観測失敗
十五層への再遠征が決まった。
管理局は慌ただしく動いていた。
解析班。調査班。警備班。
普段は静かな第零封鎖区画まで、足音と怒号が響き渡り、騒がしくなっている。
そんな中、私は訓練場にいた。
――ガァン!!
鋭い金属音が響く。
訓練用の短剣が容赦なく振り下ろされる。
「遅い」
「っ……!」
まともに受けたものの、その重さに腕が激しく痺れる。
黒城の攻撃には一切の容赦がない。
「《白虹》は禁止です」
「分かってます……っ」
「本当にですか」
次の瞬間、視界がブレるほどの速度で横薙ぎの衝撃が走る。
反応が遅れた。
私の肩を、短剣の硬い感触が叩いた。
「死にました」
「まだ始まって五分ですよ」
「十分です」
黒城は淡々としていた。
「あなたは能力に頼りすぎています」
「そうですか?」
「そうです」
否定、できなかった。
私は最近、《白虹》を使ってから動く癖が完全に染みついていた。
弱点。死角。魔力の流れ。
その目を開けば、全部最初から見えてしまう。だから、普通の戦い方を、忘れかけていたのだ。
「能力が使えなくなったら?」
「……死にますね」
「その通りです」
黒城は頷いた。
「だから訓練します」
再び短剣が振り下ろされた。
私は慌てて受ける。
ガッ――!
衝撃。腕が痺れる。
その直後、逆側から二撃目。
「っ!」
なんとか防ぐ。
三撃目。四撃目。五撃目。
防戦一方だった。
気付けば私は訓練場の端まで追い込まれていた。
「何を見ていますか」
黒城が短剣を止める。
「短剣です」
「だから遅いんです」
「え?」
「敵を見るんです」
黒城は構え直した。
「肩」
一歩前へ出る。
「腰」
さらに一歩。
「足」
静かな声。
「武器は結果です」
その言葉と同時に黒城が動く。
右から来る。そう思った。
だが違った。
「――っ!」
左。肩を叩かれる。
「死にました」
「今のは反則じゃないですか!?」
「なぜです」
「完全に右から来る動きだったじゃないですか!」
「だから肩を見ろと言ったんです」
黒城は淡々と続けた。
「武器だけ見ているから騙される」
私は黙る。
悔しい。でも反論できない。
《白虹》なら見えていた。だからこそ気付かなかった。
能力がないと、私は驚くほど弱い。
「もう一度」
黒城が構える。
私は深く息を吐いた。
肩を見る。腰を見る。足を見る。武器を見ない。
黒城が動く。
一歩。二歩。速い。
それでも――肩が僅かに沈んだ。
「っ!」
私は横へ飛ぶ。
風が頬を掠めた。
直後、さっきまでいた場所を短剣が通過する。
黒城の動きが止まった。
「……ほう」
初めてだった。
黒城が少しだけ感心したような声を出したのは。
「避けましたね」
「避けました……!」
思わず声が出る。
たった一回。それでも能力なしで避けた。
初めてだった。
「忘れないでください」
黒城は短剣を下ろした。
「《白虹》は強力です」
「はい」
「ですが、あなた自身が強くならなければ意味がありません」
その言葉は重かった。十五層。壁の向こう。
あの得体の知れない何か。
もし《白虹》が通用しなかったら。
もし《残雪》が使えなかったら。
その時、生き残るのは結局、自分自身の力だ。
私は短剣を握り直した。
「もう一本お願いします」
黒城が僅かに目を細める。
「立てますか」
「立てます」
「なら続けましょう」
次の瞬間。
再び訓練場へ金属音が響いた。
昼。
訓練が終わる頃には、私の腕は疲労で全く上がらなくなっていた。
食堂の椅子で泥のように休んでいると、天宮が現れた。
「零さん」
「はい」
「観測使い魔の準備が終わりました」
私は顔を上げた。
「もう行くんですか」
「今日です」
天宮の視線の先、解析室へと大型モニターが次々と運び込まれていくのが見える。
今回の作戦のために用意された、管理局製の観測使い魔――鳥型。
戦闘能力は一切なく、隠密性と情報収集に特化した観測専門の使い魔だ。ダンジョン内部のクリアな映像を、リアルタイムでこちらへ送るためのものだった。
「十五層まで潜らせるんですか?」
「ええ」
天宮が重々しく頷く。
「壁の異常を、私たちが潜る前にもう一度確認します」
夕方。解析室。
緊迫した空気の中、全員が大型モニターを凝視していた。
放たれた観測使い魔は、極めて順調に進んでいた。
三層。五層。十層。
一切のトラブルなく、最深部へと近づいていく。
そして、十五層。あの不気味に見覚えのある、薄暗い通路。突き当たりの壁。
「到達しました」
オペレーターの報告とともに、映像がグッと拡大される。
岩壁そのものは、昨日見たものと何一つ変わらないように見えた。ただの分厚い岩の塊だ。
「魔力反応は?」
「増加継続中です」
天宮が深く眉をひそめた、その時だった。
ジジ、とモニターの映像が不自然に揺れた。激しいノイズ。
「……?」
映像が一瞬歪んだ。
そして次の瞬間――使い魔の動きが、唐突に、完全に停止した。
「何が起きました」
「不明!」
オペレーターが叫ぶ。
画面は激しい白黒のノイズに覆われていく。
だが、そのノイズが弾けた、ほんの一瞬。瞬きをするほどの刹那。
画面に、壁の『向こう側』が映り込んだ。
――真っ暗だった。
ただ空間だけがある、完全な闇。何もない。何も映っていない。
なのに、そこに言葉を絶するほどの「何か」がいることだけが、映像越しに強烈に伝わってくる。
圧倒的な、存在感。
見た瞬間、内臓を冷たい手で掴まれたように背筋が冷えた。
「今の……」
私が呟いた直後、映像は完全に砂嵐へと変わった。
「通信断! 使い魔、消滅しました!」
「……回収信号は?」
「応答なし」
「位置情報は」
「完全に消失。ロストです」
解析室が、水を打ったように静まり返る。
誰も、言葉を発することができなかった。
天宮だけが、青白い光を放つ砂嵐のモニターを、じっと見つめ続けている。
黒城が静かに口を開いた。
「……壊された、ということでしょうか」
「分かりません」
天宮の声は、石のように硬かった。
「ですが――」
天宮はそれ以上、続きを促さなかった。
その必要がなかったからだ。
部屋にいる全員が、言葉にせずとも理解していた。壁の向こうには、確実に何かがいる。
そして――それは、こちらから観測されることを、激しく嫌っている。
三日後。
私たちは、壁の向こうにある異常を確かめるため、再びダンジョンへ潜る。




