第六十七話
遅くなってすいません、アルセウス面白い。
横に転がれるよう、わざと地面と平行にされ放り投げられた。固い砂で削れた皮膚が、他者に気付かれるより早く治る。
「クソ!!ってえなあ!?」
悪態をつき状態を万全に保ちながらも、打つ手無しと足りない頭が嘆いていた。
肩に担がれ、アキに運ばれていた時より乱暴で短い移動。途中で頭に布袋を被せられたので道は不明だが、あの凍護という男の言葉を信じると、此処は崖の街だ。
街の名前も正確な地理もまるで記憶に無いが、それでも可笑しいと思えた。
少なくとも崖の街という場所はこの大陸の端に在り、研究所は大陸中央の大きい街と首都の間斜め下辺りだ。首都から近い勇者の街でさえ一ヶ月以上掛かったのである。首都から中央の街へは更に距離が在り、崖の街はもっと遥か遠くだ。
どれだけ急いで走っても辻褄が合わない。体感だがアキの全力逃走時の風圧と、先程までの風圧に大した違いは無かった。むしろ移動中一度完全に足を止めていた時間が―――
「風獣様がいらっしゃるぞ!!」
どれだけ時間と距離の矛盾を疑っても、豪狼を囲う者達が獣混じりなのは真実である。多種多様な獣人に動物園の動物のように見られていた状況が、周囲の一声で引き潮の如く静まった。
転がされた地面に胡坐をかき、絶対に屈するものかと腹筋に力を込める。景色すら見えなかった人だかりが下がり、一本の開いた道をその男は歩いてきた。男の配下の位置に付いているのは、白銀の毛並みをした狼獣人の凍護。
豪狼の人生の本が、一枚の挿絵を写した。
世界が従う者の化身は、獅子の獣人に成ってそこに立っている。
「名は?」
石造りの建物は中世の趣を感じる、堅牢な砦。幾本と刺さっている獣の旗が、これ程相応しい建物も無いだろう。戦で出来た綻びも、兵士が勲章を飾っているようだ。
砦前の広い場所、砂地の広場に建てられた急拵えの天幕。一枚一枚の布に個性と、力強い我が伺えた。
戦争ファンタジーを忠実に模った場所は、矢背ならどれだけ跳ねて喜ぶだろうと、頭の隅で的外れな考えが浮かぶ。
その全てを従えて目前に表れた獅子、息を忘れる美しさが豪狼を揺さぶった。
存在を感謝したいのか、否定したいのか。心臓は早鐘ばかりで熱を送らず、冷えた血が回る頭に種火を灯した。
恐怖も怒りも圧殺され、胸で叫ぶのは純粋な意思だけだ。
吸い取られた力を入れ直し、惨めに震える背筋を骨で立たせた。縛られていなくても足の筋肉は動かなかっただろう重力の中、旅の思い出が走馬灯となって豪狼の滑舌を支えてくれる。伝わるのか届くのか、少なくとも空気は振動し、言葉となった。
「俺は、豪狼慈善!!!俺はお前らに―――絶対屈しねえええ!!!!!!」
体は正直で圧し掛かる重みと同等の、抵抗しきれない分の圧を精神に与えた。涙は眼球を潤すに留まり、額を流れた汗が浮き出る血管を越える。
疲弊した砦が跳ね返す宣言は、再度空気を動かし豪狼を囲う獣人に伝えた。拘束され自由の利かない人質同然の人間が吠えている、それだけの光景を誰も笑っていない。豪狼まで響かない声量で、周囲がひそひそ話をしている。
死に際の戯言ではないと、豪狼の言葉は敵陣に届いたのだ。
「では、証明しろ」
敵の将は一言で、宣言を受け入れた旨を表明した。美しくすらある戦士が放った命令文に、どよめきは起きても異論は出ない。獣人らは口ではなく体を動かした。
縄が解かれ自由を取り戻すが、逃げようとは思わなかった。直ぐに捕まるだろうと分かっていたが、それだけではない。
認められた事が、嬉しかった。
豪狼の力も覚悟もこれから証明するが、証明する意思を認められ行動を許される事が、こんなにも嬉しいとは思ってもいなかった。
王子暗殺未遂の冤罪を被せられた時は、何一つさせてもらえず全てを否定され拒絶されていた。
此方の主張は何も伝えられず、相手はその機会すら豪狼に与えてくれなかったのだ。ただ上から押さえつけ、圧倒的な力で現実を簡単に塗り替える。数の力は強大で、少数というだけで豪狼達は犯罪者にされた。
力が必要な世界だと知っていた。しかし力を証明する機会も与えられず、鉄格子をただ睨んでいた。
だから異世界で初めて、存在を認められた気がしたのだ。
その下地があの逃亡旅だった事実は、絶対に忘れない。
不機嫌な表情を露わにした凍護が、貶すように見下す。それも力を証明すれば変わると分かれば、笑って流せた。
「此度の戦の総大将である、風獣殿の布告により。これより十の日の出に合わせ、献上式が行われる。お前はその神聖な儀式への参加を許可された、絶対に、ぜっっったいに!神への奉謝を肝に命じろ!いいな!?」
「ほう、しゃ……?放射?けんじょうしき、て何だ?」
「五月蠅い!夜までその辺で大人しくしていろ!」
荒ぶった様子でとっとと背を向ける凍護。獣人ではない豪狼の存在が腹立たしいのかもしれないが、変に猫を被られるよりマシだった。
夜になるまでの数時間、可能な限りの情報を聞いて回った。アキに任せきりだった役割は、豪狼の想像以上に面倒で大変である。
此処は豪狼を呼んだ国〝トゥラーク〟大陸の端の街、〝地の坂道〟で間違いないようだ。
敵と同じ人間にでも普通に応対してくれる獣人曰く、侵略したのは獣人だが、戦争を望んでいるのは〝トゥラーク〟側らしい。既に何らかの方法で獣人が何人も連れ去られていて、数年前から怒りが燻っていた。
最近になって戦争に消極的だった部族が返す口を閉じ、やっと広い崖を超える術を確立させる。獣人は元々血の気の強い種族、理由と手段が用意された戦に参加を躊躇する戦士は居ない。
「つまり……どゆこと?」
「んだあ!ごっつ頭わらっちぃ、せか赤い血ぃんにころ牙がせわしんと腰もかゆいいわ!」
「なんて!?」
「えっとね、頭悪いな、つまり同胞の血に牙が疼いて居ても立っても居られないんだ!だって」
陽が高い時間に酔っぱらう男を、手際よく介抱する女。夫婦らしい、故郷に子供が三人。とてもその年には見えなかった、精々三十代前半。若作りは獣族の特徴なのだろうか。魔法以外に見た目の違いが分かりづらかったトゥラークの人より、余程異世界の住人である。
「けんじょうしき、って何だ?ですか?」
「あああ!?□※✕γ▽☆!〇◎%*¥■@+▲―――!」
「もう口悪いよアンタ!ごめんねえ、この人直ぐ酔っちゃって」
何言っているのか分からないが、獣耳美女に謝られて許さない訳にはいかない。酔っ払いを一発殴り、平然と出血した頭を地面に転がす肝っ玉には驚いた。
獣人達が信仰する神へ捧げる戦いは、異国の地を献上する為の儀式だ。
自然も力も命も神から貰ったのだから、感謝と御返しは義務だと言う獣族。生きている事家族が居る事、戦える事がどれだけ奇跡的かを自覚して勝利も敗北も神に御返しするべきだ、と。
日常の一部となっている儀式は、獣族の誇りである。常に神への感謝を心に置き、戦いで得た物は神の慈悲として血肉と変える。
神を妄信するとは違う、ただ感謝し誓いを立てる。それが儀式なのだ。
献上式はこれから攻める敵国を、神様へ必ず捧げるので見ていて下さい。と、誓う為の戦いを行う。
トゥラークが正式に獣族と戦うと宣言したらしく、それに合わせて儀式が執り行われるそうだ。戦争が始まると決まってから、敵国ではなく身内で戦うのは可笑しいと思うのだが。そこは獣人、生粋の戦闘民族。豪狼には理解しずらい文化である。
命を賭ける戦だからこそ、政で英気を養う目的もあるらしい。豪狼は獣が味わう肉として、儀式に参加させられる。たった数時間では、腹を括るには短すぎた。
戦の前の戦は、夜の帳を跳ね返す勢いを見せた。
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」」」
振動で石の砦が崩れてしまいそうな歓声。獣人が囲うだけの簡素な舞台で、凍護の見事な三段蹴りに豪狼も声を上げた。
魔法の石を使わない、かがり火で照らされた戦場。星と月と獣人と、本当に神様が見ているような空気に舞う敗者の血。勝者は拳を掲げて、誰よりも吼えていた。
勝者を侮辱する者は居らず、敗者を笑う者も居ない。
神に捧げられた闘気も勝敗も等しく、彼らの生活の一部だ。生きる者を笑う戦士は居ない。
興奮して出来た拳には、じっとりと汗が滲んでいた。次は豪狼の番である。獣耳美女の励ましが耳をすり抜け、足が微かに震えていた。
場違いではないだろうか、力不足ではないだろうか、また負けるのではないだろうか―――
―――ザッ!
熱い。ただ一歩分触れた戦の空気で、豪狼の全身は火を飲んだように熱くなった。
緊張や恐怖を薪に、昇る炎が心を燃やす。
気後れは消えた。余分な物が無くなった足は軽く、拳は開いて閉じてを繰り返す。座りの良い指の場所を見つけた拳を差し出し、記念すべき初戦の相手とぶつけ合った。
言葉は要らない、神に捧げるは戦だけだ。
神に貰った体が求める渇きを、お前の敗北で満たすのだと。開始の合図は無い。
「ふん!」
「がっ!」
拳に目が行っていて、低い蹴りに反応出来なかった。下腹部にめり込んだ足に転がされるも、受け身は間に合い再度相対する。
小柄な豪狼の頭二つ分は高い位置にある顔へ、拳は当然のように捌かれた。遅い。
「ああ!!」
「しっ!」
顔面を一旦諦めて腹に向かうが、体の向きを変えただけで避けられる。遅い。
払う動作で振り抜かれた裏拳が頬を弾き、ラッシュ寸前の豪狼にたたらを踏ませた。遅い。
「んんぐぅ!!」
「っかぁ!」
地面を揺らす踏み込みに、バランスの調整を強制される。一瞬に並ぶ隙を容易く相手の中段蹴りが飛ぶ、肋骨まで震わせる振動に足の力が飛ばされかけた。遅い。
転がされなかった体に、同じ足が顎を蹴り上げる。脳を泳がせる渾身の一撃で、逆に豪狼の目が覚めた。
「遅い!!」
「なっ!?」
鳩尾に入れたかったが、拳は固い腹筋を叩いた。二歩、三歩と退いた相手の表情が、やっと陰りを見せる。
垂らしていた腕が胸の高さまで引き上げられ、やっと豪狼の望む喧嘩の形が完成した。
「へっ!豪狼慈善だ、ロウジで良いぜ!」
「……黄秀だ」
周囲の雄叫びが一段上昇し、静かにしていた豪狼の耳を起こす。戦士同士の戦いの火蓋に、獣の血が騒いだ。
野獣の本能を持って生まれなかった身には刺さる衝撃だが、豪狼の本能には追い火となった。
滾る血潮に周囲の雄叫びが同調する。戦いはこれからだった。
遠くからその雄叫びだけを聞いたのは、野獣の血を持たぬ者。砦に侵入しその光景を目撃した紗雪だけが、今の豪狼と反対の感情を抱いていた。
「そんな……こんなことが……!?」
儀式に集中している砦の警備を潜り抜け、紗雪は碧に持ち帰る情報を精査していた。戦争の状況や部族の近状、獣族が占領した砦は紗雪の足音を吸収する。碧が戦を望まないのを知っていた、だから同族の陣地でも紗雪は碧の為だけに動く。
戦の戦利品は先ず神に捧げるとされ、砦内部は戦いの余波だけでほぼ手付かず。早々に獣族の居る中庭に潜入しようとしたが、獣の勘が足元の冷気を察知した。生まれ故郷で罵倒された獣性に従い、巧妙に隠蔽されていた地下入り口を発見。
尾の毛が全て逆立つ悪臭に、退き掛けた前進を強行する。そこには忘れたくても忘れられない光景が、嫌悪と恐怖の苗床が並んでいた。
紗雪の身より大事な主が居た地獄、研究所の地下牢と全く同じものが在った。
現実を否定したい心が、驚きの声を吐かせる。
鉄格子の内側には獣の特徴が見られない、敵国の人間ばかりが捕らえられている。血と臓物を放置した冷たい石の監獄は、死を積み重ね侮辱し尽くした姿。これと同じものを研究所で見せられ、主が捕まっていたと知った時は卒倒した。
敵とはいえ怒りが湧いてくる。一国の施設の足元で行われていただろう外道な行為は、戦の全てを神に捧げる獣人にとって吐き気を催すものだ。
両親の血が最も薄い短めの牙を噛み締め、紗雪はそれを目撃した。
「……あ、うう……」
泥と死臭、自身の肉片に塗れた軍人らしき男が、鉄格子を握って紗雪を見た。地獄と見紛う環境で生きている者が居た事も驚いたが、軍人の訴えが紗雪の予想を超えたのだ。
軍人は遠くから響く戦の遠吠えに震えながらも、胸の中の命を抱き寄せた。
「た……む、……いも、とお。たすけ……え……の、む……」
音の死んだ地面の下で、獣人の優れた身体機能が正しく言葉を読み取った。肌を隠す汚れごと、紗雪は鉄格子を握る手に触れる。淡々と落ちる熱を掬うように、優しく強く応えた。
「私の牙に懸けて、貴方の妹を助けると約束する」
「―――ぁ」
欠けていた言葉に籠る願いが届いたと、軍人は胸の命を横に置いた。背中に鋭利な切り傷を負った少女が、ピクリともせず兄の隣で伏せている。
色の無い顔だが、間違いなく生きていた。頬を指で撫でた軍人は、寒気の混じる空気を振動させられない。
空気を震わせる力も無い兄が、目の開かない妹と此処に居ない誰かへ、想いを届けた。
父さん、母さん、ルア……ごめ、な―――
唇の動きを呼んだ紗雪の耳は、頼りなく毛先が萎れていた。敵の国の軍人が息絶える様を、皮肉にも主の在ったかもしれない未来と重ねてしまう。まるで主の代わりになってくれたような思い込みと罪悪感で、紗雪は唇を噛んだ。
約束を守る。それだけが弔いになると、血の流れる拳を解いた。
閲覧有難う御座いました。




