第六十九話
死に掛けて思い出した事だが、アキの地元は雪が降った。
それでも多くて一メートルを超える程度、その規模を多いと言うか少ないと言うか、聞いた者の生まれた場所で変わるだろう。道は勿論除雪車無しでは立ち行かず、家から出るにも一仕事だった。
しかしアキの認識がどれだけ甘かったか、体験して実感した。
純白の風景。窓から覗く氷雪の風、硝子越しの手が凍り付いてしまいそうだ。
それを確認出来るのは四階からだ。
信じられない事だが、ここより下の階は完全に雪の中である。
雪掻きというレベルではない、避難を推奨される積雪だ。災厄と言って良い。ダスィラノが言うには平年通りで、特に多くも少なくもないらしい。異世界の雪国の冬は災害と遜色なかった。
こんな時期に戦争を吹っ掛けた獣人は、理由がどうであれ馬鹿だと思う。トゥラーク人は慣れたもので、溜めた食料を上手く使って体を休めていた。する事が無いのだ、仕方ない。
問題はアキを含めた二人である。
ガクガクガクブルガクガクブルブルガクブル―――
所長室に設置されている暖炉の前で毛布を被り、震え続ける獣人、碧。故郷は基本雪が降らず、薄着の文化。この気象状況による体温の状態は、察して余りある。
夜明け前から燃え続けた暖炉は、部屋を十分暖かくしてくれた。それでも獣人にとっては極寒なのだろう。元々雪が降る前の時期ですら、精霊の力を借りて暖を取っていたらしい。
「また精霊に温めてもらえないの?」
「ひぇ、せいれいいいも。環ひょうに逆らふひかららの行使ぃは……かか、かなかなりきゅ担をかへます……」
「ごめん何て?」
二回繰り返してもらったが、つまり熱を保ってくれる火精霊は寒さに弱い。相応の魔力を送れば力は借りられるが、酷使はしたくないという事だそうだ。
精霊は自然現象と魔力が融合し、世界に認識された霊的生命体。適応した自然現象に応じた力を宿す存在で、異なる現象への干渉は難しい。
火精霊は火の、水精霊は水の現象に関われるのだ。
火が得意な精霊に雪の中で働かせるのは、確かに可哀そうな気がする。
「―――碧殿はまだ震えているのか?」
「紅茶を貰ってきました、火傷に気を付けて下さい」
「ひゃ、はりはとうごさいますぅ」
肌を隠しているが、特別な防寒具は着ていないダスィラノ。同じく寒さに慣れたユーストスが、湯気の昇るカップを差し出した。地元民の耐寒能力には舌を巻く。
視線を定期的に飛ばしてくるユーストスを睨み、アキは所長椅子に座る。
「会議を始めよう」
全員の目がアキと同じ細さになった。碧の震えは止まらないが、目の鋭さに未来への不安が表れている。
屋外がこんな状況だ、会議しか出来ない。それは何処も同じはずだからこそ、あらゆる可能性を口頭で突き詰めていくのだ。
この場の四人が腰を据えて話せるのは、これが最後の機会かもしれないのだから。
「トゥラーク側の配置は話した通りだ」
ダスィラノが広げた地図は、何度も書き込んだ跡が残っている。彼が立場も責任も捨て、敵である筈の碧にも話した軍の機密。規模や装備、訓練した動きと兵器の存在。この地図が一枚獣人側に渡れば、間違いなくトゥラークは滅ぶ。
それは獣人側にとっても同じだが。
「我々の予想戦力も変わりません。双方の拠点地理を計ると、決戦の地は……此処です」
白く細い指で示したのは、地図中央付近の街〝チェラ〟と崖の街の間、よりやや崖に近い地点。大きい泉と川を脇目に、広く雄大な平原。
「〝オパーヒ平原〟、確かに軍団規模の衝突を考えるとそうなります」
「ぶふっ!?」
「え!?ど、どうした?」
噴出したアキに、真面目な顔のユーストスが困惑している。アキにしてみればその面白い名前は誰がつけたのかと聞きたい気持ちと、真剣にその名前を言った騎士を笑いたい気持ちが混ざって腹が痛い。我慢していたら傷口が疼いて、物理的に痛くなってきた。
「いや、あの……ごほん!ごめん、続きをどうぞ」
「そう、か。えっと、戦場は分かりました。問題はどうやってその衝突を止めるか、ですが……」
「否、どれだけ速く終わらせられるかだ」
「衝突は避けられないおっしゃるのですか!?」
「無理でしょ。一度重い腰を上げた国の王が、何の利益も出ない戦働きを望むとは思えない」
否定されたユーストスはアキを一瞥し、迷った視線を無理矢理直した。
アキの腹に穴を開けたユーストスは、結局その件を話題に出せずにいる。謝罪か釈明か、どちらにしても決め兼ねている態度が最も腹立たしかった。
相手の痛い腹を突く程、アキも暇ではない。机上の地図に意識を戻した。
「命よりも、利益を優先するなど……」
「だろうな、戦争とて国からすれば商売だ。人と金を回さなければ、国は立ち行かない。問題は戦争の落としどころだな」
「両国が納得する成果を、双方にもたらす手段……ですか」
口にした者も聞いた者も、続きが出てこなかった。無茶苦茶な望みだ。
獣人はトゥラークの横暴に、報復を。
トゥラークは冤罪に対する、反発を。
火種は既に飛び散り、導火線を燃やした。花となる炎の色は、何百何千という血肉で赤く染まるだろう。
良い案が浮かぶとは思っていなかったので、先にアキの方から情報のすり合わせをする。
「ダスィラノさん、ヘキサゴンという家名の魔法士に心当たりはありませんか」
「無論です。それは前国王陛下より直々に与えられた、ある偉大な魔法士の称号。軍顧問としてその英雄の為だけに、王城に作られた席。我が国が誇る魔法界の生きた伝説です」
「えっと、ようするに魔法軍人みたいなもの?」
「自分も遠目に御姿を拝見した事があります。確か百年前の獣人との戦争を停戦に導いた、最強の魔法士と……。魔法研究の最高責任者と把握しておりました」
「この研究所を作った組織と、裏で繋がってる」
「馬鹿な!!!?」
雪で隙間も閉ざされているからか、ダスィラノの声は部屋を震わせた。どこかで雪の落ちる音がする。
精霊の感覚を借りられるアキに、秘め事は全く無駄な足掻きだ。しかしそれを抜きにすれば、ヘキサゴンという魔法士の立ち回りは見事である。
まず嘘を吐かない。誤魔化し誑かし脅しもする、しかし嘘偽りは無いのだ。それに魔法士としての探求心や、裏表の無い立ち回りが周囲の目を巧みに欺いている。
ヘキサゴンの目的は恐らく誰も知らない。だが聞けば誰もが納得する程、ヘキサゴンの人間性は周囲の了承する所。魔法士としての確かな力と知識が、持たない者達の心を揺さぶり誘導するのだ。
かつて矢背がそうだったように。
何も知らない彼の生徒と話す時も、組織の人間と話す時も、ヘキサゴンは態度を変えない。曝け出し口にする言葉全てが、ヴィローク・ヘキサゴンの本質に他ならないのだから。
信じられないと言葉の呑み込みに時を要するダスィラノを放置し、碧に簡単な人物像を説明する。矢背に匹敵する魔力を持つと話せば、その凄さの一端が伝わったようだ。
「精霊達が驚く程の魔力を保有していた、矢背殿に近しい魔力量の持ち主……。獣人は魔法の使い手が少ないです。精霊との交信が主な手段となるので、単身で魔法を使える者は戦力にならない事が多いです。僕が知る限り、こちらで魔法士と呼ぶ実力に近い獣人は、十を越えないかと」
「え?獣人って肉体を魔力で強化する魔法使ってなかった?」
「強化ですか?いえ、獣人は肉体を酷使する程強度と筋力を上げますが、そこに魔法的要因はありません。魔力を保有しているのは否定しませんが」
つまりあの化物みたいな奴の強さは素の身体能力。いや、魔力が肉体を覆っていたのは間違いなかった。魔力で肉体を覆い防御や攻撃に上乗せしているのは種族の特徴で、魔力を消費する魔法には分類されないのか。
次に会った時、魔力切れを期待して時間稼ぎする作戦は使えなくなった。逃げるだけなら精霊が居るので問題無い。もしあの実力の獣人が後一人でもいれば、トゥラークの勝利はかなり厳しいだろう。
頬の肉を引き攣らせたダスィラノが、アキの前に仁王立つ。これまで信じてきた己の目とアキの言葉が天秤に掛けられ、どちらにも振れていないのだ。
疑心暗鬼が足下すら揺らす中、部下の声で意識を覚ました。
「自分はアキ殿の言葉を信じます」
妙に通る声だ。距離感を狂わせる声音が、見えない心にまで響くような。
「彼の御仁が戦争を誘発させる目的に加担しているなら、決着の付け所で邪魔が入るかもしれません。その男の言葉が正しいとすると、戦争で多くの血肉が流れるまで彼の御仁は国の背を押し続けるでしょう」
不安な情報提供者に目を向ければ、アキに散々踏まれて涎を垂らし気を失っている。長く見ていたい男ではないが、もたらされた情報は吟味に値した。
神の―――竜の復活。
荒唐無稽な話しだが、全てが嘘ではないと思った。謎に包まれた逸話、圧倒的存在感、世界を曲げる素材。信じたくなる欠片は散らばって、アキ達の前に何度も転がっていた。
竜の復活が目的でその為に人の死が必要なら、戦争はうってつけとも言える。国の重鎮である最高位の魔法士がそちら側となると、ユーストスの言う事は正しい。
「トゥラークの内部が黒となると、獣人族を先に抑えた方が良いかもしれません」
「獣人が目前の戦事を袖にする可能性は、それこそ竜が復活するより低いでしょう。我らの生き様に、戦は水と同じ。戦いは手段ではなく、生きる糧なのですから」
トゥラーク側も引けない、獣人側も止まらない。
戦争の引き金は重く、一度引かれれば戻せないのだ。本当に海が血に染まるまで、幾ばくも無いだろう。
書き込まれた地図の文字が虚しく、戦の無情を物語る。
元所長のムストランから出された紅茶を飲み干し、アキは窓の外を見た。
白く、未来の無い光景に在るのが、絶望だけでは無い筈だ。
「なら私達が攻めるのは一つ」
これから殺し合う国の人間が、一つの部屋で顔を突き合わせている。この奇跡を実現させた自分を、アキは実力だと思う事にした。
なら後一度だけ、奇跡を実力で起こしたい。
「今回の戦争、その裏の仕掛け人……。組織を解体し、戦の落としどころとする」
「それは……、上手くいくとは思えない。むしろ両国の王が此度の戦を起こした主犯が、ただの一組織規模の策略と知れば、我らごと事実を消されかねない!」
「私は、此処に居る人間を信じている」
邪魔な足置き台を蹴り、目を丸くする三人を見据えた。特にユーストスの驚愕は手に取るように分かる。
経歴や接点を考えれば、簡単に信じられない者はいた。それでも信じると言えるのは、信じたいと思えたからだ。意固地になっているのかもしれない、だとしても意地が奇跡に転ずる事もある。
精霊が舞う。気付いたのは本人以外では、碧だけだった。
「まだ間に合う、何とか出来ると……足掻いてるのは私達だけではないしね。戦いたい者がどれだけいても、殺し合いをしたい者なんて多くないだろうから」
「アキ殿……」
「ほら、話し合うよ。ボケッとしてないで手伝って」
建設的かつ目的が明確になった話し合いは、三日三晩続いた。
戦の足音が『風』に運ばれアキの耳に入ったのは、それから一月経った後だった。
開戦である。
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