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白の探索者  作者: ニート無職
一章
14/50

向こう側

視界が、赤く染まっていた。


 警告音。


 ノイズ。


 赤黒いウィンドウが、視界いっぱいに増殖していく。


 ――【BET受付中】


 ――【対象:深層存在】


 ――【賭け金:認識領域】


 ――【制限時間】


 数字が減っていく。


「……っ」


 頭が痛い。


 というより。


 “頭の中を触られている”。


 そんな感覚だった。


「零!」


 曲湾師の声。


 でも、遠い。


「おい、何見えてる!」


 ギギギ。


 目の前で、古びたレバーが小さく軋む。


 まるで。


 “待っている”みたいに。


『だめ』


 夢喰いが、強く私の手首を掴んだ。


 冷たい。


 でも。


 その感触だけは妙に現実だった。


『それ、深いものと繋がる』


「もう繋がってる気しかしないんだけど……」


 息が浅い。


 暗闇の奥。


 “目”が、まだこちらを見ていた。


 視線が合っていないはずなのに、

 見られている感覚だけが消えない。


 赤黒いウィンドウが、再び点滅する。


 ――【対象が観測を開始】


 ――【BET成立まで残り:7】


「は……?」


 数字が減っていく。


「おい夢喰い!」


 曲湾師が低く叫ぶ。


「こいつ今どこまで引っ張られてる!」


『浅層と深層の間』


「最悪じゃねえか……!」


 曲湾師が空間へ手を伸ばす。


 瞬間。


 空気が、ぐにゃり、と歪んだ。


 視界の一部が捻じ曲がる。


 でも。


 赤黒いウィンドウだけは、消えない。


「切れねえ……!」


 初めて。曲湾師の声に焦りが混じった。


 夢喰いが、小さく首を振る。


『深層側が掴んでる』


「クソ」


 数字が減る。


 ――5。


 頭の奥で、誰かが囁いた。


 ――引け。


 知らない声だった。


 低い。


 遠い。


 なのに。


 妙にはっきり聞こえる。


「……っ」


 心臓が嫌な音を立てる。


 引いてはいけない。


 それだけが、本能で分かった。


 でも。


 声が消えない。


 頭の奥へ、

 じわじわ入り込んでくる。


『零』


 夢喰いの声。


『見ちゃだめ』


 黒紫の瞳が、真っ直ぐこちらを見る。


『思い出しちゃだめ』


「……何を」


 夢喰いは答えない。


 その代わり。


 廊下の奥の暗闇が、ゆっくり蠢いた。


 ぞわり、と空気が震える。


 赤い光の届かない場所。


 そこから、“何か”が近づいてくる。


 足音はない。


 でも。


 来ている。


 分かってしまう。


 曲湾師が舌打ちする。


「おいおい……浅層まで出てくんなって」


 その時。


 暗闇の奥で、何かが笑った。


 ――ギ、


 音とも声ともつかない、嫌な響き。


 同時に。


 視界のウィンドウが激しく明滅する。


 ――【BET成立まで残り:3】


「零!」


 曲湾師が叫ぶ。


「今から視界ごと捻じ切る! 一瞬意識飛ぶぞ!」


「は……?」


「黙って飛べ!」


 空間が、軋む。


 曲湾師の周囲で、

 夢界そのものが悲鳴みたいに歪み始めた。


 夢喰いの髪が、ふわりと浮く。


『壊れる』


「知るか!」


 曲湾師が右手を振り抜いた。


 瞬間。


 視界が、ぐにゃり、と折れ曲がる。


 廊下。


 赤い光。


 暗闇。


 全部が、紙みたいに捲れた。


 その奥。


 一瞬だけ。


 “もっと下”が見えた。


「――っ」


 理解できない景色だった。


 空。海。都市。

 全部が上下逆さまに折り重なっている。

 巨大な影。無数の赤い目。


 そして。その中心で。

 “誰か”がこちらを見ていた。


 人間だった。


 でも。


 人間じゃなかった。


 赤黒いウィンドウが、悲鳴みたいなノイズを吐き出す。


 ――【観測エラー】


 ――【認識汚染発生】


 ――【権限衝突】


 ――【■■■■】


 次の瞬間。


 夢喰いが、私の目を塞いだ。


 冷たい手。


 世界が真っ暗になる。


『見ないで』


 その声だけが、近かった。


 同時に。


 何かが、こちらへ手を伸ばした気がした。


 ぞわっ、と背筋が凍る。


 赤黒いウィンドウが、

 視界の奥で激しく点滅する。


 ――【BET成立まで残り:1】


 レバーが、目の前にある。


 引けばどうなるのか分からない。


 分からないのに。


 視線が離せなかった。


 頭の奥で、何かがずっと囁いている。


 ――引け。


「……っ」


 違う。


 こんなの、触っちゃ駄目だ。


 そう思う。


 でも、引かなければ“あれ”が来る。

 そんな確信だけが胸の奥にあった。

 呼吸が浅い。空気がじわじわ近づいてくる。


「零!!」


 曲湾師の叫び。夢喰いの冷たい手。

 赤黒いウィンドウ。


 全部が重なる。


 頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。

 私は、震える指をゆっくり伸ばす。


 止まれ。


 そう思った。


 でも。


 指先は止まらない。


 そして、そっとレバーへ触れた。


 その瞬間。


 ぞわり、と。


 冷たい何かが、腕を這い上がった。


「――っ!?」


 反射的に手を引こうとする。


 でも。


 動かない。


 指先が、何かへ吸いついているみたいだった。


 赤黒いウィンドウが、視界中央で静かに開く。


 ――【接触確認】


 ――【深層干渉開始】


 ――【適合判定】


「零!」


 曲湾師の声。


 空間が激しく軋む。


 周囲の廊下が、ぐにゃぐにゃと歪み始めていた。


 夢喰いが、私の腕を掴む。


『だめ』


 その声は、今までで一番焦っていた。


『まだ、向こう側に掴まれただけ』


「……っ」


 息が詰まる。


 知らない景色が、頭の奥に流れ込んでくる。


 赤い海。

 崩れた都市。

 逆さまの空。

 

 そして。


 無数の“目”。


「ぁ――」


 頭痛。


 視界が揺れる。


 赤黒いウィンドウが、激しく点滅した。


 ――【深層存在が注視しています】


 ――【侵食率上昇】


 ――【認識固定開始】


「チッ!」


 曲湾師が空間を蹴る。


 次の瞬間。


 私の周囲だけ、

 空間が切り離されたみたいに歪んだ。


 景色が、ズレる。


 暗闇の“目”が、一瞬だけ遠ざかった。


「零! 聞け!」


 曲湾師の声が近づく。


「そっち見るな! 意識持ってかれるぞ!」


「無理……!」


 声が震える。


 頭の中に、

 “何か”が入り込んできている。


 理解したくないのに。

 勝手に、知らない情報が流れ込んでくる。


『零』


 夢喰いが、静かに私の額へ触れた。


 冷たい。


 でも。


 その瞬間だけ、ノイズが少し遠のく。


『名前を忘れないで』


「……名前?」


『自分の』


 ぞくり、とした。


 赤黒いウィンドウが、また静かに開く。


 ――【BET成立まで残り:0】


 空気が、止まった。


 その瞬間。


 指先の先で、重い感触が沈む。


「――ぁ」


 違う。


 引いてない。


 まだ、

 自分では動かしてない。


 なのに。


 何かが、

 勝手に進んでいく。


 ギギギギ――……


 嫌な音。


 夢界全体が、震え始めた。


 暗闇の奥で。


 “何か”が、嬉しそうに笑った。

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