息をついた。
「……あんた、出されたものを警戒もせずにすぐ口に入れるわけ? この街じゃ、そういう隙を見せた奴から財布と内臓をスられていくのよ。危機感なさすぎじゃない?」
「おや? だが、この店はお前さんが案内してくれたんだろう?」
レオンハルトがニヤリと笑う。
「ここなら『安全』だって、お前さんが一番よく分かってるはずだぜ。警備隊長殿」
「……ま、ここの親父はケチだけど変な真似はしないわよ。私が言いたいのは、あんたたちが観光客にしては無防備すぎるってこと」
セレーネが呆れたように言い返した、その時だった。
「待て、お嬢さんたち! やはりその肉を食べるのは危険だ!」
カトレイアが突如として立ち上がり、真剣な面持ちでテーブルの上の料理に手をかざした。
「いかにこの者の行きつけとはいえ、ここは欲望の魔窟。どんな遅効性の毒が盛られているか分かったものではない。今すぐ私が、バルカス殿から預かった『専用魔導濾過器』を通して、この肉を安全無害な無味無臭の錠剤に変換してやろう!」
「ちょっと待って、普通に引くわ」
セレーネがドン引きした顔で、カトレイアの手を素早くピシャリとはたいた。
「いや、どんな過酷な人生歩んできたのよ!? せっかくの熱々の肉を無味無臭の錠剤にするとか、味覚への冒涜でしょ! 私の舌と親父の腕を信用しなさい!」
「だが、万が一の事態というものが――」
「万が一を気にして飯が不味くなる方が死活問題なの! はい、ストップ! 食べる!」
セレーネはカトレイアの腕を強引に押しのけると、自らも串焼きに齧り付いた。
「ほら、美味しい! 毒なんか入ってないから、熱いうちに食べなさいよね!」
テンポの良い、しかし全く隙のないセレーネのツッコミに、歴戦の騎士であるカトレイアがポカンと口を開けて固まる。
「ぶっ……ははははッ!! 違いねぇ、飯は美味く食うのが一番だ!」
レオンハルトが腹を抱えて笑い出した。
「お前さん、いいノリしてんな。その背中のバカでかい鉄塊、ただの飾りかと思ったが……」
「飾りなわけないでしょ。おっさん、腕相撲でもする? 私が勝ったら、そこの特上エール、あんたのおごりね」
セレーネが不敵に笑い、ジョッキを掲げる。
その、決して人に媚びないがどこか裏表のないカラッとした態度に、レオンハルトもカトレイアも毒気を抜かれたように息を吐いた。
「ふん。……我がギルドマスターが慕う理由が、少し分かった気がする。悪くない太刀筋だ」
カトレイアが諦めたように串焼きを手に取る。
その様子を見ていたアリサが、嬉しそうにふふっと笑った。
「ね? 私のギルドの人たち、ちょっと変だけど、みんないい人なんだよ」
「……ま、アリサがそこまで言うなら、信じてあげるわ」
セレーネはジョッキに口をつけながら、ようやくその目から冷たい警戒心を解き、年相応のあどけない笑みを浮かべた。
和やかな時間が流れる。
アリサの近況や、アルカディアでの買収劇の片鱗を聞きながら、セレーネは驚いたり呆れたりと、くるくると表情を変えていた。
「へえ……アリサのギルド、そんなに大きくなったんだ。よかったね、本当に」
セレーネが心底安堵したように微笑み、テーブルの上のピッチャーに手を伸ばした、その瞬間だった。
『――ジジッ』
彼女の袖口から覗く手首に刻印された『魔法陣』が、不気味な赤い光を放ち、微かに明滅した。
「……っ」
セレーネの表情が一瞬だけ引き攣り、ピッチャーへ伸ばした手がピタリと止まる。彼女はすぐに何事もなかったかのように袖を引き下げ、痛みを隠すように笑みを繕った。
「あー、ちょっと飲みすぎたかな」
アリサは気づかなかった。
しかし、そのほんの一瞬の『痛みの隠蔽』と『魔力の異常な脈動』を、死線を潜り抜けてきた二人の将軍――レオンハルトとカトレイアの眼が、見逃すはずがなかった。
(……おい、見たかカトレイア)
(ああ。……ただの魔術契約ではない。あんな悍ましい魔力の縛り、奴隷契約の類いだぞ)
視線だけでやり取りを交わした二人の間に、静かな、だが確かな緊張が走った。
◆ ◆ ◆
食後。
セレーネの案内で、彼女が寝泊まりしているというカジノの裏手の私室――窓もなく、無機質な石壁に囲まれた簡素な部屋へとやってきた。
「狭いところだけど、適当に座ってよ。アリサ、紅茶でいい?」
セレーネが背中の大剣を下ろし、壁に立てかけながら言う。
「……お嬢ちゃん。世間話はここまでだ」
レオンハルトが、部屋の入り口に寄りかかり、腕を組んで低い声を出した。
その声に含まれた『軍神』としての本気の気配に、セレーネの肩がビクッと跳ねる。
「さっき、飯を食ってる時に見えたぜ。手首のアレ……この街の連中と、どんな『契約』を結んでる?」
「……」
セレーネはティーカップを持ったまま、沈黙した。
先程までの明るいノリの表情は完全に消え去り、そこにはただ、途方もない重圧を背負い込んだ戦士の冷たい顔があった。
「セレーネ……?」
アリサが不安げに声をかける。
「……やっぱり、アンタたちの目は誤魔化せないわね」
セレーネは観念したように息を吐き、右腕の袖を捲り上げた。
そこには、皮膚に直接焼き付けられたような、禍々しい赤い魔法陣鎖が深く刻み込まれていた。
「……これは、この街の胴元と結んでる『専属防衛契約』の印よ」
セレーネは自嘲気味に笑った。
「私の育った孤児院が、この街が展開する『広域魔物除け結界』の端っこにあるの。でも、その結界の維持費を払えなくてね。だから私が、身柄と労働力を担保にして契約したってわけ」
「なるほどな。だからこんな魔窟で、身の丈に合わねぇ大剣振り回して番犬をやってるってことか」
レオンハルトが顔をしかめる。
「でも、おかしいぞ。お前ほどの腕があれば、数年でその維持費くらい稼ぎ出せるはずだ」
カトレイアの鋭い指摘に、セレーネは首を横に振った。
「無理なのよ。……この契約、私が警備で手柄を上げるたびに、『治安維持のための魔力消費税』とか『結界システムのアップデート費用』とか、適当な名目で『自動的に負債が加算される』ように仕組まれてるの」
セレーネの言葉に、アリサが息を呑んだ。
「そ、そんなの……詐欺じゃない! いくら働いても、一生借金が終わらないってこと!?」
「そう、終わらない遊戯。完全なバグゲーよ。でも、魔法契約は絶対だから、破れば孤児院の結界が即座に解除される。……だから私は、ここで剣を振るうしかないの」
その絶望的な構造の闇に、部屋が重い沈黙に包まれた。
『バンッ!』
突然、私室の扉が乱暴に蹴り開けられた。
「おいセレーネ! サボってないで早く表に出ろ!」
現れたのは、派手なスーツを着たカジノの上層部――皇帝同盟の息がかかったシンジケートの幹部だった。
「また西区画で暴動だ! それと、部外者を裏に入れるなと言っているだろう。規約違反だ、今月の維持費の負債に金貨五枚を追加しておくからな!」
「なっ……貴様ッ!!」
理不尽な要求に、カトレイアが腰の剣に手をかけようとする。
レオンハルトの足元からも、怒りの重力場が発生しかけた。
「――ストップ! お願い、手を出さないで!」
セレーネが二人の前に立ち塞がり、必死の形相で制止した。
そして、幹部に向かっていつもの明るい、茶目っ気のある笑顔を無理やり張り付けた。
「あはは、ごめんごめん! 私の友達がどうしてもって聞かなくてさ! 追加のシフトでも何でも入るから、金貨五枚の追加で勘弁してよ!」
「ふん。いいから早く持ち場に戻れ、番犬」
幹部が鼻で笑って去っていく。
セレーネは深く頭を下げたまま、震える拳を必死に握りしめていた。
◆ ◆ ◆
その夜。
リゾート地の外れにある安宿の一室で、アリサは『通信用の魔導具』を握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「カガリさん……お願いです。セレーネを助けてあげてほしいんです」
通信機の向こう側――アルカディア新本部の地下工房に繋がった回線に、アリサの悲痛な声が響く。
「だって……あの子、自分のことより孤児院の子供どもたちを優先して、ずっと笑ってて……。昔からそうなんです。自分が一番辛いのに、絶対に周りには心配させないように、明るく振る舞って……っ」
アリサの涙声を聞きながら、カガリは通信機の前で静かに葉巻を燻らせていた。
傍らでは、バルカスが図面から顔を上げ、じっと主の横顔を見つめている。
『……事情は分かった。お嬢さん、泣いているのか?』
カガリの静かで冷徹な声が、通信機から返ってくる。
「……はい。ごめんなさい、私……ギルドマスターなのに、友達一人、助けてあげられなくて……っ」
カガリは、小さく息を吐き出した。
マフィアのコンシリエーレにとって、組織を動かす唯一の基準は「利益」であるべきだ。一人の少女の借金問題に、皇帝同盟との開戦を控えた巨大ギルドの武力と資本を投入するなど、本来ならばリスクが高すぎる。
だが。
『……勘違いするな、アリサ。私はただのコンサルタントだ。同情や感傷でこの巨大なファミリーの帳簿を動かすことはしない』
カガリの冷たい言葉に、アリサがビクッと肩を震わせる。しかし、通信機越しに響いたカガリの次の言葉には、絶対的な重圧と、鋼のような理屈が込められていた。
『だが……君は、我がアルカディアのギルドマスターだ。トップの涙は、組織の士気を下げる致命的なエラーであり、君の願いはすなわち、我がファミリーの絶対の意思決定だ』
カガリは、銀の懐中時計をパチンと閉じた。
彼のブラウンの瞳に、冷徹な計算の光と、身内を泣かせた者へのドス黒い怒りが同時に宿る。
『私のファミリーを、誰かが作った安っぽい契約で縛り付ける……。そんな三流の高利貸しのやり口を、私が許すと思うか?』
「カガリさん……!」
『――アリサ団長』
不意に、通信機からカガリではない別の男の――低く、熱を帯びた野太い声が聞こえてきた。
ドワーフのバルカスだ。
『私が酒場で毎日管を巻いていたどうしようもない役立たずだった時……あなたは決して私を追い出さず、笑って依頼書を渡してくれましたな』
バルカスの声には、抑えきれない恩義と決意が滲んでいた。
『……あの時の御恩、片時も忘れたことはありませぬ。あなたに涙を流させるような三流のシステムなど、私の技術で必ず粉砕してみせますぞ!』
「バルカスさん……っ」
アリサが涙を拭い、通信機を両手で包み込む。
『……聞いた通りだ。我がファミリーの技術部門は、すでにハッキングの準備を終えている』
カガリの声が、夜の闇に鋭く響いた。
『レオンハルト、カトレイア、不採算な武力行使はまだ先だ。明日、私が直々にその魔窟へ出向く。……終わらないルーレットなど存在しないということを、あの三流の胴元たちに教育してやろう』
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ロバート・デニーロの『カジノ』って映画知ってます?マフィア×カジノってめっちゃかっこよくないすか……
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