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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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20/23

第20話 夫婦は手をつなぐものらしい


朝から空はよく晴れていた。


昨日まで降り続いた雨が嘘のように青く澄み、屋敷の庭では小鳥が忙しそうに飛び回っている。


私は鏡の前で少しだけ困っていた。


「ミア。」


「はい、奥様。」


「街へ行く服というのは、どの程度まで街らしくするのでしょう。」


ミアは思わず吹き出しそうになりながら咳払いをした。


「街らしく……ですか。」


「はい。」


「難しいご質問ですね。」


「公爵家らしくし過ぎると目立ちますし、男爵家らしくだと公爵家に失礼でしょうか。」


「その心配はなさらなくても大丈夫です。」


ミアは用意していた淡い水色のドレスを取り出した。


豪華すぎず、それでいて上質。


胸元には小さな刺繍が施され、腰には細い白いリボンが結ばれている。


「今日はこれがよろしいかと。」


「動きやすそうですね。」


「ええ。」


「猫さんも追いかけられます。」


「今日は猫を追いかけないでください。」


「努力します。」


「信用できません。」


最近、この言葉をよく聞くようになった。


どうやら私は、あまり信用されていないらしい。


研究課題である。



玄関へ降りると、アルベルト様がすでに待っていた。


黒ではなく、濃紺の上着。


普段より少し柔らかい印象だ。


「お待たせしました。」


「ああ。」


アルベルト様は私を見る。


一瞬だけ言葉が止まる。


「……似合っている。」


私は少し驚いた。


「服がですか。」


「ああ。」


「ありがとうございます。」


素直に礼を言う。


アルベルト様は少し照れたように視線を逸らした。


私は思わずノートへ手を伸ばく。


「今日は置いていけ。」


「なぜですか。」


「街を歩きながら書くつもりだろう。」


「……。」


否定できない。


「今日は観察より楽しめ。」


その言葉に、私は少しだけ考えた。


「分かりました。」


ノートをミアへ預ける。


「帰ってからまとめます。」


「それならいい。」


ミアが小さく笑っている。


何がそんなに面白いのだろう。



王都の中心街は、休日ということもあり、多くの人で賑わっていた。


パン屋からは焼きたての香り。


花屋の前には色鮮やかな花束。


子どもたちが広場を走り回り、露店では果物や焼き菓子が並んでいる。


「賑やかですね。」


「ああ。」


「領地とは少し違います。」


「王都だからな。」


私たちはゆっくり歩いた。


今日は護衛も最低限。


アルベルト様も、公爵ではなく一人の男として歩いているように見えた。


「見てください。」


私はパン屋を指差す。


「猫の形です。」


窓に並んでいる小さな焼き菓子。


猫の顔をかたどったクッキーだった。


「……本当だな。」


「可愛いです。」


店の前まで行く。


店主が笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。」


「こちらは猫ですか。」


「はい。人気なんですよ。」


私は一つ手に取る。


「アルベルト様。」


「何だ。」


「猫です。」


「見れば分かる。」


「食べますか。」


「君が食べたいなら買おう。」


「半分ずつにしませんか。」


アルベルト様は少し驚いたような顔をした。


「半分?」


「一つで十分です。」


「……ああ。」


店主が微笑む。


「仲がよろしいですね。」


私は首を傾げた。


「そうでしょうか。」


「ええ。」


店主は当然のように言う。


「ご夫婦でしょう?」


私はアルベルト様を見る。


アルベルト様もこちらを見る。


「はい。」


同時に答えた。


店主は嬉しそうに笑う。


「とてもお似合いですよ。」


私は礼を言った。


けれど、歩き始めてから少しだけ考える。


「お似合い。」


初めて言われた気がする。



広場では楽団が演奏を始めていた。


人が集まり、通りは先ほどより混雑している。


「すごい人ですね。」


「離れるな。」


「はい。」


私は周囲を見回す。


珍しい楽器。


大道芸人。


小さな子ども。


見るものが多すぎる。


「あ。」


猫だ。


灰色の猫が露店の下を歩いている。


私は思わず一歩踏み出した。


その瞬間。


周囲の人波が大きく動く。


身体が人に押され、少しよろめいた。


転ぶ。


そう思った瞬間だった。


右手を誰かがしっかり掴む。


「危ない。」


低い声。


アルベルト様だった。


私はそのまま引き寄せられる。


人波が過ぎ去るまで、私たちは動かなかった。


「大丈夫か。」


「はい。」


私は自分の右手を見る。


アルベルト様の手が、まだ私の手を包んでいる。


温かい。


思っていたよりずっと。


「……。」


アルベルト様も気付いたらしい。


少しだけ動きを止める。


「すまない。」


手を離そうとした。


私は思わず言った。


「そのままで。」


アルベルト様が私を見る。


「また人が多いですから。」


私は真面目に説明する。


「安全です。」


「……。」


アルベルト様は少しだけ笑った。


「そうだな。」


それから。


私たちは自然に歩き始めた。


手をつないだままで。



広場を抜けると、人通りは少なくなった。


小さな公園があり、ベンチには老夫婦が並んで座っている。


私たちはそこで一度休憩することにした。


「猫さんパンです。」


私は半分に割ったクッキーを差し出した。


「君が先だ。」


「では。」


一口食べる。


甘さは控えめで、ほんのりとバターの香りが広がった。


「美味しいです。」


「そうか。」


アルベルト様も食べる。


「悪くない。」


「二人で食べると、ちょうどいいですね。」


「そうだな。」


私は何気なく右手を見る。


まだ手をつないだままだった。


「あ。」


声が漏れる。


「どうした。」


「手。」


アルベルト様も見る。


「ああ……。」


二人とも少しだけ黙る。


「いつまでつないでいたのでしょう。」


「分からない。」


私は考える。


安全のためだった。


その目的は、もう終わっている。


でも。


嫌ではなかった。


アルベルト様も、すぐには離さない。


「アルベルト様。」


「何だ。」


「夫婦は。」


私は首を傾げる。


「手をつなぐものなのでしょうか。」


アルベルト様は苦笑した。


「たぶんな。」


「では。」


私は小さく頷く。


「今日は正解だったんですね。」


「……そういうことにしておこう。」


ゆっくりと手が離れる。


少しだけ名残惜しいような気がした。


理由は分からない。



帰りの馬車。


私は窓の外を眺めていた。


街は少しずつ遠ざかる。


「今日は楽しかったか。」


アルベルト様が尋ねる。


「はい。」


私は笑った。


「初めて知ることがたくさんありました。」


「例えば。」


「夫婦は。」


私は少し考える。


「同じ部屋にいることも。」


「はい。」


「同じ物を半分こすることも。」


「そうだな。」


「手をつなぐこともあるそうです。」


アルベルト様は静かに笑う。


「今日は勉強になったか。」


「とても。」


私は頷く。


「追加観察事項が増えました。」


「結局そこへ戻るのか。」


「もちろんです。」


二人で笑う。


その笑い声は、以前よりずっと自然だった。



その夜。


私はノートを開いた。


久しぶりに、一日分を書ききれないほど出来事があった。


ページをめくり、新しい紙へゆっくりと書き始める。


---


**観察記録**


・街へ出掛けた。


・観察対象は服を褒めた。


・猫型のクッキーを半分ずつ食べた。


・人混みで手をつないだ。


・目的が終わったあともしばらく手をつないでいた。


**考察**


夫婦は、思っていたより自然に手をつなぐらしい。


なお。


観察者は嫌ではなかった。


理由は現在調査中。


追加観察を要する。


非常に要する。


---


ノートを閉じる。


革のしおりを挟み、灯りを消した。


その頃、執務室ではアルベルトが一人、今日の出来事を思い返していた。


人混みで咄嗟に掴んだ手。


離そうとした時、


『そのままで。』


そう言った彼女の声。


それは照れ隠しでも、義務でもなかった。


ただ自然に出た言葉だった。


アルベルトは自分の右手を見つめる。


温もりはもう残っていない。


それなのに、思い出すたびに胸の奥が少しだけ温かくなる。


「……次は。」


静かな部屋で、小さく呟く。


「もう少し、遠くまで歩いてみるか。」


それは誰に聞かせるでもない、小さな約束だった。


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