真紅の天秤と、血を啜るリファイナンス
アルカディア・トライアングルの血流を完全に掌握するためには、心臓部となる「メインバンク」の選定が急務であった。
これまでアルカディアが抱えていた負債や、アイアン・メイソンが背負っていた借入金は、いずれも街の高利貸しや民間ギルドからの「短期・高金利」なものばかりである。
これらを王国が管理する国営金融機関の「長期・低金利」な融資へと借り換える(リファイナンスする)ことで、利払いによる資金流出を劇的に抑え、余剰資金を投資に回すことができる。
カガリはマサムネ一人を用心棒として引き連れ、王都の管轄下にある国営特務金融ギルド『真紅の天秤』の本部を訪れていた。
案内された最上階の執務室は、真昼間だというのに分厚い遮光カーテンが隙間なく引かれ、陰鬱な静けさに包まれていた。
卓上の魔導ランプだけが、部屋の主の顔を薄暗く照らしている。
「……お初にお目にかかります、アルカディアのコンシリエーレ殿。
いやはや、申し訳ない。私はどうにも、あの太陽という暴力的な光源が苦手でしてね」
執務机の奥で優雅に脚を組み、白磁のような肌をランプの光に透かせていたのは、美しい青年だった。
『真紅の天秤』ギルドマスター、ルシウス・ドラクロワ。
彼こそが、王国の金融を裏から牛耳ると噂される若き頭取である。
その血のように赤い瞳が、細められてカガリを値踏みするように見つめていた。
「構わない。私としても、余計な光がない方が数字に集中できる。
……君がルシウス頭取だな」
カガリが向かいのソファに腰を下ろすと、マサムネは音もなくその背後に立ち、静かな威圧感を部屋に放った。
ルシウスはマサムネの殺気を心地よさそうに鼻で吸い込み、やがてその視線をカガリの首筋へと固定した。
「……素晴らしい」
ルシウスが、ふいに陶酔したような吐息を漏らした。
「カガリ殿。あなたからは、極上の『血の匂い』がする。……数多の屍を越えてきたような冷徹な鉄の匂いと、健康的な成人男性としての芳醇な甘み。
ああ、少しだけ味見をさせてはもらえませんか? ほんの一口、頸動脈からで構いませんので」
「……」
カガリは手帳を開きかけた手を止め、無表情のままルシウスを見つめ返した。背後でマサムネが、チャキ、と親指で刀の鯉口を切る音が響く。
「……ルシウス頭取。私は金融の交渉に来たのであって、献血に来た覚えはない。
それに、私の血はシチリアのエスプレッソより苦いぞ」
「おや、それは失礼。……私はヴァンパイアのハーフでしてね。どうにも優秀な獲物を前にすると、バンカーとしての計算より先に、つい『食欲』が勝ってしまう悪い癖がある。お気になさらず」
ルシウスは悪びれる様子もなく微笑み、唇をペロリと舐めた。
(……変態か。いや、この異常なまでの執着心、むしろ『強欲な資本家』としては最高の適性だ)
カガリは内心で小さくため息をつきつつ、持参した分厚い書類――アルカディア・グループの財務諸表と事業計画書――をテーブルの上へ滑らせた。
「本題に入ろう。我がグループが現在抱えている民間からの短期借入金、総額で金貨百万枚。これを、貴行の『特務長期産業融資』枠を使って、全額借り換えたい」
ルシウスは赤い瞳を細め、書類の表紙を長い指でなぞった。
「……新興のギルドが、国営の特権枠を使いたいと。しかも金貨百万枚。
……カガリ殿、あなたは頭の良い方のようだが、少々夢を見すぎではありませんか?
我々は慈善事業ではない。実績のない新興組織に貸し出す『血(資本)』など、一滴たりとも持ち合わせてはいないのですよ」
「実績なら、その書類の3ページ目にある」
カガリの言葉に、ルシウスは気怠げに書類を開いた。
その瞬間。彼の血のように赤い瞳孔が、猫のようにキュッと収縮した。
「……これは。黒鉄連峰の採掘権の独占委託契約……それに、あの『アイアン・メイソン』の買収(M&A)による完全子会社化……?」
「その通りだ。我々は単なる魔物討伐ギルドではない。資源の採掘から加工、そして不動産の建設と運用までを自己完結させる、一つの巨大な『経済圏』を既に構築している」
カガリはソファの背もたれに深く寄りかかり、足を組んだ。
「民間ギルドの高金利に甘んじているのは、単に『これまで時間がなかった』だけだ。
君たち『真紅の天秤』がこの融資を引き受ければ、我々が今後生み出す莫大な利益の『利払い』という名の果汁を、今後数十年間に渡って独占的に啜り続けることができる」
ルシウスの呼吸が、微かに荒くなった。
彼が手にしている書類は、ただの数字の羅列ではない。それは、カガリという劇薬が世界に仕掛けた、完璧な「搾取のシステム」の設計図であった。
「……なるほど。高利貸しどものように無骨に肉を削ぎ落とすのではなく、生かさず殺さず、合法的に骨の髄まで市場の富を吸い上げる……。
美しい。あまりに美しい『帳簿』だ」
ルシウスは立ち上がり、興奮を抑えきれない様子で執務室の中を歩き回った。
「人間の血を直接啜るより、負債で精神と労働力を永続的に縛り付ける方が、どれほど効率的で美味であるか。
……カガリ殿、あなたとは本当に美味い酒(血)が飲めそうだ」
「私は非合理な搾取はしない。ただ、適正な場所に適正な数字を置いているだけだ」
カガリは冷静に言い放つ。
「だが、ルシウス頭取。君がこの契約を渋るというのなら、他を当たるまでだ。王都には他にも、私の『血の匂い』に惹かれる金融機関があるはずだからな」
「――待ちなさい」
ルシウスが、血走った瞳でカガリを振り返った。その顔には、先ほどの気怠さは微塵もない。
極上の獲物を絶対に見逃さない、純度100%の「強欲な資本家」の顔がそこにあった。
「……他行にこの書類(宝の山)を見せるのは、金融法典違反というものです。
……いいでしょう。
金貨百万枚の借り換え、それに加えて今後の設備投資のための追加融資枠五十万枚も即日決済で用意しましょう。返済期間は当然長期で構いません。」
「追加融資枠、だと?」
「ええ。これほど美しい『吸血システム』を見せられて、ただ指をくわえて見ているわけにはいきません。
……カガリ殿。あなたと私で、この王国、いや大陸の腐った経済の血を、一滴残らず啜り尽くそうではありませんか」
ルシウスは狂気を孕んだ笑みを浮かべ、カガリに向かって右手を差し出した。
カガリもまた、氷のような冷徹な微笑を浮かべ、その手を取った。
「……交渉成立だ。最高の血の供給を期待しているよ、ルシウス」
「ええ、極上の利息を楽しみにしていますよ。……ああ、でもやっぱり、あなたのその首筋の血も、いつか一口だけ……」
「……マサムネ。彼が私の首に近づいたら、斬れ」
「御意」
チャキッ、と再び鯉口が切られる音が響き、ルシウスは「冗談ですよ」と両手を上げて楽しそうに笑った。
こうして、国営金融機関の若き怪物との結託により、アルカディア・グループは「無尽蔵の資金力」という、世界を塗り替えるための最強の武器を手に入れたのであった。
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明日、いよいよカガリのロジックが既得権益を粉砕する【第一章完結(初月決算編)】を公開します。
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