第四十九話
投稿します。
呼吸を放棄してはならない、戦いを捨ててはならない。
アペンサーの剣の師にして、命の恩人の言葉だ。
呼吸は肉体の基礎。場に合わせて繰り返し整えれば、全力を行使する助けとなる。正しく行えば、痛覚や苦痛すら和らげるそうだ。
戦いとは。意見の相違、目的の障害、生活の支柱。理由も種類も違うが、誰もが経験する困難を指す。逃げてもいいし負けてもいい、ただ捨ててはならない。現実逃避は自我の崩壊に他ならないのだと、師は優しくアペンサーに諭した。
「下がれ、私は忙しい」
「……失礼しました」
去る時に言葉を重ねても、この人の不快感が増すだけだと知っている。実際前はインク瓶を投げられた。
最低限を添えて、部屋を出る。
すれ違う召使いが、温度の無い目で一礼し通り過ぎた。古株なのだろう、アペンサーの事情を知っている召使いは半分くらいだ。いつまで経っても慣れない、十年も暮らしていたのに。
清潔な屋敷にアペンサーという子供を連れて来たのは、当時の家長ラノーギル・ダスカン。
ダスカン家前当主であり、軍を引退した騎士だ。
騎士の称号は軍に席を置いていなくても、撤廃されない。故に与える側も慎重になり、希少性が上がっていく。だから当主であり騎士である養祖父の我が儘は、周りを押し退けて叶えられた。
―――寒いだろ、ウチに来るといい―――
積雪の下を墓場にしようとしたアペンサーを見て、暖かい寝床を与えてくれた恩人。その人の願いに答えたいと思うのは、おかしい事ではないはずだ。
家族の対応は当然で、納得こそするが認めてほしい欲求は無くならない。
養父であり現当主の反応もそうだ。
冒険者になれた事で、独り立ち出来る程度の実力は有ると伝われば、見る目が変わると甘い期待を抱いていた。
己を叱咤し切り替える。アペンサーはまだ恩人に、何も返せてはいないのだ。
辿り着いた扉の先には、その我が儘な騎士が居る。扉に拳を三度ぶつけ、入室の許可を得た。開けた先には恩人と、客人が座っていた。
「申し訳ありません、来客の報を知らず!」
「よいよい。所詮爺共の世間話じゃ、むしろ若いもんの乱入を歓迎しよう」
優しい(?)言葉に顔を上げれば、見覚えのある客だった。
「恐縮であります、ヴィローク軍団長」
身の丈に等しい長杖を壁に立て掛けた、腰の曲がった白髪の老人。身に纏うローブは彼以外が触る事さえ許されない、軍を統括するのではなく導く存在。
魔法国家の象徴、魔法士の頂点。
ヴィローク・ヘキサゴンは、魔の道に愛された天才だ。
アペンサーより幼い年の頃、その才能を見初められ戦場に駆り出された。
現在の歴史に残る、最大にして最後の戦〝天空終戦〟。
日々の戦で開き続ける大地の裂け目の中に残った、二国が交わる天空の島。戦場の舞台と定められるのは、必然だった。
まだ新人魔法軍人だったヴィロークは、その戦で大きな戦果を挙げ今の地位に昇格。軍団長とは彼の功績に合わせて作られた、彼の為の地位。
総統は軍を纏め軍師長と対をなすが、軍団長は両方に浅く広く干渉し国の一助となる。
魔法の追及を誰よりも先行し、多くの望む者達を教え導く。才は勿論、経歴と功績を尊敬する弟子志願者は後を絶たない。
そんな功労者は、偶にアペンサーの養祖父に会いに来る。友人らしい。年は養祖父の方が二十は下だが、二人の間にそんな考慮が介在する余地は無かった。
「今日はどうしたんだ?アペンサー」
「はい、遅ればせながら。〝ジョクラトル〟に正式入会を果たした旨、お伝えに参りました!」
「おお!そうか!それは私も鼻が高い!家の奴らも軍入隊を反対した事、後悔するだろう」
「あ、いえ……。当主には先程報告しましたが、特にお言葉は貰えませんでした」
「なんと……全く。何時まで経っても頭が固い、誰に似たものか!」
「若い頃の主そっくりだのぉ、ラノーギルや」
勧められ拒否出来ぬまま椅子に座る。左右では恩人とその友人が、割って入れない会話を投げ合っていた。
「貴殿はその調子だから、生徒に逃げられるのだ。直ぐに年の功を振りかざす」
「こればっかりは、どんな騎士でも儂に劣るのぉ。重ねる度に下を見ているが……何とも座りが悪い」
「よく言うわ!そこから動かず何十年後進を追い払っている?気に入ったものは梃子でも譲らん、子供はどちらやら」
「うぉっほっほっ!何時までも若き己を失わない、長生きの秘訣じゃな!お主の速い引退はその老成した思考ではないか?頼まれ事が増えていかん」
「面倒事から逃げたい理由に儂を使うな!貴殿の濁した跡を拭う役目を押し付けられた事、隠居の理由なんてそれだけだ!」
「お陰で生徒がよく主の引退を嘆いておる。どうじゃ、可愛い後輩の苦労を想って、研究所の嘱託顧問になるのは?」
「二度と貴殿の尻拭いはやらん!」
互いの言葉には、一片の侮辱も無い。豪速でも屈折していても、投げられた言葉の意味を双方がすんなり受け取っている。
楽しく面白く、しかしなにより楽なのだろう。
元騎士でも現軍団長でもなく、ただ友との会話が。二人の地位と血筋を思えば、アペンサーも嬉しくなる。
二人はなるべくして共にいるのだ。
誰にも邪魔は出来ない。
「そういえば、アペンサー君は例の死刑囚脱走の件を知っているかな?」
疑問が鼓膜を通る衝撃で、回路が停止し掛けた。思考は普段通りを意識して、無難を搾り出す。
下手な嘘は逆に怖い。
「え、と。はい。確か王族暗殺未遂で捕らえられた死刑囚が、その、軍の包囲を破って脱走したと……」
軍の名家として、あまり軍の失態を断言したくない。そう匂わせる言い方に組み換えた。
アペンサーの苦渋の返答に、軍団長からの特別な反応はない。まるで孫を見るような目で、浅く頷いた。
「うむ。目立った協力者は一人だったそうじゃが、それでもあのダスィラノ坊の追撃を、難無く凌いで逃げ切った。犯罪者ながら見事な手腕じゃ」
「聞いたぞ、軍からの協力要請を断って学校に行っていたそうだな。王族に睨まれても知らんぞ」
「先約が有ると言っただけじゃ。それにあの第一王子の小僧は、どうも石臭い」
「老いた鼻でよく言うわ」
ダスィラノ軍総統は養祖父の息子でアペンサーには養父の弟、つまり義理の叔父にあたる。
突然家族だと言う養祖父の言葉に苦言を呈さず、アペンサーを本当の甥っ子のように接してくれている。武勲の弟智略の兄、ダスカン家の現名声を一手に担う兄弟だ。
軍団長の言う石が華美な装飾品の類と分かっているので、アペンサーは無言を貫いた。
「……何故それを自分に?」
「深い意味は無い。唯の世間話じゃよ」
ある意味では弟子にと志願するどの軍人より、ヴィローク・ヘキサゴンを知っている。
彼の人は天才で、寛容で、強者で、好意的で、自己中心思考を持った生粋の魔法士だ。
興味が欠片でも有れば何も譲らない、子供と称する養祖父の気持ちが良く分かった。
最近の話では、実験に必要だと言って特定の薬草取引全てに介入。他の街への出荷の遅れや、関係中小商会の受けた衝撃は大きい。
寒冷期に入れば殆どの草木が枯れる〝ヴァストラージ〟は、野菜を含め薬草の消費に対して供給が追い付いていない。特に薬草は剣を持つ者全ての命に係わる。金に物を言わせる軍もだが、冒険者や民間の店舗は謂れ無い罵倒の的となっていた。
魔物やあらゆる危険から、己を守る術の無い人の嘆きは正しい。しかしあからさまな危険を犯して、他人の為に身を差し出せる者は少ないのだ。
それは尊い行為であり、狂人の心中に他ならない。
そしてそんな足元のごたごたを、軍団長は一切気にも留めなかった。目に掛けている生徒の制止すら、彼の好奇心を止める壁とはならなかったそうだ。引退した養祖父にまで話が来たほどである。
不機嫌そうに行ってみれば、もう満足して残った薬草を放り投げていた。養祖父は急ぎ格安で魔法薬製造に関わる商会へ転売、魔物による被害の増加は少しづつ落ち着いている。
その為人を知っていれば、言葉の端々に意味を疑う事は大げさではないはずだ。
柔らかい瞳の色に潜る、欲望の種。正しく若い頃から不変の欲求が、軍団長の寿命を延ばしているのかもしれない。
命の法則を歪める強欲は、人間の可能性とも取れる。
出された茶が冷めているという些事は、友人との会話の終わりを妨げはしないらしい。
「楽しかった、また来よう」
「仕事を終わらせてからにしてもらおう。アペンサー」
「あぁ、見送りはいい。それでは、また会おう」
名を呼ばれて腰を半端に浮かせたまま、お客人を扉まで見送った。本当に見ていただけだ。
声にするのを抑えた溜息が聞こえて、腰が椅子に戻る。現当主にも遠慮しない元当主の調子をここまで崩せるのは、良くも悪くも軍団長だけだろう。
「お疲れですか、お爺様」
現在を通り過ぎ、養祖父の目は違う時間軸に移動していた。過去か未来か、独り言の中にそれを探す。
「…………あれは大半の事をどうでもいいと言うが、決して情を理解出来ない訳ではない」
「はい、存じています。私も軍団長はなるべくして上に立っているお方だと、心底理解しております」
「お前は本当に誠実直な男よな。他人の長所を口に出来る者は他人に好かれる、あ奴は自分の長所しか理解しようとせんが……」
「その評価も、全てはお爺様の指導あっての事。だからこそお爺様の友を、心から尊敬しております」
「全く……私の孫は皆、私の老いた耳を清潔にする」
照れて耳を掻く仕草に、少し落ちた機嫌が直ったと感じた。茶器の中身を一気に飲み干し、騎士の気迫を言葉に込める。
「逃した死刑囚だが、王女様がいたく執心している」
「は……暗殺されかけたのなら、特段可笑しくは無いかと」
「……そうだな……」
数分の雑談、久し振りの会話を楽しんでアペンサーは家を出る。
軍家の名門に名を連ねる者として、実力も経験も足りないのだ。地力を磨く手段に、冒険者は悪くないはず。正解か確かめる事は出来ないが、信じて進むと腹を括った。
「アペンサーちゃん!これ!受付に置いてあって……!?」
下宿先兼第二働き先の宿〝春の貴婦人〟に戻ると、何時も笑顔の女将が見覚えのある板を片手に、青い顔でアペンサーに駆け寄った。
【教会に呼ばれました お世話になりました ごめんなさい】
呼吸の継続が一時困難になる。
唐突に世界が一人分になったような、過去との戦いを決意した心が幻想を見せた。
現実は人の事情なんて知らないのだ。
閲覧有難う御座いました。




