第六十八話
矢背九尾は中学を選び間違えた男だ。
小学生の時からアニメやゲームが好きだった矢背は、話しの合うオタク友達に付いて行く形で近場の中学校に入った。
近辺では一番大きい公立校で、生徒数は小学校とは比べ物にならない。都会の学校に入学したような錯覚を起こさせた中学も、頼りになる友達と一緒なら大丈夫だと思っていた。
一年で矢背は一人になった。
ある友達は運動部にのめり込み、一年で補欠選手になった。何時かスタメンになって試合を見せてやるとメールされ、それが友達としての最後の会話になる。
ある友達は彼女が出来てから、アニメ関係と縁を切った。勇気を出して遊びに行こうと声を掛けたが、デートの約束があると断られる。向こうから声を掛けれる事は二度と無かった。
ただでさえ数少なかった友達は、たった一年で他人になった。
進級と同時にされたクラス替えで、矢背にとっての地獄が初まる。
知り合いはいない、友達もいないクラス。協調性がどうと通知表に書く為のペア組や班行動では、相手から見下されるか嫌そうに見られる。修学旅行の班員には、矢背が影であるように接し会話は一度も無かった。女子から話し掛けられた事は無く、用事がある時は無駄に元気な男子を経由した。
成績は同学年では三十位以内、クラスでは三位辺りを前後する。学力を調整出来る程頭は良くないが、目立ち過ぎず程々に優秀な順位に満足していた。馬鹿なクラスメイトの成績を心中で馬鹿にして、一つまみの優越感で孤独を潤す。実に性根の暗い男の考えで、下らない欲求だ。
「ねえ今日暑くない?」
――空気が冷たい。
「昨日言ってた漫画見たぜ」
――誰もいない。
「あの先生嫌い」
――俺は此処に存在しない。
「――――――え……?」
中学登校最後の日を夢に見て、矢背は目を覚ました。
自分の驚く声が岩肌に反射して連なり、暗闇の底へと沈んでいく。灯りの無い空間は己の足先も、暗闇の一部に浸かっていた。
目を開けているのかも分からない闇にして無の空間。反響する自身の声に、脳みそが自然と記憶を振り返る。
憶えのある音だった。
覚えのある絶望だった。
「……あ……ああ、ぁぁああああああ!?ああっ!ああああああぁあああ!!!」
筋肉の薄い背丈だけ有る体を抱き締め、精一杯縮こまる。膝を抱える手から杖が零れ、岩の壁に当たって止まった。
間違いない。此処は異世界で言う〝永久地獄〟、生贄となる運命を抱えた魔物が蔓延る地下迷宮。
入り口は偶然が作り、出口は血肉で開く。
真の地獄だ。
現実に殺される前に、狂ってしまえば楽かもしれない。心の隅に表れた馬鹿な考えに、冷静さは取られて消えた。灰で固められていた精神は形を保てず、脆い矢背の本質が顔を出す。
それは誰もが持っている、空虚だ。
寂しい淋しいと、矢背の弱い部分が喚き続けている。仲間や研究者、時には敵で埋まっていた空白の心が足りないと叫んでいた。実際口に出して主張しようとも、聞く耳を持つ者は居ない。
「ああああああ!!?ああ、ああ、あああ……ぁあああああああああ!!!」
何かないかと振り回す腕が、記憶領域に収まる思い出とぶつかった。
好奇心に負けて一人歩く暗い廊下、逃亡旅で得た感情の発散、学び舎で受けた指導、他人が戦友と成る旅路、突き付けられた現実と夢、そして―――
ポタ―――ン。
「ひいいぃぃぃ!!?」
転がる矢背の直ぐ頭上、冷たい岩に弾かれる水滴の音がよく響く。肉眼で捉えられない飛沫すら避けようとして、咄嗟に上着の長い裾部分を頭から被った。間抜けな体勢だが、本人は気付いていない。
此処がどれだけ危険かどれだけ無防備な状態か、分かっていて考えなかった。自己防衛本能すら上回る恐怖が、皮膚一枚下を蠢いている。
「嫌だ嫌ダイヤダイやだいやだいやだいやだ!!だれか!!!だれでもいいからあ!?なんでもいいから……だれか…………だれかああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
喚いて吠えて唸って叫んで啼いて騒いで怒鳴って吐き散らした。
時間も曖昧な現実を否定する矢背の心が、闇に溶けて消える。
残ったのは感情の土台となっていた、魂の意思だけだ。
眼球が熱を持っている。赤くなって腫れぼったい顔を見られない事だけは、今の数少ない救いだ。とても他者には晒せない我が儘を吐き散らし、矢背は岩壁に背を預けていた。
喉が傷だらけの実感がある。まともな言葉の発声はしばらく無理だろう、発声の必要がある場所ではないが。
また聞こえた水音の方角を見れば、覚えのある死体が同じ体制で座っている。死体は静かに全身を壁へと預け、右手を開き何かを待っていた。
何を求めているのか、矢背が奪った物―――杖である。
この場所自体は勇者の街で聞いた〝永久地獄〟であり、矢背が引っ張られたこの地点は強いて言うなら安全地帯だ。召喚されて最初に目を覚ましたのもこの地点だった。全く同じ場所に落とされる事を幸運と言うべきかは分からないが、死体である全身骸骨に怯えなずに済んだのは経験によるものだろう。
初めて来た時、今では信じられないぐらい興奮が入り混じった恐怖を秘め、現実感を放り投げた行動を取ったものだ。
水を欲した体は天井の良く分からない物体から滴るそれを飲み、緊張で強張る手が骸骨が握っていた杖を奪い取った。道徳や論理を排すれば、生き残る為の最善策だったと思っている。
結果、水を飲んでから体は不思議な熱を発し、杖を起点に熱は二次元の力を形にした。安全地帯から抜けた平和ボケの引き籠りが自身を守る、十分な戦力を手に入れたのだ。
馬鹿みたいにテンションが上がった過去を思い出し、滴る水が溜まった場所を凝視する。
憶測だが、この水は捻じ曲がった地獄の力で生まれた劇薬の類だ。普通じゃない手段で出来た空間だ、そこにある石でも水でも矢背の常識で図れる物は無い。水の効果が潜在能力を引き出すのか、体の造りから変化させるものかは不明である。しかし水と杖、この二つのおかげで一人生き残れたのだ。あの時まで。
「うっ!?」
慎重に記憶通りの道を歩いていくと、突然の眩しい空間で目が眩んだ。一面白い壁が六本の柱の発光で反射している、高い天井に広い面積。五メートル程度の巨体がどれだけ暴れても問題無い空間。
隠れる場所も隠せる場所も無い殺風景な白い部屋だ、一目で探していた目印が無い事は分かる。此処で今と近い絶望を知った。
あの人が、アキが倒した巨大な化物の死体が無くなっている。
精神状態の異常に魔力を乱した過去の矢背は、魔法が使えなくなり腰を抜かしていた所をアキに助けられた。初めて見た化物はどこまでも醜悪で恐ろしく、忘れたくても忘れられない場所だ。部屋を間違えた可能性は低い。
ゆっくり元の安全地帯に戻った矢背は、また憶測に時間を投資する。
初めて来た時、矢背は不思議な水でパワーアップし死体から剥いだ杖で装備を整えた。魔法を使えるようになった矢背は、意気揚々と進んだ先で見た巨大な化物に自信喪失。アキが倒したその化物が理不尽な召喚に必要な生贄となり、無事(?)異世界への扉が開く。
血みどろのアキが倒れた時、頭上から謎の光の柱が下りて来た。アキを優しく包み光らせる様子に、夢中で縋り付き目を瞑れば異世界召喚が完了していたのである。
扉に視線が釘付けで気付かなかったが、生贄となった化物は死体も残らず消えてしまったのかもしれない。他の化物が関わっていたとしても、床にあれだけ飛び散っていた血肉が綺麗に消えるとは考えられないのだ。
過去の出来事に区切りをつけた矢背。極稀に響く水音と自身の呼吸音以外、闇だけが矢背の精神を侵食していく。
動けなかった。どうすればいいのか、何をすればいいのか。
魔法も旅も全て振り出しに戻り、強制コンティニューさせられた気分だ。
どれだけ経っただろう。何秒、何時間、もしかしたら何十日……。
ポタリ、と。
何回目かの音で、矢背の中で反響する心が消えた。
孤独に心が砕かれ、体の中は空となったのだ。
特に理由も無く、これから矢背自身が起こす行動の言い訳を作る。化物も魔物も敵も、倒し方は見てきた。
ある恩人は斬り殺し、ある不良は殴って倒し、ある先生は魔法で消していた。
経験してきた事を反映し己の持つ力と照らし合わせれば、実行可能な方法は最後の一つだけ。そして矢背の直ぐ隣には、その魔法を更に高められるモノが有る。効能も理屈も分からない、常識を殺す何か。
一瞬最初に飲んだ時の衝撃を思い出し手が止まるが、体は正直に動く。前回から少しだけ溜まった水を両手で掬い、零さない様に呷った。
「―――がっ、あああ……!」
初めに胃が熱くなり、熱は頭にまで回る。そして血管を通った痛みが、髪の先まで神経を伸ばした。身体を作り変えられるような激痛が、全身を弄る。
「あああああああああアアああああああァ!!!?」
成分も何も分からない劇薬を服用した代償か、それこそ三日三晩痛みに叫んだ気がした。
意識が覚醒していると知った時、九尾は笑いが止まらなかった。
精神が壊れたのかもしれないし、頭がいかれたのかもしれない。掠れた喉から笑いが溢れる程、全能感が九尾を楽にさせてくれる。
思春期の高校生らしい非行で得た力は、異世界にとって冗談では済まないものだった。
血の涙を流して笑う九尾を画面越しに見れば、大半のオタクが言うだろう。
魔王降臨
血の色をした魔力が嵐となって、地獄の亡者を目覚めさせた。
血が滾る。
「これより!凍護対ロウジの、神前試合を開始する!!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」
篝火と月に照らされた神像が見下ろす舞台、そこで相対する二人の戦士。これは殺し合いだ。
獣人が信じ仰ぐ存在への供物、殺意と狂乱に与えられた神聖な戦場。
炎で照らされた豪狼の横顔は、狂気で歪み笑っていた。
「……やっとテメエを殴れるぜ!」
「ふん、恩恵頼りの弱者が吠えるな」
獣人の中にも稀に才能持ちが生まれるらしく、彼らはその力を恩恵と呼んでいる。神が捧げられた血肉に喜び、褒美として与える恩恵だと。
肉体の強さが力と考える獣人にとって、自分達より速く傷が治る豪狼の才能は複雑だろう。単純に最後に立っていれば良いとする者は受け入れ、神の恩情に縋っていると考え唾を吐く者もいる。何と言われようが、豪狼は自身の全てでここまで勝ち上がってきた。
豪狼から見れば獣人こそ反則だ。生まれながら頑丈な体に、鍛えれば鍛える程筋肉となる体質。小細工を正面からぶち破れる身体能力は、恐ろしくも眩しい強さ。
治りが早いだけの小僧がよくここまで来れたと、誰かに褒めてほしい程である。
「負ける理由はそれで良いか?安心しな!お前の部下は俺が使ってやるよ!」
「くそが……!格の違いを分からせてやる!」
最後の神前試合だ。これに勝ち神に認められた者こそ、戦場で一軍を任される。部下予定の中には、凍護が率いる部族の猛者もいた。若くまだ青い凍護を慕ってくれる者達を、たかが豪狼に預けるなんて許せないのだ。
場の空気が温まった頃合、審判を務める風獣が手刀を掲げた。
「両者の健闘と、御身より賜った爪と牙を捧げん!!赤き血の導きを!!」
「「「「「赤き血の導きを!!!!!!」」」」」
「白き命の輝きを!!」
「「「「「白き命の輝きを!!!!!!」」」」」
「臣下の咆哮を聞き給え!!」
「「「「「咆哮を聞き給え!!!!!!」」」」」
肌が泡立つ、恐怖ではない。豪狼慈善はこの結果が全てと豪語する社会を、事の他気に入っていた。
だから、自分の全てで戦うのだ。
「神よ!!!この戦を平らげん!!!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」」」
歓声に時の雄叫びが呑まれた。
閲覧有難う御座います。




