第六十二話
間空いてすみません、最近P○X○Vの方に入り浸ってました。
「空紀!そろそろ起きなさい!」
闇に意識が沈んだ空紀を拾い上げたのは、声と夕飯の匂いだった。
待ち草臥れてソファーに倒れていた体を起こし、白濁した思考の回復を待つ。台所で食器を洗う女性、空紀を待たず食卓に着く男性。
此処は特筆する事も無い、空紀にとって普通の我が家だ。
こまめに片付けられたローテーブルには、寝る前まで見ていた携帯が置いてある。学校から帰って直ぐに着替えたジャージは、成長期が過ぎてから買い換えてない家着。寒くなってきた今の季節、上には厚めのパーカーを羽織っていた。暖かくなれば眠気の一つも生まれよう。
浅い眠りの中、夢を見ていたような気がした。
消えかけている夢の記憶で唯一確かなものは、自分ではない自分。誰もがこんな自分になりたいと望む、そんな自分の願いが成就していたような。実感の薄い充実感。
興味のままに動き、周りの事情も関係も後回しにして動いた。考えるより体が望んだ先へ力を尽くし、障害をあらゆる手段で両断した。社会の鎖を物ともしない、勝手気ままで我が儘な自分。
恐怖を克服した空紀はここまで自由に生きられるのかと、違う自分に憧れ、嫉妬し、怒りが沸いた。
そのままでは駄目だ、これでは空紀が大事にしている全てがごみとなってしまう。
「ほら、早く食べないと無くなっちゃうわよ?」
お母さん。
動いていないと落ち着かない、専業主婦。家の中が他の家より綺麗なのは、ひとえに母の落ち着きの無さのおかげだろう。最近血圧を気にしている。
「お茶取ってくれ」
お父さん。
オンオフが極端なデブ、禿げていないサラリーマン。腹は大きくても顔の輪郭に出ていないので、周りは中々理解してくれない。一度卓に着くと食べ終わるまで動かないのだ。
娘を一秒も待たずに食べだした父の言葉に、溜息とお茶を入れたコップで応える。食卓に着けば甘辛い匂いに空腹感が腹の虫と協力した。
箸を掴みながら、空紀は自らの胸の穴に問われる。
忘れているのか。
ぽっかりと空いた胸の穴が、元の自分を探して叫び続ける。
違和感は全身を蝕み、食欲を染めた。湯気が昇る味噌汁に、全く食指が動かない。
「そういえば、■は?」
ドクン
見えない心臓が跳ねる。
「委員会で遅れるって今朝言ってたじゃない」
「何委員?」
「図書委員!空紀もでしょ、前言ってたって」
「ホント、本好きだな二人共」
心臓の鼓動が弱まらない。頭まで響いて、思い出や神経にまで伝わる。
ポンプされ熱い血と共に流れる、■の記憶。
穴をくすぐられるむず痒さで、空いた手が胸元を掻きむしった。
「空紀?」
どちらに呼ばれたのか、それを確かめる事は一生叶わなかった。
―――!
壁を越え届く■の声に、空紀は全て思い出した。
ガタン!
椅子を倒して玄関に走った。箸が転がり、掛けられた声は鼓膜を震わす前に遠ざかる。
居間の扉を開ければ直ぐに見える、声が聞こえた玄関。空紀の家の玄関は、父の趣味で下駄箱が多い。
父自身は特に靴にはこだわりが無く、似たようなデザインの靴を財布の許す範囲で購入している。それでも靴を見掛け本人の趣味に近ければ買っていた。玄関の収納限界はとうに超えていて、幾つか捨てても追加の下駄箱が必要な量。靴に限定された散財は、一種のストレス発散なのかもしれない。
両壁の靴箱に挟まれ、整頓されていても圧迫感の在る玄関。そこに座り込んで靴を脱いでいる、■の背中。
空紀を年上扱いせず、対戦ゲームでも遠慮しない負けず嫌い。運動部ではないが気に入らない事があると拳に物言わせる、喧嘩っ早い生意気な中学三年生。最近は少し大人しいが、思春期で空紀との会話をめんどくさがっていた。
思い出せる。忘れていた、何で忘れたかも忘れていた。
その原因となったモノの傍へ、空紀は迷いなく飛び込んだ。
「■――――――――――――――――――!!!」
意識は頭部に走る衝撃で、再び闇へと沈んでいった。
水の音、水滴が落ちた。
脳に当たった心地いい振動に、空紀は堪らず目を開ける。意識をここまで引いた『風』が、優しく覚醒を促した。
五感が連動して目を覚ましていく、一番に動きを伝えたのは触覚だ。体の後ろ半分を占める岩肌、その硬さを緩和するのは頼りない何かの布。同じ種類の布が体の上にも掛かっていて、冷気を触れさせまいと広げられている。一カ所だけ露出した顔は、左側からの強い熱源を訴えた。
空気を熱する正体は、霞んだ視界の回復によって知れる。まだ振動を解析する余裕のない鼓膜が、この世界で馴れしたんだ音を聞いた。焚火が木材を糧に大きく成長し、淡い炎の色を岩に投射する。
戻って来たアキの世界に、現実が激痛と情報を突き付けた。
激痛の波が満足するまで、どこが痛いのか分からなかった。痛みの発生は腹部。
生理的に浮かんだ涙を消す気力も出ない頭で、己の身に起きた過去を振り返る。
脇で木材を崩す火の勢いが子供の遊びだと揶揄したくなるような、人の営みを消失させる火の嵐が脳裏に蘇った。生命を等しく消し炭にする万物の災害を、一蹴する強者。この国が戦う相手。
獣人であることは重要ではない、あれが強者であることが今最も危惧すべき真実。
一人の強者の存在が腑抜けた〝ヴァストラージ〟の尻を蹴飛ばして余りある、戦争の恐ろしさの証明となった。
アレの存在だけで、この戦争の行く末が決定する。
この国の軍隊をどれだけ犠牲にすれば、鎮静出来うるのだろう。一時とはいえ軍総統の策で時間を稼げたことは、僥倖である。アレも生きている限り、休息と補給が必要だろう。
安堵し掛けて気を入れ直そうとしたアキ、そして。
「―――う!?ぐうぅぅ……」
声にならない痛覚の波に、体が跳ねた。意識していない呻き声が、岩肌を反射して響いたらしい。
「アキ殿!目を覚まされたのですね!?」
急いで近付いて来たにしては、振動が柔らかい。彼の―碧の性質が動作に表れ、現象に反映されている。
頭がまだ覚めていないらしい、馬鹿な事を考えた。真実がこれからに影響されない疑問は、今考える必要は無い。痛みが増すが、落ち着こうと息を深く吸い、吐いた。
眼球だけに留めて見れば、焚火を背にしても分かる薄汚れた獣人の少年。衣服に付着している血は、もしやアキのソレだろうか。元気になったら洗おう。
碧の周りを常に浮いている精霊と、アキの周りの精霊の戯れを感じる。互いが健闘と献身を称え、アキの覚醒に全員で喜んでくれていた。複数の色の光が躍る光景は、眠気の消えない脳に夢心地を錯覚させる。
「……ここは?」
「戦闘があった村の北東にある洞窟です!アキ殿は三日三晩昏睡状態でした」
「三、日……」
「アキ殿がその……負傷された後、白麟が犯人を吹っ飛ばしまして……」
「吹っ飛ば……?」
「増援が来る前に身を隠さねばと考えたのでしょう、私とアキ殿を含め四人の人を背負って恐ろしい速度で村を離れました」
「四人……?」
「それで今は二人の最低限の安全確保と、問題の男の鎮圧行動を続行してくれています」
「二人?鎮圧……?」
状況を説明されても全く分からない。
これは説明する側の簡潔な内容ではなく、聞く側の頭の回転が遅い事も問題の一つだ。闇に落ちた意識が見せた、記憶の混沌に思考能力が割かれている。
洞窟の穴から漏れる光具合で、時刻は夕時と仮定。刺されて更に寝起きの腹時計は、完全に役立たずだ。
情報の整理を求めて口を開くと、言葉が出る前に言葉が浴びせられる。
「よく持ち直した、女神フィリゥディに感謝を」
焚火の恩恵を受け取れる距離、壁に凭れている男。見間違うはずもない。
「……ダスィラノ・ダスカン」
「お互い首の皮が厚くて助かったな」
二人の安全確保、納得した。致命傷を負った二人を白麟は背負い、安全な場所に最速で運んでくれたのだ。村からあまり離れていないのも仕方がない。
アキを庇うように攻撃を受けたダスィラノ、しっかり見た訳ではないがかなりの深手だった。とても長距離の移動には耐えれまい、それはアキにも言えるが。
ダスィラノは胴体に巻かれた包帯の上を抑え、焚火とアキに近寄る。
「腹の傷を与えた馬鹿を、覚えているか?」
「外で白麟に転がされているみたいだね」
「……俺の部下だ」
「へー」
精霊が魔力の徴収もそこそこに、少しづつ『風』を伸ばしている。洞窟外の様子など、直接見るより詳しく知れた。
一度共闘しただけの、本来なら敵の存在。何故か碧は男を信用しているが、蘇る緊張に頭の靄が晴れた。
「それで?お前を助けたんだから、部下の暴挙にも目を瞑れと?」
「アキ殿!」
碧の咎めを流しダスィラノの反応を窺う。
罪を目の前にすると、人の本性が垣間見える。後悔・懺悔・逆上・反発、精霊の感覚を共有出来るアキは、その精神の暴露を容易に理解し隠蔽を拒絶した。
ダスィラノの胸中には複雑に絡んだ、たった二つの感情が渦巻いている。
その形を表現する手段として、ダスィラノは膝と額を地面に擦り付けた。
「―――此度の狼藉、この愚か者の頭一つで、閉めとしてはもらえないだろうか!」
実は頭を動かせず眼球だけで追うが、上手く土下座を視界に入れられない。精霊に身を任せ目を休めてもいいが、アキはこの男に借りがあった。目を背ける無礼はあり得ない。
しかし借りがあるのはこの男だけだ。あの刷り込まれた正義感で己を構成し、信じられない位真っ直ぐに行動する、馬鹿な騎士には何の義理も無かった。
「―――ダスィラノさんには謝る事も謝られる事も無い。互いに立場が在ってその考えに則った、それだけ」
「しかし!これだけの失態、貴殿の恩情にあやかる価値も無い!」
「大体思い出した。ようするに、そちらの部下がダスィラノ軍総統殿を半殺しにした犯人を、私だと勘違いして先走った結果。この通り不意打ちに反応出来なかった間抜けな女に、重傷を与えてしまったから、上司として誠心誠意謝罪がしたい。んで土下座?」
「誠心誠意とは程遠いが、この頭一つでは足りぬ不祥事と心得てなお!勝手な謝罪を、恥と承知で失礼している!」
「なんだ、分かってるじゃない」
地面から額が跳ね、鋭かった筈の目が丸くなったダスィラノに笑って応えた。
体重からは考えられない軽い足音。暮れ掛けの夕陽で橙に染まった白麟が、アキの枕元に顔を近づけた。
「ありがと白麟。体が治ったら何かお礼する、約束する。だから、もう少し頼んでいい?」
フシュウウウーーー!
呆れた溜息、しょうがないなと言うような返事にもう一度感謝した。
洞窟を出る白麟を見送り、固まる男を余裕の出来た声で叩く。
「貴方は私にとっても命の恩人で、感謝だってしてる。もしそんな男が謝罪を望むなら、下げるべき頭は自前のそれより部下本人の頭で在るべきだ」
「しかし俺、私が!!貴殿にどれだけの恩を与えられたか!貴殿であっても把握してはいまい!」
「一先ず傷の治療が最優先……と、言いたいけど……。明朝此処を出よう」
「無理です!ご自身の負傷がどれだけ深いか、ご自覚下さい!」
自力での移動が最も難しい状態であるアキの提案に、碧は言葉でダスィラノは表情で反対する。そんな親切を切り捨ててでも出立を急かす理由が、ある場所の精霊からもたらされたのだ。
碧にとっても急ぐ理由となるだろう。
「研究所が襲撃された。私の連れも碧の連れも、あそこに居ない」
事態はアキの療養を待つといった優しさを兼ねず、ただ冷たい可能性を運ぶ。碧の顔から血の気が引いており、アキより貧血に注意が必要かもしれなかった。
閲覧有難う御座いました。




