CASE2 ②眠れぬ家の白い犬
「イヌガミ?」
「ああ。狗神は家系に憑く妖怪の一種だ。自然発生するものではなく、人為的に作られた…一種の呪いに近いかもしれない」
「討伐できますの?」
「出来ないことはないが…それをすると狗神の憑いている一族も無事ではすまないだろう。呪いというのは、祓われると使役する側にダメージがいくものだ」
「それは…つまりガウル家に?」
「おそらく。それに、メグの部屋に居ることを考えると、一番被害を受けるのはメグの可能性が高い。それは避けるべきだ」
天井の白い犬から、メグへとミランダは視線を戻した。
くりくりとしたブルーの瞳が、不安に揺れる。
「先生?どうしたの?」
メグがそう言った時。
バンッ!
と大きな音がして、ミランダはビクリと身体を震わせる。
ガンッ!ドンッ!
壁や床を硬いもので叩くような音が部屋中から響き渡り、ミランダは咄嗟にメグを抱きしめる。
「先生?」
と呟くメグに
「大丈夫ですわ。心配しないでくださいな」
と安心させるように伝えた。
バタバタと足音がして、部屋にメリルが飛び込む頃には異音は止んだ。
「メグ!皆さん!大丈夫ですか!?今、大きな音が…!」
ハァハァと息を吐きながらメリルが尋ね、ミランダの腕の中のメグを見てホッとした顔をした。
「異音は夜だけでは?」
蓮が聞くと
「えぇ、そのはずです。今日初めて、昼間に鳴りました」
「あの様な音で間違いないですか?」
「音は同じです。ただ…大きさが…」
「いつもより大きい?」
「はい。いつもは、もっと控えめで…こんな、飛び上がる様な音量ではありません」
「わかりました。残念ですが、今日1日で解決するのは難しそうです。数日間別の場所で過ごすか…この札を寝室に貼ってみてください。少し音がマシになるはずです」
そう言って、蓮は何やら不思議な文字と模様の書かれた長方形の紙をメリルに渡した。
メグの部屋を出る前に
「消えたな」
と蓮が言うので、先ほどの白い犬のいた天井を見る。
そこには普通の天井が広がり、部屋に充満していたむせ返るような獣臭も消えていた。
「と、いうことがありましたの」
「ほっほっほっ、そりゃあ災難じゃったな。ほれ、お嬢さんもお茶を呑みなされ。」
「まぁ、ありがとうございます。この緑茶という飲み物、飲み慣れると癖になる薫りですわ」
「うんうん。そうじゃろう?この煎餅も食べなさい。緑茶によく合う」
ヨウカイ荘に戻ったミランダは、おじいさんと束の間のティータイムを楽しんでいた。
アンとジョンはまだ仕事の時間であり、ヨシもお昼寝タイムなのだ。
お妙が買い物に行くのに、ヨシと留守番を頼まれたのである。
「まぁ、とっても硬い…けれど、芳ばしい薫りで、とっても美味しいですわ!確かに緑茶に合いますわね」
ミランダがそう言うと、おじいさんはニコニコと笑っていた。
「仕事中に呑気にお茶とは、ずいぶんな身分だな?」
後から蓮の声が聞こえてミランダはビクリと飛び上がる。
「あら…?レンさん。どちらにいらっしゃったの…?」
ヨウカイ荘へ戻って早々に何処かへ出掛けていた蓮が、いつの間にか戻ってきていたらしい。
「ジョンの職場だ。ガウル家の当主にも話を聞きにな。狗神憑きなら、当主が何か知ってるはずだから」
「まぁ、何かわかりましたの?」
「いや?その様な心当たりはないと…お前、1人でお茶を飲んでたのか?」
机に置かれた2つのカップを見て蓮が聞く。
「いいえ、こちらのおじいさんと…」
しかし、先ほどまで向かい合って話していた老人はそこにはいなかった。
そしてミランダは気づいた。
「あれ…?あのおじいさん…どなたかしら?」
「あぁ、ぬらりひょんじゃないかい?時々来るんだよ。いつもはヨシと遊んでるんだが、今日は寝てたからね。気まぐれにミランダに声をかけたんだろうさ」
買い物から帰ってきたお妙が事も無げに答えた。
「ぬ、ぬらりひょん…?」
「いつの間にか家に上がり込んで茶を飲む妖怪だ。勝手に寛いで、気がすめば消えるジジイだが…アイツが同じ妖怪以外に話しかけるのは珍しいな」
そう言って蓮は考え込むように黙った。
お昼寝から目覚めたヨシが、ぬらりひょんの置いていったお煎餅を、美味しそうに食べていた。
「えっ、聞こえていなかった…?」
「メグはそう言うんです。でも、あんな大きな音…聞こえない訳ありませんでしょ?」
翌日、調べる事があると出掛けた蓮に代わりミランダだけでガウル家へと訪れた。
もちろんミランダだけで怪異調査出来るわけではないので、マナーレッスンがメインであるが。
今は、綺麗な立ち姿を保つ為のレッスン中である。
1冊の本を頭に載せて、ゆっくり歩くメグが突然
「本当に聞こえなかったもん!嘘じゃない!」
と叫び、頭の上の本がバサリと落ちた。
「えぇ、もちろんそんな事は…」
「メグ!本が落ちたじゃない!最初からやり直しよ!」
メリルのヒステリックな声に、メグはビクリと震え
「ごめんなさい…」
と小さく答えて再び頭に本を載せ歩き出す。
「まったく…。すみませんミランダ先生」
ニッコリとそういうメリルに、ミランダは曖昧に微笑んだ。
約2時間に及ぶマナーレッスンが終わる頃、蓮はガウル家へとやって来た。
「少し、メグ嬢と話をさせてください。申し訳ありませんが夫人は席を外して頂きたい」
レッスンをしていた部屋へ来ると早々にそう伝えた蓮に、メリルは納得して部屋を出ていった。
「さて、メグ嬢。昨日お会いしましたね。私のことはレンとお呼び下さい。少し聞きたいことがありますが、お話しても?」
蓮が相変わらず胡散臭い笑顔を向ける。
メグはミランダの後に隠れて顔だけを出し、コクリと頷いた。
よく知らない男性に人見知りをするのは、小さな子供にありがちだ。
ミランダはそんなメグに微笑んだ。
「大丈夫ですわよ、メグ。レンさんは、笑顔が胡散臭いだけで、善良…悪い人ではありませんわ…たぶん…」
「おい、なんで言い淀むんだ」
「だって…胸を張って良い人だと言えるほど、レンさんの事知りませんもの。私、嘘はつかない主義ですの」
居候でご飯も食べさせてもらっている感謝はあるが、その対価として助手と言う名の労働を強制するのだ。善人とは言い難い。
ミランダはそう判断した。
「…まぁ、いい。話を戻そう。メグ嬢、聞く所によると、レクルス商会のご子息と婚約が内定しているとか。その事について、どう考えていますか?」
「………お母様に、言わない?」
「えぇ、もちろんです。個人のプライバシーは守ります」
メグは、ミランダの服の裾をギュッと握りながら呟いた。
「こんやくって、将来結婚する約束のことでしょう?私、いやなの。だって、サムは、私に意地悪するんだもん」
途端に、ムワッと強い獣臭が部屋に広がった。
ミランダが部屋を見回すと、窓際に白い犬が座っている。前回とは違い、グルグルと低い唸り声が聞こえた。
同時に、パキッ、カンッ、と小さな音が鳴り出す。
「お母様が、勝手にサムと遊ぶ約束するの。だけど、サムはお母様達が見てない時に、私の髪の毛引っ張ったり、虫を投げてきたり…。」
白い犬の唸り声が大きくなる。見ると、牙を剥き出しにして、今にもこちらに飛びかかってきそうだ。
ドンッ、バンッ、と音も徐々に大きくなってきた。
「やめて、って言っても、笑うだけで全然やめてくれないもん!サムなんて、大っきらい!」
グワッ!と犬がメグに向かって飛びかかってきて、ミランダはメグに抱きついて庇った。
「クロ!散らせ!」
ミランダとメグの前に出て蓮が叫ぶと、何処からか黒い影が飛び出し、犬に飛びつく。
ギャン!と一鳴きして、白い犬は消えていた。
臭いも、音も、全て何事もなかったかのように気配が消え去った部屋に、メリルが飛び込んできた。
「今、音が!」
そう言ってミランダからメグを奪うように抱きしめるメリルに、
「音って…?」
とメグがキョトンと答えたのだった。
「婚約の話は見直すか、お相手のご子息とよく話し合った方が良いでしょうね」
その日は、蓮の要請により普段より早く帰ってきたガウル家の当主を含め話し合いが行われた。
ジョンの上司にあたる、当主のダニエル・ガウル氏は、蓮の話を聞いて困惑する。
「婚約と、今回の異音に関係が…?」
「えぇ。今回は、2つの怪異が重なり合って偶然起こったものです。原因を取り除けば治まるでしょう」
「婚約が原因で起こった…?いや、確かに婚約の話が出てから異音は始まったから…」
ダニエル氏が、ブツブツと思案しだすと
「私は反対です。婚約は継続するべきよ!こんないい話もう2度とないわ!」
とメリルが発言した。
「………商会は、狗神憑きの家系です。分かりやすく言うと、一族に取り憑くゴースト…でしょうか。今回、そのゴーストにメグ嬢は襲われかけました。このまま婚約を継続したとして、心身の安全は保証できません」
蓮がそう説明すると
「一族に取り憑く…ゴースト!?」
とダニエル氏が驚きで目を見開いた。
「商会の跡取り…サム君が、メグ嬢に意地悪をしているとご存知で?」
蓮がそう問うと、ダニエル氏は初耳だと言う表情をしたが、メリルがすかさず口を出した。
「えぇ、もちろん。でも、意地悪と言っても軽いイタズラの様なものです。小さな男の子が気になる女の子の気を引こうとやりがちな、可愛らしいものですよ」
「その、“気を引こうとしたイタズラ”はゴーストには通じない。守護すべき人間が排除しようとする異物、ゴーストはメグ嬢をそう認識した」
「まさか!そんな!」
メリルは、悲鳴のような声を上げる。
「今回の異音自体は、そのゴーストが原因ではありません。家鳴り…この家に住まう精霊の警告音です。おそらく、メグ嬢の成長を見守り幸せを願う精霊が、害を成そうとするゴーストを追い出そうと必死に音で警告していた。ゴーストが視える私が訪れた途端に、大きな音でアピールしていたのもその為でしょう。メグ嬢に音が聞こえなかったのは、守護するべき相手を怖がらせない精霊の配慮でしょうか。原因であるゴーストは、婚約を見直せばメグ嬢から関心をなくすでしょうし、そうすれば音もおさまります」
そう蓮が言うと、ダニエル氏は力強く頷いた。
「婚約は解消されるでしょうか?」
帰りの馬車でミランダが呟いた。
「おそらくな。命を危険に晒してまで継続する価値はないだろう。少なくとも、ダニエル氏はそう決断するはずだ」
窓の外の景色を観ながら蓮が答えた。
「それにしても、狗神とは厄介なものなのですわね。主人の意図しない行動をとるなんて」
「呪いなんて、そんなものだ。今回はサム君の嫌がらせにメグが嫌悪感を抱いていたのも大きい。サム君を悪く言った途端、襲いかかってきただろう?サム君が変わらない限り、彼は今後結婚相手に苦労する」
「初めて見たときは、ただ座って様子を見ていただけでしたものね。あれは、監視していたのかしら?次にサム君の相手になる女の子もいい迷惑ですわね」
そんな話をしながら、すっかり暗くなった道を馬車はガタゴトと進んでいった。
後日、ジョン経由でガウル家のその後が伝えられた。
両者の話し合いの結果。一旦2人の婚約は見送られることとなる。
今回の騒動の原因となったサムがメグに謝罪し、メグもそれを受け入れたそうだ。
狗神憑きに関して、驚くことにレクルス商会の人間も知らなかった。
ただ、代々受け継がれていた祭壇があり、習慣としてそれに毎月決まったお供え物をしていたという。
これに関しては、祓うとレクルス家に災いが起きる可能性があるため、教会へ委託。
浄化という方向で進めることを指導したという。
ちょっと用事がある…と別行動していた時に調査していたらしい。
蓮曰く「商会が上手く言っているのは狗神の力による物が大きいだろう。しかし、所詮は呪い。手元に置くといずれ歪みが出る。今回のようにな」とのことだ。
「そんな!」
ジョンと共にヨウカイ荘へ訪れたダニエル氏の発言に、ミランダはショックを受けた。
「婚約が白紙になったので、マナーレッスンは今は不要、と判断しました。メリルも、どちらも身に付けさせようとこの頃ピリピリしていたので…。今は勉学のほうだけで十分かと…申し訳ありません」
ミランダの様子に、ダニエル氏は申し訳なさそうに謝罪する。
メリルがメグにヒステリックに叱責する姿を見ていたミランダは納得するしかなかった。
「いえ…謝らないでくださいませ。メグはまだ7歳ですもの。勉学とマナーレッスン、同時進行はまだ早いですわ。良いご判断だと思います」
そうしてミランダは再び無職になったのだ。
「うふふふ。初めての労働所得ですわ!」
去り際、ダニエル氏は数日分のマナーレッスン代に突然の解雇のお詫びとして色を付けた金額をミランダに支払ってくれた。
つまり、ミランダの初めての収入である。
ミランダはまず、お妙に立て替えてもらった馬車代金を返金し、その足で蓮の部屋を尋ねる。
食堂横の一室、ほかの部屋と扉の塗装が少し違う部屋が大家である蓮の部屋である。
コンコン、とミランダが扉をノックすると、暫くしてから蓮が顔を出す。
「こちら、今までの分の食費ですわ!」
ダニエル氏から渡された封筒から、1枚のお札を取り出し蓮へ差し出す。
「確かに受け取った」
と蓮が受け取る。これで、不当に怪異討伐の助手として連れ回される心配はなくなるのだ。
と、得意げになるミランダに、蓮は手のひらを差し出す。
「……?」
その手のひらに、ミランダはそっと自身の手のひらを重ねた。
なぜ今エスコートの必要が?と思いながら。
「………家賃は?」
ミランダと重ねられた手のひらを引き抜き、蓮が言う。
「やちん?」
ミランダは、聞いたことのない単語に首を傾げた。
「アパートは、家賃という金銭と引き換えに部屋の一部を間借りする。お前は、今その一室を占拠しながら一銭も支払っていない。謂わば不法占拠の状態だな」
「不法…占拠!」
意味は分からないが不穏な響きである。
「その封筒、いくら入っている?」
「全部でこれだけですわ」
ダニエル氏から渡された封筒を差し出す。
残りは紙幣が2枚と、お妙に返却した代金のお釣りの硬貨が入っている。
蓮はその全てを没収すると
「少し足りないが…まあこれでいい。来月も期待してるよ」
と言ってミランダの目の前で扉を閉めた。
「ご…強奪されましたわぁー!」
とミランダが叫ぶ。
食堂で寛いでいたアンとジョンの駆け付ける声がワァワァと聞こえる中
「人聞きの悪い事を言うな。正当な対価だ」
という蓮の声が聞こえた気がした。




