第六十五話
お待たせしてすみません!
可燃物が極小と成り果てても消えない火災を、高い建物から見下ろすスクートン。喜びも悲しみも現れていない表情は、傍からはどう映っているのだろう。
「非情な極悪人か、世捨て人みたいな面だね」
同じ高さまで登って来たのは、美しき契約者にして炎の女神。何度口を開かなければと考え、その美貌に目を奪われたか。灼熱の化身は右腕を携え、己の美すら怒りの火にくべた。
「潜ってたウチのが土下座で帰って来た時は、灰にしてやろうかと思ったけど……」
「見ての通りだ。目を付けていた教会の貯金箱は謎の大火災で証拠もろとも炎上、俺達の出世の近道は灰の中ときた。噂じゃ使用人の不手際とかって騒がれちゃいるが、それにしちゃ噂の廻りが早過ぎる」
二人の結論は口にしなくても同じだった、教会による蜥蜴の尻尾切りだ。
侵入がばれたのか別の理由か、それすら問題ではない。手段の過激さと規模がスクートンとメルルンの焦りを募らせ、情勢の重なりで怒りの種火が唸っていた。
「宣戦布告直後にこれか……、煽り上手なことで」
「あんたが言うと、奴さんの下手さが滲むよ。品が無いったらないね」
昨日トゥラーク時刻十二時、正式な国事として宣戦の張り紙が首都中にばらまかれた。内容の閲覧と実行は国民の義務であり、知らぬ存ぜぬはいかなる理由であっても処罰の対象となる。文字が読めぬ幼子であっても例外では無い。
『国家規模の武力による国境と国財の侵犯』、が布告の要因であると記されていた。国境は土地とそれに付随する権力を、国財は資源と人材を表している。崖の街陥落は張り紙と同時に通達され、宣戦布告より余程国民に衝撃を与えていた。遠方で国の為に働いていた兵士の家族は、悲しみと復讐に首都を染め上げる。戦争の火種としては申し分ない悲劇だ。
そして戦争だと声高に叫んだ後の貴族邸火災事件。使用人の不始末という噂を流した者の狙いは、憎しみの焚火に油を注ぐ事だろう。獣人という国家公認の敵が居れば、真犯人への怒りも苛立ちも一方向に定められる。敵への憎悪を重ねさせ、更に教会へ非公式に送られていただろうお布施の証拠も灰と成る、一石二鳥の策。
起きる事件が誰の手でもどんなやり方でも、今だけは全て獣人のせいなのだ。例え一部の人間が冷静に対処しようと、国民の矛先は崖を向いて動くまい。
疑われる要素が何一つ無い真犯人は、悠々と教会で祈りを捧げている事だろう。
この大事件の裏側に教会の影を見る数少ないスクートン達は、遥か昔の戦争相手の出現に苦言を禁じえなかった。何故今なのかと、どうしようもない文句を垂れながら最後の火災を見物する。
「しっかし……、教会の目的が本当に分からん!」
候補は有った。教会が信仰する女神フィリゥデイは、世界を創造した九神の一柱。スクートン達人間を創った神で、その偉大さはフィリゥデイ教会創始者著作の聖書に、頭が痒くなる言葉で書かれていた。
本物の聖書は厳重に保管されているらしいが、写本が一般の祈祷所で自由に閲覧出来た。見学として教会に入り最初の一頁を読んだだけで、深い理解を本能が拒絶した覚えがある。見学に来た人へ説法している信者が、子供にも分かるように聖書の内容を噛み砕いて話してくれた。
曰く、彼の女神こそトゥラークの真の神にして人。女神フィリゥデイと同位の生命体に進化する事が、我々人間に課せられた義務なのだ、と。
胸のデカい信者の言葉を信じるなら、教会の祈祷は最終的に自分達が神になる為の精進である。神に成れるならスクートンだって成りたい、きっと何時まで寝ていても怒られないだろう。しかし信者は神に成って何がしたいではなく、神に成る事が最終目標なのだ。
神が進化の果ての姿なら、目標の成就は死と同義である。
「信仰なんて社会が作った洗脳装置でしょ、納得出来たら同類になる。私は教会も組織も、理解出来る範囲だけ知ってれば十分だと思うけどね。相手の気持ちになんてなるもんじゃないよ」
「う~ん、でも相手の気持ちを考えて動くのも必要だろ。特に戦争起こしちゃう連中だから、後手に回って人がバカスカ死ぬのは駄目だよな」
「……戦争も〝暗がり〟も、大した差は無いね。人が死ぬ様なんて、ちょっと暗いとこ見れば幾らでも転がってるよ」
育ちの違いが会話の端どころか、思考の矛盾にも表れている。スクートンは人が死ぬ事態を対処する兵士として生きていたが、メルルンは死なないように行動する事が生活だった。周囲で沸いた死に触れる力と、死に近付かない力は全く違う。
偶然の接点と目的の一致が無ければ、擦れ違う事も無かっただろう。
偶然の接点を作った者、ふと思い出した少女との記憶で、現状把握に使えそうな情報を探る。
「三ヶ月前に首都周辺に出た魔物が、ある秘密組織と関係してる話しあったしょ」
「金の出所が教会の貯金箱と一緒か確かめたいって言ってたわね」
「火災があった三軒目の貴族邸から、金品の類が前日に外へ流出していた。という話しが上がっています」
「買い取った店は表も裏も真っ白。こっち流のお話しも出来ない、健全な商会だったよ。タァギンに物流させて探らせるには、旨味が少な過ぎる」
「教会との繋がりには薄いかあ……。けど教会に渡す予定だったお布施の行き場所は知っときたいし、奴さんが売り手を大事にする商人で顔を憶えてたら良し。その顔が悪人面で指名手配欄に載ってたら更に良し!俺がギルド経由で一回入っとく、何て商会?」
「アンタの極悪面には負けるだろうさ」
「頭、そろそろ戻りませんと。金品の買い取りをしたのは、バンハット商会だ」
憎まれ口が別れの挨拶、次の邂逅も同じ挨拶だろうと分かる程度には深い仲の自覚があった。去ろうとした細い背中が止まり、不機嫌な横顔だけが振り返る。
「っていうか、何でこんな所なのさ」
メルルンの言葉にタァギンが天井を仰ぐ。頭上には手が届きそうな高さにぶら下がる、巨大な大鐘楼。メルルンの胴体位の太さの縄を横に揺らせば、鼓膜を破る音を奏でるだろう。
高みの見物には場所も条件も悪くないが、此処は首都のある意味で中心部。灯台下暗しならぬ、鐘楼下暗しだ。首都中に一日を届ける時の代行者、大時計台の頂上である。
一日の決まった時間になると、その経過時刻に合わせて鐘を鳴らす。スクートンは新人兵士の仕事場にメルルンを呼んだのだ。後ろ暗い生活が基本の〝暗がり〟の人間には、尻の座りが悪い場所である。
「やっはっはっ!新人だろうが兵士は鐘も鳴らせない程忙しいみたいでねえ、暫くは信頼あるギルドに依頼を出すそうだ。後二・三分で鳴るから、是非俺の手腕に期待しててくれ!」
「〝暗がり〟に鐘なんて届かないよ」
「マジで!?」
心底驚いた男の顔に、メルルンは瞬きの間表情を和らげる。無表情か仏頂面か不機嫌顔しか見た事が無かったスクートンは、驚きのあまり鐘の鳴らす時間を数秒遅れさせてしまう。それに気付いた者は首都の何処にも居なかった。
荘厳な鐘楼の音色、ある住宅の屋根の上でアペンサーは作業の手を止めて聞き入った。
Eランク冒険者となったアペンサーは、一人で家屋修理の依頼をこなしている。依頼内容に不満は無い。魔物退治や戦争への備えも重要だが、困っている者の助けになれる事が嬉しいのだ。ギルドに舞い込む依頼の大半が戦争に関わってきている状況だからこそ、この手の依頼を疎かにしてはいけないと考えている。
「冒険者!休憩しねえか?茶と菓子くらいならあるぞ!」
「有難う御座います、御相伴に預からせていただきます!」
屋根下から声を掛けたのは、アペンサーより余程手先が器用そうな鍛冶師の依頼人。どうも鍛冶の依頼が殺到していて、建物の修理にまで手が回らないそうだ。間接的だが戦争と関わっている依頼だった事に、複雑な心情ではあった。
戦争に否定的な心境を律しようと頬を叩くが、それ以上に心を乱すモノが胸を締め付ける。依頼を厳選した理由は、一つではないのだ。
「嫌だなあ、戦争は」
鍛冶場から汗だくで出て来た依頼主が、アペンサーに聞こえる独り言を呟いた。内容に一抹の驚きを感じる。
国民は基本的に戦争を拒絶はしていない。崖の街の件も在り、無条件に怒りを当てられる相手の存在を許容している。国民の人間の大半は戦いを知らない、知る必要が無い人間だからだ。高い壁の向こうで何が起ころうと、国民には対岸の火事である。
対立する国や勢力が表舞台に台頭しなかった世界の首都、その民は悪い意味でも平和ボケしていた。
「どうして人間って奴は、手に入れたモンを使わなきゃ気が済まないんだかなあ……」
「武力そのものの価値に疑問を感じておられるなら、鍛冶の仕事は辛くありませんか?」
表面上独り言だった言葉に返って来た忠告は、鍛冶師を愉快そうに笑わせた。
「があっはっはっはああ!!そこまで若くねえよお!俺の作品が武力そのもんなのはそうだが、俺が言いてえのはそっちじゃねえよ!」
「と言うと?」
「人間って奴は、自分以外の人間に自分の力を使わずにいられないんだあ」
「……冒険者は民を守る立場で、民の敵を倒す為だけに力を使います」
「かあっ!人間が持ってんの腕力だけか?ちげえだろ!?力なんてもんはぶっ飛ばすモンだけじゃねえ、人間生きてるだけで何かしら使ってんのよお!」
アペンサーにとって力とは、腕力であり権力である。どちらも皆無だった昔の己にそれを教えてくれた養祖父は、どちらも兼ね揃えた素晴らしい御仁だ。それ以外の力とは何だろうかと、口を開かず目が答えを欲する。
水筒の水を飲み干した鍛冶師は、敵を斬る武器を作る為だけの筋肉で、鉄製の槌を持ち上げた。
「何だってあるさ。親は子を守るし、鍛冶師は物を作る。餓鬼はデカい声で笑うし、俺の弟子は俺の命令聞いて飯買いに行ってる」
「え、二時間前から修理してて一度もお弟子殿の顔を拝見していないのですが……」
「ちっとばかし量が多いが、あいつは必ず買って帰って来る!」
「それが……力、ですか?」
「そうだ!誰にでも出来る事じゃねえ。コレを力と言わず、同じ人間斬る力だけを評価する方が、俺は我慢ならん!」
鍛冶師の言う力は、恐らくアペンサーも感じた事がある。何も持っていなかった時の自分も、養い手から力を貰った時の自分も、外に出た今の自分には劣っているだろう。
何が変わり何を得たのか、言葉にするには曖昧な力だ。経験がアペンサーを変えたのかもしれないし、出会いがアペンサーを成長させたのかもしれない。もし出会いに力を得たのなら、別れは力の喪失となる。
出会いと別れ。胸の軋みが罅となって広がった。
「……仲間との別れは、力になるのでしょうか」
「それはお前さん次第だろう?」
「えええ……?」
「納得してるならそれも良し、してないなら納得出来るまで戦え!それが力ってやつだ!」
やはり鍛冶師の言う力がよく分からなくなった。別れに納得なんて無い、現実を受け止めない事が力になるのだろうか。仲間がいなくなり正真正銘の一人。どれだけ寂しくても離れて行ったクロデアは―――
「―――は」
間の抜けた声が漏れた。過去を振り返ったアペンサーの胸中で、目を丸くする感情が浮かんだのだ。
別れを受け入れたつもりだった、アキと同じで事情が有るのだと飲み込もうとしていた。嘘だった。
アペンサーはクロデアという少女を仲間だと思っているのだ。
今も変わらず仲間だと信じ、別離を受け止め切れず優先度の低い任務で彼女の戻りを待っていた。
初めてアペンサーを受け入れた少女をここまで信じ待っていられるのは、仲間との出会いが力となったからではないか。
待ちたいと信じる心も、迎えに行きたいと思える心も、全てクロデアと出会って生まれた力だ。
屋根の修理に借りていた工具を仕舞い、依頼主に頭を下げた。
「すみません、依頼を中断させて下さい!」
「ああ?」
「仲間を、迎えに行きます……。その後必ず、依頼を再開します!」
殴られる覚悟を持って、頭を下げ続ける。依頼を途中放棄したいと願い出る冒険者を、普通なら張り倒し罵倒してもおかしくない。最悪会員資格が取り消される事も在り得た。それらの可能性を含め、アペンサーは現在の感情を優先させた。
忘れられない。口を開けない少女が精一杯残した書置きに、宿屋の女将が表情を曇らせ、旦那さんが空気を重くした。丸みのある字体に隠された事情を、アペンサーは今まで考えまいとしていたのだ。
クソったれだと、未来の己の声を聞いた。
後悔を享受する人間が、誰かの後悔を打ち倒せる訳がない。
理想を目指した過去の己に、恥じない己である為に。
一拍、二拍と間が続き、下げられた頭の上から罵倒が落ちる。
「ば、か野郎!!!―――早く行け!!今度は仲間と一緒にちゃんと屋根直せ!!」
「―――!はい!有難うございます!!」
期待と素材で重い鎧を脱がないまま、アペンサーは駆け出す。
仲間を求める心、それがどれ程の混乱を起こす着火剤だったか。アペンサーが知るのは、国が戦争の本質に対面する時期である。
大寒期を乗り越えて、正式に国同士の戦争が始まった。
アキは豪狼も矢背も見つけられないまま、異世界の冬を越したのである。
閲覧有難う御座いました。




