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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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第19話 あなたの隣が自然になってしまった


社交界から戻って三日。


屋敷はいつもの静けさを取り戻していた。


けれど。


私たちの間には、ほんの少しだけ以前と違う空気が流れていた。


理由は分からない。


おそらく、社交界での出来事だろう。


あるいは。


アルベルト様が「少し後悔している」と言ったこと。


私はあの日以来、時々その言葉を思い出していた。


結婚初日。


『君を愛することはない。』


私は本当に気にしていない。


あの言葉があったからこそ、観察を始めた。


そして。


観察した結果。


今のアルベルト様を知ることができた。


だから、あれは必要な言葉だったと思っている。


ただ。


アルベルト様は違うらしい。


最近、ときどき考え込む時間が増えた。


その頻度は、一日平均三回。


執務中が二回。


夕食後が一回。


考え込む時間は長くても三十秒ほど。


私は朝食の席で、じっとアルベルト様を見つめていた。


「……。」


今日も考えている。


パンを持ったまま止まっている。


「アルベルト様。」


「……何だ。」


「パンが止まっています。」


「そうか。」


動いた。


私は静かにノートを開く。


「今日は書くな。」


「まだ何も。」


「顔に出ている。」


最近、本当に分かるようになった。


私は少し嬉しい。


観察対象が観察者を理解し始めている。


これは非常に興味深い変化である。


「何を書こうとした。」


「最近、考え事が増えたと。」


「……。」


否定しない。


珍しい。


「何かございましたか?」


私は率直に尋ねた。


アルベルト様はコーヒーを一口飲み、少しだけ視線を落とした。


「君は。」


「はい。」


「社交界で言っていたな。」


『少し不器用なだけです。』


あの言葉だろう。


「事実です。」


私は頷く。


「違う。」


「違いましたか?」


「いや……。」


アルベルト様は苦笑した。


「事実かもしれない。」


私は少し驚く。


自分で認めるとは思わなかった。


「では。」


私は首を傾げる。


「最近の考え事は、それですか?」


「……半分。」


「もう半分は?」


長い沈黙。


窓の外で小鳥が鳴く。


暖かな春の朝。


アルベルト様はようやく口を開いた。


「私は。」


静かな声だった。


「君へ何かしたことがあるだろうか。」


私は瞬きをした。


「何か?」


「ああ。」


私は考える。


朝食を一緒に食べる。


猫を撫でる。


贈り物をいただいた。


本を教えてもらった。


図書室で一緒に過ごした。


「たくさんあります。」


「そうではない。」


「違うのですか?」


「夫として。」


私は黙った。


その言葉は少しだけ重かった。


夫として。


私は今まで、そこをあまり考えたことがなかった。


観察対象。


優しい人。


猫好き。


少し不器用。


それがアルベルト様だった。


でも。


夫。


そう呼ぶと、急に難しくなる。


「分かりません。」


私は正直に答えた。


「夫というものを知らないので。」


アルベルト様は静かに笑った。


「そうだったな。」


「でも。」


私は続ける。


「毎朝一緒に朝食を食べます。」


「ああ。」


「帰ると『お帰りなさい』と言います。」


「ああ。」


「疲れていたら紅茶を淹れます。」


「……。」


「本を読んでいる時は同じ部屋にいます。」


私は少し考える。


「十分ではありませんか?」


アルベルト様は返事をしなかった。


代わりに、小さく息を吐いた。


「君は。」


「はい。」


「本当に変わっている。」


「よく言われます。」


「普通なら。」


アルベルト様は少し困ったように笑う。


「もっと色々望むものだ。」


「例えば?」


「宝石。」


「しおりをいただきました。」


「旅行。」


「男爵家へ帰りました。」


「……。」


「他には?」


アルベルト様は少しだけ天井を見上げた。


「君には敵わない。」


私は理由が分からず首を傾げる。


「勝負をしていましたか?」


「していない。」


「では引き分けですね。」


「その結論も違う。」


私たちは思わず笑った。


笑い終えたあと。


アルベルト様は少しだけ真面目な顔になる。


「リリアーナ。」


「はい。」


最近。


名前で呼ばれることが増えた。


以前は『君』だった。


今は『リリアーナ』。


その変化に気付いているのは、たぶん私だけではない。


「今度。」


「はい。」


「街へ行かないか。」


私は止まった。


「街ですか?」


「ああ。」


「視察ではなく?」


「違う。」


「お仕事でもなく?」


「違う。」


「猫さんを探しに?」


「それも違う。」


私はかなり考えた。


街へ。


二人で。


仕事ではなく。


観察でもなく。


「……お買い物ですか?」


アルベルト様は苦笑した。


「そういうことになる。」


「珍しいですね。」


「ああ。」


「なぜでしょう。」


アルベルト様は少しだけ視線を逸らす。


「夫婦らしいことを。」


そこまで言って、少し照れたように咳払いをした。


「してみようと思った。」


私はしばらく何も言えなかった。


夫婦らしいこと。


その言葉が頭の中をゆっくり回る。


「行きます。」


自然に答えていた。


「観察もしていいですか?」


「ほどほどなら。」


「研究対象は街ですね。」


「違う。」


「アルベルト様ですね。」


「……。」


少し間が空く。


「それなら。」


アルベルト様は小さく笑った。


「好きにするといい。」


私は嬉しくなって頷いた。


街へ行く。


夫婦として。


どういう一日になるのかは分からない。


でも。


少しだけ楽しみだった。



その夜。


私は観察ノートを開いた。


今日の記録を書く。


---


**観察記録**


・観察対象、自ら街へ誘った。


・理由は「夫婦らしいことをしたい」から。


・誘うまでにかなり勇気が必要だったと思われる。


**考察**


大型猫は一度家族認定すると、自分から距離を縮めようとする習性がある可能性。


なお。


観察者も少し楽しみにしている。


理由は現在調査中。


追加観察を要する。


非常に要する。


---


一方。


執務室ではアルベルトが机へ向かっていた。


今日の書類は終わっている。


それでも帰らない。


考えていた。


街へ誘った。


断られるかもしれないと思っていた。


けれど。


彼女は迷わず「行きます」と答えた。


その声を思い出し、小さく笑う。


「……まずは。」


誰もいない部屋で呟く。


「帽子くらい買ってやるべきか。」


贈り物ではない。


夫婦として出かけた記念に。


そんなことを考えている自分へ気付き、アルベルトは苦笑した。


少し前までの自分なら。


こんなことで悩む日は、一生来ないと思っていた。


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