第六十四話
遅くなってすいません。
アキは知る由も無いが、研究所攻略時に矢背はコレの存在に気付いていたのだ。丁度白麟が落ち着きを乱した場所の真下に有るソレは、アキの目の前の扉からしか行けない部屋に保管されているらしい。
変態所長が持っていた唯一の鍵を貰い、矢背はこの扉を開けたのだろう。扉には鍵が掛かっていなかった。逆に鍵が開いているという事は、開けた後閉めに戻ってきていないと推測される。この先で寝食を忘れているだけなら良いのだが。妙な魔力が蠢いていて、『風』が上手く作用しないのだ。
お馬鹿二号を肉眼で確かめる必要がある。おどろおどろしい扉の隙間に指を入れ、真っ暗な廊下を目撃した。
「帰りたい」
「では!女神様の為の!最大級の部屋をご用意しております!行きましょう!思考を凝らし贅沢を惜しまない造りとなってます!是非その部屋の隅に安置した魔物用の檻で、ムストランを乱暴に愛の鞭で調きょ―――」
「此処から真っ直ぐだよな?よし行くわ。私が戻って来た時まだその部屋あったら、お前を魔物と檻で同衾させるから」
「そんなあ!?このムストラン!女神様の叱責に興奮し、折檻に高揚するのであって!決して!他者からの暴行全てを受け入れている訳では無いのです!!」
変態を無視して、アキは暗闇に進む。横幅も両手が届く幅の廊下だ。アキと一緒なら暗闇でもある程度働いてくれる精霊が、素材保管庫までの距離を調べてくれる。
〈異物発見〉
最近分かった事だが、精霊は人工物しかない密室空間を好まない。更にその空間が陽の光すら一切受け付けないと、精霊は近寄りもしないのだ。この廊下がまさにそれ。アキからの魔力供給が無ければ、精霊は付いて来てくれなかった。
精霊の警告と感知を頼りに、足元の異物を拾い上げる。穴に金属の輪っかを通した鍵の束だった、扉からたった十数メイトの距離だ。落としたのが行きか帰りかも重要だが、何よりも問題は鍵を持っていただろう人間が見当たらない事である。
こんな狭い廊下で身を隠す場所など無い。精霊の働きで素材保管庫までの感知も済み、矢背の行方が分からない事実を再確認した。
〈イヤダ〉
「え?」
反射神経が働いたと意識が揺れる間もなく、アキはその場を跳び退いた。着地してから一瞬前に己が居た場所の虚無に神経が気付き、背筋を冷たくする。
今頃落ちていたかもしれない所に出来た、肉眼での確認不可能な穴。精霊が殊更にこの場を避けるのは、その穴から噴き出す香りが原因だろう。開く場所も大きさも不規則な虚無は、アキの心に鉈を降ろすような、むせ返る程の死臭が溢れていた。
虚無は、地獄だった。
覚えのある血の気配。少しづつ縮んでいる虚無を潜った先には、あの緑の化物達が涎を垂らし人肉に群がっているだろう。
水無瀬先生が言っていたが、『勇者』候補が落とされる〝永久地獄〟の入り口は世界中に出来るそうだ。関係が有るかは不明だが、この廊下に漂う乱れた魔力の感じが〝永久地獄〟に似ている気がする。それが入り口を作る要因になっているかもしれない。
嫌な予想をしてしまった。
もし、もしもだが、矢背が此処を通ったとして、虚無が発生した可能性は十分あるのではないか。そうなると矢背は今、あの地獄に居るだろう。最初は〝返還の儀〟という召喚魔法で入れられていたが、今回の場合はどうなるのだろうか。この世界に帰る為の生贄を捧げても、戻れる保証は無い。此処に戻って来る方法が分からない以上、アキが助けに行っても木乃伊取りが木乃伊になるだけだ。
矢背捜索が絶望的になってしまった。
気を落としている時間は無い。気を落とすにしても、何時虚無が発生するか分からない場所は拙いだろう。虚無発生の前振りとなる魔力の流れに精霊の力を借り、細心の注意で進んだ。
見えた扉は壁と同色で、鍵が三重だった。鍵束から幾つか試し、素材保管庫に入る。
「うわー」
暗い。照明用だっただろう魔石は素材から漂う魔力で死に、アキが持つ野営用照明のみが保管庫を照らしていた。虚無を連想させる魔力の揺らぎすら在り得ない、一色の暗黒空間。
虚無は死の世界の入り口だったが、此処に在る魔力からは別のものを感じた。地獄が命の終わりなら、此処は憎悪の叫喚だ。生者だった者の思いの丈が、魔力という未知に溶けて訴えている。
生物なら誰もが拒絶する苦しみを、悲痛な心で叫んでいた。
叫びの元凶は硝子のケースに収まって、展示品のように飾られている。光沢が完全に死んだ鱗と、象牙色の動物の爪。どちらも本来の持ち主を考えたくない大きさだ。考えたくなかったが、思い当たってしまった。
「…………これ、竜じゃない?」
たった一度の邂逅とすら名付けるに足りぬ遭遇で、アキの網膜に焼き付いたあの姿。色や細部に不一致は多々有るが、大きさや形が重なっているだけでも連想する理由には十分なのだ。
アキの自我を刺激した空の王、神と崇められた生物の頂点。
ここまで材料が揃えば、ある推測が成り立つ。この研究所の命を弄ぶ所業、ちぐはぐな魔物の創造。
―――竜を人の手で創ろうとしている奴がいる。
変態や此処の研究員も、恐らく全てを知らされてはいない。では誰の願いなのだろう。
竜は神とも怪物とも言われている、生物の上位種だ。何故そんな生物を創ろうという発想に至ったのか、そもそも生命の神秘に反逆しようとする思考が理解出来ない。この世界では人体実験や生物の解剖に類似した歴史が在り、学問の一部として分野が成立しているのだろうか。
しかしこれらが竜の身体の一部だとしたら、最低でも一体の竜が死んでいる事になる。竜が複数存在している説は立証された。
そうなると山賊が山奥で見つけた隠れ家、そこに放置されている彫像が本物を模した可能性が高くなる。近くの村では竜を崇める者が今でも居た。全員ではなかったので、祖父母の代に竜と深い関りが有ったのかもしれない。
世界の核心に触れた気がした。
『勇者』、〝勇者の城壁都市〟、〝返還の儀〟、才能、魔法、謎の組織、追跡者、ゴスロリ少女、ギルド、王族、騎士、〝合成獣〟、獣人、精霊、英雄、―――竜。
繋がっていないモノなど無い、根拠も無く前提を立てたアキは、鱗と爪を守る硝子を殴り砕いた。崩壊の悲鳴が良く響く保管庫だ。
鱗の表面を指でなぞれば、接触点から流れ出る重厚な魔力に皮膚が張り付いてしまう。腕が道となって体内を巡り、自身の魔力と突き合って遊んでいる。
これらから溢れる魔力が空間を歪め、魔力と空気の境目に虚無が発生していた。虚無の出現は突発的で不規則、タイミングが悪ければ回避はほぼ不可能だろう。感知に関しては反則的才能を授かったアキでさえ、運の要素が良い方に傾いたお陰で避けられた。
突然消えた矢背の消息。もう分からなかった事には出来ない、矢背はあの地獄にまた落ちた。今度は戻る方法が無い。
魔法鞄から〝劫砕剣〟を抜き、鱗に刃の腹を当てる。憎悪の根源を絶たねば、保管庫の空気は毒を孕んだままだろう。保管庫ごと潰しても良いが、これだけの魔力を放置するのも心残りとなって胃壁を削る。
力よりタイミングと呼吸を意識し、最大限に行使している〝重覚魔法〟で剣をピクリとも震えさせない。鱗を飾る台や床の強度を無視した一刀は、脳裏にあの抜刀を浮かばせた。天を指した切先まで神経を尖らせ、アキの内でのみその瞬間を待つ。
叩き斬る形状の〝劫砕剣〟でも、剣は剣だ。切りたい物を斬れないなら折ってやる。
「―――ふっ」
ギィーガンが知れば怒髪天だろう心配は不要だった。振り切った剣の軌道が一秒弱跡を残し、刀身を折られず鞘に納められる。
鱗は半分に切られ、垂れ流しだった魔力はそよ風のように静まった。
爪は鱗程魔力を流していないので切らない。推測だが鱗は竜が生きていた時に剥がされ、爪は爪切りした残骸だったのではないか。脱皮のように古い体組織を捨てる習性が在ったのかもしれない。魔力は生命の根源だ。素材一つとっても、命の在り様で変化する。魔力を感知出来る学者が居なければ、立証は困難だろう。
鱗の残骸も爪も魔法鞄に収納すると、精霊が分かりやすく数を増やす。竜の素材は相当精霊の癇に障っていたらしい。気分を良くした爽やかな風が髪を撥ねる。
荒れている保管庫だが、ちゃんと見れば他にも良さそうな物が多々有った。魔物の素材、魔法道具、貴重な魔石、埃を被った実験記録。
記録帳は触りだけでも吐き気がする内容で、人も魔物も怒りと恐怖で他者を呪い殺せる生き物だと思い知る。特に魔力が存在する世界だ、記録帳には恨みの矛先すら考えて行動した結果が記されていた。肉体的に地獄を味わわせた魔物に、処分に困った改造人間を与え力の程を調べる実験。憎しみに囚われた魔物の傷付いた肉体は、素材として最高級の硬度と殺傷性を孕んでいたそうだ。その素材を使って創り出したのが、アキ達が仮で呼んでいる〝合成獣〟。
細かい日付の記録から、十年は前の物と判明。最近倒した竜擬きや彩虎獣の記録は此処に無い。やりたい事がまた増えた。
鞄に詰めるだけ詰め、保管庫を出る。気分は盗人だ。完全に消えていない虚ろの魔力で満ちた廊下を慎重に抜け、安全地帯で『風』を解き放つ。
驚く事にムストランと別れてから二時間近く経っていた。太陽に赤みが含まれている。研究所内で特に目立った変化は無く、強いて上げれば研究員達の不満が増してきた事だろう。地下牢に閉じ込めている連中も精神状態が不安だ。実験記録を見た後では死んでも自業自得だと思うが、その判断はアキが下すものではない。
大陸を覆う規模に膨れた『風』が、ゆっくり情報を精査する。全て送ればアキの頭がもたないと分かっているのだ。
知性と魂を感じる精霊の暖かさが、心臓を止める冷たい現実をアキに囁いた。
「クソ!」
受けきれない衝撃を壁に流し殴り壊すと、巡回警備員の顔が青くなる。彫像となった警備の横を早足に横切り、今後の話し合いを再開している三人の下へ向かった。
所長室だがムストランは居ない。アキに命令された、研究所の稼働を補助する仕事を熟している。能力は流石、一つの施設管理を任されているだけあった。所長室の前で一応立っている警備員に伝言を頼み、仕事を更に上乗せする。残業など気にもかけない仕事量だが、悪人に慈悲は無い。本人が喜んでいる事は悩み所だが。
扉を開ければ、精霊の戸惑いすら伝わる程の心が攻撃してきた。
嫉妬、憤慨、懺悔、恐怖、絶望、恥辱、恐慌、後悔。
血肉の範囲も侵す量の感情が、その男の体内にはひしめいていた。男の負の想いは天に届く丈となり、許せない己と許されない己の葛藤で眼球が充血している。
男は、ユーストスは息を呑む美しい顔を悲痛に歪め、床に膝を着いた。行動の意味も理由も分かるが、そんな事に時間を消費する余裕は無い。
揃えた指を直立させ、手の平全体で待ったを掛ける。口が半開きで止まったダスィラノ、不安の色を隠せない碧。可視化一歩手前の強い視線に晒されて、アキの乾いた喉が唾を飲んだ。
「―――開戦だ」
現時刻からたったの十五分過去の歴史。
遂に一国の王が、正式に戦争を宣言した。相手は百年経とうと変わらない宿敵、―――獣人。
未来に流れる魔力と血と憎悪で精霊は昂り、情報がアキの傷口を蹴り上げた。
閲覧有難う御座います。




