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白の探索者  作者: ニート無職
一章
11/49

042《曲湾師》

濃い魔力が、肺へ流れ込んでくる。


 息を吸っただけで、喉が焼けるみたいだった。


「――ッ、これ……」


 装甲車の内部が軋む。


 赤い封印術式が、一斉に明滅した。

 警告音。低い振動。


『封印圧上昇を確認』


『収容区画内魔力濃度、危険域』


 機械音声が淡々と流れる。


 でも。

 周囲の管理局員たちの顔色は、全然淡々としていなかった。


「数値上がってます!」


「おかしい、第三区画側じゃないぞ!」


「誰だ、出力漏らしてるのは――」


 焦った声。


 その瞬間。


 ぞわり、と。

 地下都市の奥から、笑い声みたいなものが響いた。


『はは……また新人?』


 頭の奥へ直接響く声。


 同時に、視界の赤黒いウィンドウが揺れる。


 ――【精神干渉を確認】


 ――【逆探知開始】


「っ……!」


 頭痛。瞬間、黒城の手が私の額へ触れた。


 バチッ、と青白い術式が走る。


「その声を追わないでください」


「……追う?」


「あなたの能力は干渉系です。下手をすれば、封印越しに接続します」


 黒城の声と同時。


 地下空間全体が、ぐにゃり、と歪んだ。


「――っ?」


 視界が曲がる。遠くの監視塔が、一瞬だけ斜めに折れたように見えた。


 違う。景色そのものが、歪められている。


「空間湾曲発生!」


「042接近!」


 管理局員たちが叫ぶ。


 その瞬間。


 地下通路の奥。

 暗闇の中から、一人の男が歩いてきた。


 白衣。裸足。眠そうな目。

 拍子抜けするほど、普通の男だった。


 ――ただ一点を除けば。


 男の周囲だけ、時々、景色がずれる。


 壁の角度。光の屈折。距離感。


 まるで空間そのものが、

一瞬だけ“間違える”みたいに。


「……誰ですか、あれ」


 私が小さく聞くと、黒城は視線を逸らさないまま答えた。


「第零収容指定・042。通称、《曲湾師》」


「曲湾師……」


「空間干渉系能力者。危険等級A級。災害指定は国家級未満」


 思わず男を見る。


「……国家級未満?」


 どう見ても、“未満”の見た目じゃない。


 景色が歪んでるんだけど。

 そんな私の視線に気づいたのか、黒城が静かに続ける。


「純粋な戦闘出力はS級未満です。

 ただし、能力干渉精度が異常に高い」


「嫌な言い方ですね」


「実際、非常に嫌な能力です」


 黒城は淡々と続ける。


「彼は“局所干渉型”です。被害範囲は狭い。

 ですが、接触対象への影響密度が異常に高い」


「つまり?」


「都市を消し飛ばす力はない。でも、一人を殺すだけなら国家級より厄介です」


 曲湾師が、こちらを見た。


 瞬間。


 空気が、捻れる。耳鳴り。距離感がおかしい。

 装甲車が急に遠くなったような、逆に顔の目の前まで近づいたような。


「うわ……」


「視界を固定してください」


 黒城の声。


「空間認識を持っていかれます」


「怖すぎるだろ……」


 曲湾師は頭を掻きながら、気怠そうに近づいてくる。


「そんな警戒しなくても逃げないって」


 男が喋るたび、声の位置がズレる。

 右から聞こえたと思えば、次の瞬間には後ろから響く。


 脳が混乱する。


「042、停止してください」


 管理局員の一人が警告する。


「現在、新規収容対象搬入中です」


「知ってる」


 曲湾師は気のない声で答えた。

 その視線が、私へ向く。


「……へえ」


 ぞわり、と背筋が冷えた。


「お前か。“計算外”って」


 空気が静まり返る。黒城の目が細くなる。


「なぜその情報を?」


「演算士がブチ切れてたから」


「情報漏洩ですね」


「廊下で叫んでた」


「後で始末書を書かせます」


「かわいそ」


 全然かわいそうと思ってなさそうな声だった。


 曲湾師が、じっと私を見る。


 その瞬間。

 視界の赤黒いウィンドウが、小さく点滅した。


 ――【高位干渉個体を確認】


 ――【接触危険度:高】


 同時に。


 曲湾師の周囲の空間が、一瞬だけ大きく歪む。


 管理局員たちが緊張した。


「042!」


「刺激しないでください!」


「いや」


 曲湾師は、初めて少しだけ真面目な顔になった。


「こいつ、たぶん」


 一拍。


「俺よりヤバいぞ」


 その瞬間。


 地下空間の空気が、静かに凍りついた。


「……は?」


 思わず声が漏れる。


 でも。


 誰も笑わなかった。

 管理局員たちの顔が、一斉に強張っている。

 黒城だけが、無表情のまま曲湾師を見ていた。


「042。その発言の根拠を」


「勘」


「最悪ですね」


「でも当たるぞ、俺」


 曲湾師は気怠そうに頭を掻く。


 その動作だけで、周囲の景色が一瞬だけぶれた。


 壁の位置がズレる。照明が歪む。

 見ているだけで酔いそうだった。


「お前」


 曲湾師が私を見る。


「何か見えてるだろ」


 心臓が跳ねた。


 視界の奥で、赤黒いウィンドウが脈打つ。


 ――【観測対象より質問】


 ――【応答を推奨】


「……何の話ですか」


「世界の継ぎ目」


 ぞわり、と寒気が走る。


「線とか。ズレとか。壊せそうな場所とか」


 呼吸が止まりかけた。


 黒城の視線が、一瞬だけ鋭くなる。


「042」


「いや、図星だろ」


 曲湾師は眠そうな目のまま続ける。


「俺も最初そうだったし」


「……同じ?」


「似てるだけ。お前の方がだいぶ変」


 全然嬉しくない。


 むしろ怖い。


「あなたも、“線”が見えるんですか」


 私が聞くと、曲湾師は少し考える。


「見えるっていうか、気持ち悪いんだよな」


「気持ち悪い?」


「空間がズレてる場所」


 曲湾師は指先で空中をなぞった。


 その瞬間。


 空間が、ぴしっ、と小さく軋む。


 ガラスみたいな音。


「普通の人間には分からない。でも俺らには分かる」


 俺ら。


 その言葉が妙に嫌だった。


「俺は空間側。お前はもっと別の何か」


 曲湾師の視線が、私の奥を見る。


「たぶんお前、“世界そのもの”に触ってる」


 その瞬間。


 頭の奥で、赤黒いウィンドウが大きく明滅した。


 ――【警告】


 ――【観測深度上昇】


 ――【制限解除条件を確認】


「っ……!」


 激痛。


 視界が揺れる。


 同時に、周囲の景色が一瞬だけ止まった。


 音が消える。

 時間が固まったみたいな、奇妙な感覚。


「零!」


 黒城の声。肩を掴まれる。


 そこでようやく、世界が戻った。


 警報音。管理局員たちの叫び。荒い呼吸。


「今、何をした!」


「してません……!」


 でも。


 装甲車の外壁に刻まれていた封印術式が、一部だけ消えていた。


 まるで最初から、存在しなかったみたいに。


 空気が凍る。


「……おいおい」


 曲湾師が、初めて少しだけ引いた顔をした。


「今の無意識か?」


 私は答えられない。


 自分でも、何をしたのか分からなかった。


 ただ。


 一瞬だけ。


 “邪魔だったから消した”。


 そんな感覚だけが、指先に残っていた。


 黒城が、静かに息を吐く。


「収容ランクを再査定します」


「いや待ってください」


「却下します」


「まだ何も――」


「あなたは今、装甲車の封印を無自覚に消しました」


 真顔だった。


「普通なら国家案件です」


「もうここ国家案件しかいないじゃないですか……」


「ええ。だからあなたがここにいます」


 反論できなかった。


 曲湾師が、ぼそっと呟く。


「……楽しそうになってきたな、この区画」


「全然楽しそうじゃないんですけど」


「俺は楽しい」


「最悪だこの人」


 曲湾師が、初めて少しだけ楽しそうに笑った。


「――やっと退屈しなくなりそうだ」

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