市場の暴落(クラッシュ)と、崩れゆく魔法の空
バビロンの商業区の一角。
かつては栄華を誇ったが、今は『ダミー会社』としてカガリの「所有物」となったアルジェント商会。その奥の薄暗い執務室で、カガリは優雅に脚を組み、用意させた最高級のソファに深く沈み込んでいた。
彼の目の前のデスクには、商会が有する都市の市場ネットワークに接続された『魔導取引板』が置かれている。
「……信じられません。あなたは、たった一人でこの都市の市場を相手にするおつもりですか?」
商館の元主であり、今はカガリの「店長」へと降格した初老の男が、震える声で尋ねた。
「一人ではないさ。私には、強力な『資本』と優秀な『ファミリー』がいる。……さて、始めようか」
カガリのブラウンの瞳の奥で、固有スキル【ファミリー・レジャー】が青白く発光する。
彼の網膜には、バビロンの市場におけるすべての物資の価格、魔力供給の推移、そして『叡智の冠』が吸い上げている税の動きが、完璧な「帳簿」としてリアルタイムで投影されていた。
「彼らのシステムは、空間魔法による物流と、結界維持のための莫大な魔力消費で成り立っている。……ならば、その『血液』の供給を止めてやればいい」
カガリは、魔導取引板に自身の端末――正門でシステムを屈服させた、あの『魔力中継端末』を接続した。
「マサムネ。私が今から何をするか、わかるか?」
背後に静かに立つ剣士に、カガリは問いかけた。
「……拙者には、算術も商いの機微もわからぬ。だが、貴殿がこれから、あの忌々しい『魔法の空』を切り裂こうとしていることだけはわかる」
「その通りだ。私は今から、この都市で流通している『高純度魔石』の先物取引における権利を、すべて買い占める」
カガリの指先が、魔導取引板の上で踊るように叩かれた。
「正門でシステムに認めさせた『アルカディア・トライアングル』の全資産、そしてカトレイアとレオンハルトの莫大な魔力残高。これを『信用担保』としてシステムに提示し、市場に流れる魔石を限界まで買い漁る。……合法的な経済的暴力だ」
『――ピロリィン』
無機質な承認音が執務室に鳴り響く。
カガリの指が動くたびに、バビロンの市場から結界維持に必要な魔石の供給権が、次々とアルジェント商会の名義へと書き換えられていく。
「ひぃっ……! そ、そんな莫大な取引、システムが異常を検知して停止するはず……!」
元店主が悲鳴を上げたが、カガリは冷たく笑った。
「停止しないさ。なぜなら、我が優秀な『案内役』が、すでに地下でシステムの警戒網を物理的にぶち壊しているからね」
◆
同時刻。『叡智の冠』本部タワー、最上階。
ギルドマスターのゼノ・メビウスは、自身の執務机で異常な事態に直面していた。
彼の周囲に展開された無数の魔導スクリーンが、次々と真っ赤な警告色に染まっていく。
「どういうことだ……! 市場から魔石の供給が完全にストップしているだと!? 結界の維持魔力が足りなくなるぞ!」
ゼノが苛立ちと共に叫ぶ。
「マスター!アルジェント商会が、市場の魔石を異常な価格で無差別に買い占めています!彼らの『信用残高』が桁違いで、自動取引システムがすべて承認してしまっているのです!」
カーミラが青ざめた顔で報告する。
「莫迦な!なぜシステムは取引を止めない!?」
「わかりません! エラー検知の術式が、何者かによって中枢の根本から書き換えられています! これでは、都市の魔力がすべて市場に吸い出されてしまいますわ!」
地下水路でクロウが端末を接続し、物理的なハッキングを行った成果だった。
『叡智の冠』が絶対の自信を持っていた魔法の防壁は、魔力を持たない獣人の拳と、マフィアの圧倒的な資本の前に、内部から完全に腐らされていたのだ。
「……ええい、忌々しい! ならば市場の取引を物理的に凍結しろ! 結界の予備魔力プールを解放し、空の結界を維持するんだ!」
ゼノが苛立ちに任せて、結界管理の中枢パネルに自身の魔力を注ぎ込んだ。
都市から吸い上げた魔力を貯蔵する、巨大な地下クリスタルを強制解放するコマンド。
しかし。
『――アクセス拒否。当該権限は、現在【アルジェント商会代表・カガリ】に移行されています』
無機質なシステム音声が、ゼノの耳に冷酷な現実を突きつけた。
「……な、に……?」
ゼノの顔から、完全に表情が抜け落ちた。
彼らが「魔法による絶対支配」の基盤として構築した自動化システム。
それが、圧倒的な資本力とハッキングによって、完全に「外部の人間」の所有物として書き換えられていたのだ。
「システムが……私の命令を受け付けない、だと……?」
◆
「……チェックメイトだ」
アルジェント商会の執務室。
カガリは最後の一つとなるコマンドを打ち込むと、優雅に魔導取引板から手を離した。
「結界の維持魔力を完全に断ち切った。……これで、この都市の『偽りの空』は終わりだ」
カガリが懐中時計の蓋をパチンと閉じた、その瞬間だった。
都市の遥か上空、バビロンの空を覆い尽くしていた巨大な半透明の魔力ドーム。その天頂――偽りの太陽が輝いていた一点に、ピキッ……という小さな亀裂が走った。
それは瞬く間に蜘蛛の巣のように広がり、空全体を這い這うように伝播していく。
『パリィィィィン……!!』
世界そのものが砕けるような、絶大な轟音。
今までバビロンを暖かな光で包み込んでいた「魔法の青空」が、巨大なステンドグラスのように砕け散った。
「あ、ああ……結界が……我々の空が……!」
元店主が、窓の外の光景に膝から崩れ落ちた。
砕け散った魔力の破片が、何百万という光の雪となって都市全体に降り注ぐ。それは圧倒的に美しく、そして残酷な、魔法都市の崩壊を告げる葬送の雨だった。
光の破片が地面に落ちて消え去ると同時、その向こう側から姿を現したのは、どす黒く淀んだ本来の雨雲。
ザーーーーッ……。
永遠の春を享受していたバビロンの街に、容赦のない、冷たく重い本来の「泥雨」が降り注ぎ始めた。
広場の商人たちが、頭上を仰ぎ見て悲鳴を上げ、混乱と恐怖の渦へと沈んでいく。
「……見事な手腕でござる、カガリ殿。刀を一度も振るわずして、一国に等しい都市の盾を丸裸にし、あの強固な空を割ってみせるとは」
マサムネが、窓の外で降り始めた泥雨を眺めながら静かに言った。
「マフィアの戦いは、弾丸を撃つ前に勝敗を決めておくものさ」
カガリはソファから立ち上がり、スーツの埃を払った。
「さて。傘を失い、ずぶ濡れになった哀れな魔術師どもは、今頃パニックに陥っているだろう。……だが、絶望はここからだ」
結界が消滅し、完全に無防備となったバビロンの巨大な大城門。
その門の向こう側――冷たい雨に打たれる泥濘の街道に、一つの「影」が現れた。
いや、一つではない。
ズズン……ズズン……。
地鳴りのような足音を響かせ、雨雲を切り裂くように姿を現したのは、漆黒の重鎧に身を包んだ数百の軍勢。
そして、その先頭で巨大な魔導ランス『カラドボルグ』を肩に担ぎ、凶暴な笑みを浮かべる一人の男だった。
「……待たせたな、カガリ。雨の日の散歩にしては、最高の舞台を用意してくれたじゃねえか」
元・王国騎士団長、レオンハルト。
彼の傍らには、大盾を構えた赤髪の女騎士・カトレイアが、冷徹な視線でバビロンの尖塔を見据えている。
アルカディアの圧倒的な「暴力」が、丸裸になった魔法都市の喉元に、その鋭い牙を突き立てようとしていた。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
カガリの端末で思い出したんですけど…この間回転寿司屋に行ったらもう寿司は全く回ってなくて、全部手元の端末注文でしたね。時代ですね。
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