表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白の探索者  作者: ニート無職
一章
23/46

帰る場所

 その人は、私が近づいても動かなかった。


 壁へ背中を預けて、床に座ったまま。


 白い髪が、赤い光の中で静かに揺れている。


 近くで見ると、思ったより若かった。


 でも。


 疲れていた。


 骨の奥まで疲れているような、そういう静けさだった。


「……座っていいですか」


 私が聞くと。


 その人は少しだけ笑った。


「好きにしろ」


 私は横の壁へ背中を預けて、床に座る。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 廊下の奥から、低い唸り声みたいな音が聞こえる。


 でも。


 ここまでは来ない。


 その人がいるから、来られない。


「……初代《勝負師》ですよね」


「そうだ」


「私は水瀬零です」


「知ってる」


 短い返事だった。


 でも。


 声に棘はなかった。


「ずっと待ってたんですか」


「待ってたんだろうな」


「他人事みたいですね」


 その人は少しだけ笑った。


「正直だな」


「よく言われます」


 沈黙。


 赤い光が、廊下を照らしている。


 私は膝の上で手を組んだ。


「……一個、伝言があります」


 その人の目が、少しだけ動いた。


「夢喰いから」


 空気が変わった。


 その人の身体が、わずかに固まる。


「……今も」


「元気にしてます」


 一瞬。


 その人が、目を閉じた。


 長い沈黙だった。


 何秒か、何十秒か、分からない。


 ただ。


 静かだった。


「……そうか」


 低い声。


 でも。


 さっきより、少しだけ柔らかかった。


「元気に、してるか」


「してます。毎晩私の部屋に来て、床に座って帰ります」


「床に」


「膝を抱えて」


 その人が、小さく笑った。


「変わってないな」


「知り合いなんですか」


「昔、引っ張り出した」


「深層から」


「ここにいると、ああなる」


 その人は廊下の奥を見る。


「深層の中にいると、人間じゃなくなっていく」


 人間じゃなくなる。


 その言葉が、妙に引っかかった。


「……あの、深層の存在って」


「気づいてるか」


「何かが変だとは思ってます」


 その人は少しだけ黙った。


「今は言わなくていい」


「え」


「知らない方が、今日は動きやすい」


 意味が分からなかった。


 でも。


 その人の目が真剣だったので、頷いた。


「……分かりました」


「帰ってから、黒城に聞け」


「黒城さんが知ってるんですか」


「向こう側を見に来た時、伝えた」


 そうか。


 黒城が向こう側を見に行った夜。


 あの時に、この人と話していたんだ。


「……ずっとここにいたんですか」


「ああ」


「一人で?」


「一人で」


 一人で。


 十数年間。


「……寂しくなかったですか」


 思ったより直接的な言葉が出た。


 その人は少しだけ考えた。


「最初はな」


「今は」


「慣れた」


 曲湾師と同じ言葉だった。


 怖いまま続けてる。慣れた。


 そういう人たちが、この世界にはいる。


「……扉の閉じ方を聞きに来ました」


「知ってる」


「教えてもらえますか」


 その人は目を閉じる。


「俺がやったのは、自分を鍵にすることだった」


「鍵に」


「BETで扉を賭けた。負けた。だから自分が代わりになった」


 静かな説明だった。


「同じことをお前にさせるつもりはない」


「なんで」


 その人が目を開ける。


 こちらを見た。


「帰れるから」


 その言葉だけが、真っ直ぐ刺さる。


「俺の時は、帰れる場所がなかった」


「……それって」


「お前には、ある」


 胸の奥が、じわり、と痛む。


 感情を失いかけているはずなのに。


 この人の声だけは、ちゃんと届く。


「扉を閉じるのに、鍵はいらない」


 その人は続ける。


「本当の閉じ方は、別にある」


「別の方法がある?」


「お前の能力は、確率を書き換える」


 天宮と同じことを言った。


「扉が開く確率を、ゼロにすればいい」


「……そんなことができるんですか」


「お前にしかできない」


 その人は静かに言う。


「俺のBETは、対象に干渉するだけだった。でもお前のは、確率そのものを書き換える」


「賭ける必要がある」


「何を?」


 その人は少しだけ黙った。


「お前が決めろ」


「決めろって」


「何を賭けるか。それだけは、お前にしか分からない」


 視界の端で、赤黒いウィンドウが静かに揺れた。


 ――【BET対象を選択してください】


 長い一覧が浮かぶ。


 感情。

 寿命。

 認識領域。

 記憶。


 色々ある。


 でも。


 その中に、一つだけ見慣れない文字があった。


 【白】


「……白?」


 思わず声に出た。


 その人の目が、少しだけ細くなる。


「見えるか」


「見えます。でも意味が」


「お前の白髪だ」


 呼吸が止まりかけた。


「俺も最初そこに行き着いた」


「……賭けたんですか」


「負けた」


 その人は自分の髪へ触れる。


 白い。


 私と同じ白さ。


「だからこうなった」


「白髪って、BETの代償だったんですか」


「最初から白かったわけじゃない」


 その人は少しだけ笑った。


「お前は?」


「生まれつき白いです」


 沈黙。


 その人が、初めて少しだけ驚いた顔をした。


「……生まれつき」


「はい」


「そうか」


 その人は天井を見る。


「それは俺には分からない領域だな」


「どういう意味ですか」


「生まれつきなら、白はお前のものだ」


 静かな声だった。


「俺のは、賭けの跡だ。でもお前のは違う」


「……だから、白を賭ける必要はない?」


「賭けてもいい。でも賭けなくてもいいかもしれない」


「どっちですか」


「お前が決めろ」


 また同じ答えだった。


 私は自分の手を見る。


 指先が、少し冷たい。


「……一個聞いていいですか」


「何」


「帰れる場所がなかったって言いましたよね」


 その人が、静かに頷く。


「後悔してますか」


 長い沈黙だった。


 廊下の奥から、低い音が聞こえる。


 その人は少しだけ考えてから、答えた。


「してない」


「本当に?」


「寂しかったのは本当だ」


 その人は続ける。


「でも。あの時そうするしかなかったし、夢喰いを出せたし」


 一拍。


「お前が来た」


 その言葉が、静かに胸に落ちる。


「……ここから、出られないんですか」


「俺は出られない」


「なんで」


「俺がここを離れたら、扉が開く」


「扉を閉じたら」


「閉じたら、必要なくなる」


「そうしたら出られる?」


 その人は少しだけ黙った。


「分からない」


「分からない?」


「十数年ここにいた。外に何が残ってるか」


 疲れているのに、穏やかな声だった。


「でも」


 その人が、私を見る。


「お前が閉じてくれたら、確かめられる」


 その言葉に。


 胸の奥が、急に熱くなった。


 感情を失いかけているはずなのに。


 泣きそうだった。


 泣けないのに、泣きそうだった。


「……必ず閉じます」


 声が、少しだけ震えた。


「そして出てきてください」


「出られるかどうか」


「出てきてください」


 その人は少しだけ目を細めた。


「……強いな」


「そうですか」


「ああ」


 その人は壁に頭を預ける。


「俺の時とは違う」


「何が違うんですか」


「お前には、戻る理由がある」


 戻る理由。


 曲湾師が言った言葉と同じだった。


 ——待ってるから。


 ——絶対に、戻ってきなさい。


 胸の奥に残った声が、静かによみがえる。


「戻る理由が、強さになる」


 私は視界の端のウィンドウを見た。


 ――【BET対象を選択してください】


 一覧が揺れている。


 何を賭ければいいか。


 その人は「決めろ」と言った。


 私は自分の手を見る。


 感情の一部を失った手。


 寿命を賭けた手。


 でも。


 まだここにある手。


「……一個だけ、教えてください」


「何を」


「確率をゼロにするって、どういう感覚ですか」


 その人は少しだけ考えた。


「ドアに鍵をかける感じだ」


「鍵をかける」


「開かないようにする。それだけ」


 シンプルな説明だった。


「難しくない。お前ならできる」


「根拠は」


「生まれつき白い奴が、ここまで来たんだ」


 その人が、小さく笑った。


「それで十分だろ」


 私は立ち上がる。


 その人を見下ろす。


 白い髪。

 疲れた目。

 でも穏やかな顔。


「夢喰いのこと、伝えましたよ」


「ああ」


「出てきたら、会いに行ってください」


「……そうするよ」


「待ってます、きっと」


 その人は何も言わなかった。


 でも。


 目が、少しだけ揺れた。


 私は前を向く。


 廊下の奥。


 赤い光の先。


 扉がある。


 視界の端で、赤黒いウィンドウが静かに光る。


 ――【BET準備完了】


 何を賭けるか。


 私はもう、決めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ