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白の探索者  作者: ニート無職
一章
25/47

名前がある

 管理局の医務室は、白かった。


 保健室に似ていると思った。


 天井。

 照明。

 消毒の匂い。


 でも。


 窓がある。


 外が見える。


 夜の空だった。

 曇っている。


 でも。


 外だった。


「……外だ」


 呟いた。


 隣のベッドで、初代が天井を見ていた。


「ああ」


「どうですか」


「まぶしい」


「夜ですよ」


「照明が」


 そうか。


 十数年ぶりの照明は、まぶしいのか。


「慣れますか」


「慣れるだろ」


 淡々とした声だった。


 でも。


 目が、窓から離れなかった。


 一時間後。


 黒城が医務室へ来た。


 端末を持ったまま、椅子を引いて座る。


「状態を確認します」


「大丈夫です」


「私が判断します」


 相変わらずだった。


 一通りの確認が終わって。


 黒城が端末を閉じた。


「水瀬零」


「はい」


「初代から、伝えられたことがあると思います」


 ぞわり、とした。


「帰ったら黒城に聞け、って」


「ええ」


 黒城は少しだけ黙った。


 初代がこちらを見る。


「話してやれ」


「……はい」


 黒城が息を吐く。


「深層の存在について、です」


 空気が変わった。


「あれは、何なんですか」


「人間です」


 一瞬、意味が分からなかった。


「……人間?」


「正確には、人間だったものです」


 黒城は続ける。


「深層に長くいると、人間でなくなっていく。初代から聞きましたね」


「聞きました」


「深層の存在たちは、もともと人間でした」


「……いつの」


 黒城は少しだけ間を置いた。


「未来の、人間です」


 頭が、一瞬止まった。


「未来……?」


「ダンジョンが現れた時から、研究者たちは気づいていました」


 黒城の声が、静かになる。


「深層は、時間の歪みです」


「時間の」


「遠い未来で、人類は魔力によって変質していきます」


 ぞくり、とした。


「赤い瞳。銀色の髪。耳の尖った子ども。街でも見ていたはずです」


「見ました」


「あの変化の、その先です」


 一拍。


「人間が変質しきった先の姿が、深層の存在です」


 言葉が出なかった。


 あの赤い目。


 名前のない黒い影。


 全部。


 未来の、人間だったものだ。


「……なんで、過去に来るんですか」


「引き寄せられるんです」


 黒城は答える。


「変質した存在は、自分たちが生まれる前の時間へ干渉しようとする」


「なんのために」


「変えるために」


 一拍。


「自分たちがああなる未来を」


 胸の奥が、じわり、と痛む。


「……かわいそうだな」


 思わず、声が漏れた。


 黒城が少しだけ黙った。


「そうですね」


 珍しく、同意した。


「じゃあダンジョンのモンスターも」


「違います」


 黒城は首を振る。


「通常ダンジョンの魔物は、魔力によって変質した動物です」


「動物?」


「ダンジョン出現と同時に、一部の動物が魔力に適応して変異しました」


 スカベンジャー。


 皮膚が剥き出しになった狼みたいな怪物。


 もとは、狼だったのか。


「深層の存在とは別物です。ただ」


 黒城は続ける。


「高ランクダンジョンになるほど、深層の影響を受けた魔物が出現します」


「深層の存在と、混ざってるってこと?」


「境界が曖昧な領域が存在します」


 嫌な話だった。


 でも。


 知らないより、いい。



 夜が深くなった。


 初代は眠っていた。


 十数年ぶりに、安心して眠れる場所で。


 私はベッドに座ったまま、窓を見ていた。


 夢喰いが来た。


 いつもみたいに、静かに滑り込んでくる。


 白い病衣。裸足。黒い長髪。


 でも。


 今夜は、いつもと少し違った。


 目が、まだ少し赤かった。


「……泣いてたんですか」


『泣いてない』


「目が赤いですよ」


『泣いてない』


 そういうことにしておく。


 夢喰いはベッドの横に座る。


 いつもの場所。


 でも。


 今夜は初代もいる部屋で。


 夢喰いは初代をちらりと見た。


『寝てる』


「疲れたんだと思います」


『そうだね』


 夢喰いは膝を抱える。


 しばらく、黙っていた。


 それから。


『ありがとう』


「伝言、届けましたよ」


『それだけじゃない』


 夢喰いが、こちらを見る。


「全部ですか」


『全部』


 私は少しだけ考えた。


「どういたしまして」


 夢喰いは小さく笑った。


 その笑い方が、また年相応に幼かった。


「一個聞いていいですか」


『ん』


「夢喰いって、ずっとここにいるんですか」


 夢喰いは少しだけ考えた。


『行きたいとこ、ある』


「どこ」


『外』


「外って、普通に?」


『夢の中じゃなくて』


 そうか。


 夢喰いは、外の世界を夢でしか見たことがないんだ。


「……一緒に行きますか」


 夢喰いの目が、少しだけ大きくなった。


「探索者になるんで。一緒に来てもいいですよ」


『探索者』


「はい」


『夢喰いも?』


「どうするかは夢喰いが決めてください」


 夢喰いは少しだけ考えた。


 それから。


 静かに頷いた。


『行く』


「決めるの早いですね」


『行きたかったから』


 夢喰いは窓を見る。


 夜の空。


 曇っていて、星は見えない。


 でも。


 夢喰いの目が、少しだけ光っていた。


 翌朝。


 黒城が来た。


「水瀬零。一つ確認があります」


「何ですか」


「五島さんが、連絡をくれています」


 胸の奥が、じわり、と動いた。


「……何て」


「会いたいそうです」


 そうか。


 先生は、まだ待っていてくれた。


「会えますか」


「手配します」


「ありがとうございます」


 黒城は少しだけ黙った。


「……よく帰ってきました」


 静かな声だった。


 感情のない顔のままで。


 でも。


 その一言だけが、温かかった。


「ただいまです」


 黒城は何も言わなかった。


 でも。


 端末を持ったまま、少しだけ視線を逸らした。


 昼前。


 曲湾師が来た。


「起きてるか」


「起きてます」


 曲湾師は部屋へ入り、いつもの壁へ背中を預ける。


「で、探索者やるんだろ」


「やります」


「パーティどうすんの」


「考えてませんでした」


「最悪だな」


「まだ職業変わったばっかりなので」


「まあそうか」


 曲湾師は少し考えた。


「俺でよければ」


 気怠そうな声だった。


 でも。


 目が、少しだけ笑っていた。


「……いいんですか」


「退屈しなそうだから」


「嘘つくのそんなに得意じゃないですよね」


「うるさい」


「夢喰いも来ます」


「あいつも?」


「外に行きたいらしいので」


 曲湾師は少しだけ考えた。


「……まあ、いいか」


「珍しくすんなり承諾しましたね」


「あいつの夢干渉、使えるから」


「打算じゃないですか」


「探索者はみんな打算で動く」


 そういうものか。


 私は少しだけ笑った。


 ちゃんと笑えた。


 夕方。


 医務室の窓から、空が見えた。


 曇りが晴れていた。


 青い。


 久しぶりに見た青空だった。


 《白虹》で見ると。


 空に、うっすら何かが見えた。


 まだ分からない。


 でも。


 綺麗だった。


 私は自分の手を見る。


 白い髪が、肩の前へ垂れている。


 生まれつき白い髪。

 雪女と呼ばれた髪。

 二度見される髪。


 でも。


 今は。


 ただ、自分のものだった。


「……探索者か」


 呟く。


 《白夜》。


 使い方は分からない。


 強いのかどうかも分からない。


 でも。


 やってみたかった。

 ずっと、やりたかった。

 それだけで、十分だった。


 私の髪は、生まれつき白い。

 染めているわけじゃない。

 病気でもない。

 ただ、白い。


 でも今は。


 その白に、名前がある。


 《白夜》。


 それが、私の職業だ。


 窓の外。


 青い空が、広がっている。


 赤黒いウィンドウは、もうない。


 代わりに。


 視界の端に、静かな白い光がある。


 《白虹》の感覚。


 まだ使い方が分からない光。


 でも。


 消えない。


 ちゃんと、ある。


 次は何が見えるんだろう。


 そんなことを思いながら。


 私は青い空を、見ていた。

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