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白の探索者  作者: ニート無職
二章
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異常増殖

 翌朝。


 目を覚ました瞬間、頭が重かった。


「……」


 天井を見上げる。


 管理局の宿舎。見慣れた、無機質な部屋。


 けれど、昨日の遠征の疲労は微塵も抜けていなかった。《白虹》と《残雪》。人類の脳が処理すべきではない二つの異能を、深層で長時間使い続けた反動だ。こめかみの奥が、重い鉄球で叩かれているように鈍く痛む。


 私はなんとか身体を動かして、ベッドから起き上がった。


 枕元で、端末が小さく震えた。


 画面を見ると、黒城さんからの通知が表示されている。


『至急、解析室へ』


 短い。いつも以上に余計な装飾が省かれた、冷徹な一文。


「……何かあったな」

 胸の奥で、嫌な予感が小さく鎌首をもたげた。



 解析室の扉を開けた瞬間、肌が痛くなるほどの重苦しい空気が押し寄せてきた。


 室内にはすでに黒城、天宮、夢喰い、そしてパイプ椅子に座った曲湾師が揃っている。


「おはようございます」


「おはようございます」


 黒城の返事はいつも通りだった。


 けれど、表情が硬い。


「何かありましたか」

 私が聞くと、黒城は無言で大型モニターを指差した。


 そこに映し出されていたのは、昨日私たちが行ったダンジョンのデータだった。複雑なグラフが、不気味に右上へと跳ね上がっている。


「魔力濃度が上昇しています」


「どのくらいですか」


「昨夜から二十二パーセント」


「え?」


 思ったより多い。


「原因は」


「不明です」

 天宮が言う。


「正直に申し上げて、管理局のシステムでは意味が分かりません。完全に計算外です」


 その間にも、モニターの数値がリアルタイムで明滅し、更新される。


 また上がった。ほんの少し、けれど、絶対的な確実さを持って。


「今も増えてるんですか」


「増えています」


 黒城が答えた。


「停止する気配がありません」


 不気味な沈黙が部屋を支配する。


 その時、私の足元で膝を抱えていた夢喰いが、小さな声を零した。

『近い』


 全員の視線が、一斉に私の隣の黒い影へと集まる。


「……何がですか?」

 私の問いに、夢喰いの黒紫の瞳は迷わなかった。


『壁』


 十五層の壁の向こう。形のない何か。


「近いって……位置が動いているんですか?」


『違う』

 夢喰いは小さく首を振った。


『近い』


 それ以上は言葉で説明できないらしい。物理的な距離ではない。概念の距離なのか、それとも世界の位相が近づいているのか。


 けれど、夢喰いのこういう「直感」は、今まで一度だって外れたことがなかった。


 曲湾師が椅子の背もたれに深く体重を預け、天井を仰ぐ。

「おいおい、嫌な話だなあ」


「そうですね」

 天宮も、この時ばかりは珍しく曲湾師の言葉に同意した。


「あの……霧島さんは?」


 私が尋ねると、天宮が手元の書類に目を落とした。

「呼んではいます」


「来ますかね……」


「知りません。あいつの気分次第です。……来てほしいですけどね、こういう時くらいは」


 天宮の愚痴に重なるようにして、自動ドアが静かに開いた。


 しっとりとした、白い煙が部屋に流れ込んでくる。


「噂をすれば、本当に来やがったな」

 曲湾師が、いたずらっぽく笑う。


 煙の向こうから現れたのは、酷く不機嫌そうな顔をした霧島だった。

「朝っぱらから呼び出すんじゃねえよ、天宮」


「非常事態です」


「知ってる」

 霧島は悪態をつきながらも、すぐに視線を大型モニターへと向けた。


 そして。

 一秒、二秒、三秒――。

 咥えた煙草を弄びながら、完全に沈黙した。

「……増えてるな」


 低く、冷え切った声だった。室内の時間が止まる。


「分かるんですか、霧島さん」

 天宮が身を乗り出して聞く。


「分かる」


「中で、何が起きているんです」


「知らん」


「知らないんですか!?」


「バカかお前は。分かるのと、知ってるのは別だ」

 

霧島は新しい煙草をポケットから取り出し、火をつけずに口に咥えた。

「放置はまずい。それだけは確かだ」


 全員が息を呑んだ。国家滅亡級災害指定の男が、明確に「まずい」と言ったのだ。


「どの程度、まずいんですか」

 黒城が冷徹に、けれど僅かに声を強めて尋ねる。


 霧島は少しだけ考えるように視線を彷徨わせた。

「まだ分からん。……だが、昨日の朝から感じてた『嫌な感じ』が、比べものにならねえくらい強くなってやがる」


 曲湾師がうっすらと目を細め、眉を上げた。

「へえ……お前がそこまで言うか」


「今回はな」


 短い会話。けれど、車内で「俺は怖いぞ」と笑った霧島が放つその言葉には、十分すぎるほどの説得力があった。


 天宮がデスクの端末を乱暴に閉じた。バチン、と重い音が響く。

「十五層への再遠征計画を、大幅に前倒しします」


「いつですか」

 私が一歩前に出る。


「このダンジョンの消滅予測は本来二十三日後でした。ですが、現在の増殖率だと十日を切る可能性があります。三日後に行きましょう」


 早い。


 けれど、部屋にいる誰も、その決定に反対の声を上げる者はいなかった。


 十五層。壁の向こう。形のない何か。

 それは今この瞬間も、私たちの理解の及ばない領域で、少しずつ変化を遂げている。


 理由は分からない。正体も分からない。

 ただ一つだけ確かな事実が、私たちの背中を鋭く突いていた。


 ――世界は、待ってはくれない。


 その日の夜。


 私は宿舎の窓から空を見上げた。


 《白虹》を使う。


 世界から色彩が抜け落ち、モノクロの夜空が広がる。


 雲よりも遥か高い場所。今日も、あの圧倒的な存在はそこにいた。静かに、何も語らず、ただ絶対的な事実として、そこに座している。


 何も変わらない。何も語らない。ただそこにいる。


 ――本当に?

 ふと、そんな考えが頭をよぎった。


 十五層の壁の向こうにあった、形のない、けれど圧倒的な質量を持った何か。


 夢喰いが「最初からあそこにある」と言ったもの。


 あれと、空に浮かぶあの巨大な存在は、本当に無関係なんだろうか。


 私は、じっと空を見た。

 

 当然。答えは返ってこなかった。

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