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「告発されねえと知って里佳子はどう言った?」
「兄の死の真相を知ったいま、母や祖父とは暮らせない。かねてからオファーがあったCDCに行こうと思う、彼女はそう言っていた」
「呑気にテレビ局勤めかよ」
それはCBCだ。
「CDCはアメリカ疾病予防管理センターの略称だ。あそこなら里佳子の持つ感染制御認定臨床微生物検査技師の資格も生かせることだろう。苦労はするだろうがな」
「英語が話せねえとか?」
「論文を英語で発表するくらいだから語学力には問題ない。里佳子は妊娠しているんだ。庄司の子どもだと言っていた」
「げっ!」
異母もしくは異父の場合に限って兄弟姉妹婚を認めている国もあるが、メンデルの法則に照らせば医学的劣勢児の生まれる確率はやはり高まり、それが非嫡出子ともなれば里佳子を待つ未来が決して安穏なものでないことは容易に想像がつく。
「庄司は、死ぬ直前、里佳子に電話を掛けていた。一言、ごめん、と言って切れたそうだ」
「そうか……」
裏返った声で相槌を打つ父は涙目になっていた。
夜が白む頃に帰ってきた父は、息子に聞かせるべきでない部分をぼかし、事件のあらましを語ってくれる。そんな配慮に僕は、詳細を根ほり葉ほり訊ねない分別で応える。その気になれば後でいくらでも覗き見ることができる。
「同期入社のメカニックが、随分と差がついちゃったもんだね」
「まったくだ。メカニック失格の烙印を押された矢貫が営業本部長で、いまや平取締にもなろうってんだからな。営業への異動を言い渡された時のあいつ落ち込み用ったらなかったんだぞ。てっきり辞めちまうもんだとばかり思ってたが、よもやこんな大それた計画を立てていたとは――」父はあっさり敗北を認めた。負けず嫌いの彼にしては珍しいことだ。「俺はあいつを誤解してた。役員どもの小間使いと陰口を叩かれながら機が熟すのを待ってたんだから大した男だよ」
「だけど平取締じゃあ役員の末席だろう? いまの専務がいなくなったところで――」
「他から邪魔がはいることもあるんじゃねえか、そう言いたいんだな? そのために矢貫レポートがある」
父は先回りをしてそう答えるとにやりと笑った。
「なにそれ」
「順当にいけば次の専務は現常務の伊藤さんがなる。伊能ホールディングスからの出向で人畜無害なひとだしこれは問題ない。次期常務となる予定の上田経理部長は難物だが、矢貫は交渉材料を持っている」
「交渉材料?」
「奴が労務管理を担当してた頃、西村の命令で労災認定を渋りまくっていた。脇原たちがやったようなパワハラで心身症を病んで辞めていったのがいたのにも関わらずだ。矢貫はそういった連中の診断書の写しを持っている」
「連中……って、そんなに多いのかい?」
「営業ってのは売れば王様、売らなきゃ家畜以下の扱いだからな。井ノ口サンライズにはノルマ未達者が営業所の戸締りをして帰るって不文律がある。定時に営業所に戻るとしよう。眼の前には『親が死のうとノルマは果たせ』ってな顔で所長がデンと構えてる。しからば、と来店者名簿に電話をかけたところで、そうそう車なんか売れるもんじゃねえ。まさしく針の蓆だよ。この時点で精神のバランスが危うくなって辞めて行く連中も少なくない。だが、そこで我慢しちまうのがもっといけねえ。酷いのになると誰もいねえショールームで見えない客相手にセールスしてたのもいたからな」
「ブラック企業の走りみたいなもんじゃないか」
「なんだそれ」
「あ、いや、気にしないで」
この時代、まだブラック企業は世間に認知されてなかった。
「サービスと総務の両部長は外注先から利益供与を受けていた。本人が書いた領収証が矢貫の手元にあるそうだ」
「その矢貫レポートがあれば、ちょっとしたクーデターが起こせそうだね」
「まあな。だけど矢貫にしてみりゃあ、そんなものが陽の目を見ることなく、無事労組設立がなることを望んでいるはずだ。ちょっとやそっとの努力でなれるポジションじゃないからな、営業本部長ってのは。あいつは――」
この後、父が語った矢貫氏の立身出世物語も非常に興味深いものではあったが、ストーリーに何某かの影響を及ぼすものでないため、ここでは省いておく。父は、少し眠らせろと言うとそのまま横になって高鼾をかきはじめた。




