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白の探索者  作者: ニート無職
二章
42/47

成れの果て

十五層は、不気味なほどに静まり返っていた。


 誰も動けない。動くことすら許されない。


 壁の奥、黒い亀裂の向こうから覗く巨大な目が、確かにこちらを凝視している。

 その視線に晒されているだけで、鉛を流し込まれたように身体が重い。呼吸すら苦しくなる。


 生物としての存在の階梯が、根本から違う。

 脳がそう錯覚するほどの、圧倒的な圧迫感だった。


 バキッ――。


 亀裂がさらに広がり、岩壁の破片が激しく崩れ落ちる。


 そして、その暗黒から『巨大な腕』が現れた。

 黒い魔力に覆われた腕。


 それは紛れもなく、人間の形をしていた。


 だが、あまりにも大きすぎた。壁の向こう側からゆっくりと伸びてきたその片腕だけで、地上の一般的な建物ほどの質量がある。


「――総員、戦闘準備」

 黒城が即座に、鋭い命令を飛ばした。


 全員がそれぞれの武器を構える。


 だが、誰一人として自ら飛び出そうとはしなかった。

 敵意がない。これほどの質量でありながら、こちらを害する意志が微塵もないことが、その佇まいから分かってしまったからだ。


 巨大な存在は、崩れかけた壁にそっと手を添えた。

 そして、ゆっくりと、その身体をこちら側へと近づけてくる。


 ズン――。


 地響きが鳴り、足元の地面が大きく揺れる。


 私は《白虹》の視界を維持したまま、現れたその姿をただ凝視していた。


 巨大だった。十五層の広大な空間をすべて埋め尽くしそうなほどに。その全身のひび割れからは、どす黒い魔力が絶え間なく噴き出している。肉体の一部は今もボロボロと崩れ落ちており、人間の形を保っていること自体が奇跡に近い状態だった。


 それなのに、崩落しかけたその巨体の、顔だけは。


 はっきりと、人間のものだった。


「……っ」

 天宮が、息を呑む。


「人間……? 」

 巨大な存在が、ゆっくりと口を開いた。


 そして、声が響く。


 頭の中に直接語りかけてくる。


 ――ようやく、届いた。


 全員の身体が、驚愕で硬直する。あの黒城ですら、一瞬だけ目を見開いて表情を変えた。


 巨大な存在は、ただ静かに私たちを見下ろしている。

 その瞳に敵意はない。あるのは、狂おしいほどの焦燥と、深い後悔だけだ。


 ――聞いてくれ。

 ――時間がない。


「……あなたは、誰ですか」

 天宮が、震える声を絞り出すようにして問うた。


 巨大な存在は、少しだけ目を閉じた。まるで、遥か遠い記憶を手繰り寄せるように。


 そして、答えた。


 ――人間だった。

 ――未来の……人間だ。


 曲湾師が、顔を獰猛にしかめて前へ出る。

「未来人、だと……? 」


 ――そうだ。

 ――俺たちは、未来の、人類の成れの果てだ。


 足元で夢喰いが小さく震えている。あの霧島すらも、珍しく表情を消して黙り込んでいた。


 冗談ではない。誰もが本能でそれを理解していた。目の前の存在は、決して嘘をついていない。


 未来の人類は、そのまま言葉を紡ぐ。

 ――『人類進化計画』


 その言葉が、静まり返った十五層に重く響き渡った。


「……何ですか、それは」

 天宮が重ねて問う。


 ――人類を、無理やり進化させる計画だ。

 ――魔力によって。人類を次の段階へ進めるための、愚かな計画だった。


 さらに黒い魔力が身体から溢れ出す。


 その負荷に耐えかねたように、未来人の肉体がバキバキと音を立てて崩れていく。肩の一部が、大きな岩塊のように砕け落ちた。


 ――だが、失敗した。

 ――人は、人でいられなくなった。


 私は目の前の巨体を見上げた。

 人でいられなくなった結果が、この、化け物と変わらない姿なのだ。


 未来人は、酷く苦しそうに声を絞り出す。


 ――俺は……その計画の、装置の近くにいた。

 ――最も近くで、その魔力を浴びた。だから、こんな姿になって生き長らえている。


 天宮の顔色が、完全に失われた。

「装置……?」


 未来人は、ゆっくりと、肯定するように首を縦に振った。


 ――全ての始まりだ。世界を、壊した。


 重苦しい沈黙が、その場を支配する。

 そして、未来人は私たちを見つめ、最期の、そして最大の言葉を告げた。


 ――止めろ。


 黒城が短剣を握り直し、鋭く問い詰める。

「何を、止めるのです」


 未来人の瞳が、激しく揺れた。

 その崩壊しかけた顔に、初めて明確な『恐怖』が浮かび上がる。


 ――『アルカディア』


 誰も、聞いたことのない名前だった。

 だが、未来人は確かにその名を口にした。


 ――この時代にも、すでに存在する。

 ――人類進化計画を、裏で進めている。


 天宮が息を呑む。

「現代にも……? すでに、始まっているというのですか……!」


 未来人は、力強く頷いた。


 ――始まっている。まだ規模は小さい。

 ――だが、今止めなければ……未来は、また繰り返される。


「どこにいるの!?」

 私は思わず、一歩前に踏み出して叫んでいた。


「アルカディアって、何なの!? どこを止めればいいの!?」


 未来人は、私の姿をその巨大な瞳に映した。


 そして、すべてを察したかのように、どこか救われたような顔で、小さく笑った。


 ――間に合う。

 ――まだ。


 バキバキバキッ!!!


 凄まじい音と共に、彼の全身へ無数の亀裂が走る。

 限界だった。空間を超えて干渉し続けた未来人の肉体が、ついに完全な崩壊を始める。


 ――頼む。

 ――止めてくれ……俺たちの、あの最悪な未来を。


 視界を埋め尽くすほどの白い光が溢れ出す。

 轟音。吹き荒れる黒い魔力の暴風。


 やがて光と風が収まったとき――そこには、もうあの巨大な存在は影も形もなかった。


 十五層にぽつんと残されたのは、粉々に砕け散った岩壁の残骸と。


 私たちの耳の奥に刻みつけられた、たった一つの、呪いのような名前だけだった。


 ――アルカディア。

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