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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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17/18

第17話 同じ部屋で過ごす理由


雨は、朝から途切れることなく降り続いていた。


窓ガラスを細かな雨粒が流れ、庭園の木々は薄い霧の向こうにぼんやりと霞んでいる。


いつもなら花壇の縁に座っている白と茶色の猫も、今日は姿を見せていない。


おそらく、どこか雨の当たらない場所へ避難しているのだろう。


私は朝食の席から窓の外を眺めた。


「今日は猫さんが来ませんね」


向かい側で書類を読んでいたアルベルト様が、わずかに視線を上げる。


「雨だからな」


「濡れるのが嫌なのでしょうか」


「猫は普通、雨を嫌う」


「アルベルト様もですか?」


「なぜ私に聞く」


「大型猫説を検証するためです」


「私は猫ではない」


否定は早かった。


いつも通りである。


私は膝の上に置いた観察ノートへ手を伸ばしかけて、途中で止めた。


昨日いただいた革のしおりが、ページの間から少しだけ覗いている。


銀糸で刺繍された猫。


青い小さな石。


見るたびに、昨日の言葉を思い出す。


『君が喜ぶか、直接見たかった』


今朝、ノートを開いた時にも思い出した。


そして、少しだけ嬉しくなった。


これも一般的な贈り物への反応なのだろう。


おそらく。


「今日は書かないのか」


アルベルト様の声で、私は顔を上げた。


「何をですか?」


「今の大型猫の話だ」


「書いてほしいのですか?」


「そうは言っていない」


「でも、確認しましたよね」


「いつもなら、もう書いていると思っただけだ」


私は少し考える。


アルベルト様は、私が観察記録を書くことを以前ほど強く嫌がらなくなった。


むしろ、書かなければ気にするようになっている。


「観察対象は、観察記録の有無を確認する習性がある」


「書くな」


「今、書いていません」


「後で書くつもりだろう」


「よく分かりましたね」


アルベルト様は小さく息を吐いた。


以前なら、もう少し深いため息だった気がする。


最近は諦めが早い。


あるいは、慣れたのかもしれない。


その変化も非常に興味深い。


「今日は何をする予定だ」


アルベルト様が尋ねた。


私は少し驚いた。


朝食の席で、その日の予定を聞かれるのは珍しい。


「午前中は図書室へ行こうと思っています」


「図書室に?」


「はい。雨の日は、庭の観察が難しいので」


「観察以外の予定はないのか」


「読書もします」


「何を読む」


「まだ決めていません」


アルベルト様は書類を閉じた。


「なら、東側の棚に北方の動植物に関する本がある」


「猫についても載っていますか?」


「おそらく」


「大型猫も?」


「知らない」


「アルベルト様については載っていないのですね」


「載っているはずがない」


当然である。


私は頷いた。


「では、あとで確認してきます」


「ああ」


会話はそこで終わった。


けれど、アルベルト様が私の予定を聞いた理由は分からなかった。


夫婦だからだろうか。


朝食を共にするように、その日の予定も共有するものなのかもしれない。


私はまだ夫婦というものを完全には理解していない。


前にアルベルト様へ尋ねた時、支え合うこと、帰る場所になること、安心できる相手であること、と教えてもらった。


そこへ予定の共有も加わるのだろうか。


研究項目が増えた。



公爵家の図書室は、屋敷の中でも特に静かな場所だった。


二階まで届く本棚が壁一面に並び、古い革と紙の匂いがする。


天井近くの窓から差し込む光は雨雲に遮られ、いつもより薄暗い。


私は机の上へ数冊の本を積み、椅子へ腰掛けた。


アルベルト様が教えてくれた東側の棚には、北方地域の地理、植物、動物、気候について書かれた本が並んでいた。


その中から、『北方地方に生息する動物』という厚い本を選ぶ。


猫の項目はすぐに見つかった。


ただし、屋敷へ来る猫と同じ種類かは分からない。


毛色や耳の形については書かれているけれど、個体ごとの性格までは載っていない。


「情報が不足していますね」


誰に言うでもなく呟く。


やはり、実物を観察した方が早い。


私は本へ昨日のしおりを挟んだ。


茶色の革が、古い紙によく似合う。


観察ノート以外で使うのは初めてだった。


少しだけ迷ったけれど、アルベルト様は「君が使うなら何でもいい」と言っていた。


本当に何に使ってもいいのだろう。


それでも、使うたびに贈ってくれた人のことを思い出す。


贈り物とは、そういうものなのかもしれない。


私は猫の項目を読み進めた。


しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。


一定の速さ。


少し重い。


聞き慣れた音だ。


扉が開く前に、誰か分かった。


「アルベルト様」


扉を開けた本人が、わずかに眉を上げる。


「なぜ分かった」


「足音です」


「足音?」


「セバスチャンさんより少し重く、騎士団長さんより間隔が短いです」


「そこまで聞き分けているのか」


「観察していますので」


万能の言葉である。


アルベルト様は図書室へ入り、私の向かいにある机へ書類を置いた。


かなりの量だ。


「こちらでお仕事ですか?」


「ああ」


「執務室ではなく?」


「暖炉の修理をしている」


そういえば、朝から職人が出入りしていた。


雨で冷える前に直しているのだろう。


「他にも部屋はありますよね」


「ここが一番静かだ」


「私がいますけど」


「君は騒がしくない」


一瞬、返事に迷った。


褒められたのだろうか。


それとも、存在を気にしていないという意味だろうか。


私は観察ノートを開こうとした。


「今のは書くな」


「判断に迷っています」


「何を」


「褒められたのかどうかです」


アルベルト様は少し考えた。


「褒めたつもりだ」


「なるほど」


「その返事はやめろ」


私は一行だけ記録した。


---


・観察対象は静かな人間を好む。


・観察者は該当するらしい。


---


「見せろ」


珍しく、アルベルト様が自分からノートへ手を伸ばした。


私は少し迷ってから、ページを向ける。


アルベルト様は二行を読み、眉間へ浅く皺を寄せた。


「人間を分類するな」


「好みの傾向を記録しただけです」


「それに」


アルベルト様は二行目を指差した。


「君が静かだという意味ではない」


「先ほど、そうおっしゃいました」


「一人で本を読んでいる時は、だ」


「普段は?」


「よく話す」


「騒がしいですか?」


「……」


アルベルト様が答えに詰まる。


私は待った。


こういう時、すぐに答えないのは、言葉を選んでいる時だ。


「騒がしいとは思わない」


「では?」


「静かすぎない」


それは、よく分からない評価だった。


「ちょうど良いということですか?」


アルベルト様は書類へ視線を落とした。


「そういうことだ」


耳が少しだけ赤い。


私はノートに書き足そうとした。


「それ以上は書くな」


「まだ何も」


「顔に出ている」


最近、本当に読まれる。


観察している側が、観察される側に理解され始めている。


少し不思議な気分だった。


でも、嫌ではない。


むしろ。


アルベルト様が私の反応を分かるようになっていることが、少し嬉しい。


その理由は、まだ分からない。



図書室には、紙をめくる音と、雨音だけが続いた。


私は本を読む。


アルベルト様は書類へ目を通す。


会話はない。


それでも、先ほどまで一人でいた時とは違った。


空気が少しだけ温かい。


暖炉はついていない。


けれど、寒く感じない。


誰かと同じ部屋にいるだけで、部屋の感じ方が変わるらしい。


私は何度か本から顔を上げた。


アルベルト様は書類を読みながら、時々右手でこめかみを押さえている。


疲れている時の仕草だ。


机の端には冷めかけた紅茶。


朝食のあとから、ほとんど休んでいないのだろう。


私はベルを鳴らし、使用人へ新しい紅茶を頼んだ。


少しして運ばれてきた茶器を、アルベルト様の側へ置く。


「頼んだ覚えはない」


「冷めていましたので」


「まだ飲めた」


「温かい方が美味しいです」


「そういう問題か」


「疲れている時は、温かいものを飲んだ方がいいと思います」


「疲れていない」


否定はしたが、声に力がない。


図星である。


「昨日のお菓子もありますよ」


私は持ってきていた小さな箱を開いた。


母の焼き菓子を二つ入れてある。


「なぜ持っている」


「図書室でお腹が空くかもしれないと思いまして」


「自分のためではないのか」


「二つあります」


「一つは私の分か」


「偶然です」


アルベルト様がこちらを見る。


「その言葉を使うな」


「よく使っていらっしゃるので、便利なのかと思いました」


「便利ではない」


私は焼き菓子を一つ差し出した。


アルベルト様は少し迷い、受け取った。


「ありがとう」


とても自然に言われた。


私は一瞬、反応が遅れた。


以前のアルベルト様なら、何も言わず受け取るか、「必要ない」と断っていただろう。


感謝の言葉を口にする回数が増えている。


私はノートへ手を伸ばしかける。


けれど、昨日のことを思い出した。


贈り物を受け取る時は、受け取るだけでいい。


今は、感謝をそのまま受け取る時なのかもしれない。


「どういたしまして」


そう答える。


アルベルト様は少しだけ驚いたように私を見た。


「書かないのか」


「今日は覚えておきます」


「そうか」


短い返事。


けれど、少し嬉しそうに聞こえた。


私は自分の分の菓子を食べる。


雨音。


紙の音。


紅茶の香り。


誰かと同じ空間で、別々のことをしている。


これは、何と呼ぶ時間なのだろう。


会話をしているわけではない。


互いに何かを手伝っているわけでもない。


それでも、一人より落ち着く。


「アルベルト様」


「何だ」


「夫婦は、こういうこともしますか?」


ペンが止まった。


アルベルト様はゆっくり顔を上げる。


「こういうこと?」


「同じ部屋で、別々のことをすることです」


「……するだろうな」


「意味はあるのでしょうか」


「意味?」


「話さないなら、別の部屋でも同じでは?」


アルベルト様は少し考えた。


窓の外を見る。


雨はまだ降り続いている。


「同じではない」


「なぜですか」


「君は、一人でここにいた時と今で、何も変わらないか」


私は図書室を見回した。


本棚。


机。


窓。


雨。


何も変わっていない。


けれど、感じ方は違う。


「少し、温かく感じます」


「暖炉はついていないが」


「そういう意味ではありません」


言ってから、自分でも不思議に思った。


けれど、それ以外に表現が見つからなかった。


アルベルト様はしばらく黙っていた。


やがて、ほんの少し笑う。


「なら、それが理由だろう」


「理由」


「同じ部屋にいる理由だ」


私はその言葉を考える。


誰かがいることで、部屋が温かく感じる。


会話がなくても、気配がある。


帰る場所になること。


安心できる相手。


以前聞いた夫婦の説明と、少し似ている。


「なるほど」


今度は、アルベルト様は何も言わなかった。


その『なるほど』だけは許されたらしい。



午後になると、雨脚がさらに強くなった。


窓の外が白く霞み、遠くで雷の音がした。


私は雷が嫌いではない。


ただ、大きな音がすると集中が途切れる。


一度目の雷では、少し肩が動いた。


二度目は、窓の外を見た。


三度目は、かなり近かった。


大きな音が図書室へ響き、机の上の茶器がわずかに震えた。


私は反射的に本を閉じる。


「怖いのか」


アルベルト様が書類から顔を上げた。


「怖くはありません」


「今、驚いていた」


「驚くことと怖がることは別です」


「そうか」


また雷が鳴る。


今度は少し遠い。


私は何事もなかったように本を開いた。


けれど、文字が頭へ入らない。


雷そのものより、次にいつ鳴るか分からないことが気になる。


予測できない音は観察が難しい。


「こちらへ来るか」


アルベルト様が言った。


私は顔を上げる。


「そちらへ?」


「窓から離れた方が音は小さい」


確かに、アルベルト様の机は部屋の中央寄りにある。


私は本とノートを持ち、向かいの席から移動した。


アルベルト様の机は大きい。


反対側へ座れば、二人で使っても十分な広さがある。


けれど、なぜか先ほどより距離が近く感じた。


「ここでよろしいですか」


「ああ」


私は本を開く。


すぐ近くで、アルベルト様が書類へペンを走らせる音がする。


また雷が鳴った。


今度は、先ほどほど気にならなかった。


窓から離れたからだろう。


おそらく。


「アルベルト様」


「何だ」


「雷は平気ですか」


「平気だ」


「戦場では、もっと大きな音がしますか?」


「ああ」


「では慣れているのですね」


「慣れるものではない」


意外な返事だった。


「怖くないのですか」


「怖いと思うことはある」


私は手を止めた。


アルベルト様が恐怖を認めるのは珍しい。


「でも、怖く見えません」


「見せないようにしているからな」


「なぜですか」


「私が怖がれば、部下も不安になる」


静かな声だった。


英雄。


氷の公爵。


戦場では感情を見せない人。


周囲はそれを冷徹だと思う。


けれど実際には、自分の恐怖を隠し、誰かを安心させている。


私はアルベルト様を見る。


いつも通りの横顔。


けれど、今までとは少し違って見えた。


「では、今は怖がってもいいのでは?」


アルベルト様のペンが止まる。


「今?」


「ここには私しかいません」


「……」


「私も少し驚きますので、同じです」


アルベルト様はしばらく私を見た。


「君は時々、不思議なことを言うな」


「よく言われます」


「だが」


少しだけ間が空く。


「覚えておく」


「何をですか」


「ここでは、怖がってもいいということを」


胸の奥が、静かに温かくなった。


昨日のしおりをもらった時と似ている。


けれど、少し違う。


これは何かを受け取った感覚ではなく、何かを預けてもらった感覚に近い。


私はノートを開こうとした。


けれど、やめた。


これも、記録へ分解したくない。


「書かないのか」


「はい」


「珍しいな」


「覚えておきます」


アルベルト様は少しだけ目を細めた。


「そうか」


それから二人とも、再び自分の本と書類へ戻った。


けれど、先ほどより空気が柔らかくなっていた。



夕方。


雨は弱くなったものの、まだ止んでいなかった。


アルベルト様は一通り仕事を終え、書類をまとめる。


私は読みかけの本へ、猫のしおりを挟んだ。


「それを使ったのか」


アルベルト様がしおりを見る。


「はい」


「観察ノート以外にも使うんだな」


「何に使ってもいいとおっしゃいましたので」


「ああ」


「嫌でしたか?」


「いや」


アルベルト様は首を振る。


「使っているのを見られてよかった」


昨日と似た言葉だった。


直接渡して。


直接喜ぶところを見て。


今日は、使っているところを見ている。


贈り物をした人は、その後も気になるものらしい。


「これを見ると、アルベルト様を思い出します」


私がそう言うと、アルベルト様の動きが止まった。


「……なぜ」


「目の色が似ています」


「猫の目だろう」


「はい」


「私と猫を結びつけるな」


否定はしたものの、耳が少し赤い。


私はノートを開こうとした。


「今日は覚えておくのではなかったのか」


「これは別件です」


「別件にするな」


「重要事項です」


アルベルト様は額を押さえた。


けれど、その口元にはわずかに笑みがあった。


図書室を出ようとした時、私はふと振り返った。


「明日もこちらでお仕事をしますか?」


「暖炉の修理は今日で終わる」


「では執務室へ戻るのですね」


「ああ」


少し残念だと思った。


今日のように、同じ部屋で別々のことをする時間は、もうないのかもしれない。


それは仕方のないことだ。


アルベルト様には仕事がある。


私にも読む本はある。


「そうですか」


自分では普通に答えたつもりだった。


けれど、アルベルト様は私をじっと見た。


「何だ」


「何でもありません」


「残念そうに見える」


私は驚いた。


また読まれた。


「少しだけ」


正直に答えると、アルベルト様の目がわずかに見開かれた。


「今日のような時間は、もうないのかと思いました」


「……」


「同じ部屋で別々のことをする時間です」


アルベルト様は黙っている。


私は言い過ぎただろうか。


迷惑だったかもしれない。


けれど、しばらくして彼は静かに言った。


「執務室へ来ればいい」


「私がですか?」


「ああ」


「お仕事の邪魔になりませんか」


「今日、邪魔だったか」


私は思い返す。


アルベルト様は予定していた書類をすべて処理していた。


少なくとも、邪魔にはなっていない。


「なっていないと思います」


「なら問題ない」


「毎日でも?」


そこまで言ってから、少し厚かましかったかと思った。


けれど、アルベルト様は困った顔をしなかった。


「君が来たい時に来ればいい」


「観察しても?」


「ほどほどなら」


「ノートを書いても?」


「内容による」


「猫さんも連れてきていいですか?」


「それは駄目だ」


「なぜですか」


「書類の上に乗る」


「確かに」


猫は規則を守らない。


そこは仕方がない。


私は頷いた。


「では、明日から時々伺います」


「ああ」


「同じ部屋で別々のことをします」


「わざわざ宣言することか」


「重要です」


私は少し笑った。


アルベルト様も、ほんの少し笑った。



その日の夜。


私は観察ノートを開いた。


今日一日だけで、記録したいことはたくさんある。


アルベルト様は、私が静かすぎないところをちょうど良いと思っている。


雷が怖いことを認めた。


図書室で同じ時間を過ごした。


明日からは、執務室へ行ってもいいらしい。


どれから書くべきか迷う。


私は少し考え、しおりを挟んだ新しいページにペンを走らせた。


---


観察記録。


・観察対象と同じ部屋で、別々のことをして過ごした。


・会話がなくても、以前ほど静かには感じなかった。


・観察対象は、観察者が執務室へ来ることを許可した。


考察。


同じ部屋にいること自体に、意味がある場合も存在する。


また、観察対象は観察されることに慣れた可能性が高い。


---


私は少し迷い、その下へ一文を加えた。


---


・観察者も、同じ部屋にいることへ慣れつつある。


---


そこまで書いたところで、ペンが止まった。


慣れている。


それだけだろうか。


今日、アルベルト様が明日は執務室へ戻ると言った時、私は少し残念に思った。


同じ時間がなくなるのが嫌だった。


観察できなくなるから。


おそらく。


でも、観察だけなら、朝食や夕食でもできる。


それなのに、同じ部屋で別々のことをする時間を、もう一度ほしいと思った。


理由は不明。


私は最後に、いつもの言葉を書き加えた。


---


追加観察を要する。


非常に要する。


---


ノートを閉じる。


しおりの青い石が、灯りを受けて小さく光った。


明日は、どの本を執務室へ持っていこう。


そう考えながら、私は寝台へ向かった。


一方。


同じ頃、アルベルトは執務室の暖炉が直ったことを確認していた。


職人たちはすでに帰り、部屋には新しく薪が積まれている。


机の向かい側には、普段使っていない小さな椅子が一脚あった。


アルベルトはそれをしばらく見たあと、セバスチャンを呼んだ。


「明日までに、あの椅子を替えておけ」


「どのようなものにいたしましょう」


「長く座っても疲れないものを」


セバスチャンがわずかに微笑む。


「奥様がお使いになるのでしょうか」


「……たまたまだ」


「左様でございますか」


「本棚も一つ空けろ」


「奥様のご本のために?」


「書類が増えた時のためだ」


「承知いたしました」


セバスチャンは何も言わず一礼した。


扉が閉まったあと、アルベルトは自分の机へ戻る。


明日から、執務室は少し静かではなくなる。


それを想像する。


不思議と、悪い気はしなかった。


むしろ。


少しだけ楽しみにしている自分がいた。


「……観察されることに慣れたのかもしれないな」


誰もいない部屋で呟く。


けれど本当は。


慣れたのではなく、彼女がいることを望むようになったのだと。


それに気付くには、もう少し時間が必要だった。


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