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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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18/23

第18話 社交界は物語を作る


朝食の席で、セバスチャンが一通の招待状を差し出した。


「侯爵家で開かれる昼食会でございます。」


「昼食会ですか。」


私は封筒を受け取る。


淡いクリーム色の上質な紙に、金糸で侯爵家の紋章が描かれていた。


「季節ごとに開かれる茶会のようなものだ。」


アルベルト様がコーヒーを飲みながら説明する。


「王都の貴族が集まる。」


「全員ですか?」


「全員ではない。」


「猫さんはいませんね。」


「いない。」


「残念です。」


「そういう会ではない。」


私は招待状をもう一度眺めた。


社交界。


これまで何度か耳にした言葉だ。


けれど、私はあまり好きではない。


会話の内容より、誰が誰と話しているかを気にする人が多い。


観察は好きだが、観察されるのは少し苦手だった。


「行きたくないか。」


アルベルト様が静かに尋ねた。


「嫌ではありません。」


少し考える。


「研究対象が増えます。」


「その言い方はやめろ。」


「観察対象ですね。」


「もっと悪い。」


私は頷く。


「でも。」


少しだけ笑った。


「アルベルト様も一緒ですよね。」


「ああ。」


「では大丈夫です。」


その言葉に、アルベルト様は一瞬だけ視線を止めた。


「……そうか。」


短い返事だった。


しかし。


どこか安心したようにも聞こえた。



侯爵家は、公爵家とはまた違う華やかさがあった。


広い庭には色とりどりの花が咲き、噴水の周りでは貴婦人たちが談笑している。


私たちが到着すると、周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。


「氷の公爵だ。」


「奥様もご一緒なのね。」


「男爵家の……。」


小さな囁き声が風に乗る。


私はその方向を見る。


相手は慌てて視線を逸らした。


「見られていますね。」


「気にするな。」


「観察される側の気持ちが少し分かります。」


「そうか。」


アルベルト様は苦笑した。


「良い経験だ。」


「研究材料ですね。」


「違う。」


否定はいつも通りだった。



昼食会が始まると、アルベルト様はすぐに他の貴族たちへ囲まれた。


領地のこと。


騎士団のこと。


北方の防衛。


話題は尽きない。


私は少し離れた場所で紅茶を受け取り、一人で庭を眺めていた。


「リリアーナ様。」


振り向く。


侯爵令嬢と思われる若い女性が、柔らかな笑みを浮かべていた。


「初めまして。」


「初めまして。」


彼女は少し言いにくそうに口を開く。


「お幸せですか?」


私は首を傾げた。


「はい。」


即答だった。


令嬢は少し驚いた顔をする。


「そう……ですの。」


「はい。」


「その……。」


彼女は少し視線を落とした。


「公爵様は、お優しいですか?」


「はい。」


また即答する。


「とても。」


今度は周囲の令嬢たちまで静かになった。


「でも。」


一人が遠慮がちに言う。


「結婚初日に……。」


私は思い出した。


「ああ。」


「『君を愛することはない』と。」


「はい。」


私は頷く。


「確かにおっしゃいました。」


令嬢たちが困ったように顔を見合わせる。


「……。」


「でも。」


私は続けた。


「事実でしたので。」


「え?」


「知らない人へ最初から『愛しています』と言う方が不自然です。」


誰も答えない。


「それに。」


私は紅茶を一口飲む。


「今は毎朝一緒に朝食を食べますし。」


「……。」


「猫さんも一緒に観察します。」


「猫?」


「はい。」


「それから。」


私は少し考える。


「先日は贈り物までいただきました。」


私は鞄から猫のしおりを取り出す。


「これです。」


銀糸の猫が陽の光を受けて輝く。


令嬢たちは目を丸くした。


「公爵様から?」


「はい。」


「選んでくださったそうです。」


沈黙が流れる。


一人の令嬢が小さく呟いた。


「噂と全然違う……。」


私は首を傾げる。


「噂ですか?」


「ええ……。」


別の令嬢が申し訳なさそうに言う。


「公爵様は冷たくて、奥様にも興味がないと……。」


「違いますよ。」


私は笑った。


「少し不器用なだけです。」


その時だった。


「リリアーナ。」


聞き慣れた声がした。


アルベルト様だった。


「話は終わったか。」


「はい。」


私は頷く。


「皆さんへ訂正しておきました。」


「訂正?」


「アルベルト様は冷たい人ではありません、と。」


その場が静まり返る。


アルベルト様は一瞬だけ私を見つめた。


「……そうか。」


それだけ言って、私の隣へ立つ。


令嬢たちは深く頭を下げ、それぞれ話題を変えて散っていった。



帰りの馬車。


今日は少し静かだった。


私は窓の外を眺める。


アルベルト様も黙っている。


「何かありましたか?」


私が尋ねると、アルベルト様は少し遅れて答えた。


「いや。」


「疲れましたか?」


「少しな。」


「今日は人が多かったですから。」


「……違う。」


「違うのですか?」


アルベルト様は窓の外を見る。


「社交界では。」


静かな声だった。


「まだ、あの日のことが噂になっているとは思わなかった。」


私は少し考える。


結婚初日。


『君を愛することはない。』


確かに言われた。


「事実ですから。」


私は答える。


「気にしていません。」


「君はな。」


アルベルト様は苦く笑う。


「私は気にする。」


私は驚いた。


初めてだった。


アルベルト様が、あの日の言葉を自分から話したのは。


「後悔していますか?」


私が尋ねると、アルベルト様はすぐには答えなかった。


長い沈黙。


やがて。


「……少し。」


その一言だけだった。


私はその横顔を見る。


いつもより少しだけ寂しそうだった。


「アルベルト様。」


「何だ。」


「私は。」


私は少し笑う。


「もしあの日、あのお言葉がなかったら。」


「?」


「観察を始めなかったと思います。」


「……。」


「だから。」


私は窓の外を見る。


「結果としては成功です。」


アルベルト様は思わず吹き出した。


「そういう結論になるのか。」


「はい。」


「研究者らしいな。」


「自称です。」


アルベルト様は静かに笑う。


けれど。


その笑顔の奥には、まだ少しだけ曇りが残っていた。



その夜。


私は観察ノートを開いた。


---


**観察記録**


・社交界では結婚初日の言葉が有名だった。


・観察対象は、そのことを気にしていた。


・「少し後悔している」と発言。


**考察**


観察対象は、自分の言葉で相手が傷つくことを嫌う生き物らしい。


大型猫は爪が鋭い。


だからこそ、自分で爪を気にしているのかもしれない。


追加観察を要する。


非常に要する。


---


同じ頃。


執務室では、アルベルトが一人、窓の外を見ていた。


『私は気にしていません。』


あの言葉に救われた。


だが、それ以上に胸へ残った言葉がある。


『アルベルト様は、少し不器用なだけです。』


彼女は社交界で、自分を庇った。


頼んでもいないのに。


当然のように。


誰よりも自然に。


アルベルトは静かに目を閉じる。


「……間違えたな。」


結婚初日に言った、たった一言。


あれは彼女を守るためだと思っていた。


だが、本当に守られていたのは。


今日もまた、自分の方だった。


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