第11話 戦場帰りの観察対象
何かがおかしい。
私は朝食の席で首を傾げた。
アルベルト様はいつも通りそこにいる。
いつも通り無表情。
いつも通り短い返事。
いつも通り猫さんは窓の外にいる。
なのに。
何かがおかしい。
「どうした。」
「いえ。」
私はパンを口に運ぶ。
アルベルト様はコーヒーを飲む。
静かな朝。
いつも通り。
本当にいつも通り。
「なるほど。」
「何がだ。」
「少し観察が必要ですね。」
アルベルト様が嫌そうな顔をした。
最近よく見る表情である。
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その日の午前。
執務室。
アルベルト様は書類を読んでいた。
私は向かい側で本を読んでいる。
正確には読んでいない。
観察している。
「……。」
おかしい。
とてもおかしい。
「公爵様。」
「何だ。」
「本日のお茶は三杯目です。」
「そうだな。」
「普段は一杯です。」
「そうだったか。」
「そうです。」
アルベルト様が止まる。
私はノートを開いた。
「待て。」
「重要事項です。」
「嫌な予感しかしない。」
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観察記録
・お茶の摂取量増加。
・書類を読む速度低下。
・ため息の回数増加。
考察:
観察対象は疲労している可能性が高い。
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「違う。」
「否定が早いですね。」
「疲れていない。」
「本当に?」
「本当だ。」
「なるほど。」
「その『なるほど』は信用できない。」
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昼。
庭園。
猫さんがいる。
そして。
アルベルト様もいる。
猫さんを撫でている。
いつもの光景。
ただ一つ違うことがある。
撫でる時間が長い。
明らかに長い。
私は静かにノートを開く。
「……何を書いている。」
「観察記録です。」
「今回は何だ。」
「猫さんを撫でる時間が通常の一・五倍です。」
「測るな。」
「観察対象に疲労が見られる場合、癒やし行動が増加する傾向があります。」
「私は疲れていない。」
「なるほど。」
「その返事はやめろ。」
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夕方。
執事のセバスチャンに聞いてみた。
「戦場から戻った後は、いつもあんな感じなのですか?」
セバスチャンは少し驚いた顔をした。
「お気付きになりましたか。」
「はい。」
「公爵様は戦場から戻られると、いつも少し静かになります。」
「静か。」
「ええ。」
セバスチャンは窓の外を見る。
「亡くなった方のお名前を、一人ずつ確認されるんです。」
私は黙った。
「味方だけではありません。」
「え?」
「敵兵の数も確認されます。」
私は言葉を失う。
「公爵様は、数字として扱うことを嫌われますので。」
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夜。
執務室。
アルベルト様が書類を閉じた。
「終わった。」
「お疲れ様でした。」
「まだ起きていたのか。」
「観察中です。」
「そうか。」
アルベルト様が少し笑う。
最近、笑う回数が増えた。
これも記録案件である。
「公爵様。」
「何だ。」
私は少し迷う。
でも聞いた。
「戦場では、いつも名前を確認するんですか?」
アルベルト様の手が止まった。
「……セバスチャンか。」
「はい。」
少しだけ沈黙。
やがて。
「忘れないためだ。」
静かな声だった。
「誰をですか?」
「全員をだ。」
短い言葉。
でも。
十分だった。
私はノートを閉じる。
今日は書かない。
たぶん。
今は研究者ではなくていい。
「公爵様。」
「何だ。」
「優しいんですね。」
アルベルト様が苦笑した。
「今日だけで二回目だな。」
「事実ですので。」
「違う。」
否定が遅い。
珍しい。
「観察していますから。」
「……そうだったな。」
アルベルト様は窓の外を見る。
「君は本当に変わっている。」
「よく言われます。」
「だが。」
少しだけ間。
「悪くない。」
私は笑った。
「観察記録に追加しますか?」
「それはやめろ。」
「残念です。」
「本当に残念そうだな。」
「重要事項でしたので。」
アルベルト様が笑った。
今度はちゃんと分かった。
見間違いじゃない。
私は少し考える。
そして結論を出した。
観察対象は。
思っていたよりずっと優しい。
たぶん。
誰よりも。
だからこそ。
少しだけ不器用なのだろう。
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その日の観察記録。
・戦場から帰ると静かになる。
・猫を撫でる時間が増える。
・名前を忘れないようにしている。
考察:
観察対象は冷徹ではない。
むしろ逆である可能性が高い。
追加観察を要する。
非常に要する。




