帳簿と凶弾 〜冷徹なるコンシリエーレの最終交渉〜
バビロン本部タワー、最上階へと続く静寂の回廊。
カガリが磨き上げられた大理石の床を歩いていくと、前方から重い足音を引きずりながら歩いてくる人影があった。
全身を朱に染め、肩で息をする九条マサムネ。
そして彼に肩を貸される形で意識を失っているのは、『叡智の冠』筆頭幹部であるユリウスだった。
「……カガリ殿。裏の『掃除』は、無事に終わらせたでござる」
マサムネは苦痛に顔を歪めながらも、主君に向けて力強く頷いた。
その漆黒の装束は無数の斬撃によってボロボロに引き裂かれており、いかに死闘であったかを物語っている。
カガリは歩みを止め、マサムネの身体の至る所に浮かび上がるダメージの数値と彼の新しい能力『断理の眼』を網膜に映し出した。
「……よくやった、マサムネ。君の『断理の眼』の覚醒は、我がファミリーにとって最高の投資効果だ。だが、その傷は放置すれば減価償却の範囲を超える」
カガリは懐から葉巻を取り出し、静かに火を点けた。
「君の仕事はここまでだ。その荷物を連れて、先に地上へ降りたまえ。下ではすでに、カトレイアとレオンハルトが制圧を終えているはずだ。医療班の治療を受けろ」
「……しかし、この先の『大将』の首を取らねば、戦は終わらぬ。拙者も――」
「大将の首を物理的に刎ねるのは、野蛮な剣客の仕事だ」
カガリは紫煙を細く吐き出し、回廊の最奥にそびえる重厚な扉を見据えた。
「ここから先はマフィアの『交渉』の時間だ。……それに、私は君たちと違って血生臭いチャンバラは好まないんでね」
「……ふっ。相変わらず、食えない御方だ」
マサムネは小さく笑うと、ユリウスを担ぎ直し、カガリに背を向けた。
「では、吉報を待つとしよう。……ご武運を、カガリ殿」
血の跡を残して遠ざかる最強の矛の後ろ姿を見送った後、カガリはスーツの襟を優雅に正し、魔法都市の頂点に君臨する男が待つ扉へと、一切の躊躇なく足を踏み入れた。
◆
扉の先は、都市のすべてを俯瞰できる天空の玉座の間だった。
しかし、かつてそこにあった絶対的な権力の象徴は、すでに崩れ去っている。
壁を覆い尽くしていた魔導スクリーンはすべて「システム権限移行」の赤いエラーを吐き出し、窓の外に見えていた美しい『魔法の空』は、冷たい泥雨の降る灰色の空へと変わっていた。
「……計算が狂ったな。地下の基幹システムを奪われ、防衛軍は一掃されたか」
執務机の奥。
『叡智の冠』ギルドマスター、ゼノ・メビウスが、血走った目でカガリを睨みつけていた。
彼の周囲には、演算の化け物たる所以である異常なまでの魔力が、行き場を失って渦巻いている。
「計算通りだ、ゼノ。君のギルドは、本日付けで事実上の倒産だ」
カガリは歩みを止めず、ゼノの眼前にある巨大な中央管理テーブルへと近づいた。
その手には、バビロンの都市経営権のすべてをアルカディアに譲渡する契約書が握られている。
「私の提示するプランはこうだ。君がこの場で降伏し、無条件で都市の運営権を譲渡するなら、市民の生活インフラは維持し、君たちの命も保証しよう。……サインをしたまえ」
カガリが契約書をテーブルに滑らせる。
「……ふざけるなッ!」
ゼノが激昂し、拳を机に叩きつけた。
「大した魔力も持たぬ薄汚いゴロツキどもに、この私が! 魔法の神髄を極めたこのゼノ・メビウスが屈するとでも思っているのか!」
「現実を見ろ。君たちの魔法は、すでに私の『帳簿』の中に組み込まれている。君がここで私を物理的に排除したところで、システムの権限は戻らない。明日の朝には、都市の全ての口座が凍結され、市民は君たちを簒奪者として石を投げるだろう」
カガリの冷徹な事実の羅列が、ゼノのプライドを容赦なく削り取っていく。
ゼノは震える手で自身の顔を覆い、ギリリと歯を鳴らした。
状況は完全に詰んでいる。降伏するしか道はない。
だが――魔法至上主義の頂点に立ってきた男の肥大化したエゴが、その『敗北』をどうしても許容できなかった。
「……ならば、すべてを灰に還すまでだ」
ゼノの瞳に、狂気の光が宿った。
「システムが奪われたのなら、この都市ごと消し飛ばしてやる。私の中にある全魔力を暴走させれば、このバビロンをクレーターに変えることなど容易いッ!」
ゼノの身体から、圧倒的な破壊の魔力が膨れ上がり、空間がビリビリと悲鳴を上げ始めた。
それは自らも巻き込む、自爆に等しい広域殲滅魔法の起動準備。
だが。
カガリは、暴走するゼノを前にして、全く動じることはなかった。
「……交渉決裂か。やはり、無能な経営者は最後の損切りすらも間違えるらしい」
カガリは静かにため息をつくと、右手をごく自然な動作で、最高級スーツの内ポケットへと差し込んだ。
「死ねッ! ゴミ屑どもォォォッ!!」
ゼノが魔法を放とうと両手を突き出した、まさにその瞬間。
『ズォォォォォォッ……!!』
最上階の空間そのものが、圧倒的な「死の気配」によって凍りついた。
「……な、に……!?」
ゼノの動きが、強制的に停止した。
圧倒的な魔力を持っていたはずの彼が、本能的な『恐怖』によって、指一本すら動かせなくなったのだ。
カガリから、ドス黒い、底なしの沼のようなオーラが溢れ出していた。
それは魔力と呼べるような生易しいものではない。シチリアの裏社会で、数え切れないほどの命をその冷徹な計算で奪ってきた、純度100パーセントの『殺意』。
スーツの内ポケットに差し込まれていたカガリの右手が、ゆっくりと引き抜かれる。
そこに、物理的な銃は存在しない。
だが、彼が引き抜いた右手の形――『拳銃の形』は、ゼノの目には死神の鎌よりも恐ろしい凶器として映っていた。
カガリの伸ばした人差し指の先端。
そこに、周囲の空間から強制的に搾取された魔力が、おぞましいほどの高密度で極限まで圧縮され、一発の『漆黒の弾丸』として実体化していた。
「――君には、弾丸一発分のコストすらも惜しいのだがね」
カガリのブラウンの瞳が、ゼノの眉間を正確に捉えている。
その指先から放たれる禍々しい魔弾のプレッシャーに、ゼノは呼吸すら忘れた。
魔法の詠唱も、都市を吹き飛ばす自爆の覚悟も、カガリが突きつけた「純粋な暴力の形」の前に、紙屑のように吹き飛んでいた。
撃たれる。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
ただその絶対的な事実だけが、ゼノの脳髄を支配した。
「ひっ……! あ、あああ……っ!」
ゼノは腰から崩れ落ち、無様に後退りしながら、大理石の床を這いつくばった。
先程までの狂気は完全に消え失せ、残ったのは死の恐怖に震える、ただの矮小な男の姿だけだった。
「……理解したなら、そこに落ちている契約書にサインしろ」
カガリは銃の形に結んだ手の力を抜き、指先の魔弾をフッと空気中に霧散させると、再び冷徹なビジネスマンの顔へと戻った。
「は、はい……! すぐに、サインします……っ! 命だけは……!」
震える手で羽ペンを握り、契約書に署名するゼノを冷ややかに見下ろしながら、カガリは懐中時計を取り出した。
「交渉成立だ」
魔法都市バビロンは、第四の皇帝ギルド『アルカディア』によって、完全に買収された。
最後の闘いは、ただ冷酷な数字と圧倒的恐怖による、コンシリエーレの完全な勝利であった。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
魔法はイメージが重要なので、スーツの胸ポケットに手を入れ生前の相棒を思い出すのは彼の魔弾の発動に取って非常に重要な所作なのです……。
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