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白の探索者  作者: ニート無職
一章
19/50

三日

午後一時まで、時間があった。


 黒城が出ていった後。

 曲湾師も「俺は寝る」と言って消えた。


 一人になった部屋で、私はベッドの端に座っていた。


 することがない。


 端末も本もない。

 窓もない。

 封印術式が低く唸っているだけの部屋。


「……暇だな」


 呟いてから、少しだけ驚いた。


 暇、という感覚があった。


 昨日まで、こういう感情の名前が出てこなかった。


 赤黒いウィンドウが、視界の端でいつもより静かに点滅している。


 ――【接続強度:低下中】


 夢喰いのおかげかもしれない。


 コンコン。


 また扉がノックされた。


 黒城か曲湾師か、と思って顔を上げる。


 違った。


 隔壁の隙間から、黒い長髪が覗いた。


「……夢喰い」


 夢喰いが、静かに滑り込んでくる。


 白い病衣。裸足。いつもと変わらない姿。


『起きてた』


「起きてた」


 夢喰いはベッドの横まで来て、昨夜と同じ場所へ座った。


 床に膝を抱えて。

 こちらを見上げる。


「ありがとう」


 素直に言った。


 夢喰いが、少し首を傾ける。


「昨夜。夢、見なかった」


『よかった』


「黒城さんに聞いたけど」


 夢喰いの黒紫の目が、静かにこちらを見る。


「他の人の夢には入らないって」


 少し間があった。


『うん』


「なんで私には来たの」


 夢喰いは膝の上で指を絡める。


 考えているみたいだった。


 しばらくして。


『零が、泣きそうだったから』


「……泣いてた?」


『泣いてなかった』


「じゃあ」


『でも、泣けなくて困ってた』


 喉が詰まる。


 そうか。

 そういうことか。


 感情を失いかけている。

 怖いのか悲しいのかも分からない。

 でも、何かがおかしいのは分かる。


 泣けなくて困っていた。


 そうだったのかもしれない。


「……よく分かったね」


『ずっと見てたから』


 夢喰いは静かに答えた。


 自慢でもなく。

 言い訳でもなく。

 ただ、そうだったから、という声だった。


「局長に会いに行く」


 話題を変える。


 夢喰いの目が少し変わった。


「知ってる?」


『知ってる』


「どんな人」


 夢喰いは少しだけ考えた。


『うるさい』


「性格?」


『声が』


「……大丈夫かな」


『大丈夫じゃないかも』


「正直だね」


 夢喰いは少しだけ笑った。


 午後一時。


 黒城が迎えに来た。


 廊下を歩く。


 第七拘束棟から出るのは、来た日以来だった。


 管理局員たちとすれ違うたび、視線を感じる。


 警戒。

 好奇心。

 恐怖。


 色々混ざった目だった。


 でも。


 昨日より少し、気にならなかった。


「局長室は地上二階です」


 黒城が歩きながら言う。


「地下じゃないんですか」


「局長は地下が嫌いなので」


「管理局の最高責任者なのに?」


「閉塞感があると言っていました」


 なんか意外だった。


 昇降機で地上へ上がる。


 外の空気が、久しぶりだった。


 窓から見える空が、白く曇っていた。


「……曇りだ」


「昨日から雨が続いています」


「そうですか」


 学校が、遠い。


 五島先生が、遠い。


 でも。


 今は、ここにいる。


 黒城が足を止めた。


 廊下の奥。

 他より少しだけ大きい扉。


 表札には何もない。


「着きました」


「ノックは?」


「必要ありません」


「なんで」


「どうせ開けてと言われるので」


 黒城が扉を開ける。


 その瞬間。


「来た来た来た来た!!」


 甲高い声が飛んできた。


「遅い! 何分待ったと思ってるの!!」


「定刻です」


「体感では遅い!!」


 思わず目を丸くする。


 部屋の中は、異様だった。


 壁一面に、数式が書き連ねられている。

 床にも。

 天井にも。


 そこかしこに紙が散乱して、端末が積み上がっている。


 そして。


 その中心で。


 小柄な女が立っていた。


 年齢は三十代くらい。

 目元まで垂れた前髪。

 白衣がよれている。


 手には何本もマーカーを握っていた。


「あなたが水瀬零ね!!」


「……はい」


「計算できない!!」


「すみません」


「なんで謝るの!! 謝る意味が分からない!! 謝るより説明して!!」


「説明できないです」


「なんで!!」


「私にも分からないので」


 女は盛大に頭を抱えた。


「最悪!! データが何もない!! 変数が多すぎる!! そもそもあなたって何!!」


「高校一年です」


「それは知ってる!!」


 黒城が静かに口を挟む。


「局長、落ち着いてください」


「落ち着いてる!!」


「落ち着いていません」


「これが私の平常運転です!!」


 曲湾師が「変なやつ」と言った意味が分かった。


 女――局長は、ぜえぜえと息を整えながら、改めてこちらを見た。


「……えっと」


 急に声のトーンが落ちた。


「怖がらせたかしら」


「少しだけ」


「ごめんなさいね」


 さっきと別人みたいな声だった。


 局長は散乱した紙を踏みながら、椅子へ腰を下ろす。


「座って」


 向かいの椅子を指す。

 紙が三枚乗っていた。


「……」


「あ、ごめんなさい」


 局長が紙を払いのける。


 私は椅子に座った。


 黒城は扉の横に立ったまま動かない。


「改めて」


 局長が、前髪の隙間からこちらを見る。


 目が、鋭かった。


 さっきまでの騒がしさが嘘みたいに。


「私は《演算士》。管理局長です」


「水瀬零です」


「知ってます」


 局長は端末へ視線を落とす。


「あなたのことを計算しようとして、三十七回エラーを出しました」


「三十七回……」


「同じ人間でそれだけ出たのは初めてです」


 嬉しくない記録だった。


「なぜ計算できないか、仮説はあります」


「……何ですか」


 局長が端末を置く。


 真っ直ぐ、こちらを見た。


「あなたの能力は、確率を書き換えます」


「確率?」


「《BET》の本質は、賭けじゃない」


 局長は続ける。


「あなたが賭けた瞬間、世界の”確率”が塗り替えられます」


「……意味が」


「私の能力は、未来の確率を演算します」


 局長の声が、静かになった。


「でも、あなたがいると、計算途中で確率が変わる」


「……ズルって言われました」


「ズルじゃない」


 局長は首を振る。


「もっと根本的な問題です」


 一拍。


「世界には、変えられない確率があります」


「変えられない?」


「例えば太陽が明日も昇る確率。例えば人間がいつか死ぬ確率」


 局長の目が細くなる。


「あなたは、その”変えられないはずの確率”に干渉できる可能性があります」


 頭の奥で、赤黒いウィンドウが静かに揺れた。


 ――【確率干渉能力保有確認】


「……だから計算できない」


「そうです」


 局長は少しだけ息を吐いた。


「演算が追いつかない。あなたが次に何をするか、私には読めない」


「それって、怖くないですか」


 正直に聞いた。


 局長は少しだけ黙った。


「怖いです」


 真顔だった。


「でも」


 局長が端末を手に取る。


「怖いものを閉じ込めておくより、近くで見ていた方が怖くない」


「……そういう理由で解放したんですか」


「半分はそうです」


「残り半分は」


 局長の目が、真っ直ぐこちらへ向く。


「扉が開こうとしています」


 その言葉だけで、空気が変わった。


「私の計算では、深層への扉は七十二時間以内に限界を迎えます」


「限界って」


「初代《勝負師》が鍵として機能しなくなる、ということです」


 黒城の気配が、一瞬だけ変わった。


「……初代が、消えるってこと?」


「あちら側で、消耗しています」


 局長の声に、初めて迷いが混じった。


「正確には、既にほとんど残っていない」


 喉が詰まる。


「だから探していたのかもしれません」


 局長が呟く。


「次の鍵を」


 赤黒いウィンドウが、静かに点滅する。


 ――【鍵照合:進行中】


「……七十二時間って」


「今から三日以内です」


 三日。


 あの言葉が、また頭の奥に響く。


 初代《勝負師》は、《寿命》追加確認から三日後に消失事件を起こした。


 今回も、三日。


「水瀬零」


 局長が静かに呼んだ。


「一つだけ、聞いていいですか」


「……何ですか」


「あなたは、扉を閉じたいですか」


 部屋が静かになった。


 黒城も。

 局長も。


 誰も喋らない。


 私は、自分の手を見た。


 指先が、少し冷たい。


 怖いのか。

 怖くないのか。


 まだ、分からない。


 でも。


「……閉じなかったら、どうなるんですか」


「深層の扉が開きます」


「それって」


「東京第一ダンジョン消失事件の規模では、済みません」


 空気が凍った。


「前回は三百人でした」


 局長の声は、静かだった。


「今回は、もっと大きい」


 沈黙。


 私は視線を上げる。


 局長が、まっすぐこちらを見ていた。


 怖がっている。


 でも。


 目を逸らさない。


「……決めるのは私なんですか」


「そうです」


「なんで」


「鍵だからです」


 シンプルな答えだった。


 赤黒いウィンドウが、視界の端で静かに揺れる。


 ――【次のBETをお待ちしております】


 いつもの文字。


 でも。


 今日だけは。

 その意味が、少し違って見えた。


「……考えます」


 それだけ言った。


 局長は頷いた。


「時間はあまりありません」


「分かってます」


「でも」


 局長が、少しだけ笑った。


 さっきまでの騒がしさとも、真剣な顔とも違う。


 ただ、静かな笑いだった。


「計算できない人間が、どんな答えを出すか」


 一拍。


「それだけは、楽しみにしています」


 その言葉が。


 妙に。


 胸に残った。

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