第四十二話
新章です、これまでとは違う構成で投稿します。宜しくお願いします。
湯気が昇る赤いスープは、獲れ立ての猪肉がゴロリと入った贅沢品だ。
右前に座る凄腕狩人のおかげで増えた具材とスープを掬い、熱を吹いて冷ます。涎溢れる口中に触れた味の深さで、掬う速度が倍を超えた。
歩き通しで疲労した全身に染み入り、驚くような量の活力となる。変な薬でも入っているんじゃないかと、勘ぐってしまうほどだ。
美味い食事が在れば、それだけで笑顔になる。
生まれ育った世界では、そんな事考えたことも無かった。
当たり前の平和、当たり前の衣食住を疑う者はいない。そんな当然を成り立たせる事がどれだけ大変か、知っているつもりで何一つ理解していなかった。
大鍋から二杯目をよそって、新鮮な肉の旨味を噛み締める。
誰かの手がなければ生きていけないのだと、あの時矢背は実感した。一人になった時の己の無力感は、地獄で味わった絶望に並ぶ。
そうならない様に、微力を尽くそうと。
共に鍋を囲う二人を見た。
「だからよく噛んで食べろ、一人で鍋三杯目とかコスパ可笑しいだろ!」
「一口毎に二十五回噛んでるんだよ俺は!文句あんならテメエの分はテメエで作れや!精々塩焼きくらいしか出来ねえだろうがな!」
「分かった、なら材料も各自調達制にしよう。猪に吹っ飛ばされて手足六回折った豪狼は、調味料所有者の私に何か言う事あるんじゃない?」
「考え直さないか?」
「考え直して下さい」
魔法を使用する度猪を粉微塵にする矢背は、豪狼と同時にアキのご機嫌を取った。
これ程打ち解けられた経緯を、今更ながら振り返る。
首都外壁頂点部に居る魔法士へ向けて、〝爆炎魔法〟を放った。
正確には同属性に当たる火の魔力に反応して動くよう、魔法を操作して放ったのだ。ずっと難問だった魔法の命中率は、自分の中で大きなしこりとなっていた。
孤独に膝を折り打ちひしがれていた矢背を、偶然目にしたのがある魔法士だ。その魔法士の助けであらゆる問題が解決した。命中率もその一つ。
「ここまで複雑な魔法式では、放るだけでも厄介よのう。安心しなさい、お主の運動能力の低さだけが原因ではないよ」
普通に運痴(運動音痴)って言われてショックだった。
運動能力が問題なら他の部分で補えばいいと、その魔法士は矢背の有り余る魔力に目を付ける。魔法を構築・顕現・形成・操作の基礎動作に加え、目標指定の魔法式作成が始まった。
本来魔法には構築式のみが存在し、顕現を人間が実現させるまで多くの時を要したという。構築はイコールで行使を意味していた一部の魔物や才能持ちばかりが、過去国を操っていたそうだ。
何百年と掛けて凡人科学者集団が完成させた顕現の魔法式は、魔法国家の建設を決定付けた。
つまり式の作成自体は無謀ではない、困難なだけだ。
弟子を何人も受け持つ魔法士の指導は適切だった。決して答えを口にせず、知識の偉大さと自身の発想力の成長を促す。
あまりに熱心な指導に申し訳なく思った。実際一人の弟子が嫉妬して突っかかって来たが、魔法士先生より判り易い行動に安心した位だ。
しかし期待され手塩に掛けられれば、調子にも乗ってしまう。睡眠や食事も程々に、式の作成に全力を費やした。自主的に勉強を続ける姿に関心を与えたのか、式完成間近にもなれば弟子の態度は軟化していた。
式が完成した瞬間、弟子も大いに喜んだ。
タイミングを逃してしまう程、魔法士先生と喜んでくれた。
まだ同属性の魔力同士でしか反応はないが、研究を進めれば必ず期待通りの結果を出せるだろう。魔法士先生の他の弟子達の前で披露した時、その予想は確信になった。
手を握り矢背を褒め称えながらも、次の研究に視点を作る魔法研究者達。何処か自慢げな魔法士先生と仲良くなった弟子は、意気揚々とその輪に入って行く。
達成感とせめぎ合う、罪悪感が心臓を絞めつけた。
徹頭徹尾自分の為の研究だと、喜びで目を輝かせる研究者達に告げられなかった。途端に居心地の良い場所が奪われた感覚。
その日の夜、彼女が窓から現れた。
研究に夢中だった矢背は、あの意地悪な豪狼が大罪人として処刑されようとしている事を知らなかった。
冤罪とはいえ処刑まで時間は無く、助けたいと思う確固な理由も無い。
助けると明言したアキに、心の奥で仕舞っていた気持ちが噴出した。
言葉に直せない気持ちは、馬鹿みたいに「なんで」を繰り返す。
そしてアキは理由を言わず、去って行った。
豪狼が処刑されるまで後一日未満。腹の虫が訴えるまで、茫然とした矢背。
手掴みで食べられる物を備蓄している研究室は、使用者の大半が食を疎かにしている経験から用意されている。
硬いパンをゆっくり噛みながら、胸中の喪失感が無視出来ない範囲にまで広がっている事を直視した。
これからも此処で研究していけばいいと、自身を宥める。自分にはその才能が有るのだと、言ってくれる人達が居るこの場所に。
足は自然と魔法士先生の部屋へ向かったが、本人は学校へ指導に行っていた。無断で部屋に入ってしまった事実で扉に急く足は、ある物を見つけて動きを変える。
閉じられた本の隙間から見える紙には、矢背の開発した魔法式の一部が書かれていた。抜き取ると、その魔法式は全く違った全体像を見せたのだ。
矢背を拾った魔法士は、ずっと前から目標指定式を完成させていた。
しかも同属性に留まらないソレは、魔力の消費量に目を瞑れば殆ど欠点の無い、正に矢背の魔法式の上位型。
紙と執筆跡に年代を感じる、年に近い時間が経過しているのだろう。魔法士先生は知っていた答えに、矢背を誘導していただけだった。
足元に穴が開く。墜ちていく我が身を助ける者は、今度こそ居なくなった。
矢背が此処に居る必要性など無かったのだ。
紙を投げ捨て、弾かれたように支度する。
置手紙には拾ってくれた感謝と、突然の行動の謝罪。悩んだ末口煩かった弟子にも、短く文章を書き残した。
研究費用にと貰った資金と僅かな本、少ない私物を抱え研究所をとび出す。昼過ぎの時刻学生は学業で不在、根っからの研究者も夜型が多いので大半が夢の中だ。
日差しが差す時間帯の外出を止められる者はいなかった。
トラウマに似たデジャヴが脳裏を過ぎり、矢背は奥歯を軋ませる。
世界の境界に阻まれない過去を振り払い、資金の全てを必要だと思った物に投資した。服は最小限で保存食は勿論、役に立ちそうな魔法道具を購入して、首都の門を潜る。
数分進んでから処刑の時間を知らない事に気付き、結局外で夜を明かした。首都に近いとはいえ魔物が跋扈する世界。
援護がギリギリになったのは、単純に寝坊である。
上から降って来たアキと肩に担がれた豪狼は、知っていたかのように矢背目掛けて走って来た。
魔法を繰り出そうとする壁の魔法士に再度、矢背が作った式が組み込まれた魔法をぶつける。ヴァストラージの魔法士は水の適性が高いが、基本北国なので水を撒くと凍るのだ。
特に融合魔法なんて使った日には、道も家屋も凍り暴動の狼煙となるだろう。攻撃魔法の基本が火属性なのはそれが理由だ。首都内からの攻撃でなければまた違ったかもしれないが、合理性が矢背を味方した。
伝えていない再会に言葉を選ぶ矢背を、反対の肩に担いでロデオ逃走が始まった。
室内型の矢背にはかなりの重労働だ、魔法百連発の方がまだ楽だろう。遠慮のない上下の揺れは、腹に埋まった肩を凶器にした。
降ろされ、もとい落とされてからも暫く吐き気と平衡感覚の欠如に、脳みその無傷を疑う始末。
一国から無事逃げ切った喜びは、収まってきた気持ち悪さの後に残らなかった。
「立てるなら行くよ。振り切りはしたけど、休むなら安全な場所を確保したい」
どう考えても一番お疲れな異性に言われては、無理です休ませてとは言えない。
矢背の速度に合わせての徒歩移動だが、それでも遅れそうな程豪狼の足元もふらついていた。整備された道は人眼につく、状況を鑑みれば獣道通行は当然である。利用者の体力は一切考慮されないが。
研究所では気付かなかった、少し髪が伸びた背中を追って何も考えない様に歩く。単純行動以外の思考に力を使えば、直ぐにへばってしまうだろう。
何も考えないというのは、矢背の心境にゆとりをもたらした。
きっと豪狼の心も、整理の時間を得て少しは落ち着いたと思う。
太陽が地上と直角に近い位置まで昇った頃、何度目かの停止で進む方向が変わる。暫くすると、口の大きい石の洞窟が見えた。
念の為肉眼でアキが内部を確認しに入り、戻ってくれば指の形が丸を表している。
魔法鞄から取り出した敷き布に、限界だった男二人が横たわった。地面の凹凸に少々腰を当てたが、一瞬で忘れる疲労感。
そして入って来た洞窟の穴から漏れる日差しを最後に、矢背の意識は完全に途絶えた。
鼓膜をつつく反響音に、瞼がかっ開く。熟睡中にも若さは仕事をしてくれたらしい。節々はまだ痛むが、ほぼ全快と言える状態になった。
天井は未加工の岩の壁ではなく、星が瞬く夜の空。
「起きた?これ食べる?」
恩人に差し出されたのは見たことの無い果物だ。迷彩色のソレは完熟していないだけなのか、そういう果物なのか。食べてみるのが手っ取り早い。
恐る恐る齧ると、香っていた酸味を跳ね除ける圧倒的甘味。瑞々しさと爽やかさは桃に近い。夢中で種とへた部分を綺麗に残して食べきった、ご馳走様。
一息つくと就寝場所にしていた洞窟内から、矢背を覚醒させた音がまた響く。熱いお茶を出され、礼を言って受け取った。果物の礼も告げれば、目を細めて返される。
火傷に気を付けて嚥下すれば、アキが何も思っていない目で洞窟を見ていた。
「先に豪狼が起きて、今中で暴れてる。矢背は起きなかったから勝手に担いで一緒に避難した、ごめん」
「え!?いやいや、あの、いいえ!えっと、暴れてる、ていうのは?」
「捕まってからさっきまで、首輪されたり身を隠したりで感情発散させられなかったから。捌け口が欲しいんでしょ」
音は確かに、耳をすませば声に変換出来る。単語も聞き取れない反響の強さで、寝起きのテンションが維持されている矢背は立ち上がった。
洞窟へ向かう矢背を、アキは止めない。
彼女の魔法があれば近付く必要は皆無で、どちらの行動も邪魔する権利は無い。
ただ焚火の光に照らされる彼女の顔は、寂しそうに見えた。
気絶するように寝たのでちゃんと把握していなかったが、この洞窟奥が深い。微かな下り坂で月明りが途切れた所から、自慢の爆球で闇を消した。
研究と自身の好奇心で繰り返された魔法は、攻撃以外の用途を可能にしている。少しでも何かに触れると爆発するので、扱いには注意が必要だ。
反響した声より速く、肉声が届くようになった。
「―――く―――くそ、クソクソクソくそくそくそ、がああああああああああああ――――――!!!」
獣が命を削って、心の全てを晒していた。
叫びが己すら傷つけて、耐えられない痛みにまた叫ぶ。
岩が所々へこみ崩れている。飛散した血肉に、一体どれだけ拳を壊したか分からなかった。
囚人になる前から着ていた服は、もう布切れと大差ない。旅の時に着ていた物とは違うそれは、彼の首都での思い出ある品だったろう。ゴミとなった事は、幸いなのか不幸なのか。
地団駄に耐えられない石屑が、周囲に散らばっている。罅が入る程強くない力は、獣―豪狼の苛立ちを煽るだけだ。
人はこれほどまで、感情を露わに出来るのか。
自分にはこれほどの、溢れ出る心があるのだろうか。
「あのアマぜってえええぶん殴る!!面覚えてんぞ!鼻につく奴らばっかか貴族とか王族とかはよおおお!!?俺があのまま無抵抗だったと思ってんならふざけんな!!余裕だわ!!!あんな鉄の輪ぶっ壊して柵けやぶってすました顔面一つづつ血だらけにしてたからな!!あわれむなうっとうしい!!この……クソクソくそくそくそっ!!!助けなんざ無くたってオレが暴れりゃ終わんだ!!あの不機嫌鎧男なんてマウント一発ケーオーじゃ!!!金にへつらうクソばっかかこの世界の連中は!!?なんでだよ!!?弱けりゃ死んで当然か!!?はっ!!知ってるし!!オレより弱いクソ野郎はもれなくオレにぶっ殺されるのを首洗ってろボケェ!!夜這い変態野郎は時間かけて殴る殺してコロス!!変態に味方したクソクソ野郎共は蹴るコロス殺す殺す!!!シャバに出られねえ面に変えるぞクソ野郎がああああああ!!!死んだら感謝するのか!!?墓に土下座しようがド頭踏もうが殺すからなあ!!好きに殴った蹴った分返してからコロし方考えてやるぞ!!!アマは殺してくれって言うまでぶち犯したらあ死んでも御免だわ!!クソが!!あんなクソ溜まり念入りに踏みつぶし殺したらああああああ!!!」
延々と関係無い事にまで怒りを投げて、喉が擦れようとお構いなし。発散の勢いは収まる様子を見せず、岩を汚す血肉だけが増えていった。
同情し憐れんだ。あれだけ嫌いだった奴を可哀そうと言うのだから、ちょろいと思う。
矢背は二次元の世界に共感はしなかったが、実体験するとあっさり心変わりする単純な奴、だったらしい。異世界で新たな自分の一面を知るのは、何とも面映ゆいものだ。
足音に気を付けて、その場を去った。掛ける言葉が作れなかった。
あの激情は吐き切らなければ、豪狼を本当の獣にしてしまうと、そう思ったのだ。
閲覧有難う御座いました。




