表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白の探索者  作者: ニート無職
一章
20/47

戻る理由

三日。


 部屋に戻ってから、その数字だけが頭の中をぐるぐるしていた。


 ベッドに横になって、天井を見る。


 封印術式が低く唸っている。

 白い照明が変わらない明るさで照らしている。


 三日。


「……短いな」


 呟いても、誰も答えない。


 視界の端で、赤黒いウィンドウが静かに点滅していた。


 ――【鍵照合:進行中】


 消えない。

 昨日から、ずっと。


 コンコン。


 扉がノックされた。


「開いてます」


 隔壁が開く。


 白衣。

 よれたシャツ。

 眠そうな目。


 曲湾師だった。


「起きてたか」


「起きてました」


 曲湾師は部屋へ入り、いつもの壁へ背中を預ける。


 右腕の処置跡が、昨日よりさらに薄くなっていた。


「天宮に会ったんだろ」


「会いました」


「うるさかっただろ」


「最初だけ」


「あいつ、大事な話になると急に静かになるから」


「なりましたね」


 曲湾師は少し笑った。


 沈黙。


 でも。

 嫌な沈黙じゃなかった。


「……三日、って言われました」


 私が言うと。


 曲湾師の笑いが、少しだけ消えた。


「知ってる」


「知ってたんですか」


「天宮から聞いた」


 曲湾師は天井を見る。


「お前が面会する前に」


「……先に言ってくれればよかったのに」


「言ったら、どうした」


 返せなかった。


 どうしていたんだろう。

 何かが変わったかというと、たぶん変わらなかった。


「……そうですね」


 私は手を見る。


 指先が、少し冷たい。


「ねえ」


 曲湾師が、壁から背を離す。


 床に腰を下ろした。

 珍しい姿勢だった。


「前に言ったこと、覚えてるか」


「何を」


「怖くなくなったら声かけろって」


 ああ。


 覚えていた。


「その時が一番危ない、って」


「ええ」


 曲湾師は膝の上で手を組む。


「今、怖いか」


 少しだけ考えた。


「……分からないです」


「感情のせいか」


「それもあるし」


 視界の端でウィンドウが点滅する。


「怖くないのか、怖さを感じられないのか、自分でも判断できない」


「そうか」


 曲湾師は少しだけ黙った。


「それ、正直に言えるうちは大丈夫だ」


「どういう意味ですか」


「本当にヤバい時は、怖くないことに気づかない」


 ぞわり、とした。


「……曲湾師って」


「ん」


「覚醒した時、怖かったですか」


 少し長い沈黙。


 曲湾師は天井を見たまま答えた。


「怖かったな」


「でも今は」


「今も怖いぞ」


 意外だった。


「……そうなんですか」


「空間が歪むのが自分でも分かるんだよ」


 曲湾師は片手を見る。


「気を抜くと、周りのものが変な形になる」


「常に気を張ってるんですか」


「張ってる、というより慣れた」


 慣れた。


 その二文字が、妙に重かった。


「怖くなくなったわけじゃない」


 曲湾師は続ける。


「怖いまま、続けてる」


 部屋に静けさが落ちる。


 私はベッドの上で膝を抱えた。


「……私、戻りたいんですよね」


 気づいたら、口から出ていた。


 曲湾師が、こちらを見る。


「扉から、ですか。それとも」


「全部から」


 一拍。


「日常に。探索者として、普通に。


 ここじゃない場所へ」


 曲湾師は少しだけ目を細めた。


「それ、覚えとけよ」


「え」


「向こう側に行く時」


 声が、少し低くなった。


「人間側に引っ張るもんが必要だ」


「……錨、ってこと?」


「そういうこと」


 夢喰いが「名前を忘れないで」と言ったのを思い出す。


 向こう側に引き込まれる時。


 自分を繋ぎ止めるものが要る。


「戻りたい場所を、ちゃんと持っとけ」


 曲湾師はそれだけ言った。


 私は窓のない部屋を見回す。


 白い壁。

 封印術式。

 冷たい照明。


 戻りたい場所。


 ここじゃない。


 脳裏に、ふと浮かぶ。


 雨の校庭。

 保健室の白い天井。

 震える手で肩を掴んでくれた人。


「……先生、どうしてるかな」


 思わず、声が漏れた。


 曲湾師が少しだけ眉を上げる。


「五島さんか」


「会えますか」


「俺には分からん。黒城に聞けば」


「……そうですね」


 五島先生は、今も学校にいるんだろうか。


 あの日から、学校はどうなったんだろう。


 ゲートが発生して、モンスターが出て。


 生徒たちは無事だったんだろうか。


 考えてみると、何も知らないことに気づく。


 あの日から、外のことを何も聞いていなかった。


「……管理局に来てから、外のことを何も知らないな」


「知りたいか」


「知りたいです」


 曲湾師は少し考えた。


「黒城に話す。たぶん何か手配できる」


「ありがとうございます」


「別に」


 曲湾師は立ち上がる。


 床に座ったのが珍しかったので、少しだけ新鮮だった。


「三日あるから」


 壁に背中を預けながら、気怠そうに言う。


「今日明日は、戻る理由を集めとけ」


「戻る理由」


「いっぱいある方がいい」


 曲湾師はそれだけ言って、扉へ向かう。


「曲湾師」


 振り返る。


「その理由、一個あります」


「何」


「ここに戻ってきたら、曲湾師に礼を言おうと思ってたので」


 曲湾師は数秒だけ黙った。


 それから。


 小さく、ぶっきらぼうに言った。


「礼はいらん」


「言いますよ」


「……好きにしろ」


 扉が閉まる。


 一人になった部屋で。


 私は口元に手を触れた。


 ……笑っていたらしい。


 自分では、よく分からなかった。


 感情がなくなりかけている。

 怖いのかどうかも分からない。


 なのに。


 笑えた。


 赤黒いウィンドウが、静かに点滅する。


 ――【感情残滓を確認】


「うるさい」


 呟く。


 でも。


 今は少し。


 その文字が嫌いじゃなかった。


 残滓でいい。


 残ってるなら、それでいい。


 私は目を閉じる。


 戻る理由。


 曲湾師。

 夢喰い。

 黒城。

 天宮。


 そして。


 雨の中、震えながら肩を掴んでくれた人。


「……先生」


 小さく呟く。


 返事はない。


 でも。


 胸の奥が、少しだけ温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ