芸術家のエゴと、血の通う帳簿
「……買収、だと?」
デダロスは丸眼鏡の奥の目を丸くし、図面からようやく顔を上げた。
「そうだ。我がアルカディア・グループが君たちの負債を全て肩代わりし、当面の運転資金を注入する。
その代わり、今日からこの『アイアン・メイソン』は、我々の専属建設部門として傘下に入ってもらう」
カガリは手帳に万年筆を走らせながら、淡々と告げた。
「ふざけるな! 俺の芸術を、見ず知らずの金持ちの道楽に売り渡す気はない! 俺たちは誇り高き職人だぞ!」
デダロスが机を叩いて吠える。だが、カガリは視線すら上げず、ただ氷のように冷たい声で返した。
「誇りで職人の腹が膨れるのか? 芸術で職人の家族が養えるのか? ……現実を見ろ、デダロス。
君の言う『芸術』は、現場の血と汗を不当に搾取した上に成り立つ、ただの身勝手な自己満足だ」
「……っ」
「君は天才的な設計士だ。それは認める。だが、経営者としては三流以下だ。
現場の疲弊から目を逸らし、自らの理想というエゴに逃げ込んだ結果が、この入り口に貼られた督促状の山だ」
カガリの容赦ない言葉の刃が、デダロスの胸を正確に抉る。
副マスターのブロックは沈黙し、経理のミッカは悲痛な顔で俯いていた。
彼らも心の底では分かっていたのだ。このままでは、皆が共倒れになるという残酷な事実を。
デダロスは震える手で眼鏡を外し、煤けた工房の天井を見上げた。そこには、彼が理想を追求するあまり、資金ショートで未完成のまま放置された美しい細工が虚しくぶら下がっている。
やがて、彼は深く息を吐き出し、憑き物が落ちたような、しかしどこか晴れやかな目をしてカガリを真っ直ぐに見据えた。
「……アンタの言う通りだ。俺は、ギリギリまで自分のエゴに逃げてしまっていた。
この素晴らしい図面さえ完成すれば、全てが報われると……現実の数字から目を背け続けてきたんだ」
デダロスは傍らにあった愛用のハンマーを手に取り、ゆっくりとカガリの前の机に置いた。
「俺の負けだ、コンサルタント。……仲間たちが明日を生きられ、またこのハンマーを振るえるというのなら、俺の全てをアンタに託したい」
「……マスター……!」
ミッカが両手で顔を覆い、ブロックが静かに目を閉じた。
カガリはハンマーを一瞥し、満足げに口角を上げた。
「良い目だ。マフィアの世界でも、自分の非を認めて頭を下げることのできるボスは長生きする。
……交渉成立だ。今日から君たちは、我がファミリーの一員だ」
契約書にサインが交わされた瞬間から、カガリの動きは常軌を逸した速度へと変わった。
「まずは、止まっている血液を回す。ミッカ、工房にある『現在使っていない重機』と『過剰に発注した見栄えだけの装飾用高級資材』のリストを出せ」
「えっ? は、はい! これですけど……」
「マサムネ、このリストをザロフのところへ持っていけ。明日の朝までに全て現金化させろ。足元を見るようなら、アルカディアの名前を出して構わない」
「承知した。少し『交渉』を手伝ってこよう」
マサムネが静かに刀の柄に手を当てて笑い、風のように工房を出ていく。
「次に仕入先の再編だ。ブロック、君たちが使っている石材と鉄の調達ルートを全て白紙に戻せ」
「な、なんだと!? そいつは長年付き合いのある――」
「義理立てで高いマージンを払う余裕は今の君たちにはない。今日からは全て『黒鉄連峰』の鉱山から直で下ろす。
輸送は『九条の里』の若者たちが護衛付きで行う。中間マージンはゼロだ。さらに、労働者たちの毎日の食糧も、里の特産品を原価で回す」
「黒鉄の鉱山から直で……!? あそこは鉄血騎士団のシマだろうが!」
ブロックが驚愕に目を見開くが、レオンハルトが肩を竦めて笑った。
「安心しろ、ドワーフ。あの鉱山は今、俺たちのオーナーが『管理』している。品質は俺が保証する」
カガリのスキル【ファミリー・レジャー】の視界の中で、アイアン・メイソンの真っ赤だった資産グラフが、アルカディア・トライアングルの巨大な血流と接続された瞬間、爆発的な勢いで青色(黒字)へと反転していく。
「……信じられない……。たった数時間で、来月までの運転資金が確保できるなんて……」
ミッカが帳簿を見て、呆然とへたり込んだ。
「これが『経営』だ。さて、止血は終わった。……次は、冷え切った組織に熱を注ぎ込むぞ。
全社員を、我々のギルドへ集めろ」
翌日。
ギルド『アルカディア』の狭い広間は、煤と汗にまみれた五十人近いアイアン・メイソンの職人たちで溢れかえっていた。
彼らの表情には、倒産の恐怖と、得体の知れない新興組織に買収されたという不安が色濃く影を落としている。
その熱気と体臭の渦の中で、カウンターの前に立たされたアリサは、小鹿のように震えていた。
「か、カガリさん! なんで私が喋るんですか!? 買収したのはカガリさんじゃないですかぁ!」
「君はアルカディア・グループのトップ、『ギルドマスター』だろう。
ボスの理念を語れない組織に、忠誠心は育たない。……安心しろ、君の思う通りに、素直に語ればいい」
カガリに背中を押され、アリサは渋々一歩前に出た。
五十人の屈強な職人たちの視線が一斉に、この小柄な少女に突き刺さる。
「あ、あのっ……! はじめまして、アルカディアのマスター、アリサです……!」
アリサはガチガチに緊張しながらも、深く頭を下げた。
「その……皆さんが、寝る間も惜しんで、すごく綺麗な建物を造っているのは知っています。
でも……ご飯も食べられなくて、怪我をしても休めないなんて、絶対に間違ってます!」
彼女の偽りない真っ直ぐな言葉に、職人たちの間にざわめきが走った。
「だからっ! 今日から皆さんは、うちのファミリーです! お給料はちゃんと成果に合わせてお支払いします!
怪我をした時の治療費もうちが全額出しますし、引退した後の積立金も用意します! それに……」
アリサは胸を張り、最高の笑顔を見せた。
「毎日三食、お腹いっぱいのご飯を食べてもらいます! 誰一人、ひもじい思いなんてさせません! 皆で笑って『お疲れ様』って言える、そんな場所にしたいんです!」
その瞬間、広間は水を打ったような静寂に包まれた。
これまでのブラックな労働環境に慣れきっていた職人たちにとって、「治療費全額負担」「退職金」「三食保証」という言葉は、もはや神話の時代の魔法よりも非現実的で、圧倒的な救済であった。
「……う、うおおおおおおおッ!!」
「一生ついていきます、マスター・アリサァァァッ!!」
地鳴りのような歓声が爆発し、屈強な男たちが次々と男泣きしながらアリサを称え始めた。
デダロスとブロックも、その熱狂の中で目を瞬かせ、やがて顔を見合わせて力強く頷いた。
「やれやれ……。コンサルタントのおっかない策士に、天使みたいなボスか。こりゃあ、最高の建築で恩返しするしかねぇな」
デダロスが、初めて経営の重圧から解放された無邪気な笑顔を見せる。
カガリは広間の隅で、その熱狂を冷徹な、しかしどこか満足げな瞳で眺めていた。
「……見事な人心掌握だ。飴(良心)の使い方が非常に上手い。これで建設部門の忠誠は完全に固定されたな」
「カガリ殿。……飴ばかりでは虫歯になりそうだがな」
隣に立ったマサムネが苦笑する。
すると、熱狂する職人たちの背後に、身の丈ほどの大盾を背負った赤髪の女騎士――カトレイアが、腕を組んで仁王立ちしていた。
「うむ、素晴らしい士気だ! 新規加入の諸君、安心して働くが良い! 諸君の健康と福利厚生は、このカトレイアが保証する!」
カトレイアの凛々しい声に、職人たちが「おおっ、新しい護衛の騎士様か!」とさらに沸き立つ。
「その通りだ! 君たちが未知の毒や病に倒れぬよう、明日から毎週、私が監修した『特製・毒物耐性獲得丸薬(※旧名:極限栄養スープ濃縮版)』を必ず服用してもらう! これで君たちの胃壁は鋼鉄に変わるぞ!」
「……えっ?」
「……丸薬?」
職人たちが首を傾げる中、その丸薬の恐ろしさを身をもって(あるいは臭気で)知っているレオンハルトとマサムネだけが、スッと顔を逸らして遠くを見た。
「……カガリさん、あの丸薬って……?」
アリサが不安げに尋ねるが、カガリは優雅に懐中時計を取り出し、時間を確認するだけだった。
「ただの良薬だよ。さあ、人員の整理は終わった。……デダロス。明日から早速、アルカディア新本部の設計にも取り掛かってくれ。
予算の制限はない。君のエゴを、存分に見せてもらうぞ」
強欲な相談役、天使のようなボス、そして最強(最悪)の福利厚生。
アルカディア・グループは建設という新たな「手足」を手に入れ、その巨大な経済圏の心臓部となる新アジトの建設へと、ついに歩みを進めるのであった。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
次回はこの世界の金融機関が登場します!
楽しみにお待ちください!
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