第五十五話
室内には生体反応が複数、口を開けるのは今の声の男だけだ。魔信球で通話していて、相手までは分からなかった。話しが終わるまで静聴する。
「―――」
「はい、油断なんて滅相も無い」
「―――」
「勿論です!薬物の投与は通常検体の三倍で」
「―――!」
「も、申し訳ございません!はい、今すぐ始末して死亡を確認します」
「―――」
「有難いお言葉、それでは次回の報告をご期待下さい!」
魔信球から伝わる声は、魔力による疑似振動だ。対象者以外への効果は低く、盗み聞きが出来ない副次効果がある。高価だが、使用者が多い理由の一つだろう。
片方の声だけで内容は全く理解できないが、世間話ではない事は確かだ。隠していた呼吸を、静かに殺す。
「クソ!折角の貴重な被検体だってのに!」
荒々しく扉を開けた男、完全に血が上っている。真っ赤な顔で、空紀に背を向けるように去っていった。片目に顕微鏡が掛かっている、研究者に間違いない。周囲を警戒しながら、男の跡を追った。
扉の向こうに残った生命反応は一先ず置いておく、あんな状態では数分も数十分も変わらない。未練を残し、理性で行動した。
「はっはあああーーー!!!」
「ぎゃああああああ!!?」
「と、止めろおおおーーー!!絶対に止めろおおお!!!」
最高に気分が良かった。殴った相手にお礼を告げたい位に。
豪狼は元来、手や足が反射で飛ぶ性格なのだ。元の世界と違ってルールもよく分からない異世界での暴力には、爪の垢程度だが冷静な頭が本能を制止していた。
つまり我慢していたのだ、怒りや本能を。実に自分らしくないと思っていた。
しかしこの研究所はどうだろう。
聞いた話しでは、異世界人の『勇者』といういなくなっても分からない人間を誘拐し、好きに人権を無視する行為が起きる施設。その場所を守ろうとする人間の人権を尊重する必要は、はたしてどれほどのものか。
ゼロだ。圧倒的皆無。
悪人に慈悲は無し、悪の栄を許すな、人を笑って殴れる奴に一切の温情は無駄。
これだけ単純明快な悪人も珍しい、この好機を逃しては勿体無い。
「来いよ悪人!!正義の鉄槌喰らってけえ!!そしてくたばれやああああああ!!!」
喜々として見張りを殴り回る豪狼を見れば、悪と正義の違いに疑問が出るだろう。その疑問を浮かべる余裕のある人間が居ない事こそ、豪狼が最も感謝すべき点かもしれない。
敵を探す豪狼の視界の狭さが、不思議なそれを見逃した。
ふさふさの茶色い尻尾が、建物の裏に消える。
調子に乗って火を投げ過ぎた。矢背を探す存在にいち早く気付いた白麟に吊らされて、新しい安全地帯捜索の逃亡中だ。完全な闇とはいえ、松明の光に反射しそうな真っ白の馬がまだ奴らの目に入らないのは、運が良いのか白麟の逃げ方が上手いのか。
人間と馬の呼吸音が各一つづつだけになった。角から振り下ろされ、尻を打ちながら安堵する。
また時を待って火を投げなければ、消火の人数が浮くほど仲間の危険度が増すのだ。託された役割は果たさなければ、結果でしか矢背は存在出来ないのだから。
キュウルルルオオオオオオ!!
「ちょ、白麟!静かに、して!」
蹄が砂を蹴る、静かだった白麟が突如せわしなくなった。暴れているが、原因が掴めない。アキが居れば五月蠅い心の一部を掬い、分別して言葉にしてくれただろう。驚いて矢背の声量も上昇した。
呼び戻す程の事態ではないが、ほおっても置けない。落ち着け、観察しろ。
逃亡中は静かだった、逃げているはずなのに散歩でもしている大人しさだった。矢背達がしている事の危険度が分かっているかは不明だが、興奮して走り出した豪狼とその余裕を入れ替えたい位だ。
敵に見つかってはいない、はず。もしそうなら白麟がいの一番に矢背の首根っこを角で持ち、盾のようにして走り出すだろう。もしかして頑なに角で矢背を持っていた理由は盾の代わりか。
ならばこの場所が、落ち着きを乱す要因になる。目に見える範囲で異常は無い、ならば見えない何か。
矢背は尻餅を忘れ、目を閉じた。
アキとは違う、魔法ではない技能。最初の魔法の師ルフェグに目の前で舌打ちされた希少な才能、魔力感知である。異世界に来て矢背が得た新しい感覚器官は、教えた者全員が感心した。矢背は幸運にも魔法士としてのあらゆる才能が備わっており、そのおかげで今も生きている。
感知範囲や精度は人によって異なるらしい、五感を端に追いやり集中した。
地面に着いていた尻が沈む感覚で、体を大きく揺らす。
咄嗟に立ち上がるが、地面に変化は無い。白麟の息は戻って来たが、蹄が地面を削っている。
下だ。この下に何かが居る。
そこから溢れる何かの魔力だけで、矢背は言い知れぬモノを感じた。怖いとも言えるし、凄いとも言える。
白麟とその場を離れながら、矢背は振り返らず小走りになった。
これは、畏敬だ。
絶対と無上の、視ないでは済まない存在が居た。
床の下に続く階段の先、重い魔力が邪魔で外では確認できなかった場所の一つだ。予想していたが、望んでいなかった光景である。
鉄格子が奥まで整列する、牢獄の道。きっとこの通路の最後に待つ者も、途中に転がる者達と変わらない苦痛を味わっただろう。与えられる苦痛の種類も、痛みを感じる心も皆違う。平等なのは希望に触れない、狭く汚れたこの部屋だけ。
視線を男からずらさないよう、空紀は無心になる。一本道となっているこの通路では、身を隠せる場所が無い。灯りを持つ男と、その先にある光が作る闇に存在を沈めた。
あの時と同じだ、空紀はクソ野郎を狩る。その為の手順は知っていた。
「どうだ、経過は?」
「衰弱が予想より酷く、投薬経過が視認では正確に測れません。あと半日は様子を見る必要があるかと」
後に着いて行った男と、その格子の前に居た奴らを合わせて三人。内一人は剣を携えている、が完全に油断しただの灯り持ちだ。魔法による反撃も、灯りが無ければ回避可能だろう。
迷う心はとっくに無かった。心を傾けるに値する人間ならナイフの流れも歪んだかもしれないが、こいつらは人間ではない。
外道は人に在らず、魔物以下の生物に空紀の感情は一時完全に失せた。
「上からの命令だ、こいつは破棄する」
「そんな!やっと捕まえた純血種なのに!?」
格子の向こうに釘付けな二人の背後に立つ武装した男、糸が目の前を二回通っても気付かなかった。魔法を使って一瞬以内に気道を閉じる。声も空気も完全に遮断し、呻き声も許さない。松明を捨てて剣を抜こうと考えられない程、外道の頭はお気楽だった。酸素が回らず、むしろ松明を握る手にばかり力が入る。
「獣共が怪しんでいるらしい、これ以上は計画の不穏分子になり兼ねない。早く〝合成獣〟を完成させろとのお達しだ。まったく!我々の考えも多少理解してほしいものだな!」
「その通りです、主任!」
通話していた男は管理職らしい、ならば少し話してからにしよう。
大袈裟に上司の意見に協調する男の喉を切り裂いた。作った笑顔で最期を迎えるとは、きっと想像すらしていなかっただろう。特に同情はしない、殺意が重なるばかりである。
「え?」
利き腕の脇を斬られ両足の健を切断されるまで、その間抜け面は続いた。
「……あ、ぎゃああああああああああああ!!!?」
口は塞がなかった、地下の防音と他の研究所内の人間の位置を把握していたからだ。気休めに等しい、弔いもあった。
痛みに転げまわる男の背中を膝で固定し、地面に押し付けたまま頬にナイフを這わせる。
「ひいいいいいい!!?だ、誰かああああああ!!」
「質問に答えろ、内容次第では助けてやる」
呻き助けを求める様子を見下ろす。呼吸を三回往復しても変わらないので、耳たぶを片方切り落とした。最大の感知状態を保つ、これで駄目なら指を落とそう。
「はがああああああ!!!?」
「質問に答えろ」
「わか、分かりました!!答えるから助け―――」
「此処は何の研究所だ?」
「魔物!魔物の生態融合が可能か、その実験と材料の作成も!それから、ある生物の調査だ!」
「ある生物?」
「詳しくは知らされていない、本当だ!!死体の一部が送られて!この生体部品に適合する魔物を作れ、と、上から命令されて……!」
確定だ、嘘をついた様子も無い。
あの竜擬きも彩虎獣も、この研究所と同じ上の命令で作られた魔物。竜擬きに襲われた村の近くに見えた不穏な山は、此処と同じ実験をする為の研究所だったのだろう。心配だが、今はどうしようもない。
目的はその謎の生物の創造、そして完全支配か。生物の正体も気になるが、まだ聴く事がある。
「この人達は何だ?」
「じっ実験体だ、全く新しい魔物を作っても、こちらの命令を聞かなければ意味がない。融合に適応する臓器の摘出や移植、試験運用の器にして、成功率を高める目的で集められた!」
「つまり材料か」
「ひいっ!?」
「次、こんな研究所があと幾つある、場所は?」
「け、研究成果を魔信球で報告することは、あるが。その場所や数までは、知らされていない。頼む!止血を、せめて!」
「分かった、あと二つ答えろ。上、って?」
白くなっていた顔が加速し、青ざめた。現状の怯えとは違う、琴線に触れたのが分かる。抵抗が一気に強くなったが、大して苦では無かった。
「それだけ、は……どうか、お、お許しを……!それだけわああ!!」
覚えの有る恐怖だ。地獄で巨大ゴブリンに襲われていた矢背も、こんな顔で死にかけていた。男にとって、この質問への返答は死と同義なのだろう。
ナイフを頬から離す。
「いいだろう、次の質問に答えられたら見逃してやる」
「なん、なんなりと!」
憐れなほど期待を持っている、『風』が男の打算を余さず伝えているというのに。
ナイフが動かない男の利き腕を滑った。
「何人の人間と、何匹の魔物を解剖してきた?」
「へ……?」
「答えられないか」
硬い骨すら貫通して、ナイフが指を斬り飛ばした。
「ぎゃああああああ!!!?」
「何回乞われた助けを無視してきた?」
「はっはがあああ、あああ!!?」
「これも答えられないか」
無事な方の耳を、根元ごと切り落とした。
「ああああああああああああっ!!!?」
「これで本当の最後にしよう」
命を刈るのに大きな鎌は必要ない、刃渡り三十程度のナイフを首にかざした。
終わらせる、手中で命を転がす行為はこの男と同じなのだ。
「殺した人と魔物の数は?」
「あああ!!よん、四十、七です!魔物は二百、五十五!!」
助けを乞う返答、その真偽に『風』を使う事もしなかった。
この研究所に入る前から分かっていた事だ。
「この地下房に居る反応は二十八、無反応が十一地上階の魔物は百以上」
「ああ、あがあああ!?」
「地上階の人間の数は全部ひっくるめて八十超えてるんだよ、クソ野郎」
「た!助けろ!!そこの実験体〇四一!特別扱いしてやっただろう!!?〇二〇!〇二六!!」
鉄格子の向こうに助けを求めている。動かなくさせたのは己だというのに、人間命が危なければ何でもするのだろう。呼ばれた者の反応は無い、聞こえているのかそもそも生きているのか。
その冷たい瞳と視線がかち合った瞬間、憐れみすら常闇に消えた。
「頼む誰かあ!!?助け、たすけてくれえええええええええ―――!!!!!!」
血の噴き出る場所は、ゴブリンと一緒だった。
閲覧有難う御座いました。




