調査報告
帰りの輸送車は静かだった。
行きとは完全に空気が違う。誰も、一言も喋らない。
霧島は最後列のシートで、深く背もたれに体を預けて目を閉じていた。
曲湾師は顎を突き、気怠げに窓の外を流れる景色を眺めている。
私の隣では、夢喰いが膝を抱えて小さく丸くなっていた。
――みんな、疲れている。
それは私も同じだった。
《白虹》と《残雪》を同時に、しかも限界を超えて維持し続けたせいで、こめかみの奥がジンジンと激しく脈打っている。脳が直接熱を持っているかのようだった。
窓の外では、燃えるような夕焼けが流れていた。私は痛む頭を抑えながら、一瞬だけ、本当に一瞬だけ《白虹》を発動させる。
世界から色が抜け落ちる。モノクロに反転した、空の高い場所。
――今日も、あの巨大な存在は、そこにいた。
何も変わらない。
ただいる。
「……いますね」
小さく呟く。
「何がだ」
目を閉じたまま霧島が言った。
「空のやつです」
「そうか」
それだけだった。
霧島も、それ以上は聞かない。静かに夕焼けが流れていく。
⸻
管理局へ戻ったのは夜だった。
解析室では天宮が待っていた。
開口一番。
「報告を」
黒城が端末を接続する。
「十層で深層存在を確認」
「接触は?」
「なし。こちらを認識後、戦闘行動には移らず、そのまま下層へ向けて移動しました」
天宮が短く頷き、手元のログに記録を滑らせる。
「続けて」
「十五層で異常構造を確認」
私は前に出た。
「通路の突き当たり、分厚い岩壁の奥に、巨大な『空洞』があります」
「管理局の地図にはない空間か?」
「はい、ありません」
「《残雪》は試したか」
「使いました」
天宮が視線を向ける。
「結果は」
「以前は入り口がありました」
静かになる。
「今は?」
「塞がれています」
「自然崩落ではなく?」
「違います」
「根拠は」
「分かりません」
私は正直に答えた。
「でも、そう見えました」
天宮は黙る。
そして続ける。
「その奥に何がいた」
私は、十五層のあの身の毛もよだつ感覚を思い出す。
「分かりません」
「深層存在ではないのか?」
「違います」
「なぜそう言い切れる」
「十層で見た『深層の存在』には、揺らめいてはいても確かに輪郭がありました。生き物としての形が、そこにはあったんです」
私は息を呑み、あの壁の向こうの「澱み」を言葉にしようと試みる。
「でも、十五層のあれは違います。形が、ないんです」
天宮が不審そうに眉をひそめた。
「存在しているのに、形がない?」
「はい」
「気配はあるのか」
「あります。圧倒的な質量を感じました」
「なのに、形はないと」
「ありません」
「……意味が分からないんですが」
「私もです」
天宮は深くため息を吐き、痛むように頭を押さえた。
⸻
「霧島さんはどう見ましたか」
天宮が、壁にもたれた霧島に聞く。
「空間がおかしかった」
「具体的にどうおかしいんですか」
「説明できん」
「そこを説明してください」
「無理だ」
「頑張ってください」
「嫌だね」
天宮の顔が目に見えて険しくなる。
その様子を見て、横でパイプ椅子に座っていた曲湾師が「ひゃはは」と声を上げて笑った。
結局、霧島は少し考えてから言った。
「……そこだけ、別の場所に繋がってる感じだ」
「別の場所?」
「ああ。ダンジョンじゃねえ」
「深層でもないと?」
「たぶん、な。別の層だ」
国家滅亡級級の霧島が「ダンジョンでも深層でもない」と言い切ったのだ。その事実の重さが、部屋の全員の肩にのしかかる。
⸻
天宮が重い沈黙を破り、端末を激しく操作した。
「過去の全記録から、類似事例を検索します」
数分間、カタカタとタイピング音だけが響く。やがて、天宮の手がピタリと止まった。
「……ありませんね」
「ない、ですか?」
私が尋ねる。
「世界中のどの事例にも、同様の現象は存在しません」
黒城が画面を覗き込み、眼鏡の奥の目を細めた。
「人類初の、初観測事例……ということですか」
「可能性は極めて高いです」
天宮がこの日一番の、深い深いため息を吐き出した。
「最悪ですね」
「そうですか? 原因の一端が見えた気もしますが……」
「前例がない、ということは対策の立てようがないということです。これ以上の最悪はありませんよ」
会議は、そこで一度打ち切られることになった。追加調査は後日。状況を精査した上で、十五層への再遠征を検討する。
それだけの結論が、重々しく決定された。
⸻
長い報告を終え、自室へと戻る薄暗い通路。
夢喰いが、私の歩調に合わせてトボトボと隣を歩いていた。
「疲れましたか?」
『疲れた』
「私もです。今日は本当に色々ありましたね」
夢喰いは歩きながら、ぽつりと呟いた。
『十五層』
「気になりますか」
夢喰いは少し考えた。
『分からない』
「怖い?」
『少し』
「深層のやつとは違う?」
『違う』
即答だった。
「どう違うんですか」
『深層は深層』
「それはそうですね」
『でも、あれは違う』
夢喰いは、自分の頭の中にある感覚を表現する言葉を探すように、しばらく黙り込んだ。
そして、私の服の裾を小さく引っ張って、言った。
『あれは、あそこにある』
「……?」
『最初から』
私は足を止めた。
「最初から?」
夢喰いは、それ以上は分からなさそうに、小さく首を傾げた。
『わからない』
でも、と夢喰いは黒紫の瞳をまっすぐ私に向けた。
『そんな気がした』
夜。自室。
窓の外を見る。
《白虹》を使う。
空の高い場所。
今日も、あの存在はいた。
揺れない。語らない。
何も教えてくれない。ただ、そこにいる。
十五層の壁の向こうに澱んでいた、あの「形のない何か」も、きっと同じなのだ。
今の私たちの知識では、説明することも、理解することもできない。
けれど、確かに、そこに存在している。
「……何なんでしょうね」
夜空に向かって小さく呟いた言葉に、当然、答えは返ってこない。
私は《白虹》を切った。
夜空は、ただの夜空に戻った




