表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白の探索者  作者: ニート無職
一章
24/47

ただいま

 扉は、思ったより地味だった。


 赤い廊下の奥。

 壁と同じ色をした、古びた扉。


 特別な光もない。

 禍々しい気配もない。


 ただ。


 そこだけ空気が違った。


 触れたら、別の場所へ繋がる。

 そんな感覚だけが、はっきりあった。


「……これか」


 呟く。


 背後で、初代が静かに立っていた。


「怖いか」


「……分からないです」


「それでいい」


 私は視界の端のウィンドウを見た。


 ――【BET対象を選択してください】


 一覧が揺れている。


 感情。

 寿命。

 認識領域。

 記憶。

 白。


 全部見た。


 全部、違う気がした。


 私が賭けるべきものは。


 もっと単純で。


 もっと、怖いものだ。


「……決めました」


「何を賭ける」


 初代の声。


「帰れること」


 空気が止まった。


 初代が、少しだけ目を細める。


「負けたら」


「二度と戻れない」


「分かって言ってるか」


「分かってます」


 私は扉を見たまま答えた。


 怖い。


 本当に怖い。


 でも。


 帰れることを賭けるから、帰れる気がした。


 一番大事なものを差し出す覚悟が、逆に足を前へ進めた。


 ウィンドウが揺れる。


 ――【対象:帰れること】


 ――【倍率を選択してください】


 数字が並ぶ。


 1.5。

 2.0。

 3.0。


 私は2.0を選んだ。


 初代が、小さく息を吐いた。


「……思い切ったな」


「帰りたいので」


「逆説だな」


「そうですね」


 ウィンドウが確認を求める。


 ――【BET確認】


 ――【対象:帰れること 倍率:2.0】


 ――【敗北時:深層への永久定着】


 ――【承認しますか】


 私は、静かに頷いた。


 その瞬間。


 世界から、音が消えた。


 今までと違った。


 痛くない。


 熱くもない。


 ただ。


 胸の奥から、何かが静かに広がっていく感覚があった。


 扉を見る。


 開く確率が、見えた。


 糸みたいなもの。


 細くて。


 でも確かに存在している。


 私はそれに触れた。


 そして。


 静かに、手を閉じた。


 ぷつり、と。


 糸が切れた。


 沈黙。


 扉が。


 消えた。


 正確には。


 扉があった場所に、壁だけが残った。


 亀裂も、光も、気配も。


 何もない。


 ただの壁。


 廊下の奥から聞こえていた音が、止まった。


 深層の存在たちの気配が、遠くなる。


 遠く。


 遠く。


 消えていく。


「……閉じた」


 私は呟いた。


 視界の端で、ウィンドウが静かに光る。


 ――【BET成功】


 ――【帰れること:確定】


 次の瞬間。


 頭の奥へ、強い圧力が走った。


「――ッ」


 膝が折れかける。


 立っていられないほどの、重さ。


 ――【負荷発生中】


 ――【内容:ランダム決定中】


「……っ、また」


 歯を食いしばる。


 目を閉じた瞬間。


 記憶が、流れ込んできた。


 保健室。

 水晶の光。

 職業《勝負師》の文字。


 あの瞬間から、全部始まった。


 感情が消えていく感覚。

 赤黒いレバーを引きたくなる衝動。

 深層の目に見つめられた夜。


 BETは、ずっと私を飲み込もうとしていた。


 怖かった。本当に怖かった。


 でも。


 それがなければ、ここに来られなかった。


 夢喰いに会えなかった。


 曲湾師に助けてもらえなかった。


 初代に、会えなかった。


 ――【負荷内容決定】


 ――【職業《勝負師》を喪失します】


 世界が、静止した気がした。


 《勝負師》。


 覚醒した日から、ずっとそこにあった文字。


 感情を奪って。寿命を削って。深層へ引きずり込んで。何度も私を壊しかけた職業。


 でも。


 ここまで連れてきてくれた職業。


「……終わったんだな」


 声が、かすれた。


 誰に言うでもなかった。


 でも。


 言わずにはいられなかった。


 職業欄から、《勝負師》の文字がゆっくり消えていく。


 まるで、役目を終えたものが静かに退くみたいに。


 泣きそうだった。


 おかしな話だった。


 ずっと苦しめられてきた職業が消えるのに。


 なのに。


 少しだけ。


 ありがとう、と思った。


 ウィンドウが、静かに揺れる。


 ――【職業:《勝負師》→消去】


 ――【適合職業を再構築中】


 しばらく。


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 そして。


 ――【新規職業を確認】


 ――【職業:《白夜》】


 ――【固有スキル:《白虹》】


「……白夜」


 声に出した。


 初代が、後ろで静かに呟く。


「初めて聞く名だな」


「私もです」


 ステータスを開く。


 《白虹》の説明が、ゆっくり浮かんだ。


 ――【《白虹》】


 ――隠されたものを視認する。


 ――深層存在、隠し部屋、偽装ゲート、認識災害を識別可能。


 読み終えて、少しだけ息を吐いた。


 《BET》の時と、全然違う。


 あの時は「永久喪失」「敗北確率変動」という文字が並んでいた。


 怖かった。


 でも。


 今は。


 ただ、そこにある説明だった。


 脅しも警告も、何もない。


 ただ、自分の力の説明。


「……これが、白夜のスキルか」


 初代が静かに言う。


「見えるんだな、最初から」


「さっきから、うっすら何かが」


「何が」


「まだ分からないです」


 初代は少しだけ笑った。


「それでいい」


 そうか。


 誰も知らない。


 前例がない。


 でも。


 その名前だけは。


 妙に、自分のものだった。


 視界の端を見る。


 赤黒いウィンドウが、ない。


 完全に、消えていた。


 ノイズも。警告も。狂ったみたいなBET表示も。


 全部。


 ただ。


 最後に一行だけ。


 薄く浮かんで。


 消えた。


 ――【おかえり】


「……うるさい」


 呟いた。


 でも。


 少しだけ、胸が痛かった。


「行くぞ」


 初代が、ゆっくり立ち上がった。


 だが一歩目で身体が揺れた。


 壁に手をつく。


「大丈夫ですか」


「問題ない」


「全然問題ありそうですけど」


「身体が現実を思い出してないだけだ」


 初代は苦笑した。


「十年以上、深層にいたからな」


 そういうものか。


 私は初代の隣へ寄った。


「肩、貸します」


「いらん」


「貸します」


「……好きにしろ」


 初代の腕を、そっと支える。


 軽かった。


 十数年間ここにいた人が、こんなに軽い。


 喉が詰まる。


 でも。


 歩いている、一歩ずつ、ゆっくりと、確かに前へ。


 廊下を歩くほどに。

 空気が変わった。

 冷たさが、薄れていく。

 赤い光が、遠くなる。


 深層の気配が、消えていく。


 初代の足取りが、少しずつ確かになっていく。


「……あったかくなってきた」


 初代が小さく呟いた。


「外の空気ですよ、たぶん」


「そうか」


 初代は前を向いたまま答えた。


 でも。


 声が、少しだけ揺れていた。


 廊下の奥に、光が見えた。


 赤くない光。白い。現実の光だ。


「……あれです」


「ああ」


 初代が、光を見つめる。


 足が、一瞬だけ止まった。


「どうしました」


「……怖いな」


 小さい声だった。


 外へ出る一歩を前に、怖いと言った。


「私も怖かったです」


「何が」


「帰れることを賭けた時」


 初代が、こちらを見る。


「でも帰ってきました」


 私は光の方へ顎を向けた。


「一緒に行きましょう」


 初代は少しだけ黙った。


 それから。


 頷いた。


 二人で、光の中へ踏み出した。


 光が、視界を包む。


 浮遊感。


 落下感。


 そして。


 冷たい空気。


 現実の空気。


「――っ」


 床に足がつく。


 硬い。


 現実の床だ。


 顔を上げる。


 白い照明。

 封印術式の壁。

 管理局の深層ゲート前。


 黒城が立っていた。


 その後ろに、曲湾師。


 天宮は端末を握ったまま、固まっていた。


 三人とも。


 私を見て。


 その隣を見て。


 言葉を失っていた。


「……ただいま」


 私が言うと。


 黒城が固まった。本当に、一瞬だけ。感情を失ったみたいに。


 それから。


 ゆっくり息を吐く。


「……本当に」


 黒城が目を閉じる。


「本当に、戻ってきたんですね」


 静かな声だった。


 いつもの管理局員の声じゃない。


 黒城個人の声だった。


「約束しましたから」


 私が言う。


 黒城は小さく笑った。


「そうでしたね」

「……おかえりなさい」


 静かな声だった。


 曲湾師が、初代を見たまま動かない。


 天宮は端末を落としかけていた。


 誰も、しばらく何も言わなかった。


 空気が、静かに満ちていた。


 その時。


 昇降機の扉が開いた。


 管理局員が慌てた声を上げた。


「あっ、おい!」


「待ちなさい!」


 小さな人影が、その横をすり抜ける。誰も止められなかったらしい。


 黒い長髪。白い病衣。裸足。


 夢喰いだった。


 夢喰いは走りながら、初代を見た。足が、止まった。


 初代も、夢喰いを見た。


 誰も何も言わない。


 しばらく。


 ただ、見ていた。


 それから。


 夢喰いが、一歩だけ前へ出た。


『……帰ってきた』


 震える声だった。


 初代は何も言わなかった。


 でも。


 ゆっくり、夢喰いへ向かって歩いた。


 一歩ずつ。


 まだ足元は不安定だった。


 それでも。夢喰いの前まで来て。


 小さな頭に、そっと手を置いた。


「……元気にしてたか」


『してた』


「そうか」


 それだけだった。


 でも。


 夢喰いの目から、涙が流れていた。声も出さずに、ただ泣いていた。


 私は視線を逸らした。見てはいけない気がした。


 横で、曲湾師が小さく息を吐く。


 「本当に帰ってきやがった」


 気怠そうな声じゃなかった。


 珍しく、ただそのままの声だった。


 黒城が静かに言う。


「水瀬零」


「はい」


「職業が変わっています」


「分かってます」


「《白夜》」


「そうです」


「前例がありません」


「知ってます」


 黒城は少しだけ黙った。


「……これから、大変になりますよ」


「そうですね」


「覚悟はありますか」


 私は少しだけ考えた。


「あります」


 《勝負師》は消えた。


 深層も終わった。


 それでも。


 まだ何かが始まろうとしている。


 ――そんな予感があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ