勝負師
遠くで、誰かの声が聞こえた。
「おい、水瀬!」
「保健室! 早く!」
騒がしい。
頭の奥で鐘みたいな音が響いていた。
意識が浮かぶ。
重いまぶたを開けると、白い天井が見えた。
「……ここ」
「保健室。気分は?」
横から声がした。
女性教師――保健医の先生が、椅子に座ってこちらを見ている。
私は数秒ぼんやりしてから、ゆっくり身体を起こした。
「……私、倒れました?」
「盛大にね」
呆れたように笑われる。
記憶を探る。
水晶。
光。
静まり返る教室。
そして。
「《勝負師》……」
口に出した瞬間。
保健医の表情が、わずかに固まった。
「……その職業」
先生は言い淀む。
「ダンジョン出現初期に、一人だけ確認例があるって聞いたことがあるわ」
「一人だけ?」
「資料自体、ほとんど残ってないらしいの」
雨音に紛れるみたいな声だった。
保健室の窓を、細い雨粒が流れていく。
「……なんで、残ってないんですか」
私がそう聞くと、
先生は少しだけ黙った。
「分からないわ」
けれど、と続ける。
「当時の探索者記録って、今よりずっと杜撰だったの。ダンジョンが現れたばかりで、世界中が混乱してたから」
先生は机の上のマグカップを指先でなぞる。
「死亡者も多かったし、行方不明者なんて毎日のように出てた」
淡々とした声。
だけど、その内容は重かった。
「《勝負師》も、その混乱の中で消えたのかもしれないし……」
そこで先生は言葉を切った。
「……別の理由かもしれない」
「......別の?」
問い返しても、
先生はすぐには答えなかった。
視線が、私の白い髪へ向く。
何かを考えている顔だった。
先生は何かを言いかけて、
小さく息を飲み込んだ。
そして、視線を逸らす。
「……ごめんなさい」
静かな声だった。
「これ以上は、私も知らないの」
嘘ではない気がした。
本当に、
断片しか知らないんだと思う。
保健室に沈黙が落ちる。
雨音だけが、やけに大きく聞こえた。
私は窓の外を見る。
灰色の空。
校庭には誰もいない。
ただ雨だけが降っていた。
「……《勝負師》って、弱いんですかね」
何となく聞いた。
先生は少し困った顔をする。
「職業に強い弱いはあるわ。でも、“分からない職業”は別」
「別?」
「評価できないの」
先生は椅子に深く座り直した。
「探索者って、過去のデータで価値が決まる部分が大きいのよ。どんなスキルがあるか。どんな進化をするか。死亡率はどれくらいか」
そこで一度言葉を切る。
「でも《勝負師》は、比較対象が存在しない」
少しだけ背筋が寒くなった。
世界に一つしか前例のない職業。
しかも、その記録は消えている。
「……なんか、嫌ですね」
ぽつりと漏らす。
先生は否定しなかった。
代わりに。
「探索者管理局には連絡が行ってると思う」
「……え?」
「レア職が出た場合、確認が来ることがあるの」
嫌な予感がした。
「今日中か、遅くても数日以内には誰か来るかもね」
その瞬間。
コンコン。
保健室の扉がノックされた。
先生と私の視線が同時に向く。
「失礼します」
低い男の声だった。
ガラリ、と扉が開く。
入ってきたのは、黒いスーツ姿の男だった。
年齢は三十代くらい。
雨に濡れた髪を無造作にかき上げながら、静かに保健室へ入ってくる。
胸元には銀色のバッジ。
見覚えはない。
けれど先生は、その瞬間わずかに表情を引き締めた。
「探索者管理局の方?」
「ええ」
男は短く頷く。
視線がこちらへ向いた。
その目が、一瞬だけ止まる。
白髪を見ていた。
「水瀬零さんですね」
「……そうですけど」
男は数秒、何も言わなかった。
観察されている。
そんな感覚だけが残る。
「職業は《勝負師》で間違いありませんか」
「はい」
「固有スキルは?」
「まだ分かりません。
ステータスを開いていないので」
男の眉が、わずかに動いた。
でもそれだけだった。
「そうですか。……確認をお願いできますか」
静かな声。
淡々としている。
なのに、
妙な圧迫感があった。
私は無意識に、シーツを握っていた。
確認。
たったそれだけの言葉なのに、
妙に息苦しい。
「……ここでですか」
「ええ」
男は頷く。
保健医の先生も何も言わない。
止める気配もない。
つまり、探索者管理局に逆らえる空気ではないのだろう。
「……分かりました」
断れる気はしなかった。
私は小さく息を吐き、意識を集中させる。
ステータス画面。




