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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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第21話 最後の依頼


春も終わりに近づいたある朝、公爵家の応接室には、これまでにない重苦しい空気が漂っていた。


私は紅茶のカップを静かに置き、向かいに座る老紳士を見つめた。


年の頃は六十を過ぎているだろうか。


背筋は伸びているものの、その肩には深い疲労が刻まれている。


名は、エドワード・ランカスター伯爵。


王国でも古い家柄を持つ名門の当主だった。


「本日は、どのようなご相談でしょうか。」


私が穏やかに尋ねると、伯爵は一度だけ目を閉じた。


「……嘘を、暴いていただきたいのです。」


その一言で、部屋の空気がさらに重くなる。


隣に座るアルベルトも、静かに伯爵を見据えていた。


「相手は?」


アルベルトが短く問う。


「……私の息子です。」


その答えに、私は思わず瞬きをした。



事情は複雑だった。


伯爵家の嫡男レオンは、半年後に侯爵令嬢との結婚を控えている。


誰もが祝福する縁談。


だが伯爵だけは、その婚約を止めたいと言う。


「理由を伺っても?」


私が尋ねると、伯爵は苦しそうに唇を噛んだ。


「息子は……恋をしております。」


「婚約者ではない方に。」


「はい。」


応接室が静まり返る。


「それなら婚約を破棄すればよいのではありませんか。」


私の率直な言葉に、伯爵はゆっくりと首を振った。


「それができぬのです。」


「なぜでしょう。」


「相手の女性が……亡くなっているからです。」


私は息を呑んだ。


アルベルトも僅かに眉を寄せる。


「二年前、流行病で命を落としました。」


伯爵は震える声で続けた。


「それ以来、息子は何も語らなくなったのです。」


「では、今の婚約は。」


「本人が望んだものではありません。」


「……。」


「家を守るために、自ら受け入れた縁談です。」


私はノートを閉じた。


今日は、観察を書く気にはなれなかった。


「では、嘘とは。」


伯爵は苦しそうに答えた。


「息子は、幸せだと嘘をついております。」



伯爵が帰ったあとも、私は長い間黙っていた。


「どう思う。」


アルベルトが尋ねる。


私は窓の外を見る。


庭では白い猫が昼寝をしている。


穏やかな景色だった。


「幸せではないのでしょう。」


「たぶんな。」


「でも。」


私はゆっくりと言葉を選ぶ。


「本当に嘘でしょうか。」


アルベルトが私を見る。


「家を守るために結婚する。」


「その覚悟も、本心かもしれません。」


アルベルトは腕を組んだ。


「真実が一つとは限らない、か。」


「はい。」


私は頷く。


「だから難しいです。」


しばらく沈黙が続いた。


やがてアルベルトが静かに立ち上がる。


「会いに行こう。」


「レオン様へ。」


「ああ。」


「君一人では答えを出せない。」


「私も同じだ。」


その言葉に、私は小さく笑った。


「では。」


「一緒に観察しましょう。」


「……事件を解決するんだ。」


「同じ意味です。」


アルベルトは諦めたように肩を竦めた。



翌日。


私たちはランカスター伯爵家を訪れた。


庭には手入れの行き届いた白薔薇が咲いている。


案内された書斎で待っていると、一人の青年が入ってきた。


整った顔立ち。


穏やかな物腰。


誰が見ても理想的な貴公子だった。


「初めまして。」


彼は微笑む。


その笑顔は、とても自然だった。


けれど。


私は違和感を覚えた。


「リリアーナ。」


アルベルトが小さく囁く。


「気付いたか。」


「はい。」


私は頷く。


「笑っているのに。」


「目が笑っていません。」


青年は静かに席へ着いた。


「父から事情は聞いております。」


「お恥ずかしい話ですね。」


「いいえ。」


私は首を振る。


「家族を想うことは恥ではありません。」


青年は一瞬だけ表情を崩した。


ほんの一瞬。


それだけだった。


「皆さん、同じことを言います。」


「私は幸せです。」


「婚約者も立派な方です。」


「家も守れます。」


「何も問題はありません。」


完璧な答え。


だからこそ、不自然だった。


私はゆっくり尋ねる。


「レオン様。」


「はい。」


「あなたは今、笑っています。」


「ええ。」


「では。」


私は静かに続けた。


「最後に、心から笑ったのは、いつですか。」


その瞬間だった。


青年の笑顔が止まる。


部屋に沈黙が落ちた。


時計の針だけが、小さく時を刻む。


レオンは答えない。


答えられない。


やがて彼は窓の外へ視線を向け、小さく呟いた。


「……覚えていません。」


私はノートを閉じる。


そして確信した。


この事件で暴くべき嘘は、誰かを騙すための嘘ではない。


自分自身を守るためにつき続けた、優しい嘘なのだ。


その嘘を暴いた先に、救いがあるのか。


それとも、新たな痛みが待っているのか。


まだ、私には分からなかった。



公爵家への帰り道。


馬車の中で、私は珍しく黙っていた。


「難しい顔をしているな。」


アルベルトが穏やかに言う。


「はい。」


「今回は、嘘を暴くことが正しいのか分かりません。」


「……。」


「もし真実を明かしたことで、誰かがもっと苦しむなら。」


私は視線を落とした。


「私は、その仕事をしてもいいのでしょうか。」


馬車がゆっくり揺れる。


しばらくの沈黙のあと、アルベルトが口を開いた。


「だからこそ。」


「君が選ばれた。」


「え……?」


私は顔を上げる。


アルベルトは窓の外を見たまま続ける。


「君は、嘘を暴くことよりも。」


「その先で誰が泣き、誰が笑うかを考えられる。」


「それができる者は多くない。」


私は何も答えられなかった。


その言葉は、今まで誰からも言われたことがなかったからだ。


馬車の外では、夕日が王都の屋根を赤く染めている。


その光は柔らかく、どこか明日への希望を感じさせた。


けれど私の胸には、一つの問いだけが残っていた。


**真実は、人を幸せにするためにあるのだろうか。**


その答えを見つけることが、この最後の依頼なのだと、私は静かに悟っていた。


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