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「コンニチワ、ドナタデスカ?」
買い物から帰った僕を出迎えてくれたのは、黒髪の外国人女性だった。Tシャツにジーンズというラフなスタイルだが均整のとれた肢体にとてもよく似合っている。ややエラが張り君だが、きりりとした眉と大きな瞳はオドレイ・トトゥに似てなくもない。
「あっ、えっと……ここの息子です」
「ムスコ? ワカラナイ」
外国人の年齢はわかりにくいが明らかに僕より若い。きっと、この女性がソフィーなのだろう。彼女は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「誰だ?」
奥から父の声がした。
「ムスーコ、ヨセフ、オイデ」
飼い犬を呼ぶような口ぶりが僕に失笑を誘った。
「なんだ、タクか」
やってきた父の言葉にソフィーが反応する。
「タク? エイスブトスフィ」
「ウイ」
「あはは、ウイだって」
父のフランス語に僕はまた笑ってしまった。
「なにがおかしいんだ、この野郎。まあいい、ご苦労だったな。上がれ」
「タークー、ソフィーデス。ヨロシクネ」
こちらこそ、と会釈しようとする僕にソフィーがハグをしてくる。若いフランス人女性のハグと頬ずりは生まれて初めての経験だった。
自炊ができるといってもそこは所詮、男。僕の買い物は安売りの冷凍食品が殆どだ。それを冷蔵庫に仕舞い込んでいると父が近づいてきて言った。
「タク、おまえ真梨子んちには最近、いつ寄った?」
「正月……くらいかな。関西に戻る前には顔を出してくよ」
「だったら、これから行け」
「なんだよ、いきなり」
「母親に半年も顔を見せねえたあ、どういう了見だ」
「仕事だって忙しかったし、例の事故だってあったから……知ってるだろう」
「それとこれとは話が別だ! これからすぐに顔を出して来い」
「夕飯の材料も仕入れてきたから明日にするよ。そうだ、ちょうど良かった。お客さんもいることだし冷しゃぶにしようか。きれいな子だね」
「げへへ、そうだろう? いやいや、そうじゃなくってだな……」
父は居間のほうをちらちら見遣っている。
「なんなんだよ、いったい」
「ちょっと来い」
父は僕の腕をむんずと掴んで裏口に向かう。まだ片付けてない冷凍ピザを手に持ったまま、僕は裏庭に引っ張り出されていた。
「あのな。俺は、今夜はフランス語の特訓なんだ」
「へえ、じゃあ笑わないように見ているよ」
「いいや、おまえは絶対に笑う」
勿論、そのつもりだった。
「だったら邪魔にならないよう、ばあちゃんのハナレにでも行ってようか?」
「鈍い野郎だな、おまえも――。ソフィーは声がデケえんだよ、まあ、そうさせてんのは俺なんだが」
「はあ?」
一瞬、なんのことだからわからなかったが、父のにやけた顔が僕にその意味を理解させた。
このエロオヤジめ! 「帰ればいいんだろう、帰れば。わかったよ」
「すまん、助かる」
なんだ、その嬉しそうな顔は――だが不思議と腹は立たなかった。
お母さんが甘すぎるからあの男は増長するのよ! いつか妹の恵は母に言った。それだけだろうか? いや、父には『次は何をしでかすのだろう』という期待を抱かせずにいられない何かがある。だからこそ母は三度目の浮気まで耐え忍んだのではないだろうか。
都市高速で母のところへ向かおうとしていた僕は、料金所の手前で車を停めていた。涙で視界が滲んで運転できなくなっていたのだ。
遠くまで車を走らすことの多かった幸とのデートで、助手席にはいつも彼女の姿があり、それが当然のように思っていた。それがいまは――。
誰もいないはずのシートで幸が小さなくしゃみをする。なにかを自慢げに語った後、手の甲で鼻の下をこする。僕が買ってきたクルミパンを美味しそうに頬張る。思い出されるのは些細なことばかりだが、どの場面も愛おしくて堪らない。互いが互いのためにだけ存在することを言葉で、身体で、幾度も確認し合った。死がさほど深刻なものではないことを知ったいまも、不意にこみ上げてくる〝幸のいない瞬間〟に、僕が慣れることはなかった。




