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常夜の聖域と、盤上の競合交渉(コンペティション)

大陸北部、黒鉄連峰のさらに奥地に口を開ける巨大なクレバス。

太陽の光すら届かぬその深淵の底に、結界によって外界から完全に隔絶された街が存在していた。

常夜とこよの聖域・ノスフェラトゥ』。


切り立った岩壁をくり抜くようにして建てられた無数の尖塔群は、鈍く光る黒大理石で造られており、天を突くようなゴシック建築が幾重にも連なっている。

街を照らすのは、青白く燃える冷たい魔導灯の光のみ。石畳の道には血の匂いなど欠片もなく、代わりに古い羊皮紙とインク、そして冷え切った夜の静寂の匂いが満ちていた。


「……見事な静謐せいひつだ。これほど計算された『保管庫』は、シチリアの地下金庫にも存在しない」


馬車を降りたカガリは、優雅にスーツの襟を正しながら、闇に沈む壮麗な街並みを見上げた。


「お気に召して光栄です、カガリ殿。……ここは我々ヴァンパイアにとっての揺り籠であり、同時に、この世界から回収した『世界の帳簿』を未来永劫管理するための、巨大な書庫でもありますから」


案内人であるルシウスが、自らの故郷の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら微笑む。

その背後では、護衛として同行した二人の男が、油断なく周囲へ視線を巡らせていた。


「……気味が悪いな。これだけデカい街なのに、物音が一つもしねぇ。住人は全員死んでるのか?変な気配はずっと感じるが……」


クロウが漆黒のスーツのポケットに両手を突っ込み、三白眼を鋭く細める。ハーフ・ビーストの優れた聴覚をもってしても、街からは生活音すら聞こえてこない。


「彼らは『生きて』はいないが、活動はしているということか。……油断大敵でござるよ、クロウ。あそこの尖塔の影、そこの路地の暗がり……何十という視線が、拙者達の首筋を値踏みしている」


マサムネが、鯉口を親指で僅かに押し上げながら低く呟いた。

魔力を持たない武人である彼らの研ぎ澄まされた感覚は、ノスフェラトゥの暗がりに潜む、恐るべき戦闘力を持った吸血鬼たちの気配を正確に捉えていた。


「同胞たちには、すでに『アルカディアの代表を招き入れた』と通達してあります。……ですが、ここから先、元老院の玉座の間までは、気を引き締めていただきたい」


ルシウスが前を歩き出す。


「相手は永遠の時を生きる気難しい老人たちです。彼らを納得させるだけの『利益』を提示できなければ、いかに私の紹介とはいえ、五体満足でこの峡谷を出ることは難しいでしょう」


「案ずるな、ルシウス。私はマフィアのコンシリエーレだ。無価値な商談に足を踏み入れる趣味はない」


カガリのブラウンの瞳には、一切の恐怖も気負いもなかった。ただ、これから始まる極限の交渉劇への冷徹な期待だけが揺らめいている。


一行は青白い魔導灯に照らされた回廊を抜け、街の中心にそびえ立つ巨大な城郭――元老院の奥深くへと足を踏み入れた。




◆ ◆ ◆




重厚な黒曜石の扉が開かれると、そこには円形に配置された長大なテーブルと、その奥に鎮座する三つの玉座があった。

しかし、玉座の間はカガリたちが到着するよりも前に、異様な緊張感に包まれていた。


「――だからこそ、我々『日輪の鷲』と『蒼海の三叉槍』による同盟に、貴方たちヴァンパイアの力をお貸しいただきたいのです。あのアルカディアという正体不明の『異物』を、これ以上大陸で野放しにするわけにはいかない」


円卓の中心で声を張り上げていたのは、太陽の紋章が刻まれた豪奢なローブを纏う男だった。

その背後には、海を象徴する青い甲冑を着込んだ大柄な戦士が腕を組んで立っている。


「……なるほど。皇帝同盟の使者か。行動が早いな」


カガリが冷笑と共に呟く。


「なっ……! 貴様らは……!」


同盟の使者が、カガリたちに気づいて絶句した。


「なぜ、アルカディアの連中がこの神聖なノスフェラトゥにいる!?」


「それはこちらのセリフですね。我々が投資している企業を『異物』呼ばわりするとは、ずいぶんと耳障りなプレゼンだ」


ルシウスが冷たく言い放ち、カガリを促すように円卓の一角へと案内した。

玉座に座る三人の長老――白蝋のような肌と、底知れない赤い瞳を持つ吸血鬼の頂点たちは、無言のままカガリと同盟の使者を交互に見下ろしている。


「……ルシウスよ。お前が熱を上げる『新興勢力』の顔が見られたのは喜ばしいが……奇妙なことになったな。アルカディアと皇帝同盟。双方が同時に、我々ノスフェラトゥの力を求めてやってくるとは」


中央の長老が、枯れ木のような指を組み合わせて口を開いた。


「皇帝同盟は、我々の強大な武力と莫大な資金を以て、アルカディアを空と海から完全に包囲・殲滅する計画を持ちかけてきた。対価は、戦後の物流利権の一部譲渡だそうだ。……さて、アルカディアの代表よ。貴様は我々に、何を提示する?」


長老の言葉に、同盟の使者が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「長老殿。我々同盟の保有する戦力と資本は、大陸の六割を占めております。このまま経済封鎖を続ければ、アルカディアが干上がるのは時間の問題。……どちらに投資すべきかは、明白でしょう!」


使者の言葉に、マサムネとクロウが静かに殺気を練り上げようとした。

だが、カガリはそれを片手で制し、ゆっくりと円卓に進み出た。


「……『大陸の六割』、か」


カガリはスーツの懐から、分厚い羊皮紙の束――『帳簿』を取り出し、円卓の上に放り投げた。


「数字の読めない経営者ほど、自社の見栄えの良いカタログだけを信じ込む。……長老殿。そこに記されているのは、私がバビロンを陥落させた直後に買い叩いた、皇帝同盟の『下部組織』および『主要取引先』のリストです」


「な、なんだと!?」


使者の顔色が変わる。

カガリの言葉はハッタリではない。彼がバビロンの市場をハッキングした際、同盟側の末端の資金繰りの「綻び」を見つけ出し、すでに密かに資本を注入して買収コントロールを済ませていたのだ。


「海と空の同盟……聞こえは良いが、所詮は昨日の敵同士による急造の寄り合い所帯だ。利益分配の不満、港の関税を巡る対立……彼らの足元はすでに内部崩壊デフォルトの危機に瀕している。私がこの権利を一斉に引き上げれば、彼らの包囲網は一週間と持たずに瓦解する」


カガリは両手を円卓につき、長老たちを真っ直ぐに見据えた。


「私が提示する投資案件は、包囲網の突破ではありません。……すでに腐り落ちる運命にある皇帝同盟の『全資産と魔力利権の接収』。その四割を、手付金としてノスフェラトゥへ譲渡しましょう」


玉座の間に、重い沈黙が落ちた。


「貴様ァッ! 捏造された紙切れで、我々皇帝同盟を愚弄するか!」


激昂した使者の背後にいた青い甲冑の戦士が、巨大な戦斧を引き抜き、カガリの首を刎ねようと跳躍した。


長老たちの御前での暴挙。


だが、カガリは瞬き一つしない。


「――シッ!」


「――遅ぇよ」


カガリの両脇から、二つの影が同時に弾け飛んだ。

甲冑の戦士が戦斧を振り下ろすより早く、マサムネの神速の鞘打ちが戦士の鳩尾みぞおちを正確に打ち据える。

悶絶し、体勢を崩した巨体の顔面へ、クロウの魔力相殺の鉱石が仕込まれた回し蹴りが無慈悲に叩き込まれた。


『ドゴォォォォンッ!!』


戦士は円卓の端まで吹き飛ばされ、白目を剥いて気絶した。

ほんの一瞬の出来事。魔法すら介在しない、純粋な物理と速度による圧倒的暴力。


「……うちのボスは、今『数字』の話をしてるんだ。うるせぇハエが割り込んでんじゃねぇぞ」


クロウが着地と同時に首を鳴らす。

マサムネはすでにカガリの斜め後ろで、微動だにせず残心をとっていた。


「……ふむ」


その一連の動きを見ていた長老の瞳に、初めて微かな「興味」の光が宿った。

ルシウスは口元を隠し、声を出さずに笑っている。


「無礼な真似をしたな、長老殿。だが、これが我がアルカディアの『執行力』だ」


カガリはスーツの埃を払い、再び冷徹なビジネスマンの顔へと戻った。


「さて。砂上の楼閣と化した同盟のカタログか、あるいは確実に敵を解体する我々の『帳簿』か。……究極の監査機関たる貴方がたの、賢明なる判断ジャッジを聞かせてもらおうか」

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!

死なない設定なのに長「老」とかがいるのってシンプルに意味わからない設あります……?まぁいっか。


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