魔法都市の影(スラム)と、猫舌の共犯者
大陸中央に位置する巨大物流・商業都市『バビロン』。
カガリとマサムネを乗せた馬車が、都市を囲む丘を越えた瞬間、眼下に広がったのは常識を凌駕する異様な光景だった。
都市の遥か上空を、半透明に輝く巨大な魔力ドームが覆い尽くしている。
魔法ギルド『叡智の冠』が維持する「広域認識阻害・気候操作結界」である。
結界の外側――カガリたちがいる場所は厚い雨雲に覆われ、冷たい泥雨が降っているというのに、ドームの内側には不気味なほどに青々と晴れ渡った空が広がっていた。
結界内部では、幾筋もの光の帯が宙を交差している。
それは、空間魔法を組み込んだ「浮遊荷船」の軌跡だ。
東西南北から集められた莫大な物資が、馬や車輪の物理的制約を無視し、都市の中心にそびえ立つ白銀の尖塔――『叡智の冠』の本部タワーへと吸い込まれ、そしてまた各地へと転送されていく。
「……見事なものだな。物理的な輸送コストと天候リスクを、魔法というインフラで完全にゼロにしている」
カガリは馬車の窓からその光景を見下ろし、冷徹に目を細めた。
「だが、あの結界に入るための正規ルートである大城門を見てみろ、マサムネ」
「……凄まじい数の馬車でござるな。数千……いや、数万は下らぬぞ」
マサムネが指差す先、結界の一部が開かれた巨大な門の前には、入市審査と「結界保護税」の支払いを待つ商人たちの列が、地平線の彼方まで延々と続いていた。
「これこそが『物流の独占』だ。彼らは魔法によって効率化を生み出したのではない。魔法を使って関所を作り、市場の血液を自分たちの胃袋へ強制的に流し込んでいるだけだ」
カガリの手の中で、銀の懐中時計がカチリと音を立てた。
「富は中央の尖塔に吸い上げられ、不要なコストはすべて外側に投棄される。……我々が向かうのは、あの列に並ぶためではない。光の強さが生み出した、最も濃い『影』の中だ」
馬車は正規の街道を外れ、巨大なドームの足元、城壁の外周にへばりつくように形成された一帯へと下っていく。
そこは、魔力を持たない者や、法外な税を払えなかった者たちが吹き溜まる、絶望の掃き溜め――巨大スラム街だった。
「……カガリ殿。あの輝くドームのすぐ足元に、これほどの地獄が広がっていようとはな。九条の里の飢饉とはまた違う、人の業が煮詰まったような悪臭だ」
「マフィアにとって、こうした管理の行き届かない『影』こそが、最高のビジネスチャンスを生むのさ」
カガリは馬車を降り、泥水を避けるように優雅な足取りでスラムの路地を進み始めた。
今回の作戦は、カガリとマサムネの二人だけの極秘任務である。顔の割れているレオンハルトや、目立ちすぎるカトレイアたちは置いてきた。
しかし、真っ直ぐすぎる武人であるマサムネは、戦闘こそ無敵だが、裏社会の潜入や情報収集といったスパイ活動には致命的に向いていない。
「だからこそ、我々にはこの都市の裏側を知り尽くした『現地の案内役』が必要だ。すでにエルセの『耳』を使って、極上の異常値を叩き出している男に目星はついている」
カガリは迷いのない足取りで、さらにスラムの奥深くへと進んでいく。
「魔法至上主義のこの都市の足元で、魔力を一切持たない獣人でありながら、結界に出入りし、時に魔術師狩りすら行っている男だそうだ。……裏帳簿の隠し場所から地下水路まで網羅しているらしい」
「魔力を持たぬ獣人が、魔法使いを狩る、と? それはまた……」
マサムネが感嘆の声を漏らしかけた、その時だった。
路地の奥から、鈍い打撃音と、男たちの悲鳴が響いてきた。
「ひ、ひぃっ! ま、待て! 俺たちは『叡智の冠』の下部組織の者だぞ! スラムのゴミ共からみかじめ料を回収しているだけだ!」
カガリたちが角を曲すると、そこには五人のローブ姿の魔術師たちが、路地の壁に叩きつけられ、血を吐いて倒れていた。彼らの周囲には、破壊された魔力障壁の破片が、ガラスのように散らばっている。
その中心に立っていたのは、一人の青年だった。
「……群れるのは嫌いなんだ。さっさと消えろ。それとも、もう一度その薄っぺらい障壁ごと顔面を噛み砕かれたいか?」
愛想など微塵もない、氷のように冷たく好戦的な声。
年齢は二十代前半。漆黒のコートを羽織り、艶のある黒髪の間からは鋭く冷たい三白眼が覗いている。
ハーフ・ビーストとはいえ、その外見はヒューマンとほとんど大差がない。
ただ、そのしなやかな身のこなしと、獲物を狩るような凄まじい眼光だけが、彼が純粋な人間ではないことを物語っていた。
青年の両手には、魔力を強制的に散らす特殊な鉱石が打ち込まれた無骨なナックルダスターが握られており、そこからポタポタと魔術師の血が滴り落ちていた。
「バケモノめ……! 魔力も持たない獣人の分際で……!」
魔術師たちは這うようにして逃げ去っていく。青年はそれを追うこともせず、コートのポケットに両手を隠し、チッと舌打ちをした。
カガリは、自らの網膜に【ファミリー・レジャー】のデータを展開し、事前の査定情報と目の前の「現物」を照合する。
【鑑定:クロウ・ヴァレンティ】
・種族:ハーフ・ビースト
・年齢:23歳
・保有魔力:0《完全な不適合》
・近接格闘能力:SS
・特記事項:バビロンの地下水路、裏帳簿の隠し場所などを網羅。極度の人間不信。
「……魔力と正反対な格闘か。見事なマイナス要素の反転だ。まさに私が求めていた『資産』だよ」
カガリが独り言のように呟きながら路地に姿を現すと、クロウの鋭い三白眼が、瞬時にカガリとマサムネを射抜いた。
「……見ない顔だな。こんな掃き溜めに、随分とお行儀のいいスーツだ」
クロウは警戒を露わにし、低く唸るような声を出した。
「俺に『仕事』でも頼みに来たか? それとも、あのゴミ共と同じように顔面を砕かれたいか?」
「君がクロウだな。初めまして、私はカガリ。しがないコンサルタントだ」
カガリは、クロウから放たれる獣のような強烈な殺気を微風のように受け流し、優雅に微笑んだ。
「単刀直入に言おう。君のその『拳』と、この都市の裏側を知り尽くした『知識』を買いたい。……私と専属契約を結ばないか?」
クロウは鼻で笑った。
「帰れ。俺は誰の下にもつかない。大方、結界の中にいる気に食わない商敵の暗殺でも頼みたいんだろうが……俺はそういう『上』の連中のゲームの駒になるのは反吐が出るほど嫌いなんでね」
クロウが踵を返そうとした瞬間、マサムネがスッとカガリの前に出た。
刀は抜いていない。だが、その腰の落とし方一つで、クロウの全身の毛が総毛立った。
「マサムネ。客人を脅すな」
カガリが静かに制すると、マサムネはスッと殺気を消して一歩下がった。
クロウは冷や汗を流しながらも、警戒を解かずにカガリを睨みつける。
「暗殺ではないよ、クロウ。私が君に頼みたいのは『案内』だ。この魔法都市の分厚い結界をすり抜け、内側から『叡智の冠』の資金源を完全に解体するためのね。……彼らの理不尽なシステムに、恨みがあるのだろう?」
カガリの言葉に、クロウの瞳の奥が僅かに揺れた。
「……本気で言ってるのか? 『叡智の冠』を潰すだと?」
「私は不可能な事業計画は口にしない。……場所を変えようか。商談には、冷たい路地裏よりも温かい食事がふさわしい。……そこの薄汚れた酒場で構わないか?」
「……いいだろう。あんたがただのイカれた詐欺師かどうか、見極めてやる」
◆ ◆ ◆
数分後。
スラムの片隅にある、木組みの粗末な酒場。
カガリとマサムネの向かいに座ったクロウは、腕を組み、周囲の客を威圧するような冷たいオーラを放っていた。
「……で? 聞くだけ聞いてやろう。具体的な潜入プランはどうなってる。俺の案内だけじゃ、あの結界は――」
クロウが鋭い口調で本題に入ろうとした時、店主がドン、と乱暴に料理をテーブルに置いた。
スラム名物、肉と野菜の煮込みシチューだ。
「……」
クロウの言葉が、ピタリと止まった。
彼は組んでいた腕を解き、目の前のシチューを凝視した。その鋭く冷たい三白眼が、湯気を立てるだけの平凡な料理に対して、信じられないほどの「警戒」を露わにしている。
「……どうした、クロウ。冷めないうちに食べたまえ。経費だ」
カガリが促すと、クロウは眉間を深く寄せ、シチューとカガリを交互に睨みつけた。
「……うるさい。俺は……食べる前に、じっくり観察する主義なんだ」
そう言いながら、クロウはスプーンでシチューを掬うと、ふーっ、ふーっ……と、氷のような表情を崩さぬよう必死に堪えながら、小刻みに息を吹きかけ始めた。
しかし、恐る恐る一口舐めた瞬間、ビクッ!と獣のように肩を跳ねさせ、涙目になりながら備え付けの冷水を一気に飲み干した。
「……カガリ殿。彼は、もしや……極度の『猫舌』でござるか?」
マサムネが小声で尋ねる。
「……見なかったことにしてやれ、マサムネ。獣人の血のせいだろう。それにしても、ハードボイルドな外見と、食事にかかる『タイムコスト』のギャップが凄まじいな」
カガリは内心でクスッと笑いながら、手元のコーヒーを優雅に啜った。
「……な、何を見ている。噛み殺すぞ」
涙目のまま威嚇してくるクロウに対し、カガリは契約書をテーブルの上に滑らせた。
「君のペースで構わないよ。……さて、本題の『潜入プラン』だが。我々は正門から、堂々と『特権商人』として入り込む。……君には、そのための『ダミー会社』の裏工作と、都市内部の物理的な抜け道を案内してもらう」
冷徹なコンシリエーレと、凄腕の侍、そして致命的な猫舌の専門家。
異色の三人による、魔法都市解体への潜入工作が、今まさに始まろうとしていた。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
クロウは黒豹の獣人のハーフです。ネコ科ということで、安直に猫舌ちゃんにしましたが、ギャップがかわいいのではないでしょうか……?!
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