042《曲湾師》
濃い魔力が、肺へ流れ込んでくる。
息を吸っただけで、喉が焼けるみたいだった。
「――ッ、これ……」
装甲車の内部が軋む。
赤い封印術式が、一斉に明滅した。
警告音。低い振動。
『封印圧上昇を確認』
『収容区画内魔力濃度、危険域』
機械音声が淡々と流れる。
でも。
周囲の管理局員たちの顔色は、全然淡々としていなかった。
「数値上がってます!」
「おかしい、第三区画側じゃないぞ!」
「誰だ、出力漏らしてるのは――」
焦った声。
その瞬間。
ぞわり、と。
地下都市の奥から、笑い声みたいなものが響いた。
『はは……また新人?』
頭の奥へ直接響く声。
同時に、視界の赤黒いウィンドウが揺れる。
――【精神干渉を確認】
――【逆探知開始】
「っ……!」
頭痛。瞬間、黒城の手が私の額へ触れた。
バチッ、と青白い術式が走る。
「その声を追わないでください」
「……追う?」
「あなたの能力は干渉系です。下手をすれば、封印越しに接続します」
黒城の声と同時。
地下空間全体が、ぐにゃり、と歪んだ。
「――っ?」
視界が曲がる。遠くの監視塔が、一瞬だけ斜めに折れたように見えた。
違う。景色そのものが、歪められている。
「空間湾曲発生!」
「042接近!」
管理局員たちが叫ぶ。
その瞬間。
地下通路の奥。
暗闇の中から、一人の男が歩いてきた。
白衣。裸足。眠そうな目。
拍子抜けするほど、普通の男だった。
――ただ一点を除けば。
男の周囲だけ、時々、景色がずれる。
壁の角度。光の屈折。距離感。
まるで空間そのものが、
一瞬だけ“間違える”みたいに。
「……誰ですか、あれ」
私が小さく聞くと、黒城は視線を逸らさないまま答えた。
「第零収容指定・042。通称、《曲湾師》」
「曲湾師……」
「空間干渉系能力者。危険等級A級。災害指定は国家級未満」
思わず男を見る。
「……国家級未満?」
どう見ても、“未満”の見た目じゃない。
景色が歪んでるんだけど。
そんな私の視線に気づいたのか、黒城が静かに続ける。
「純粋な戦闘出力はS級未満です。
ただし、能力干渉精度が異常に高い」
「嫌な言い方ですね」
「実際、非常に嫌な能力です」
黒城は淡々と続ける。
「彼は“局所干渉型”です。被害範囲は狭い。
ですが、接触対象への影響密度が異常に高い」
「つまり?」
「都市を消し飛ばす力はない。でも、一人を殺すだけなら国家級より厄介です」
曲湾師が、こちらを見た。
瞬間。
空気が、捻れる。耳鳴り。距離感がおかしい。
装甲車が急に遠くなったような、逆に顔の目の前まで近づいたような。
「うわ……」
「視界を固定してください」
黒城の声。
「空間認識を持っていかれます」
「怖すぎるだろ……」
曲湾師は頭を掻きながら、気怠そうに近づいてくる。
「そんな警戒しなくても逃げないって」
男が喋るたび、声の位置がズレる。
右から聞こえたと思えば、次の瞬間には後ろから響く。
脳が混乱する。
「042、停止してください」
管理局員の一人が警告する。
「現在、新規収容対象搬入中です」
「知ってる」
曲湾師は気のない声で答えた。
その視線が、私へ向く。
「……へえ」
ぞわり、と背筋が冷えた。
「お前か。“計算外”って」
空気が静まり返る。黒城の目が細くなる。
「なぜその情報を?」
「演算士がブチ切れてたから」
「情報漏洩ですね」
「廊下で叫んでた」
「後で始末書を書かせます」
「かわいそ」
全然かわいそうと思ってなさそうな声だった。
曲湾師が、じっと私を見る。
その瞬間。
視界の赤黒いウィンドウが、小さく点滅した。
――【高位干渉個体を確認】
――【接触危険度:高】
同時に。
曲湾師の周囲の空間が、一瞬だけ大きく歪む。
管理局員たちが緊張した。
「042!」
「刺激しないでください!」
「いや」
曲湾師は、初めて少しだけ真面目な顔になった。
「こいつ、たぶん」
一拍。
「俺よりヤバいぞ」
その瞬間。
地下空間の空気が、静かに凍りついた。
「……は?」
思わず声が漏れる。
でも。
誰も笑わなかった。
管理局員たちの顔が、一斉に強張っている。
黒城だけが、無表情のまま曲湾師を見ていた。
「042。その発言の根拠を」
「勘」
「最悪ですね」
「でも当たるぞ、俺」
曲湾師は気怠そうに頭を掻く。
その動作だけで、周囲の景色が一瞬だけぶれた。
壁の位置がズレる。照明が歪む。
見ているだけで酔いそうだった。
「お前」
曲湾師が私を見る。
「何か見えてるだろ」
心臓が跳ねた。
視界の奥で、赤黒いウィンドウが脈打つ。
――【観測対象より質問】
――【応答を推奨】
「……何の話ですか」
「世界の継ぎ目」
ぞわり、と寒気が走る。
「線とか。ズレとか。壊せそうな場所とか」
呼吸が止まりかけた。
黒城の視線が、一瞬だけ鋭くなる。
「042」
「いや、図星だろ」
曲湾師は眠そうな目のまま続ける。
「俺も最初そうだったし」
「……同じ?」
「似てるだけ。お前の方がだいぶ変」
全然嬉しくない。
むしろ怖い。
「あなたも、“線”が見えるんですか」
私が聞くと、曲湾師は少し考える。
「見えるっていうか、気持ち悪いんだよな」
「気持ち悪い?」
「空間がズレてる場所」
曲湾師は指先で空中をなぞった。
その瞬間。
空間が、ぴしっ、と小さく軋む。
ガラスみたいな音。
「普通の人間には分からない。でも俺らには分かる」
俺ら。
その言葉が妙に嫌だった。
「俺は空間側。お前はもっと別の何か」
曲湾師の視線が、私の奥を見る。
「たぶんお前、“世界そのもの”に触ってる」
その瞬間。
頭の奥で、赤黒いウィンドウが大きく明滅した。
――【警告】
――【観測深度上昇】
――【制限解除条件を確認】
「っ……!」
激痛。
視界が揺れる。
同時に、周囲の景色が一瞬だけ止まった。
音が消える。
時間が固まったみたいな、奇妙な感覚。
「零!」
黒城の声。肩を掴まれる。
そこでようやく、世界が戻った。
警報音。管理局員たちの叫び。荒い呼吸。
「今、何をした!」
「してません……!」
でも。
装甲車の外壁に刻まれていた封印術式が、一部だけ消えていた。
まるで最初から、存在しなかったみたいに。
空気が凍る。
「……おいおい」
曲湾師が、初めて少しだけ引いた顔をした。
「今の無意識か?」
私は答えられない。
自分でも、何をしたのか分からなかった。
ただ。
一瞬だけ。
“邪魔だったから消した”。
そんな感覚だけが、指先に残っていた。
黒城が、静かに息を吐く。
「収容ランクを再査定します」
「いや待ってください」
「却下します」
「まだ何も――」
「あなたは今、装甲車の封印を無自覚に消しました」
真顔だった。
「普通なら国家案件です」
「もうここ国家案件しかいないじゃないですか……」
「ええ。だからあなたがここにいます」
反論できなかった。
曲湾師が、ぼそっと呟く。
「……楽しそうになってきたな、この区画」
「全然楽しそうじゃないんですけど」
「俺は楽しい」
「最悪だこの人」
曲湾師が、初めて少しだけ楽しそうに笑った。
「――やっと退屈しなくなりそうだ」




