05 ヘレナの主張
部屋に入ってきたジークヴァルトの顔は見ものだった。
彼は大きく目を見開き、とても驚いた様子だった。
「ジークヴァルト様!」
ヘレナはそんなジークヴァルトに、せっかくかけてあげたガウンを脱ぎ捨て飛びついた。
「お待ちしておりましたわ! 私こそコルネリウス伯爵家の一人娘ヘレナです。本当は私がジークヴァルト様と結婚するはずでしたのに、この行き遅れが無理やり……」
そう言って私を指さしてさめざめと泣く。
こちらはあまりのことに言葉が出なかった。
いやいやお前が、辺境なんて行きたくないとわがままを言ったんだろう。私を養子にしてまで娘の願いをかなえた親の方もどうかと思うが、それでも既に結婚式まで済んでいる。
既に契約書に調印し、一人ではあったが聖職者の前で誓いの言葉を述べた。大勢の招待客の前で晩餐会を催し、お披露目までしたのだ。
これで実は間違いでしたなんて、できるわけがない。どれだけたくさんの人の迷惑になるか。
それでもこの娘は、ただジークヴァルトの顔が気に入ったというそれだけで、こんな言葉を吐いている。
私を悪役にして、自分が願えばなんでもかなえられるだろうと思っている。
さすがに腹が立たないでもなかったが、ジークヴァルトの反応を見守るため私は黙っていた。彼がまともな貴族であれば、何を馬鹿なとヘレナの訴えを退けるはずだ。
だがもし彼がヘレナを気に入ったり、若い方がいいと思ったり、コルネリウス家の本当の娘を娶った方がいいかと思う人なら、私はすぐにでも出て行こうと思った。
もともと離縁される覚悟で来たので、傷は浅い。
女一人家を出るのは無謀かもしれないが、そこは辺境。魔族に関する仕事なら探せばあるだろう。その仕事をしつつ、アクセサリー作りを続けられたらありがたい。
目の前の成り行きを見つめつつ、手持無沙汰で思わず手に付けたネックレスを握った。
赤い石のついたネックレスは、私を勇気づけるようにじんわりと温かくなった気がした。ただのクズ魔石にそんな力はないから、きっと錯覚だろうが。
それでも頼りない恰好で一人立っている私には、その温もりが心強かった。
そして目の前のジークヴァルトの反応は、何とも意外なものだった。
「あー、ちょっと待ってくれ」
そう言うと、彼はヘレナから逃げるように部屋を出た。
残された私たちは呆気の取られる。
私よりもよほど驚いているのか、しばらくヘレナは引きはがされた体勢のまま無言で立ち尽くしていた。
こちらから声をかけるのもためらわれ、ヘレナの背中と閉じてしまった扉を交互に見る。
ジークヴァルトはまだ扉の向こうにいるのだろうか。
この状態のヘレナと二人きりにされるのは遠慮したかった。
私はため息をついて、彼女が脱ぎ捨てたガウンを回収し、自分で羽織る。
寒かろうとせっかくかけてあげたのに、もう彼女に情けをかけるのも馬鹿らしい。
それから寝台に座ると、なんだか眠くなってきた。今日は朝早くから本当に大変だったのだ。初夜がなしになったのなら、今すぐにでも寝てしまいたい。
そう思ってうつらうつらしていたら、ようやくヘレナがこちらを振り向いた。
暗くてよくわからないが、その顔は陰鬱そうである。
「あんたでしょ?」
「はい?」
何のことか分からないが、とりあえずまだ眠れないことだけは分かった。
「あんたがジークヴァルト様に私の悪口を吹き込んだんでしょう!? そうじゃなきゃ、あの方が私を無視するはずない!」
「吹き込むってそんな……あの方とはほとんど言葉すら交わしてませんよ。晩餐会でご覧になりませんでしたか?」
ジークヴァルトは晩餐会の間も、招待客の相手に追われていて本当にそれどころではなかったのだ。
悪口どころか、私からは挨拶ぐらいしかできていないかもしれない。
晩餐会の間じっとこちらを見ていたヘレナなら、誰よりもそのことをよく知っていると思うのだが。
だが私の言葉に納得できないのか、彼女は暗い表情のままこちらに近づいてきた。
「嘘! きっと後ろに下がった後になにか言いつけたんだわ。そうじゃなきゃこんな……こんなはずは……!」
どうやらよほど受け入れ難いようで、ヘレナは自分の髪をぐしゃぐしゃにかき乱し始める。
今まで甘やかされてきたので、挫折に慣れていないのかもしれない。彼女の言動がどんどん危うくなっているような気がして、眠気が覚める。
罵倒されるだけで済むならいいが、もし彼女がこちらに危害を加えようとしたら厄介だ。
扉は彼女の背にあり、ここからでは逃げることも容易ではない。
「どうしてあんたなの!? あの方には私の方がふさわしい! ふさわしいのよ!」
いよいよヘレナの言動が常軌を逸し始める。
今まで生意気を言う娘ではあったが、ここまで様子がおかしいところを見るのは初めてだ。
彼女がこちらに近づいてくるのが恐ろしく感じられ、どうにか隙を見てその横をすり抜けられないだろうかと考える。
別に殺されるとまでは思わないが、噛みつかれたり引っ掛かれたりするのだってごめんこうむりたい。
恐る恐る立ち上がり、彼女と対峙する。
「わ、わかってるわ。ヘレナが代わりたいなら、こんなことしないで正式にやり直しをお願いしないと。主教様はまだこちらに滞在されているはずだから、お願いして明日には――」
なんとか落ち着かせようと言葉を紡いでいると、先ほど閉じた扉がノックもなく開かれた。
「それは困るな」
聞こえていたのか、入ってきたのはジークヴァルトだった。その後ろにはすっかり狼狽した様子の伯父夫婦の顔が見える。
「ヘレナ! こんな格好でなにをしている!」
伯父がずかずかと入り込み、ヘレナの腕を掴む。
これにはヘレナも驚いたようで、先ほどの剣呑な空気は一瞬で霧散した。
「お、お父様!?」
「シュトラウス伯の初夜を邪魔するなど! 我が領との友好に亀裂が入ったらどうするつもりだ!」
「だって、だって!」
今まで父親に怒られたことがないのか、ヘレナはすっかり狼狽した様子だった。それをとりなそうと、伯母がヘレナの肩を抱く。
「落ち着いて。さあお部屋に戻りましょう。こんなに冷えてかわいそうに……」
どちらかと言えば私の方がかわいそうじゃないかと思いつつ、黙ってそのやり取りを見守る。
ヘレナをここから連れ出してくれるなら願ってもないことだ。
「閣下。どうか娘の不出来をお許し願いたい。私に二心はなく、ただただこれの暴走でして」
「気になさる必要はない。辺境ではよくあることだ。今夜お眠りになられたら、きっと今夜のことは忘れてしまうだろう」
つまり、こっちも忘れるからなかったことにしよう。きっとジークヴァルトはそう言いたいのだ。
それが分かったのか、伯父の顔が引き締まる。
そして伯父夫妻は暴れる娘を連れて、逃げるように寝室から去っていった。
ヘレナが来た時には伯父夫婦も彼女の無茶を容認しているのではと疑ったが、そんなことはなかったらしい。
やはり常識的に考えて、既に結婚契約書に記入までしてしまったのに、花嫁を入れ替えることなんてできないのだろう。
ほっとしたような残念なような、何とも複雑な気持ちだ。
「さて」
伯父夫婦が完全に立ち去るのを見送ってから、ジークヴァルトが部屋の中に入ってくる。
寝室で二人きりなのだという現状に気づき、なんだか緊張してきた。
やっぱり私なのかとか、これからするのかとか、いろいろな考えが頭に浮かんでは消えていく。
「ようやくおちついて話ができるな」
低いその声を聴いた瞬間、危機はまだ去っていなかったのだと気が付いた。




