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白の探索者  作者: ニート無職
二章
41/46

壁の向こう側

三日後。再遠征当日。


 ダンジョンの入り口には管理局の車両が何台も並び、普段よりも多くの人員が集まっていた。


 観測使い魔の消失。そして、壁の向こうに潜む正体不明の影。


 その事実だけで、今回の遠征が異例尽くしであることを全員が肌で理解していた。


「――最終確認です」

 黒城の冷徹な声が響く。


「戦闘は黒城班が担当。異常発生時は即時撤退。単独行動は一切禁止します」


 全員が静かに頷いた。


 その中で、霧島だけが退屈そうに大きな欠伸を噛み殺している。

「面倒くせえな」


「帰っていいですよ、霧島さん」

 天宮が表情一つ変えずに即答する。


「帰ったらもっと面倒になる気がする」


 珍しく、真面目な返事だった。


 その言葉に、誰も笑わなかった。霧島という男の「直感」がそう告げている時点で、事態はすでに笑い事ではないのだ。


 私たちは静かに、ダンジョンへと足を踏み入れた。


 一層。


 通路へ入った瞬間、奇妙な違和感が襲ってきた。


「……少ないですね」

 私が小さく呟く。


 本来なら、ゲート近くであってもいくつかの魔物と遭遇するはずだった。なのに、いない。足音すら響かない通路は、不自然なほど静まり返っていた。


「警戒を怠らないでください」

 黒城が前方を鋭く見据える。


 そのまま探索を続行し、三層、五層へと潜っていく。


 やはり、魔物の数が異常に少なかった。たまに見かける個体も、私たちに襲いかかってくる気配すらない。どれも怯えたように、足早に奥へと去っていく。


「逃げてる?」


 私の言葉に、曲湾師が低く鼻を鳴らした。

「逃げてるな。完全に怯えてやがる」


「何からですか」


「知るかよ。だが、ロクでもねえ不気味なモンが奥にいるのだけは確かだ」


 けれど。その答えを本能で知っているような顔をしている者が、私のすぐ傍にいた。


 夢喰いだ。


 小さな身体を縮こまらせ、完全に黒城の後ろへと隠れている。


『嫌』


 滅多に感情を露わにしない夢喰いの、珍しい反応だった。


『近い』


 また、その言葉だ。

 十五層の、あの壁の向こう。


 あれが、こちら側へと近づいている。夢喰いはそう言いたいらしかった。


 十層に到達した瞬間、肌を刺す空気が明確に変わった。


 胸が圧迫されるように息苦しい。魔力濃度が明らかに跳ね上がっている。


 周囲の岩壁はねっとりとした水分で湿り、床に目を落とすと、まるで生き物の肉壁のように微かに脈打っているようにさえ見えた。


「数値を確認して」


 天宮の指示に、オペレーターの声が無線越しに返る。


『通常値の一・三倍。……まだ、上昇を続けています!』


 全員の表情が一段と険しくなる。前回の遠征時よりも、確実に状況は悪化していた。


 さらに進み、十二層。

 そこで、先頭を歩いていた黒城が唐突に手を上げた。

「止まってください」


 全員が足を止める。


 開けた通路の先、そこに巨大な魔物の死体が横たわっていた。大型の狼型モンスター。だが、その死に様は異様だった。


「戦闘痕がありません。外傷も、魔術による損傷も一切なし」


 黒城が死体に近づき、確認する。


「病気か何かか?」


 曲湾師が眉をひそめるが、天宮がその横で静かに膝をついた。


「違います。魔力の枯渇でもない。死因不明です。まるで、一瞬で命だけを吸い出されたかのような……」


 その時、私はある事実に気付いて息を呑んだ。


 死体の向きだ。

 狼は、もがき苦しんだ形跡もなく、ただ一つの方向をじっと見つめたまま硬直していた。


 ――壁のある、十五層の方向を。


 嫌な汗が背中を伝う。偶然じゃない。


 それはまるで、見てはいけない「何か」を見た瞬間、そのまま絶命したかのようだった。


 私の足元で、夢喰いが小さく震えながら声を零した。

『見た』


「何を」


『見ちゃった』


 その声だけで、十分だった。

 誰もそれ以上、深くは聞かなかった。聞きたくなかったのだ。


 そして、ついに私たちは十五層へと辿り着いた。


 見覚えのある通路。突き当たりの、見覚えのある壁。


 景色そのものは前回と同じはずだった。だが、漂う気配は完全に別物と化していた。


 壁全体から、黒い霧のような濃厚な魔力が絶え間なく滲み出している。


「魔力濃度、急上昇!」


 無線からオペレーターの悲鳴のような叫びが響く。


『一・五倍……! まだ上がります、数値が振り切れます!』


 私は、その異様な黒い霧に包まれた壁を見つめた。


「――《白虹》」


 意識の引き金を引き、能力を発動する。

 世界から色彩が抜け落ち、モノクロの視界が広がる。


 そして、視えた。


 壁の向こう側に広がる、圧倒的な暗闇。

 前回よりも、遥かに近い。位置が明らかにこちら側へと迫っている。


 そこにそびえ立つのは、山のように巨大な『何か』。形はまだ霧に煙って見えない。けれど、その巨大な存在が、暗黒の向こう側から、じっとこちらを凝視しているのが分かった。


「っ……!」


 あまりのプレッシャーに、喉が張り付いて息が止まる。


 その瞬間だった。


 ――ズンッ!!


 地響き。壁の向こう側で、何かが明確に動いた。

激しい振動が足元を襲い、訓練場の比ではない緊迫感が走る。全員が瞬時にそれぞれの武器を構えた。


「零!」


 黒城の鋭い怒号が飛ぶ。

「何が見える! 報告しなさい!」


「います……っ!」

 自分の声が、恐怖で激しく震えているのが分かった。


「前回より近い……!」


「巨大です……でも……」


「顔だけは、人間に見える……!」


「人間……?」

 天宮の声がわずかに揺れた。


 その直後。


 ――パキッ。


 静寂を引き裂くような硬い音が響き、分厚い岩壁の中央に、一本の、明確な亀裂が走った。


 さらに広がる。


 そして、真っ黒な隙間の向こうで、


 “人の目”が開いた。


 その瞬間、私の頭の中へ直接、声が響く。


 ――ようやく。


 ――ようやく、届いた。


 その声は、化け物のものには聞こえなかった。


 助けを求める、人間の声だった。

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