第五十九話
左手の中指に光る、美しい魔道具。持ち主に返したい想いと、返したくない想いが空紀の身を蝕んでいた。
便利だから手放したくないのではない。勿論便利だとは思うが、返す事で発生する真実の言語化から逃げたいからだ。持ち前の輝きを失わない亡き少女の遺品を眺めていると、遮るように何かが指輪に付着する。
血だ。少女の血だった。
目を向ければそこにはかつての少女の死が、増すばかりの血飛沫と共に再生され続けている。
夢だと一目で分かった、現実だと二目で想起した。
吐瀉物の匂いが潰れて消える、重い死の香り。少女だけではない、過去の刻まれた人間の苦痛が積み重なっていく。
空紀は傷一つ無い体で後退り、踵で押した死体の少女と目を合わせた。眼球の水晶体が硝子となって、無傷の空紀を責め立てる。
何故助けてくれなかったのだ、何でお前だけ助かったのだ。
声の出ない空紀は記憶から逃げようと道を探し、見た。
一面の血の池が、死体を浮かべている。赤い広がりは留まる事を知らず、徐々に世界を海に変えていった。血の無い場所など、この世界の何処にも存在しない。
ズルリ、と。指輪が抜けて海に沈んだ。
一筋の輝きも無くなった、死臭が具現する世界。地獄と呼ばず、何と呼ぶ。
大きな塊が落下した音に、最後の力を振り絞る。指輪の真の主が、半分だけの頭を晒していた。
血の海を揺らす犯人は、凶器を高々と掲げる。その腕は今より細く足も心許ない、そして髪は肩に毛先が僅かに触れる長さ。
頭から零れた肉片を意にも返さず、その空紀は鉈を少女の頭に叩き付けた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――!!!!!!!!!!!!」
***
現実と夢の境界がこれほど密接していると、現実に悲鳴を上げたと勘違いしてしまいそうだ。実際跳び起きて五分近く、空紀は自分が地獄に居ると疑わなかった。
所長室の無駄に大きいソファーで寝ていたが、寝具でないとやはり節々が痛む。睡眠に適さない体勢と会議で話題になった戦争、そして研究所内に渦巻き漂う苦痛の残痕。塵どころかそれぞれがトラウマ級の悪夢の山で、それが複数積もれば現実に悪夢を見るのは正常な反応である。
「はああああああ~~~……」
個室に一人とはいえ、深夜に遠慮した小さく長い溜息。ストレスが最高潮を記録していても、体は『風』を手繰り寄せるルーチン。自賛すればいいのか反省すればいいのか。
牢屋の連中は自力での脱出を半ば諦めている、全員大人しく寝ていた。豪狼に強制されている夜中の見回り組も、誰も見ていない森へ逃げ込もうとする馬鹿ではなかったようだ。一部では実験の悲鳴や魔物の唸り声に悩まされない労働環境に、むしろ喜んでいる節さえある。
実験体にされていた魔物は、実験が無くなっても当初暴れ続けていた。しかし食って寝て直ぐ回復した碧が紗雪と魔物の部屋に籠る事数十分、研究員以外に威嚇したり暴れたりする行為が無くなったのだ。閉じ込めている檻が頑丈で害は届かないと分かっていても、吠えなくなったのは安心する。碧には撫でる手を受け入れる魔物も居た。空紀が真似ると大人しいというより、何故か怯えられて懐いているとは言えない。
何もしていないはずの相手に恐れられるのは、普通にショックだった。笑った豪狼には白麟の運動不足解消の相手をさせる、半日地面の上で転がっていた。
一人の動きが気になり、探りを入れる。空紀の探りが軽くプライバシー侵害行為だという事は、この場では豪狼と矢背しか知らない。他には広範囲の感知魔法だとしか知らせていないが、白麟も気付いていそうだ。
戦士用寒期服、ようするに温かくて動きやすい上着を羽織り部屋を出る。高かった魔法鞄一つ有れば、どんな状況でも生きていける自信が付いたのは、逃亡旅の嬉しい副産物だ。
星が降っている。
見慣れない獣人の髪は星光に反射し、星が積もっているようだった。星が溢れて落ちそうな夜空を見上げ、一時停止した状態で早二十分。雪が景色に侵入しない事が異常だと思う気温に、堪らず声を掛けた。
「碧」
「わっ!?」
「いつまで見てるの?」
鼻先を赤くした碧がこちらを振り返る、同調してその周りを泳ぐナニカが動いた。今も空紀の吐息や首から魔力を吸うナニカとは、どこか存在感が違う。例えるなら碧の方は花弁が舞っていて、空紀の方は犬が集まっている。意味が分からないが、感覚を例える技術は高度なのだ。
己の語彙の少なさに呆れながら、小声が届く距離まで近寄った。真夜中の静寂が二人の間を三歩分まで作る。
「すみません。睡眠を妨げてしまったようで……」
「眠れない?」
「……すみません」
申し訳ないと本心で思っているなら早く寝てほしい、それは碧も分かっているのだろう。だから謝ったのだ。碧の精神状態が良好な睡眠を阻害する限り、二人に安眠は訪れない。そしてその状態は本人の理性ではどうしようもないのである。
解決策の一つである原因の吐露に、空紀は付き合う事となった。
「……父様は我が部族きっての武をお持ちです。獅子の部紋に相応しい方で、歴代を遡っても決して見劣りしないと、誰もが褒め称えます。自分は……そんな父様の血を正しく継ぐ器となれなかった……。皆が言います、獅子が猫を産んだと。猫族のように立派な瞬足を持たない身には、とても過分な評価だと思っています……」
碧は過分だという評価。恐らく猫は獣人部族内では、強者が頭角を現しにくいのだろう。獣人社会で弱者と言われる猫と同格と噂され、本人は褒められていると思ったのだ。社会的に弱い立場の獣人の長所を見つけ、凄いと言える。なるほど、紗雪が尊敬する理由が分かった。
脳筋社会では発掘しにくいし、理解されにくい才能だ。会話は拳が標準の部族に生まれてなければ、もう少し生きやすかったのではないか。
「だからこそ分かりません!……父様は何故、戦争を許してしまったのでしょうか……?」
「獣人にとって、子の強さはそれだけ重要?」
「勿論です。武力こそ権力、権力こそ神に賜った褒状。神に力を認められた者が、統率を認可される地位の座を頂くのです。その光栄な座を家族が継ぎ、悠久の繁栄とする。それこそ我ら全部族の生存理由です」
「神に認められた力で、安寧秩序を成す為の家族、か」
「実際父様は自分を見放していました。街から出さず鍛錬も許さない、不在の際の部族長代理という無理難題すら押し付け、名ばかりの地位を作っていました。力無き獣人の言葉に耳を貸す者など、居ようはずもないというのに……」
見放されていた、そう話す碧の表情は過去を憂い悲痛ではあったが、憎んでいる様子は無い。
「父親は嫌い?」
「まさか!考えたこともありません!……父様は本当に凄い方なんです、僕は父様こそ有史以来の獅子族最強の戦士と信じています。だからこそ、父様の力の一欠けらすら受け継げない己が恥ずかしい……。そんな僕の為に戦争を許容したとは、どうしても考えられません!」
「でも実際戦争は始まったと見て良い、獣族はどう動くと思う?」
昼間の会議では踏み込めなかった、戦争の行末の予想。
口元を引き締め、耳を跳ねさせる。触りたい。
「崖から最も近く、強硬な街を奇襲で落とし……現地での侵略拠点を固めます。崖を超える手段を考慮すると、あまり消耗品は持ち込めません。獣人は肉体を武器とする者が多いので、一番心配される食料の調達に……」
「村や手薄な街を襲う」
「はい……。崖に近い相手の拠点を使用不能にする意図もあるかと。しかしそれからはどうでしょう、予想以上にこちらの気温が低いので、寒さが落ち着くまでは長距離での遠征は難しいと思われます」
「碧は寒さに強そうだけど、他の獣人は寒さに弱いの?あっちはあんまり寒くない?」
「強くはないですよ。自分達の生活圏は冬でも雪は滅多に降りませんし、火山が近い地域では一年中軽装です」
「?この寒さで何十分も棒立ち出来れば強いと思うけど……獣人の言う寒さは凍死一歩手前なの?」
「火精霊が助けてくれているだけです。この体は気温の急激な変化にも虚弱なんです」
精霊。異世界ワードが出た、だが不思議と全く知らないものではない気がする。
ザワッ、と周りのナニカが身じろぐ。名前を呼ばれてこちらを窺う、人懐っこい犬のような。何、と空紀に問いそれを出来た事に喜んでいる。
不思議な感覚だ。空紀はこの世界で真に独りではなかったのだ、熱を持った何かが喉を通り体内に拡がった。
「これが……精、霊……?」
「えっと……ご存じではなかったのですか?それほどの精霊と和をお持ちでいたのに?」
存在を確かめる手に、精霊が応えた。楽しそうに嬉しそうに、待っていたのだ。空紀が自分達に気付くのを、隠していたお菓子を何時見つけるか予想するように。
操作を怠っていた『風』に魔力を流す。
そして世界の広さに驚愕し、ナニカが呼応して力を伝えた。
確かに存在する相手に魔力を渡し、不明瞭だった魔法の道筋が見える。多くの、本当に多くの精霊が空紀に知覚した全てを譲渡して、余すことなく語り掛けて来た。
ナニカ程、否精霊程世界を見れる存在はいない。
夢中になって自身の魔力を半分は削った。異常者扱いの魔法士型『勇者』の、平均魔力量を大きく上回るそれを半分も渡された精霊は、飛び跳ね嬉々として知覚の更なる進化を誘う。
幽体離脱した気分で空を飛び、精霊達の導きに身を委ねた。
突如、忘れかけていた悪夢が産毛に触る、身の毛もよだつ感覚は精霊にもあるらしい。それはトラウマの片鱗を思い出した空紀へ精霊からの警告、地獄があるよと伝えてくれている。
しかし空紀にとってトラウマは恐怖ではなく、復讐の対象でしかない。
「その火精霊の力借りれない!?」
「はい?アキ殿程の親和性をお持ちなら可能かと、て、何で脱ぐんですかあ!?」
魔法鞄から肌着と防具を取り出す。寝巻替わりの簡素な服を脱ぎ入れ、支度を整えていく。その速さは烏の行水だ、自慢ではない。
火精霊の助けで難無く外で着脱を完了した、離れる精霊に魔力を渡して感謝する。
「驚きました……他者と関係を構築している精霊に対し魔力を渡せるだけでなく、感謝を伝えられるなんて……」
「感謝を言う事が変なの?ああいや、時間無いから後で聞く!」
「どうしたんですか?」
「遠くで村が襲われている」
「なっ!?距離は!?」
「走っても……丸一日掛かる」
「そんな……!間に合いません!」
「人には無理だな」
魔信球を確認し、正門に走る。後ろから碧が付いて来るが、大分先行して着く。
「白麟!」
長い足を折り休んでいた白麟は、空紀の接近に門番の男より早く立ち上がった。半分寝ていた門番二人は、慌てふためいて直立する。
「申し訳ございません!決して、門の番をサボっていた訳では!」
「昼飯抜きで許す。お前らの前の奴も寝てたの知ってるから、一緒に昼飯抜きな」
「「コギエ・ルゴーム!」」
起こされて腹が立っている様子ではないが、白麟は目を細くして空紀を見た。
「頼みがある、私を村まで連れて行ってほしい。あの白麟が居た村まで!」
いきなり何の話しをしているのか状況を読めない者は、同時に空紀の奇行が理解出来なかった。馬(?)に頭を下げて乗せてくれと頼む所業は、乗り物として確立されたこの国では不思議に映るだろう。
頼まれた方もまるで考察するように、空紀を見分している。人と魔物が対等だと意識もせず行動する姿は、第三者に可笑しな衝撃を与えていた。
追い付いて息を荒げる碧は、感動している。
力を是とする獣人社会は当然、魔物の使役に対話ではなく力を示す。精霊との親和を持つ者は魔物に好かれやすい傾向があるものの、基本は服従を強要する。それで上手くいっているし、その手段を否定する気も無い。だからこそ碧が魔物と膝を合わせて対話を試みる姿勢を、多くの部族が怪訝に否定した。
空紀の常識だと信じて疑わない行動は、この世界の常識からは逸脱したものだ。
前脚を上げ鳴いて答える白麟と空紀の決心に突き動かされ、碧は研究所に走った。
手綱はいらなくとも、鞍は必要だ。二人乗りが出来る事を祈る。
閲覧有難う御座いました。




