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白の探索者  作者: ニート無職
一章
18/47

夢のない朝


 目が覚めた時。


 夢を見ていなかった。


 それだけで。

 少しだけ、息ができた気がした。


 天井。

 白い照明。

 壁一面の封印術式。


 ここが第零封鎖区画だというのを、一瞬だけ忘れていた。


 隣を見る。


 夢喰いはいなかった。


 ベッドの端。

 床に座っていた場所だけが、少し冷たかった。


 来ていた証拠だけが、残っている。


「……」


 何も言えなかった。


 でも。


 悪くない感じだった。


 身体を起こす。

 指先が、まだ少し冷たい。


 視界の端で、赤黒いウィンドウが静かに点滅していた。


 ――【観測継続】


 変わらない。


 昨日と同じ文字。


 でも。


「……あれ」


 何かが違った。


 よく見ると。

 ウィンドウの端に、小さな数字が浮かんでいる。


 ――【接続強度:低下中】


「低下……?」


 昨日まではなかった表示だった。


 どういう意味か分からない。

 いいことなのか、悪いことなのか。


 そんな時に限って、ウィンドウは何も教えてくれない。


 コンコン。


 扉がノックされた。


「失礼します」


 隔壁が開く。


 黒いコート。銀色の目。


 黒城だった。


「おはようございます」


「……朝ですか、これ」


「午前六時です」


「管理局って朝早いんですね」


「あなたが気を失っていた時間が長かっただけです」


 そういうものか。


 黒城は部屋へ入り、端末を操作する。


「確認したいことがあります」


「また?」


「また、です」


 淡々としていた。


 私はベッドの上で膝を抱える。


「……BETのウィンドウに、昨日と違う表示が出てます」


 黒城の動きが、一瞬だけ止まった。


「内容は」


「接続強度が低下中、って」


 沈黙。


 黒城は端末へ何かを入力した。


「夢喰いが来ましたね」


「……なんで分かるんですか」


「監視カメラです」


「映ってたんだ」


「映っていました」


 なんか恥ずかしい。


「夢喰いの干渉で、深層との接続が弱まった可能性があります」


「それって、いいこと?」


「悪いことではありません」


 珍しく、否定しなかった。


「ただし」


 やっぱり続きがある。


「一時的な可能性が高い」


「そうですよね」


「深層存在はあなたを既に覚えています。接続強度が下がっても、繋がりそのものは消えません」


 分かってた。

 分かってたけど。


「……夢喰いに、礼を言わないといけないな」


 黒城は少しだけ黙った。


「彼女が自発的にあなたへ干渉したのは、初めてです」


「え」


「これまで、夢喰いは収容対象の夢へ入ることを拒否してきました」


 それは。


 知らなかった。


「……なんで私には来たんでしょう」


「本人に聞いた方がいいかもしれません」


 そうだった。

 夢喰いは多分、聞けば答えてくれる。


 コンコン。


 また扉がノックされた。


「黒城ー、俺も入っていい」


 聞き覚えのある声。


「どうぞ」


 黒城が答えると、隔壁が開いた。


 曲湾師が入ってくる。


 右腕に、白い処置跡が見えた。

 ノイズ化は、昨夜より随分落ち着いている。


「腕、大丈夫ですか」


「医療班に怒られた」


「そうでしょうね」


「黒城にも怒られた」


「怒っていません。確認しただけです」


「怒ってたろ絶対」


 曲湾師は壁へ背中を預ける。

 いつもの姿勢だった。


「で、状態どう」


「接続強度が下がってます」


「夢喰いか」


「みたいです」


 曲湾師は少し考えた。


「あいつ、人の夢に入るの嫌がるんだけどな」


「黒城さんも言ってました」


「ふーん」


 気のない返事だったけど。


 目が、少し違った。


「まあ、良かったんじゃないの」


 それだけ言った。


 黒城が端末を閉じる。


「本題に入ります」


 空気が変わった。


 私は膝を抱えたまま、黒城を見る。


「水瀬零。管理局としての正式決定が出ました」


「……何ですか」


「あなたの危険度指定を、暫定災害から」


 一拍。


「管理局直属特例収容へ変更します」


「どう違うんですか」


「災害指定は、処分を前提とした管理です」


 黒城は続ける。


「特例収容は、協力関係を前提とした管理です」


「……協力」


「あなたが《勝負師》である以上、深層との関わりは避けられません」


 それは分かってた。


「管理局は、あなたを敵として扱う理由がなくなりました」


「でも監視はする」


「します」


「正直だな」


「嘘をついても意味がないので」


 曲湾師が壁から背を離す。


「要するに、もう隔離じゃないってこと」


「完全な自由ではありません」


「でも、ここに閉じ込めたままじゃない」


「……はい」


 思ったより、大きい変化だった。


「なんで急に」


 私が聞くと。


 黒城は少しだけ黙った。


「昨夜、局長と話しました」


「局長?」


「管理局の最高責任者です」


「なんて言ったんですか」


 黒城の銀色の目が、真っ直ぐこちらへ向く。


「深層への扉が開こうとしている以上、鍵を閉じ込めていても意味がないと」


 鍵。


 その言葉が、また胸の奥に刺さる。


「……局長って、どんな人ですか」


「会えば分かります」


「会うんですか」


「今日、面会の予定が入っています」


 聞いてなかった。


 曲湾師が、気怠そうに言う。


「局長はまあ……変なやつだから」


「変って」


「俺が言える立場じゃないけど」


 嫌な予感がした。


「ちなみに局長の職業、何ですか」


 黒城は端末へ視線を落としたまま答えた。


「《演算士》です」


 演算士。


 未来を予測する。

 数百万通りの未来を計算して、最適解を出す。


「……私のこと、計算できないって言ってた人」


「ええ」


「怒ってませんか」


 黒城は少しだけ間を置いた。


「今朝も廊下で叫んでいました」


「計算できないことに?」


「計算できないはずのものが目の前にいることに」


「面倒くさい人だな……」


 曲湾師が小さく笑う。


「でもまあ」


 壁に背中を預けながら、気怠そうに天井を見る。


「計算できないってことは」


 一拍。


「お前の未来、誰にも決まってないってことだから」


 その言葉が。


 妙に。


 静かに、胸に落ちた。


 赤黒いウィンドウが、視界の端で点滅している。


 ――【次のBETをお待ちしております】


 いつもと変わらない文字。


 でも。


 今は少しだけ。


 遠くに見えた。


「……面会、何時ですか」


「午後一時です」


「分かりました」


 私は息を吐いた。


 窓のない部屋。

 冷たい空気。

 封印術式の低い唸り。


 変わらない場所。


 でも。


 少しだけ、今日は違う気がした。

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