CASE3 ①知ってるのに知らない場所
「暇ですわ…」
長閑な午後の昼下がり。
庭に続く板張りの廊下(アン達は“えんがわ”と呼んでいた)に座りながら、無職のミランダはポツリと言った。
再び無職に戻ってから1ヶ月近く。
その間に、奇跡的に2回ほど雇ってくれる店があった。
そしてミランダは、そのどちらも即日解雇されている。
(お客様に料理をぶち撒けたり、高価なものをゼロ1つ少なくお会計したのですもの…当然ですわ…)
絶望的に労働スキルが低いと、この年になって初めて知ったミランダは今、自己肯定感が人生最低値を記録していた。
庭ではヨシが近所の野良猫と戯れている。
その姿を見ていると、荒んだミランダの心も少し持ち直す気がした。
「今日は大家は不在かい?」
いつの間にか隣に座っていたおいじいさんがミランダに問いかける。
「えぇ、今日は貴族街の方で依頼があったとか」
「お嬢さんは行かんかったのか?」
「断固拒否いたしましたわ。きっと私には向かない仕事ですので」
「そうかのぉ〜。天職の様に思うが?」
野良猫に逃げられたヨシが、おじいさんの膝に飛び乗る。
「これこれ、ヨシ坊。年寄りに無茶をせんでおくれ。ほれ、饅頭をやろう。お嬢さんにもな」
「まぁ、ありがとうございます」
おじいさんから貰ったお饅頭は、柔らかな白い生地の中に甘いアンコというクリームが入っていた。
いつの間にか入れられていた緑茶を一口。
甘くなった口を緑茶の仄かな苦味が消して、さっぱりとした後味にしてくれた。
黙々と饅頭を頬張るヨシ見つめるおじいさんが
「お嬢さんが白川の次男坊の手伝いをしてくれるんなら、この老いぼれも多少は力になろうかと思っておったんじゃがなぁ…」
と、緑茶を啜りながらポツリと言った。
「シラカワ…?それってレンさんのことかしら?」
ガチャ、と玄関の扉の開く音がした。
おそらく蓮が帰宅したのだろう。
しばらくすると、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた蓮が室内に入ってくる。
縁側に座るミランダと、手元にある饅頭や2つの湯呑みを一瞥し、蓮は
「あのジジイ、また来てたのか?」
とミランダに聞いた。
ミランダのすぐそばに、まだ湯気の立つ湯呑みだけが残されていた。
「難しそうな仕事だったのかい?」
ぬらりひょんが置いていった饅頭の残りと、新たにお茶を入れ直した湯呑みを出し、お妙が蓮に聞く。
眉間にシワを寄せて帰ってくる日はだいたいそうなのだと言う。
「あぁ、典型的なお貴族様だった。異邦人に何がわかる、と話も禄に聞きやしない。依頼してきたのはアイツらの方だってのに…」
お茶を一口飲み、ふぅ~と一息つくと、蓮の眉間のシワが少し浅くなった。
「異邦人…確かにレンさん達はこの国のご出身ではなさそうですが、それと話を聞かないのに何の関係が…?」
ミランダは疑問に思った。
初めて会った日から、蓮とお妙とヨシは異国出身だと分かっていた。
この国では見かけない艶のある黒髪。黒曜石の様な深い色合いの瞳。顔立ちもスッキリとしており、切れ長の涼やかな目元をしている。
家から出ない日などは着物で過ごしているが、出かける時はこの国のスタイルに合わせており、特に浮いたようには感じない。
それに、この国は他国と地続きである。
仕事や流通、文化交流などで他国の人々も多く出入りしているはずだ。
交易のない島国ならともかく、この国に、特に王都には異国人は珍しくない。
「どうせ異人も見たことない王都かぶれの田舎貴族なんだろう。明日は話の分かる人間を連れてこい、の一点張りだ」
相当腹立たしかったのか、蓮はポイッと依頼書を机に放り出す。
勢いよく置かれた書類からヒラリ、と1枚が風に乗って床へ落ちていった。
ミランダはそれを拾い、何気なく目を通す。
「………明日は、私もご一緒してよろしくて?」
紙を見つめながらミランダが蓮に問う。
蓮が不機嫌そうに
「胡散臭くて怖い仕事はしないんじゃなかったのか?どうぞ、好きなだけ無職で居座ってくれていいんですよ、お嬢さん?」
と嫌味を返す。
それに言い返す訳でもなく、ミランダは悲しげな声を絞り出した。
「依頼主のカーリング男爵家は…私の生家ですわ」
「カーリング男爵家で異変が起き始めたのは約1ヶ月前。鏡に不気味な姿が映るという依頼だった。今はそれ以上の情報はない」
翌日、カーリング邸へ向かう馬車の中で蓮がミランダにそう告げた。
「そうですのね…私が居た頃にはその様な経験はありませんでしたが…」
1ヶ月近く前…ミランダが家を追い出された頃だろうか。
あの時感じた胸の痛みを思い出し、ミランダは窓の外を見る。
徐々に見なれた家々が現れて、カーリング邸に近づいているのだと感じた。
「ミランダ様!?あぁ!よくご無事で!戻ってこられたのですね!?」
カーリング邸の門を通され玄関につくと、出迎えてくれた執事のロイドが目を潤ませて言った。
ミランダは首を横に振り、隣の蓮を見る。
「戻ってきたのではありませんわ。今日は、こちらの蓮さんの助手として伺いましたの。それにもう、お嬢様ではありませんわ。すでに男爵家からは籍を抜いておりますもの」
そう言い切ったミランダに、ロイドは悲しげな視線を向けた後、蓮に向かって恭しく頭を下げた。
「レン・シラカワ様。昨日はご当主様が失礼いたしました。お嬢…ミランダ様を保護して頂きありがとうございます」
「………成り行きでそうなっただけです。それよりも今日は依頼内容をお聞きできるといいんですが?」
無愛想に告げる蓮にロイドは眉を下げながら、2人を応接室へと案内した。
応接室へ向かう廊下をながら、ミランダは様変わりした内装を見渡す。
壁に飾られていた絵画は全て外され、見覚えのないものに変わっている。
母が廊下に飾っていた花瓶などは完全に撤去されていた。
「ミランダ様が家を出されてから、男爵夫人…レイチェル様が模様替えをされたのです」
ミランダの視線に、ロイドがそう答えた。
生まれてから幾度も足を運んだ王都のタウンハウス。
普段は男爵領で過ごすミランダはこの家に強い思い入れはなかったが、それでも。
かつて自分が生活していた場所が、まるで別の場所になったみたいで、ミランダは少し寂しさを感じた。
ガチャリと扉を開いて蓮を先頭に部屋へ入る。途端にカーリング男爵、サミュエルの高圧的な声が聞こえた。
「おい!話の分かる奴を連れてこいと言っただろう!?異人なんかに何が…!って、ミランダ!?」
蓮の後から姿を現したミランダに、サミュエルは驚愕の表情で言葉を失っている。
「お久しぶりですわ、叔父様。本日は、レンさんの助手として伺いましたの。お話をお聞きしても?」
まるで亡霊を見たかのような血の気の引いた顔で、男爵は大人しく頷いたのだった。
「1ヶ月ほど前から鏡に不気味な姿が映るということで間違いありませんか?」
「あぁ」
「それはどの鏡です?」
「わからん。屋敷にあるあらゆる鏡だ」
「不気味な姿とは、具体的には?」
「おぞましいものだ…自分が映る筈の場所に、青白い…まるで死人のような…」
思い出すのも嫌なのか、男爵はそこで話をやめ、身震いをした。
「妻のレイチェルは完全に怯えきって…領地へ1人で帰ってしまった。私はまだこちらで必要な手続きがあるし、レイチェルも婚約者との逢瀬の約束があるからと暫く滞在予定なんだ」
だから叔母の姿が見えないのかとミランダは思った。
「何か、きっかけのような物に心当たりがありますか?」
蓮のその問いに、男爵は少し気まずそうにミランダから目をそらし
「ミランダを家から出してからだ…」
と言った。
『キャァァァー!』
遠くから、若い女性の悲鳴が聞こえた。
「ミシェル!」
バッと立ち上がった男爵がそう叫び、部屋から飛び出した。
蓮とミランダは顔を見合わせ、その後を着いていった。
着いていった先は、かつてミランダが自分の部屋として使用していた部屋だった。
「いや!もう、なんなのよ!信じられない!」
男爵に抱きしめられながらミシェルは泣き叫んでいた。
「ミシェル、落ち着いて…何があったか教えてくださる?」
ミランダがミシェルに近づき、優しくそう話しかける。
「落ち着いてなんて…!って、ミランダ!?」
ミランダを見て驚愕する表情が男爵と全く同じで、2人は親子なんだなぁ〜、と見当違いの事を考えるミランダであった。
「それで?何があったの?」
しばらくして落ち着きを取り戻したミシェルに再び同じ質問をする。
ミシェルは震える手で部屋の一角を指差した。
そこには、大きな一面鏡の鏡台があった。
以前、ミランダが使用していたものである。
「あそこに座って、身支度をしていたの。今日はカイルと会う日だから、とびきり可愛くしてねって侍女に話して。それで、鏡を見たら…」
そこで再び泣きそうになるミシェルの手を、ミランダは優しく包み込む。
ミシェルは一息ついてから、意を決した様に言った。
「鏡を見たら…お祖母様が映っていたわ。とても、とても怖い顔で」
「お祖母様…か」
応接室に戻り、蓮が思案顔で呟く。
部屋には、ミシェルと叔父のサミュエル…男爵もいる。
どうやらミシェルはカイルとの面会をキャンセルしたらしい。
そんな気分にならないのも当然だろう。
日当たりの良い室内は明るく、怪異とは無縁に思える空気が漂っていた。
2人が蓮とミランダに続いて部屋に入ってくるのも、仕方なかったのかもしれない。
「きっと、お祖母様がお怒りなんだわ!お父様が強引にミランダを追い出すから!!ねぇ、ミランダ、帰ってきてよ!これからも仲良くしましょうよ、ね!?」
ミシェルがミランダに縋り付く。
「それは無理ですわ。私はもう男爵家から籍を抜かれているのですもの。籍を復活させるのは簡単じゃないって、ご存知でしょう?」
その手をそっと引き剥がし、ミランダはミシェルに言った。
そもそもミランダの了承もなく、騙すように籍を抜いたのだ。
しかも、世間知らずの令嬢を着の身着のまま追い出す所業。
自身の姪、従姉妹を、野垂れ死んでも構わないと放り出した男爵家に、どんな顔をして戻れと言うのか。
気まずい空気が流れる。
「お祖母様…とは、男爵様のお母様ですね?もうお亡くなりに?」
そんな空気を絶つように蓮が口を開いた。
「…、あぁ、そうだ」
男爵が答える。
「それはいつ頃?」
「もう10年近く…」
「7年ですわ。私が10歳の時でしたもの」
ミランダが訂正した。
蓮はチラリとミランダを見た後、再び男爵に向き直り
「あの鏡台はお祖母様が使っていたものですか?」
「………」
男爵は、助けを求めるようにミランダを見た。
詳しくは知らない、という表情だ。
ミランダはため息をついて答えを引き継いだ。
「えぇ。そうですわ。お祖母様が、嫁入り道具として生家から持ち込んだものらしいんですの。お母様がカーリング家に嫁いだ時、譲り受けたそうですわ。本当は自分の娘に…と考えていたけれど、男児にしか恵まれなかったから、と」
「では、以前は前男爵夫人が所有していたんだな」
「えぇ、そしてお母様が亡くなってからは私が…」
そう言ってミランダは、遠い日の記憶に想いを馳せた。
『ねぇ、お祖母様!あの素敵な鏡台、もともとはお祖母様のものだったの?』
『えぇ、そうですよ。お祖母様はもうあまり使わないから、ミランダのお母様に譲ったの』
『ミランダも、あの鏡台だいすきよ!とってもキラキラ素敵で、あの鏡で見ると、ミランダがいつもより可愛く見えるもの!』
『そうだろう?あの鏡は、魔法の鏡なんだよ。大切に使う人を、綺麗にしてくれるんだ。ミランダもお嫁に行くときに持っていくといいよ。お祖母様からお母様に、そうお願いしておくからね』
『ほんとう!?ありがとう!お祖母様だいすき!』
そう言って抱きついた祖母の柔らかく優しい香り。
ミランダの中の大切な思い出の1つだ。
「怪異の正体は、母の亡霊か?」
男爵の硬い声に、ミランダは暖かな記憶から現実に戻された。
「まだ断定はできません」
蓮が冷静に答える。
「しかし、ミシェルは見たんだろう?鏡の中の母が憤怒していたと。きっと、私が男爵家の当主になった事が気に入らないんだ。昔からそうだった!いつも兄ばかり優先して、次男の私のことなんかどうでもいいと…!」
そこまで言って、グッと口を噤むと男爵は部屋を出ていった。
バタン!と乱暴に閉められた扉を見つめて、ミシェルもポツリと呟く。
「私、お父様の気持ち、わかる気がするわ。お祖母様は、いつもミランダばかり可愛がって。あの鏡台だって、私が欲しいって言っても、あれはミランダにあげるからって、聞いてくれなさったもの」
その淋しげな後ろ姿に、ミランダは掛ける言葉が見つからなかった。




