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永遠の桜  作者: ふがし
第3章 強襲編
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第36話 炎の落ちた日


 目が覚めたとき、空が燃えているのだと思った。自然界には存在し得ない、漆黒の炎が踊る。炎の海の奥で、巨大な獣が嗤っていた。


 ぱちぱちと火の粉が爆ぜる音は原始的な恐怖を呼び起こした。喉がひりつくような痛みを訴えて、僕は身をよじる。すぐ間近にフィアの顔があった。心配そうに歪んでいた空色の瞳は、僕と目が合った瞬間、いつもの無感動な冷めたものに変わる。


 状況は目が覚める前と変わっていないようだ。魔族が僕とフィアを小脇に抱え、それを助けるべくフウが追いかける。まあ、尤も──。


「助けに来たんだが殺しに来たんだか分かんないですけどね……」


 周囲を取り巻く炎の海を見て、僕は辟易とした。呟いている間にも空からは黒い炎が降り注いでいる。フィアが何かしてくれているのか、さっきより呼吸は楽になったけれど、炎に取り囲まれている状況は精神を圧迫するものがある。冷や汗が額をつたった。


 魔族の方もただやられているばかりではない。彼女──と言っていいのかどうか分からないが──が血の滴る手を振った途端、地面から猛烈な勢いで水の柱が飛び出た幾本も飛び出た。轟音を立てて突き上がる水柱は周囲の猛火を叩き潰すように消し去り、さらに空を駆けるフウの体を打った。ブチリ、と肉の裂ける音がして獣の右腕が千切れ飛ぶ。


 さらに、地中から湧き出た無数の拳大の虫たちが、奇怪な叫び声を上げてフウに群がって行った。夥しい数の醜悪な虫が立てる羽音は生理的嫌悪を誘う。しかしそれを嘲笑うように、獣が高らかに叫んだ。


「『エンジェル・ダスト』!」


 さあっ──と空を覆っていた黒い炎が晴れ、純白の光が差し込む。光の柱に触れた虫たちが鳴き声すら残さず一瞬で蒸発した。幻想的で、一種神々しいとさえ言える光景だったが、その後に続いた爆音がそんな感傷を吹っ飛ばした。


「【ぐうううっ】」


 不可視の壁が魔族と僕たちの周りを取り囲む。天から降り注いだ光は壁にぶち当たって爆風を撒き散らして行った。目の眩むような光と衝撃に頭が揺さぶられて吐き気がこみ上げる。フィアがずり落ちそうになる眼鏡を支えつつ呟いた。


 地形を変えるレベルの大魔術が連発される様は、神話の世界の神々の戦争を思わせた。映画やら漫画やらで見る分には構わないが、当時者として巻き込まれるのは正直勘弁して欲しい。


「【……魔術による絨毯爆撃。雑魚散らしと精神的圧迫には有効】」

「僕の胃に対しても効果は抜群ですけどね……。フウったら僕たちがいることを忘れてるんじゃないでしょうか?」

「【多分、ここで死ぬようならその程度の男だった、ぐらいにしか思ってないと思う】」


 ありそうで困る。


「そこら中火の海に変えて……幸い人の姿は無いようですけれど……。帰ったらお仕置きですね、全く!」

「【帰れたら、ね】」


 そう言われて、背中に氷を当てられたような感じがして、僕は唾を飲み込んだ。


「……勝てますか、フウは?」

「【……分からない。互角に見えるけれど、わたくしも、魔族の手の内の全てを知っているわけではないから】」

「……」


 僕は視線を上げて魔族の横顔を見た。浅黒い肌は今や血と泥に汚れ、真紅の瞳がぎらぎらと輝いている。ふと思い立って、僕は彼女を『調査』してみた。



???

種族 純血の魔族

年齢 180億歳


能力

筋力 55

耐久 48

敏捷 40

器用 60

知能 66

魔力 580

信仰 22

意志 71

魅力 89


技能

血液魔術     ランク3 Lv211

マナの空白    ランク2 Lv108



 おや。もしかしてと思ったけれど、やっぱり魔族が表に出ている時は魔族の能力になるようだ。名前がナルシサスじゃなくて???になっているのも、魔族の方を見ているからだろうか。


 しかし恐ろしくピーキーな能力だ。魔力だけずば抜けて高いけど後は普通の人間程度か。肉体の改造が済んでないとか言ってたし、そんなものかもしれない。

 

 魔法に関しては出力では魔族が勝るけれど、単純な速度と持久力でフウが圧倒しているという感じだろうか? 血を流しながら肩で息をする魔族の姿を見ると、どうにも血液魔術というのは使いづらそうだ。


 千切り飛ばされたと思った獣の腕は、いつの間にか再生している。僕が直接対峙した時のように魔術を封じない限りは、体力切れを狙ってごり押しで魔族を圧殺できそうに思えるけれど──。魔族の顔には焦りはあっても絶望はない。何か嫌な予感がするが、抱え込まれた身では文字通り手も足も出ない。


 何とか逃げる方法は──と考え込むうち、周囲の空気が変わった。遠くにざん、……と水のしぶく音が聞こえ、磯の匂いがした。魔族が地を蹴って跳躍した。だん、と音を立てて降り立った場所は陸地ではなく──。


「海……?」


 頬を撫でる風が冷たく湿っている。冴え冴えとした秋の海原が広がっていた。走り走る内にとうとう海岸までたどり着いたのだろう。この世界で初めて見る海に、状況も忘れて見とれた。


 だが勿論というか、追い追われる二人は海の景色など何の興味もないようだった。魔族が水面を蹴って走る。まるでアメンボみたいだ。多分これも何かの魔術を使っているのだろうけれど、見る見る内に陸地が引き離されて遠ざかって行く。こちらも躊躇無く追いかけてきたフウが、地の底から響くような声で叫んだ。


「『サモン・ファイアエレメンタル』!」


 言葉と同時に彼女の周りを純白の火柱が取り巻き、見る間に人型になった。人型の炎たちは一斉に魔族を指差して印を切る。


「『ペトロクラウド』」

「【! ぐうっ!?】」


 灰色の雲が猛烈な速度で魔族に接近した。慌てて振り払おうとした彼女の手が音を立てて灰色の石になっていく。ナルシサスは慌てて雲を打ち払って更に遠くへ逃げようとする。その様子を、羽虫を見るような目で見つめながら、フウは静かに印を切っていた。……この流れはいつか見たことがある。かつて敵として出会った彼女が使った手だった。黒い獣が高く吼える。


『全て土くれより生まれたるもの、塵と灰に帰すべし!』


 頭の中に響いたその声を聞いた瞬間、ぞくっ──と背中に悪寒が走った。僕の嫌な予感を裏付けるように、魔族も「【な、ぐっ!?】」と小さく呻き、慌てて血の滴る足を振り上げた。撒き散らされた血が魔方陣を描くのと、怖気を誘うようなイズラ・フロウの声が響いたのはほぼ同時だった。


「『ニュークリアブラスト』!」

「【お、おおおああっ!】」


 魔方陣が煌めき、魔族が絶叫を上げる。がくん、と強い衝撃を感じた。


**********

 

 遥か遠方に、キノコ雲が立ち上がるのが見える。遠く見える雲は豆粒大だったが、ビリビリと大気が震える感触と、一瞬で蒸発した分の海水に対する揺り戻しの荒波が、爆発の凄まじさを物語っていた。


「【さすがに……魔炎か。火力では随一……だが】」


 呟く魔族の姿はひどいものだった。片腕が石になり、片足からはドクドクと血があふれている。洒落た貴族風の服は最早ボロ布としか言いようの無い形になっていた。アッシュブロンドの髪も煤けてぼさぼさで、見るも無残だ。


「フィア、どうなったんですか? フウは?」

「【……魔族が空間転移を使ったのよ。ネコさんの大魔術を避けるために】」


 転移? ワープ的なものだろうか。魔力に優れた魔族ですら、防ぐより必死で回避することを選んだのだと知って、今更ながら爆発の凄まじさに寒気がした。そんな僕の心境を知る由も無く、魔族は独白する。


「【……所詮は、出来損ないか。むざむざ殺されに来るとは】」


 呟いた魔族は揺らめく波の上で足を止めていた。接近してくるフウの姿を冷ややかに見つめながら、石になった片腕を余裕たっぷりに治療している。僕はフィアに囁いた。


「……負け惜しみですかね?」

「【いいえ。まだ……何かある】」


 傲然と顎を上げて待ち構えるナルシサスの元に、程なくして獣が近寄ってくる。体長にして象の三、四倍ほどもある巨体を揺らしながら、体中から瘴気と炎を立ち昇らせ、鋭い歯を剥いていた。魔族は冷然と笑って、近寄ってくるフウめがけて腕を振った。


「【神、人間、亜人に竜、どいつもこいつもマナに頼らねば魔術もろくに放てぬまがい物の出来損ないどもめ! 魔術の真髄たる純血の魔族の力を思い知るがいい!】」


 彼女がそう叫んだ瞬間、頭の中に声が響いた。



 マナの空白が発動しました。

 半径十キロメートル圏内において600秒間マナが消失します。



 突然の声と魔族の行動に身構えた僕だったが、特に何か起こった様子はない。不思議に思ってフィアを見やると、彼女は顔面蒼白になっていた。


「【まずい、これは!】」

「フィア? 彼女は何をしたんですか?」

「【……血を触媒とする魔族を除き、普通魔術は大気中のマナを触媒として必要とする。それがなくなったということは……!】」


 ということは? とよく分からないまま首をかしげつつ、フィアに促されてフウを見やる。すると、そこに例の巨獣の姿はなかった。代わりに、荒い波に揉まれてあっぷあっぷともがく小さな小さな獣人の娘の姿が……!


『にゃっ、にゃあっ! もが、げほっ!』

「っ、フウ!?」


 その姿を見て理解した。今までの彼女の獣の姿は魔術によって作ったもので、それが解かれた今、彼女はただの獣人でしかない。そして最悪なことに──どうやら生身の肉体を知らなかった彼女は、泳ぎが苦手のようだった。陸上ならば魔術なしで疾風のように動く彼女も、水中では赤子に等しい。魔族はこのために海に来たのか……。


「フィア! 何か、」

「【っ!】」


 フィアが足を振って海水に突き立てた。途端、触れた場所が瞬時に凍って人の胴体くらいの氷の塊になる。氷の呪いは魔族由来だけあって、マナは関係ないようだ。フィアが蹴り飛ばした氷はフウの方に流れて行く。


「【ネコさん、捕まって、早く!】」

「フウっ! 今すぐ服を脱いで、焦っては駄目です! 手で水を掻いて……」

「【無駄なあがきを】」


 ナルシサスが昆虫のように無機質な、それでいて俗悪ないやらしさを感じさせる濁った目で溺れるフウを見つめていた。口角が吊り上って、ナルシサスの顔には似合わない歪な笑みの形をとった。


「【ああ……。いいな、実にいい。聞いてくれイズラ・フロウ。私はね、】」


 彼女の血がたらり、焦らすようにゆっくりと海に落ちた。ぼう、と魔法陣が浮き上がる。僕はフウの名前を叫んでいた。


「【無様にもがき苦しむ命を踏みにじる感触が大好きなんだよ】」 


 一瞬だった。巨大な手の形をとった水の塊が、非力にもがく少女を水の中に連れ去る。水飛沫が上がる瞬間、フウの金色の瞳が僕を見ていた。細い腕を精一杯伸ばして、彼女の唇が最後に囁いた言葉は、僕の名前だった……。


「フウーッ!」

「【ああ、死んだな】」

「死んでない! フウがこんなにあっさり死ぬもんか!」


 僕は唇を噛んで魔族を睨んだ。


「あのフウが! 神様で、やたら偉そうで人間舐めた挙句媚薬漬けにされて、あっさり指だけで篭絡されてニャンニャン言ってたあのフウ、が……」


 ……あれ何でだろう。自分で言ってて凄く不安になってきたぞ。


 フィアは何も語らず、静かにかぶりを振った。フウが消えた水面を見つめて茫然とする僕に、例の濁った目を向けながら、魔族はねっとり絡みつくような口調で言った。


「【さあ来て頂こうか、異形の魂を持ったお姫様。我が宿主のアイを満たすために】」


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