投資効果(ROI)視察その4 〜隔離棟の魔女と、要塞(ハコ)を覆う絶対防壁〜
レオンハルトの闘技場を後にしたカガリは、新本部の最も風下に位置する、独立した別棟へと足を向けていた。
白亜の大理石が輝く本館とは打って変わり、その棟へと続く渡り廊下は、異常なほどの分厚さを持つ対化学兵器用の隔離壁で覆われている。
「……ここから先は、我がファミリー最大の『リスク(負債)』と『セキュリティ(資産)』が同居する場所だ」
カガリの網膜に展開された【ファミリー・レジャー】の数値が、隔離棟に近づくにつれて、警告を示す赤い光をチカチカと明滅させ始めた。
【空間汚染度:極めて高い】
【特記事項:致死性化学物質の継続的発生。ただし、隔離壁により外部への流出はゼロ】
五重の魔導封印が施された厳重な扉を抜け、カガリは分厚い防護用クリスタルガラス越しに、その「地獄の釜」を視察した。
「……」
ガラスの向こう側――完全密閉された専用調理室では、シミだらけのエプロンを纏ったカトレイアが、上機嫌で鼻歌を歌いながら巨大な鍋をかき回していた。
鍋の中で煮えたぎっているのは、もはや食材と呼べる代物ではない。ドロドロとした赤黒い粘体が、ボコッ、ボコッと不気味な泡を立て、泡が弾けるたびに空気がジュッと融解するような音を立てている。
シチリアのマフィア抗争で使われた劇薬すら、あれに比べれば清涼飲料水に等しいだろう。
冷徹なコンシリエーレであるカガリでさえ、一瞬だけ眉間を寄せ、僅かに目を逸らした。
だが、彼の視線はその直後、鍋の横に設置された「装置」へと向けられ、満足げな光を取り戻した。
バルカスが心血を注いで開発した『専用魔導濾過器』である。
カトレイアが完成させた「極限栄養スープ(という名の劇物)」を濾過器の漏斗に流し込むと、対魔性・竜殻石のフィルターと極小魔力回路が作動。致死性の毒素だけが完全に分離・中和され、装置の出口からは、雪のように真っ白で無味無臭の「丸薬」が、コロン、コロンと規則正しい音を立てて瓶に収まっていく。
「見事なパッケージングだ。あれほどのバイオハザードが、完全に無害な『福利厚生』へと変換されている。……バルカスの職人手当も上乗せしておくべきだな」
カガリは手帳にペンを走らせながら、壁に備え付けられた通話用の魔導管のスイッチを入れた。
「……カトレイア。調子はどうだ」
「おお、オーナーではないか!」
スピーカー越しに、カトレイアの凛とした、だが純真な声が響く。
彼女は分厚いガラス越しにカガリに気づくと、誇らしげに丸薬の詰まった瓶を掲げてみせた。
「見てくれ! バルカス殿の作ってくれたこの箱のおかげで、私の愛情がこんなにも携帯しやすい形になったのだ! これで、辺境へ任務に向かう部下たちにも、いつでも私の手料理の栄養を届けられる!」
「ああ。素晴らしい生産効率だ。これなら週に一度の『毒物耐性獲得プログラム』も、欠品を起こすことなく全社員へ供給できるだろう」
カガリが淡々と事実だけを告げると、カトレイアは満足そうに頷いた。
しかし、カガリは通話管越しに、冷徹な経営者としての鋭い質問を投げかけた。
「だが、カトレイア。君の本来の適正配置は『最強の盾』だ。この隔離棟で薬を調合している間に、もし部隊が前線で襲撃を受けたらどうする? 君の機動力では、味方を守るための防衛展開にて遅延が生じるのではないか?」
その問いに対し、カトレイアはフッと武人らしい自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ふふ、オーナー。私の『盾』の範囲を侮っては困るな。私の空間干渉は、有事の際には周囲十数メートルにまで拡大し、部隊全体を覆う防壁となる。
……だが、貴殿が懸念しているのは『私が出撃で不在の間に、この本館が襲撃されるリスク』であろう?」
カトレイアは手にしたお玉を置き、部屋の奥へと歩を進めた。
そこには、巨大なミスリル合金で造られた『魔力供給台座』が鎮座していた。床下から無数の魔導線が伸び、本館の方向へ向かって太い脈のように繋がっている。
「デダロス殿がこの城砦を設計した際、外壁すべてに『魔力伝導率の高い黒曜石』の骨組みを張り巡らせてくれた。そしてバルカス殿が、それをこの台座へと繋いだのだ」
カトレイアは、自身の素手をその台座のコアへと押し当てた。
「これより、城塞防衛機構を起動する!」
カトレイアの腕から凄まじい魔力が台座へと注ぎ込まれた瞬間。
ガラス越しのカガリの視界の中で、隔離棟から本館の外壁に向かって、青い光の奔流が脈動するように駆け巡った。
【設備鑑定:城塞防衛機構】
・状態:起動中
・効果:カトレイアの魔力属性『静止』を城塞の外壁全体へ拡張。
「この台座は、私の魔力を継続的に吸い上げ、城壁全体を不可視の『絶対防壁』へと変える。
……そして最も重要なのは、システムが私の魔力を消費し続けている間も、私自身は自由に動けるということだ」
カトレイアは台座から手を離し、傍らの大盾を軽々と持ち上げてみせた。台座は依然として青く発光し、彼女から無線で魔力を供給し続けている。
「私が前線で部下たちを直接守りながら、同時にこの本館全体をも外敵から守り抜く!
これぞ、バルカス殿とデダロス殿が叶えてくれた、私の求める究極の『防衛戦陣』だ!」
「……なるほど。本館と前線の並行防衛か」
カガリの口角が、見事な投資効果の回収に深く吊り上がった。
常人であれば城塞規模の結界を維持するだけで魔力が枯渇し、干からびるだろう。
だが、かつて大陸最強の盾と謳われた彼女の規格外の魔力容量があって初めて成立する、文字通りの鉄壁。
「完璧なファイアウォール(防壁)だ。素晴らしいリスク管理能力だよ、カトレイア」
ガラス越しに、カガリは惜しみない賛辞を送った。
毒物という内部リスクはバルカスが適切な錠剤として管理し、外部からの脅威はデダロスの設計とカトレイアの魔力が施設全体を覆う。
「ふふっ、オーナーに褒められると悪い気はしないな。よし、この勢いで来週分のスープも――」
「生産計画の超過は在庫過多を招く。時間通りに休息を取れ。……以上だ」
カガリは、カトレイアが再びお玉を握る前に、手際よく通話管のスイッチを切った。
(……これで、バルカスの生産部門に加え、戦闘部門の矛、軍、盾の機能もすべて確認した。……残るは、一つ)
カガリは振り返り、新本部の最も高い場所――天を突くようにそびえる尖塔を見上げた。
「……さて。世界を出し抜くための『耳』は、きちんと私の投資した甘い蜜に溺れているかな?」
冷徹なコンシリエーレの足取りは、最後の視察対象である「銀髪の聖女」が待つ、最上階の図書室へと向かった。
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カトレイア、リスク高すぎて草……
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