CASE3 ②魔法の鏡
男爵が立ち去り、しばらくしてからミシェルも部屋へと戻っていった。
鏡台の鏡には、布をかけておくらしい。
蓮と2人になった応接室で、ミランダは呟く。
「本当に、お祖母様の亡霊の仕業なのかしら」
ミランダの思い出のなかの祖母は穏やかな人で、そんな風に人を怖がらせるとは思えなかった。
「少し、家内を探ろうと思う」
そう言って蓮が「クロ」と呟く。
途端に、ミランダの視界に黒色の生物が現れた。
艶やかな毛並みのそれは、ミランダの見たことのない生物だった。
澄み切った青空の様な青い瞳でミランダを見たその生物は
「ほぅ…我が見えるのか、小娘」
と低い声で言った。
「しゃっ…!喋りましたわ!」
ミランダが声を上げる。
「コイツはクロ。俺が使役している大神命…まぁオオカミだな」
「だれが使役だ。勘違いするな。我が忠誠を誓うのは今も昔も玄信のみ…小僧ごときに使役されてたまるか」
「そうだな。じゃあクロ。家に何か異変がないか見て回ってこい」
「話を聞いていたのかボンクラ。我に命令するな」
グルルル、と蓮に向かって唸るクロ。
一触即発と思われる空気を、能天気な声が打ち破る。
「オオカミという種類のわんちゃんなんですの?モフモフさせてもらってもよろしくて?」
蓮とクロが呆れた様にミランダを見つめると、ミランダはキラキラした瞳でクロを見ていた。
「どうする、クロ。撫でさせてほしいそうだが」
「我は家内を捜索するのに忙しい。他を当たれ」
そう言ってクロは姿を消した。
ミランダは残念そうにクロが消えた地面を見つめたあと、ふと蓮に向き直る。
「そういえば、レンさんにはお兄様がいらっしゃるの?先ほどクロさんがおっしゃっていた“ゲンシン”という方がお兄様のお名前ですか?」
「いや、玄信は祖父の名だ。クロは祖父が幼い頃に拾った山犬だ。山犬は、妖怪…山の精霊と言ったほうがいいか…まぁ、守護神の様なものだ。それが神格化され大神命と呼ばれるようになったのがクロだ」
それより…と蓮は言葉を続けた。
「俺に兄がいると、誰から聞いた?」
その言葉が少し刺々しく感じるのは、ミランダの気の所為だろうか。
「おじいさんが言っていたのですわ。“シラカワの次男坊”と。それってレンさんの事かと思っていたのですが…違いまして?」
「いや、違いない。俺には兄が一人いた。…それにしても、あのジジイ。余計な事ばかり話しているな。他に何か言っていたか?」
「私がレンさんのお手伝いをするなら、力になると…」
そうミランダが言うと蓮はフンッと鼻で笑う。
「何が力になるだ。耄碌ジジイが」
「そんな言い方…おじいさんは良い方でしてよ?……ですわよね…?」
いつの間にかミランダの隣で話し相手になっているおじいさんだが、実際のところは、ぬらりひょんという妖怪である。
蓮曰く、勝手に家に上がり込んで寛いでいるだけ、らしいが。
ミランダには気のいいおじいさんにしか思えないが、考えようによっては、それだけで不気味である気がする。
「アレは世間では“妖怪の総大将”なんて大層な呼び方をされているが、ただ顔が広いだけの噂好きの妖怪だ。人の家に勝手に潜り込んでは、その家の情報を抜き取りニヤニヤしている陰気なジジイだよ」
「まぁ…そうでしたの?とてもそんな風には見えませんでしたけれど…」
『うわっ!』『きゃあ!』『なんだこれ!?』
屋敷内のあちこちから、声がする。
「戻ったぞ」
同時にクロが部屋へ姿を現した。
「何があった?」
蓮が聞く。
「家中の鏡から怪異の匂いを感じてな。元を辿ったら2階にある大鏡が気配の大元だった。少し威嚇してやったら大元が散ったのだ。かなり細かくなったから家中に小さな異変があるかもしれん。なぁに、1時間も経てばまた元の鏡に戻り1つになる。我は弱き者を滅する趣味はない」
事も無げに言ったクロはクワァ〜っと欠伸をして
「では、我はこれで帰るぞ」
と言って消えた。
「2階の大鏡か…2階にあるのは、あの鏡台だけか?」
「えぇ、多分。他に大鏡と呼べるものはないはずですわ」
それを聞くと蓮は窓に近づき、反射する自身の姿を見た。
黒髪黒眼の男を反射するはずのそれには、青白い顔の男が口から血を流して笑っている姿しか映っていなかった。
「これでは、しばらく屋敷内は大混乱だろうな」
蓮が言うと、ミランダも窓へと近づいてくる。
「おい、怖がりは見るな。腰を抜かすと面倒だ」
「何がですの?何も怖いものは見えませんですわよ?」
外に何かいまして?と窓にさらに近づき、ミランダは蓮に振り返る。
「何もいなくてよ?」
「………本当か?窓に反射する自分の姿は?」
「?普通ですわ。私も、レンさんも」
ミランダの目には、黒髪黒眼の男と自身の姿以外には何も見えず、異変は感じなかったのだ。
「私、ヨウカイを視る力がなくなったのかしら?」
そう言いながら、ミランダは少し寂しさを覚える。
力がなくなれば、お妙やヨシが視えなくなるのだ。
「いや、それはない。直前までクロが視えてたんだろう?何か理由があるはずだ」
「私の生家、というのに関係が?この家の血族には害がないとか」
力がなくなった訳ではないことに、ミランダはホッとして答えた。
「その条件には、男爵やミシェル嬢も含まれるはずだ。しかし彼らは怪異を目撃している」
「確かに…そうですわね」
しばらく思案していた蓮が口を開いた。
「…メグ嬢の事例を、覚えているか?」
「えぇ、もちろん。あちこちから異音がするのに、メグには聞こえていなかった、でしょう?あら?今の私と同じですわね?」
「今回も同じ原理の可能性はある。怪異を起こす何者かは、ミランダを怖がらせたくない。つまり、守護する対象と認識している」
「私を守護する対象に…?」
「クロは、大鏡、つまり鏡台から気配を感じていた。そして、その鏡台は、祖母からミランダの母親へ、そしてミランダへと引き継がれていた」
「確認してみないことには断言できないが…」
「何か、怪異に心当たりが?」
ミランダが聞くと
「おそらく今回の怪異は、付喪神の仕業だろう」
そう言って蓮は、2階へ行くために応接室の出口へ足を向けた。
「この鏡は、魔法の鏡だと…お祖母様はおっしゃっていましたわ。大切に使う人を綺麗にしてくれるって…」
ミランダの…今はミシェルのものとなった部屋へ入り、蓮とミランダは鏡台の前に立った。
立派な一面鏡は、いまは大きな布を被され姿は見えない。
「えっ、この鏡台が原因だったの?」
「でもこれは、昔からこの家にあっただろう?今まで何もなかったじゃないか」
部屋にいたミシェルと、話を聞きつけてきた男爵も話に加わる。
「今回の怪異の正体は、おそらく付喪神…物に宿る精霊でしょう。今から布を外しますので、何が見えるか教えていだだけますか?」
そう言って、鏡台に掛けられた布を外す。
「きゃぁ!」
心の準備はしていたらしいミシェルだが、やはり鏡に映る何かに驚き、父である男爵に抱きついた。
男爵は黙って鏡を見ているが、それでも青ざめた顔が、確かに怪異が映っていると物語っていた。
ミランダも鏡を見てみるが、やはりいつもの自分自身に、蓮やミシェル、男爵が並んでいる姿しか見えなかった。
「何が見えますか?」
蓮が尋ねる。
「叔母様…ミランダのお母様が見えるわ…。私に…私たちにとても怒ってる!当たり前よね。だって、私たちミランダを…」
青ざめたミシェルはそこで口を閉じた。
「私には、兄が。静かに私を睨みつけて…兄は、いつもそうなんだ。感情的に怒鳴ったりしない、あぁやって静かに怒りながら、感情の波が過ぎ去るのを待つんだ…。でも、そうだな。今回の怒りが治まることはないだろう。娘を…ミランダを見殺しにした私を許す訳がない」
(そう…お父様とお母様が見えるのね。どうして、私には姿を見せてくださらないの…?)
ミランダの胸はズキリと痛んだ。
別れは突然で、まだ親の庇護の元で過ごす時期に孤独の中に1人残された。
もう癒えたと思った悲しみが、ミランダを包みこむ。
「私には…なにも。普通の鏡にしか見えませんわ」
ミランダは静かにそう言った。
「この鏡台は、ミランダしか主と認めていない。正当ではない所有者の変更が、今回の騒動の原因です。貴方がたが見たのは、付喪神が見せた幻覚。心の中の罪悪感や劣等感が形を成したものであり、本当にミランダのご両親のゴーストが現れたわけではない」
チラリとミランダに目をやり、蓮は続けた。
「お前の両親は、復讐のためにこの世に残り嫌がらせをするか?それよりも、お前に姿を見せるんじゃないか?」
そう言われて、俯いていたミランダはハッと顔を上げた。
そうだ。父も母も、とても優しい人だった。
爵位を継げない次男の叔父を補佐として置いて。
支えてもらっている、と常に感謝を忘れない。
そんな人達。
確かに、私を追い出した経緯は褒められたものではないし、天国で怒っているかもしれないが、それでも…。
わざわざ嫌がらせをしに来るくらいなら、きっとミランダに会いに来てくれるはずだ
そうして、「がんばってるね」と頭を撫でてくれるはずだ。
ミランダの両親は、そういう人たちだったから。
「じゃあ、この鏡台を処分すれば怪異はおさまるのか!?」
叔父の言葉に、ミランダは驚いて目を見開く。
お祖母様から受け継いだ鏡台を…処分する?
「えぇ、そうね!そしたら、新しいの買ってくれるんでしょう?お父様!」
ミシェルが続けて言う。
「叔母様が何も言ってこないと言うことは、領地に帰れば怪異はないのでしょう?なら、このままでもいいのでは?」
ミランダが言うと、蓮が続けて言った。
「確かに、処分すれば怪異は消え去ります。しかし、付喪神は1種の守り神とも言われています。持ち主を守護し、幸運へ導くと。」
しかし、男爵は首を横に振り断言した。
「怪異を起こす家具など気味が悪い。幸運をもたらすと言うが、我々は驚かされてばかり。そうだ、ミランダを主と言うなら持ち帰ればいいじゃないか」
「あら、いい考えね。元々ミランダのものだったんだし、持っていけば?私は構わないわよ」
男爵親子はそう言うと、ミランダを見て、少し気まずくなったのか目を逸らした。
ゴホンと咳払いをしながら男爵は
「持ち出すのなら、費用と人手はこちらで負担しよう」
と言った。
「お前の親族は羞恥という概念がないのか?」
帰りの馬車で蓮はミランダに不機嫌そうに言った。
帰り際に今回の報酬の話をすると、
原因はミランダにあるのだから雇い主が解決するのは当然だ。歴史あるアンティークの鏡台をやるのだから今回の依頼料と相殺しろ。鏡台を運び出す費用を負担するだけ有り難く思え。
と騒ぎ立てた。
蓮が契約書を見せ、「どう主張しようが自由だが、これを裁判所に持ち込んだら、どちらが不利かは理解できるか?」ということを言うと、黙って報酬を支払ったのだ。
「ほんとうに…私の親族が申し訳ありませんわ」
としか、ミランダは言えない。
「腹が立たないのか?爵位まで奪われて」
蓮が尋ねた。
拾われた日に、ヨウカイ荘の皆に事情を話したきり、この話を聞かれることはなかったが…
「爵位に関しては、これでよかったのだと今にしては思いますわ。私では、領地を治めきれたかわかりません。叔父は、長年補佐として父を支えてくれていました。きっと、領地も領民も立派に治めてくれると信じてますの」
わだかまりがない、とは言えない。だまし打ちのように追い出されるのではなく、事前に説明して欲しかった。
しかし今回、叔父や従姉妹が祖母や父に対して“後継と予備”という立場で感じていた劣等感を知ってしまった。
貴族という受け継ぐ爵位のある立場にはありがちな話。
それでも当人たちからすれば…。
その歪みの結果が、今の叔父たちとミランダの関係なのかもしれない。
しかしそれも、今では過ぎたことだった。
「………お前は、叔父家族と似なくてよかったな」
ボソリと蓮が言う。
「えっ?」
「恐ろしく能天気で、お人好しだと言っている」
「褒められてますの?貶されてますの?」
「好きに解釈しろ」
そう言って、蓮は窓の外を見る。その横顔が、少し照れている様に見えたのは、ミランダの気のせいだろうか。
蓮の横顔を見ながらミランダは思った。
ヨウカイ荘に住んで、蓮と連れ立って怪異を追う。
怪異はまだ怖いが、そんな生活も悪くないのかもしれない。
「怪異討伐の助手の籍は、まだ空いておりますの?」
ミランダが聞くと、訝しげな顔で蓮がこちらに向き直る。
「まだ、私を助手として雇っていただけますの?」
その黒曜石の様な瞳を真っ直ぐに見つめてミランダが言う。
「………足手まといになるなら、即解雇だ」
そう言って、プイとまた窓に視線を戻した蓮の口元が、緩く弧を描いていたのをミランダはハッキリと見たのだった。
「でっっっか!」
仕事から帰ってきて、食堂に入ったアンの第一声に、部屋は一気に賑やかになった。
ミランダ達が帰ってすぐにカーリング男爵家から届いた鏡台がそこに置かれていたのだ。
一刻も早く手放したいという男爵の必死さが伺えた。
しかし、持ち込まれたのはいいが問題は置き場である。
大きな屋敷の大きな部屋の中では目立たなかった鏡台も、庶民の住むアパートでは、その存在感を発揮していた。
まぁつまり、大き過ぎたのだ。
当初はミランダの部屋に置こうかと話していたが、そこへお妙がストップをかけた。
曰く、あの部屋に置けば圧迫感が半端ない。
あの部屋には収納がないのだから、可能な限りスペースを空けておくべきだ。
女の子は荷物が多い、ミランダもこれから季節の洋服や好きな小物で部屋が埋まる可能性がある。
等々…
そうして蓮が一言。
「食堂に置けばいい。あそこは今は食卓と椅子だけで半分以上はスペースが空いている。付喪神も、ミランダが賑やかに過ごしている姿を見て安心するだろう」
そうして食卓に立派な鏡台、というアンバランスな空間が誕生したのだ。
「へぇ~!ミランダのおばあちゃんの持ち物なんだ!なんだか素敵!代々受け継がれるなんて!」
「その通りですね。それに、美しいデザインで年季を感じさせない。とても大切にされてきたものですね」
アンとジョンが揃って鏡を覗き込む。
ミランダの元に戻ったからか、鏡台が怪異を映すことはなかった。
「これはこれは…なかなかに立派な付喪神じゃなぁ」
ワイワイ騒ぐ3人を見守りながら、ぬらりひょんがお茶を飲む。
「……最近よく来てるそうじゃないか」
蓮が睨むようにぬらりひょんを見た。
「レン坊がちっとも実家に顔を出さんから、ワシから会いに来てるんじゃろうて」
「その割には俺が帰ってきた途端に消えているが?」
「たまたまじゃよ。これ、そんな怖い顔で老いぼれを睨まんでおくれ。男前が台無しじゃ」
「あれ?レンさん今誰かと話してた?」
不意に振り返りアンが蓮に聞く。
「いや?何も言っていないが?」
そう言った蓮の向かいには、湯呑みが1つ。
ふーん。と言って、アンは再びジョンとミランダとの会話に戻った。
細かいことを気にしていては、ヨウカイ荘では暮らしていけないのだ。




