みつけた
搬入口の空気は、まだ張り詰めたままだった。
管理局員たちは誰も動かない。
装甲車の外壁から消えた封印術式。
その痕跡を、信じられないものを見るみたいな目で見つめている。
「……記録、残ってるか」
「残っていません。封印コードごと消失しています」
「術式破壊じゃないのか?」
「違います。“痕跡が存在しません”」
その言葉に、空気がさらに重くなった。
私は黙ったまま、自分の指先を見る。
何もしてない。
……本当に?
頭の奥で、赤黒いウィンドウが微かに揺れる。
――【権限使用履歴:確認不可】
ぞわり、と寒気が走った。
「……権限って何」
小さく呟く。
「何か言いましたか」
黒城の声。
「いえ……独り言です」
本当のことなんて言えるわけがなかった。
曲湾師が、眠そうな目のままこちらを眺めている。
「なあ黒城」
「なんですか」
「こいつ、マジで隔離だけで済ませる気?」
「現時点では」
「ふーん」
興味なさそうに返事をしながら、曲湾師は私から視線を外さない。
その目だけが、妙に鋭かった。
「……何ですか」
「いや」
曲湾師はぼそっと呟く。
「壊し方を知ってる目だなって」
その言葉に、一瞬だけ指先が強張った。
自分でも気づかないほど小さな反応。
でも。
曲湾師は、それを見逃さなかった。
「……図星か」
「042」
黒城の声が低くなる。
「これ以上の刺激は控えてください」
「刺激してんの俺?」
「主に存在が」
「ひど」
でも曲湾師は少し笑った。
その瞬間、周囲の景色がまた僅かに揺らぐ。
管理局員たちが一斉に身構えた。
「……お前らさ」
曲湾師が面倒そうに言う。
「毎回そんなビビる?」
「あなたが毎回問題を起こすからです」
「今回は何もしてないだろ」
「空間が歪んでいます」
「仕様」
「仕様で済ませないでください」
漫才みたいな会話なのに、周囲の誰も笑わない。
たぶん本気で危険だからだ。
『警告。搬入口滞在時間、規定値超過』
『収容対象を速やかに移送してください』
無機質な機械音声。
そこでようやく、管理局員たちが動き始めた。
「水瀬零を第七拘束棟へ移送します」
「第七?」
私が反応すると、黒城が淡々と答える。
「新規高危険度対象用の仮収容区画です」
「仮ってことは?」
「本収容先は再査定後に決定します」
嫌な予感しかしない。
「ちなみに国家級は?」
「地下深層です」
「聞かなきゃよかった」
曲湾師が横から口を挟む。
「深層はやめとけ」
「……そんなにヤバいんですか」
「俺でも行きたくない」
初めて少しだけ、本気っぽい声だった。
「何がいるんです」
「静かなやつら」
「余計怖いな」
「騒ぐやつはまだマシ」
曲湾師は気怠そうに目を細める。
「本当にヤバいのは、何も喋らない」
その声だけ、妙に重かった。
地下都市の奥。
さらに下へ続く巨大昇降機を見ながら、私は無意識に息を呑む。
――この下には、
曲湾師ですら警戒する“何か”がいる。
そう思った瞬間。
視界の赤黒いウィンドウが、また静かに点滅した。
――【深層区画への接続反応を確認】
「…………は?」
嫌な予感が、今までで一番強かった。
第七拘束棟へ向かう通路は、異様なほど静かだった。
足音だけが響く。
金属床。冷たい照明。壁一面に刻まれた封印術式。ここは地下都市なのに、妙に“病院”みたいだった。
ただし。
入院しているのが、人間とは限らないだけで。
「……視線感じるんですけど」
私が小さく呟く。
通路の途中。
分厚い隔壁の小窓から、誰かがこちらを見ていた。
黒い影。
顔は見えない。
でも。
確実に“いる”。
「見ないでください」
黒城が即答する。
「え、でも」
「目を合わせないでください」
声色が少しだけ強かった。
私は慌てて前を向く。
その瞬間。
カン、と。
後ろで何かが鳴った。振り返りそうになる。
でも。
「振り返らないで」
今度は、曲湾師だった。
さっきまでの気怠そうな声じゃない。
妙に低い。
「……何ですか」
「今の、目ぇ合ったらダメなやつ」
「そういうの先に言ってくださいよ……」
「間に合わなかった」
「最悪」
曲湾師は少しだけ笑う。
でも。
その笑い方は、どこか警戒していた。
通路の奥。
重い隔壁がゆっくり開く。
『第七拘束棟・入域承認』
『対象コード仮指定:零』
「仮指定って何ですか」
「正式な危険度認定前だからです」
「嫌なシステムだな……」
中へ入った瞬間。
空気が変わった。
「……っ」
寒い。
温度じゃない。
空間そのものが、妙に冷えている。
視界の赤黒いウィンドウが、小さくノイズを走らせた。
――【高密度封鎖領域】
――【外部干渉制限中】
「ここは?」
「能力抑制層です」
黒城が歩きながら答える。
「第七拘束棟は、
“暴走前提”で設計されています」
「前提にしないでほしい……」
「安心してください」
「何を」
「ここで暴走しても半径三区画しか消えません」
「安心できる要素どこ...」
曲湾師が吹き出す。
「はは、好きだわお前」
「私は好きじゃないですこの施設」
通路の両側には、番号付きの扉が並んでいた。
001。
002。
003――
でも。
いくつかの扉には、番号が存在しない。
削り取られている。
「……あれ何ですか」
私が聞くと、黒城は少し黙った。
「欠番です」
「なんで?」
「中身が消えたからです」
背筋が凍る。
「消えた?」
「収容対象ごと、区画ごと、記録から消失しました」
「…………」
嫌すぎる。
ここ、怖い話しかない。
曲湾師が、ぼそっと呟く。
「まだマシな方だけどな、ここ」
「これで?」
「上は“事故”で済むから」
「下は?」
「報告書ごと消える」
全然意味が分からない。分かりたくもない。
黒城が立ち止まる。
目の前。
他の扉より一回り分厚い、白銀色の隔壁。
『仮収容室・07』
『封鎖状態正常』
『内部認識汚染:なし』
「こちらです」
「認識汚染って普通に言うんですねこの施設……」
「普通に発生するので」
嫌すぎる。
隔壁が重々しく開く。中は意外なほど簡素だった。
ベッド。机。壁面モニター。
そして。
部屋全体を覆うように、
青白い術式が幾重にも走っている。
「……監獄っていうか病室」
「長期収容を前提にしてますから」
「長期」
その単語、聞きたくなかった。
黒城が端末へ触れる。
すると、部屋の術式が低く発光した。
『対象:水瀬零』
『仮収容プロトコル開始』
『外部干渉を監視します』
赤黒いウィンドウが、一瞬だけ反応する。
――【干渉制限を確認】
頭の奥が、チリ、と痛んだ。
「……っ」
「異常がありますか」
黒城の視線。
私は反射的に首を振る。
「……大丈夫です」
本当は全然大丈夫じゃない。
でも。
“あのウィンドウ”の存在を、
まだ誰にも話したくなかった。
曲湾師が、部屋の入口にもたれかかる。
「なあ」
「何ですか」
「お前さ」
眠そうな目が、じっと私を見る。
「最近、“変な夢”見てない?」
心臓が止まりかけた。
「……なんで」
「やっぱ見てるか」
曲湾師が小さく息を吐く。
「高位干渉型って、
だいたい最初そこから始まるんだよな」
黒城の目が細くなる。
「042。その情報は記録されていません」
「だって誰も生還しねーもん」
さらっと怖いことを言った。
「夢って?」
私が聞くと、曲湾師は少し考える。
「場所」
「場所?」
「知らないはずなのに、知ってる場所」
ぞわり、とした。
脳裏に、一瞬だけ浮かぶ。
暗い廊下。赤い光。どこまでも続く扉。
そして。
“下へ行け”という声。
「……っ」
「図星」
「……知らないです」
「嘘下手だな」
曲湾師は笑う。
でも。
その顔から、
いつもの軽薄さが少し消えていた。
「気をつけろよ」
「何をですか」
「呼ばれると、戻れなくなる」
空気が静まる。
その瞬間。
部屋の照明が、ぴくり、と揺れた。
同時に。
壁一面へ刻まれた封印術式が、一瞬だけ不安定に揺らぐ。
『封鎖術式出力低下を確認』
『原因解析――失敗』
機械音声。
けれど。
黒城の目が、僅かに細くなった。
「……042」
「分かってる」
曲湾師が、壁からゆっくり背を離す。
眠たげだった空気が消えていた。
「今の、“内側”じゃねえ」
「はい」
黒城が短く返す。
「下層から干渉されています」
下層。
その単語だけで、胃の奥が冷えた。
視界の赤黒いウィンドウが、ノイズ混じりに点滅する。
――【深層接続反応増大】
――【夢界層との接触を確認】
「夢界……?」
無意識に、声が漏れた。
ぴたり、と。
黒城の視線がこちらへ向く。
「……今、何と言いましたか」
「あ」
しまった。
自分でも気づかないうちに、口に出していた。
「いえ、その……」
誤魔化そうとした瞬間。
曲湾師が、妙に面白そうな顔をした。
「おー。そこまで見えてんのか」
「だから何なんですか、それ」
「普通は認識できねえ領域」
「説明雑すぎません?」
「詳しく説明できる奴、たぶんもう残ってない」
嫌な言い方だった。
黒城が小さく息を吐く。
「042、余計な発言は控えてください」
「無茶言うなって」
その時。
――カツン。
部屋の外。
静かな通路から、小さな音が響いた。
全員の動きが止まる。
「……誰か来ました?」
「あり得ません」
黒城が即答する。
「第七拘束棟は現在封鎖中。職員の侵入許可も出ていない」
なのに。
カツン。
また足音が鳴る。
軽い音。
硬い床を、小さな靴が叩くみたいな。
曲湾師の表情から、完全に気怠さが消えた。
「……おいおい」
「確認しています」
黒城が端末へ触れる。
だが次の瞬間。
『警告』
『第七拘束棟内部に未登録反応を確認』
『識別照合――』
『失敗』
『失敗』
『失――』
ブツン。
音声が途切れた。
同時に。
部屋の照明が、一瞬だけ赤く染まる。
空気が凍った。
そして。
通路側の小窓へ、
“誰か”が立っていた。
「――っ」
小さい。黒い長髪。病衣みたいな白い服。
前髪の隙間から覗く、黒紫の瞳。
幼い少女。
なのに。
見た瞬間、本能が理解した。
アレは、人間じゃない。
息が詰まる。
目を逸らさなきゃいけない。
そう思うのに、視線が外れない。
少女が、じっとこちらを見る。
髪が、まったく揺れていなかった。
「……あ」
小窓の向こうで、少女が小さく口を開く。
その瞬間。
声が、頭の奥へ直接響いた。
『みつけた』
ぞわっ、と背筋が粟立つ。
赤黒いウィンドウが、激しく点滅した。
――【深層指定個体を確認】
――【識別番号:■■■】
――【識別権限不足】
――【接続率上昇中】
「零、視線を切ってください!」
黒城の怒声。
でも。
身体が動かない。
少女が、小さく笑った。
その笑顔だけが、異様に優しかった。
『やっと、見つけてくれた』
瞬間。
視界が、真っ黒に塗り潰された。




