第27話 夜宴/明るい夜
『えー、本日は忙しい中、皆様お集まり頂きまことにありがとうございます』
木を組んだ簡素な台に上って、杯を手に一同を見回す。無数の目、目、目。人のものから異形に至るまで、大小さまざまな目が僕を見つめる。正直かなり緊張するが、ロリババアのためとあってはやるしかない。神々が交代で託宣を使ってくれているおかげで、通訳の必要はない。うわずりそうになる声を抑えて、僕は言葉を続けた。
『本日皆様は魔族に人生を弄ばれた一人の少女を救うという崇高な使命を帯びておられます。皆様の頑張りが今回の作戦の可否を左右すると言っても過言ではないでしょう』
真面目くさった口調で言う僕に、空気が少しだけ緊張を帯びる。それに対し、僕は一転して笑みを浮かべた。
『皆様の義務は宴会を盛り上げることです。全力で飲んで、騒いで、楽しんでください! 魔女がふらふら誘い出されるくらい、とびっきりね』
ど、と笑いが起きた。それに満足して、杯をかかげる。
『それでは、乾杯!』
応じて、あちこちで乾杯の声と杯を打ち鳴らす音が響いた。
台から降りる。桜お姉ちゃんがお疲れ、と言って労ってくれた。微笑んで、杯を差し出す。ちん、と澄んだ音が響いた。
『今日も、茶か。飲んだらどうじゃ?』
『いえいえ。舌が回らなくなったら困りますからね』
喉を潤して、俄かに喧騒に包まれた館を見つめる。熱気に当てられて、館まで様相を変えたかのようだった。
『うまくいくと思いますか?』
『なんじゃ、今更』
彼女は怪訝そうに眉を跳ね上げた。
『僕だって確信があってやってるわけじゃないです。人の心の動きなんて複雑怪奇ですからね』
口元の酒を軽く手の甲で拭って、じっと彼女は耳を傾けた。
『さえずりのラーツェが言っていました。塞ぎこんだ彼女を引き摺り出すことが、どうしてもできなかったと。僕が魔女を無理矢理引き摺り出そうとする行為は、彼女をますます塞ぎこませてしまうかもしれない』
ふ、と桜お姉ちゃんは息を吐いた。
『そうかもしれんな。だがな、待っとるだけでは解決せんかったんじゃろ。なら、引き摺り出してみるというのも手じゃ』
周囲はぼんやりとした明かりが包んでいる。魔術による明かりだった。黒々とした屋敷が薄闇に浮かび上がる。二人並んで、屋敷を見上げた。
『あんまり難しく考えるな、お前らしくもない。愛しているなら抱きしめる、じゃろ?』
『……はい』
ん、と両腕を広げる彼女に苦笑を返して、その体を抱きしめた。
『儂だってな、色々思うところはあるわ。雪が寒くて辛いだの、最近いろはがあんまり構ってくれないだの、女を片っ端から口説きやがってだの、儂のいぬ間にお楽しみか? だの』
『う。や、その……』
『じゃがな、こうやってお前に抱きしめられていると、そんなことがどうでもよくなってくるんじゃ』
背中に回された小さな手が、肩甲骨を軽くなぞった。
『んふ。この温かさ、この香り、この感触。ああ実に……よい』
おとがいを突き出し、喘ぐようにして彼女は言った。艶かしい所作に胸が高鳴る。
『間違いなく、お前は儂らロリババアにとって麻薬のような存在じゃ。魔女も例外ではない』
にやり、とあくどい笑みを浮かべた。
『せいぜい、ドロドロに蕩けさせてやれ。情欲の神ですら乱れ狂ったんじゃ、男を知らん未通女なぞ、ホストを前にした三十路女も同然じゃ』
『もうちょっと美しい例えになりませんかね……』
パッ、と体を離して、彼女はくるりと回る。着物が雪を僅かに裂いて、雪の粉が舞った。
『儂はもう少し飲む。お前はうまくたらしこんでこい』
くるくる舞いながら、桜お姉ちゃんは去って行った。……既に大分酔いが回ってるような気がするんだけれど、大丈夫かなー。
桜お姉ちゃんと別れた後、宴会場を見て回った。最初はかなり戸惑っていたものの、信徒たちや獣人たちも酒が入って打ち解けてきたようだ。あちこちで笑い声が起こり、楽しげな雰囲気に包まれている。無数の情報精霊たちが飛び交い、『いそがし、いそがし』と言いながら酒や食べ物をあちこちに運んでいるのが見えた。
木を組んだ椅子に腰掛け、言葉を交わす男たちが目に付いた。
『俺たち神もさー、大変なわけよ。信者の管理とか他の神からの保護とか』
『そりゃ、きつい仕事っスね』
『そ。こっちだって色々悩んでんのよ? 神頼みとか気楽に言ってくれるけど、有象無象の神なんて、正直そこらの竜や仙人なんかよりよっぽど弱いし。この間竜が信者になってさー、いやお前俺より力あるだろうと。何しに来たのかと。いやそりゃね、俺だって修行くらいしますよ。けどね、地力がそもそも違うわけ。マジ勘弁してほしいわー』
『そうなんスか? やー、神様ってのも楽じゃないんスね』
愚痴をもらす神と、それに笑いながら答える獣人を少しだけ眺め、立ち去る。
少し離れたところで、爬虫人の少女と一柱の神がばったりと出会った。
『……やるか?』
『ああ。やろう』
目が合うやいなや、互いの得物に目配せした後、剣と刀にそれぞれ手をかけてにぃ……と凄絶に笑い合う。……よく見たら剣神とシャオさんだった。やるかって。手合わせってことなんだろうけれど、初対面の相手に言う言葉か、それ? 脳筋なんだから……。
また別の場所では、男と獣人の少女が会話をしている。
『おお……この凄まじいまでのドSの気。光を失った私めの瞳にも炎のごとく映りますぞ。お会いしとうございました、偉大なる炎の王よ! さあ存分に踏んでくだされ!』
『……』
修行僧のような格好をした男が雪の上に半裸で寝そべり、腹をさらして変態的なことを言っていた。その正面に立つ少女──フウは、完全な無表情のまま炎をまとった足を振り上げた。僕は慌てて羽交い絞めにして止めに入る。
『止めるんじゃないにゃ。こいつら炎踏行者には言葉なんて無駄にゃ』
『……えんとうぎょうじゃ?』
聞きなれない言葉に首をひねる僕に、寝そべる男は、くわ! と焦点の合わない目を見開いた。
『然り。我ら炎踏行者は、畏れ多くも魔炎のイズラ・フロウ様の足元に侍る修行僧である。このように常に往来の真ん中に寝そべり通行人に足蹴にされるという苦行を経て、魔炎のイズラ・フロウ様の激しい怒りを一身に受け止めごぼぉ!?』
言葉の途中でフウのかかと落としが鳩尾に入った。……死ぬんじゃないかな、あれ。思ったが、
『ありがとうございます! ありがとうございます!』
『……』
ゴミでも見るような冷たい目でひたすら足を振り下ろす少女と、お礼をいいながら歓喜の表情で転げまわる男という光景は、正直あまり近寄りたくないという念を抱かせた。
『ほどほどにしてくださいね』
結局、止めるのを諦めて立ち去ることにした。
黙然と遠巻きに囲む凍土竜と霜の巨人たちだったが、酒と食べ物の匂いにつられてピクピク鼻を動かしているのが見えた。食欲という本能には勝てないか。いけるか、と思い、情報精霊を連れて、彼らの前まで酒と肴を運ばせた。
『どうです? 一緒に』
『……』
彼らは何も語らず、じっと僕の方を見ている。やはり駄目かと諦めかけたが、群れの中で一際身体の大きな、額に火傷を負った凍土竜が歩み出た。
『お前は、何を企んでいる?』
静かな口調の中には隠しきれない警戒が浮かんでいた。
『強大な下僕を引き連れ、奇矯な言葉で人をかどわかす。お前は悪魔の類としか思えぬ。魔女を利用しようとやってきたのではないか?』
ひどい言われようだ。
『利用だなんて。僕はただ、魔女を幸せにしたいだけですよ』
『……幸せか。無理に引き摺り出すことが、幸せか?』
『少なくとも、ああして館に独りでこもっているよりは。そう思いませんか?』
『……』
緊張した空気が漂う。凍土竜、霜の巨人、情報精霊たちが、固唾を呑んで僕たちの会話を聞いていた。
やがて、火傷の凍土竜は小さく息をもらした。
『……人の心の機微は、分からん。お前の言うとおりなのか』
顎をしゃくるようにして、彼は言葉を漏らした。
『……いいだろう。協力してやる。ただしおかしな真似をしてみろ。畑の肥やしにしてやる』
食ってやる、ではなく肥やしにしてやると言う辺りなんだか締まらないが、取り敢えず協力してくれるというなら文句はない。彼の言葉に応じて、霜の巨人と凍土竜の群れが酒に群がった。その様子を呆れた表情で見つめながら、火傷の凍土竜はため息をついた。この竜も苦労してそうだなあ。
館のすぐ側では、即席の舞台の上で一発芸大会が催されていた。
『十三番、建築のヘパイストス! 巨大雪だるま作ります!』
巨人が豪快に笑いながら、畳でも上げるようにして雪の塊を持ち上げ、ごろごろ転がして玉を作る。
『ずりい、ただ雪だるま作ってるだけじゃねーか!』『でもすっげー!』『でけー! はははは!』
げらげら笑いながら野次を飛ばす酔っ払いたちに、巨人は手を振って応える。やがて館の高さすら上回る、一体の巨大な雪だるまが、館のすぐ隣にでん、と置かれた。
『十四番、海神ドラウ・カイ。海を呼びます』
半裸の男がぬぼー、とした表情で呟き、手を掲げると、上空に大量の水が集まった。
『ちょ、待て、下ろすな下ろすな!』『地形変えんじゃねー!』『上で止めとけ馬鹿!』
泡を食った神たちに止められ、呼び出された水は空中に留まった。何という大魔術の無駄遣い。
『十五番、銀の英雄リリア! 脱ぎます!』
続いて現れたのは、大分酔いが回ったのか、顔まで真っ赤にしてぐるぐる目を回したハイエルフだ。……何してんのあの人。慌てて止めに入ろうとしたが、人ごみに阻まれてたどり着けない。その間に、ばっ、と彼女は服を脱いだ。わー、と僕は目を閉じた。彼女の無限に広がる大草原のごとき雄大な美乳に歓声が起こる……と思いきや、しん……と水を打ったような静寂があたりを包んだ。
『おい何で目ぇそらしてるんだ』
リリアさんがドスの効いた声を漏らして、真顔で傍らの神の胸倉を掴んだ。く……と、あたかも貧困に苦しむアフリカの子供を見たときのようないたたまれない表情で、彼は顔を俯けた。
『絶壁……』『絶壁だ……』『何という完璧な平面……』『まさにそそり立つ絶壁……』
ひそひそと交わされる言葉に、リリアさんがハイライトの消えた目をして腰の剣に手をかける。そのころには何とか彼女の元までたどり着けたので、僕の着物を上から被せた。
『……あの、僕は大好きですよ?』
『……ふえぇん』
情けない表情で泣き出した彼女をよしよしとあやす。微妙な空気が漂ったが、すぐ次の演者が舞台に立って盛り上がりを取り戻した。
めそめそ泣くリリアさんに肩を貸しながら、その場を後にした。水を貰って、彼女に飲ませる。
『ぐす。所詮私は絶壁ですよう……』
頬をつたう涙を軽く唇で拭い、ついばむようにキスを降らせた。
『僕は、リリアさんのこと、体も含めて全部大好きですよ。それじゃあ不満ですか?』
彼女はぎゅ、と唇を引き結んだ。膝の上で拳を握る。
『不満じゃ、ないです。分かってます、本当に大事なことは、互いの気持ちだけなんだって。でも、私にだって見栄はあります。それに……私を連れるあなただって、笑われるかもしれない。あんな貧乳女を連れて……なんて。それは絶対に嫌です』
ううむ。気持ちは分からないでもないけれど。
『そんなこと、気にしないでください。誰が何と言おうと、リリアさんは美しいです。それを笑うような人たちには、思い知らせてあげましょう』
紫の瞳を真正面から見つめ、囁くように言った。
『ロリババアの素晴らしさを。少しずつ、この世界の意識を覆していきましょう。やがてこの世界の住人全てが、口をそろえてロリババアを賛美するように』
魅入られたように、陶然とした表情で、彼女はじっと僕の言葉に耳を傾ける。
『……怖い人』
『嫌いになりました?』
『いいえ。むしろ……』
続きは言葉にならず、銀光が揺らめくようにして、彼女の頭が僕の胸に押し付けられた。喧騒を遠くに聞きながら、雪に閉ざされた世界の中、二人で静かに抱き合った。
どれくらいそうしていただろうか。しゃり、しゃり、と雪を踏みしめる音が響いた。見やると、杖をついた老人と、茫洋とした表情の青年の二人組みが、僕たちの方へ歩いて来ていた。リリアさんが身体を離す。きり、と顔を引き締めて、
『法理のアルススと、海神ドラウ・カイですか』
『いかにも』
老人──法理のアルススが重々しく頷いた。
『何の御用ですか?』
『警告をしに来てやったのだ』
二人の視線が交錯する。アルススが冷ややかな瞳で僕を見つめた。真っ白な顎ひげを撫でながら、口を開く。
『魔炎のイズラ・フロウを降したのは褒めてやろう。だがその信者を洗脳し、あまつさえ一宗教を乗っ取ろうとしたのはいただけんな。ただでさえ人の憎しみを買いやすい体質だ。いずれ、その身を滅ぼすことになるぞ。地方の教会ならまだいいが、中央教会は魔窟だ』
『訳。イズラ・フロウを倒してくれてありがとう。でもあんまり敵を作っちゃ駄目だよ、おじいちゃん心配』
アルススに続いて、海神がぼそりと言った。法理のアルススがじろりと視線を向けると、海神はさっと顔を逸らす。
こほん、と咳払いをして、アルススは続ける。
『……貴様の趣向を鑑みるに、この先出会うものたちの中には魔の領域に属するものも多くいよう。魔炎のイズラ・フロウは悪質だが、それでも神としての最低限の倫理観はあった。魔のものたちにはそんなものはない。愛、などという甘ったれた思考は捨てることだな』
『訳。世の中には悪い人が沢山いるんだ。騙されちゃ駄目だよ』
『……。……』
ぴく、とアルススの額に青筋が浮く。視線を受けて、海神はまた顔を逸らした。全てを諦めたような盛大なため息をついた後、アルススは懐から何かを取り出した。
『これを』
差し出されたものを受け取る。円形の金属板の上に、宝石が埋め込まれたもので、鎖がついて首からかけられるようになっていた。
『魔力は、使い手によって相が変わる。妖精には妖精の、魔族には魔族の相がある。相は魂から出でるものだ。肉体を変えようが相だけは変化しない。その首飾りはその相に反応して色を変える』
相、というのがよく分からないが、指紋や声紋みたいなものだろうか。ためしに法理のアルススに近づけると、宝石が強い青の光を放った。海神でも同様。リリアさんに近づけると、淡い緑色の光を放ち、僕が持っていると透明なガラス玉のようになる。魔力の強さもある程度反映しているのだろうか。
『純血の魔族の相は、血の赤だ。覚えておけ』
『ありがとうございます。助かります』
『ふん。礼などいらん。せいぜいうまくやるんだな、道化。口先だけでどこまで渡れるか見物だ』
『訳。喜んでくれて嬉しいな。ちゃんと君のこと、見守ってるよ』
『……。……。……。……。ドラウ・カイ。貴様には話がある。ちょっと来い』
『訳。またねー』
茫洋とした無表情のまま呟く青年を引き摺って、老人はその場を後にした。リリアさんと二人残される。
『……面白い神様たちですね』
『……ははは』
リリアさんが苦笑を漏らした。
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酔いを醒ます、と言ってぶらりと散歩に出かけたリリアさんを見送り、僕は宴会の中心、館の近くに戻った。
信徒たちが大勢集まっているので何かと思って行くと、人々の中心にローザがいるのが見えた。女性信徒数人に『カワイー』と抱きしめられ、目を白黒させている。僕を見つけて、ささっと寄ってきた。
『人気者ですね』
『む』
乱れた髪を直してローザが息をついた。
『これほど大勢に囲まれるのは久しぶりだ。どうにも、慣れんな』
やや疲れを滲ませながらも、口調は楽しげだ。僕の視線に気付いて、くすりと笑う。
『人と話すのは、好きだ。触れ合うのも』
館の扉に目を向ける。
『……我はな、嬉しかったぞ』
『?』
『汝に手を取って……救い出されて』
像に閉じ込められ、名も力も失って消え入るのを待つばかりだった彼女を思う。
『独りでも耐えられると思って、暗闇の中で縮こまって──それでも心は他人を求めるのだ。心を殺すことなどできぬ』
手を握りあって、並んで一緒に館を眺める。
『だから、きっと──』
言葉を遮って、不意に鋭い声が大気を揺るがした。何事かと思って周囲を見回すと、宴会場を取り巻く凍土竜が、天に頭を向けて鳴き声を放っていた。甲高いそれが旋律を描いたとき、歌っているのだ、と気付いた。続くようにして霜の巨人たちが重低音で歌い始める。
地球からかけ離れた異郷の歌は、物悲しく心を揺さぶる。酔っ払っていた人たちも、今は言葉を止めてじっと歌に聞き入っていた。楽器の音を伴わない素の歌声が、宴会場を駆け抜ける。
どれくらいそうして耳を傾けていただろうか。不意に、館の扉が激しい音を立てて開いた。中から、厳しい顔つきをした少女が一人、歩み出る。魔女は館の周りを囲む雑多な人ごみに顔をしかめ、傍らにそそり立つ巨大雪だるまを呆れたように見つめ、空に浮かぶ海を見つめて口元を歪めた。
ローザに背を押され、歩み寄る。近づくたびに、魔女の目つきが険しくなる。すぐ目の前まで歩み寄って、その手を取った。手袋を脱がせ、指を絡める。フウとローザの魔術は効能を発揮してくれているようだ。呪いが僕の身体を凍りつかせることはなかった。
『……しつこい男』
『ええ。ロリババアのためなら、僕は何度だって立ち上がりますよ』
『ロリババアって何?』
『ロリにしてババア。子供の体に老人の精神。僕の愛するものたちです』
『……。何を言っているのか分からない。あなたは狂人? それともわたくしを惑わす悪魔か淫魔?』
『僕はただの人間ですよ』
彼女の手を引いて、館から少し離れる。魔女フィアルカは、されるがままに着いて来た。
『見てください。神々、獣人、凍土竜に霜の巨人。みんな、あなたのために集まってくれたんです。聞こえるでしょう? この歌。凍土竜と霜の巨人たちが歌っているんです』
『……だから、何?』
投げやりな口調で、彼女は言った。
『昔を懐かしめと? もうわたくしの時は戻らない。獣人、魔人、凍土竜、霜の巨人──。みんないなくなった。わたくしを置いて、時間は彼らを奪い取っていった』
倦怠が、彼女の空色の瞳を曇らせていた。
『永遠とは停滞ではありません。永遠に咲き誇る花があってもいい。それを愛でるものがいてもいい。時はうつろう。僕と共に、新しい世界、新しい時代を見てみませんか?』
『……新しいものなど、この世界にはない。二万年の時は、わたくしから興味と好奇心を奪い取り、知識と退屈だけを残した』
その発言には流石に怒りを覚えた。新しいものなど何もない? 知り尽くした?
『なら、見せてあげます。この世界にあらざるもの、全く未知の世界を!』
ば、と着物の袖を翻して、舞台に上った。遠く旋律を背景に、異形の者たちが囲む。さあ、一世一代の大道芸だ。人々の興奮に当てられて、今日は想像力の手が迸るように伸びている。今なら何だってできるという気がした。
黒々とした空に向かって手を掲げる。創造主の指先を使った。光の粒が一つ、二つ、やがて数え切れないほど集まり、奔流となって宴会場を舐めた。光があちらこちらで収束する。やがて無数の蝶が、わずかに降る粉雪の中、ふわりと舞い上がった。おお、とどよめきが伝わる。
続いて、淡い光の玉が浮かび上がる。蛍だ。群れをなしてさながら光の川のように飛ぶ。更に鹿、キリン、像といった大型哺乳類がのそり、と光から這い出る。パオーン、という激しい鳴き声に、獣人たちが目を見開いた。この世界とは異なる生態系に属する生物は、この世界の住人にとってはまさしく怪物の類としか思えないだろう。
一際大きな光が収束する。空中にゆらりと巨大な影が揺れる。ばしゃん、と水音を立てて、海神が作り出した空の海の中に、一頭の鯨が現れ出でた。おおおお……と神々がどよめく。鯨は僕たちを悠然と見下ろし、潮を噴き上げた。水をかけられた信徒たちが毒でも浴びたかのように慌てて拭っている。
館の周囲に収束した光は、桜の木々となった。満開の桜が風に煽られ、雪に混じって桃色の花を散らせる。白と桃色の吹雪が駆け巡った。遠く、木の椅子に腰掛けて酒を飲んでいた桜お姉ちゃんが、酒盃で桜の花びらを受け止める様子がなぜだかはっきり見えた。舞台のすぐ下で、魔女がそれらの一つ一つを逃すまいとでも言うかのように、僕の生み出した生き物たちを、身を乗り出して見ている。
消えるのは一瞬だった。光が迸ったかと思うと、虫も、動物も、鯨も桜も、跡形もなく消えて、ただ呆然とした人々だけが残された。舞台から下りる。いつの間にか、歌はやんでいた。静寂の中で、魔女の手を取った。
『どうでしたか? 異世界の景色は。まだまだ見せたいものは沢山ありますよ』
『え……あ……』
呆然とした表情を繕うように、魔女フィアルカは慌てて顔を伏せた。
『こんな、こんなの、別に……ちっとも、ちっとも……』
フィアルカの身体が震える。何かが彼女に、続く言葉を出させるのを押し留めているように思われた。不意に、頭上に影がよぎる。のそり、と歩み寄ってきたのは、一頭の凍土竜だった。頭に火傷のある、例の個体だ。
『久方ぶりだ……私、いや、……オレのことを、覚えている?』
顔と巨体に似合わない、妙に幼い口調になって彼は言った。数瞬、戸惑った魔女だが、やがてあ、と声を上げた。
『……覚えている。忘れるはずもない。あなたの母の出産を手伝ったのはわたくし。あなたの鱗を初めて洗ったのも、言葉と魔術を教えたのもわたくし』
『オレのお袋の死を看取ったのも、オレを慰めてくれたのも、全部アンタだ』
彼はそっと頭を下げて、魔女の瞳を覗き込む。
『オレが小さいとき、勝手に上級魔術をやろうとして、失敗して額に火傷を負った。アンタは怒って、泣いた』
『……そう。まだ傷は残ってる』
『戒めでね。わざと消してない。叔父やら親父やらには、酒の席でよくからかわれたよ』
笑いを漏らして、彼は目を細めた。魔女は、対照的に暗い表情で顔を伏せた。
『……昔の話。もう、戻らない。そこにいる霜の巨人、凍土竜、いずれも知らない顔』
『そうだな。オレが直接アンタを知る最後の一頭だ。……そして、オレもそろそろ寿命だ』
淡々と告げられた言葉に、魔女は目を見開いた。
『驚くことはない。知ってるだろ? 寿命、一万年程度だ。結構ガタが来てる。正直、立ってるのもきつい。オレはわりと、長生きした方だよ』
『……』
唇をかみ締める魔女に、彼は優しげな眼差しを注いだ。
『アンタにさ、頼みたいことがある』
『……何?』
『孫の名前、考えてくれないかな。今度、生まれるんだ』
照れくさそうに笑った。
『若いのは、アンタに会ったことはないけれど、みんなアンタのことを知っている。オレが散々話をして聞かせたからな。……本当は面倒見るのを手伝ってもらおうかと思ったけれど、アンタはここを去るみたいだから。アイツに連れられて』
ちらり、と僕を見やる。
『そんなこと……別に』
『ためらうなよ』
囁くように言われた言葉に、フィアルカは身体を震わせた。
『時間は永遠じゃあない。惹かれてるんだろ? つかまえなきゃ、逃しちまうぞ』
フィアルカは目を閉じた。言われた言葉をかみ締めるように天を仰ぐ。
『わたくしに、また他者と関われと?』
『ああ』
『……残酷なことを言う』
『ああ。ときどき、孫の顔を見に来てやってくれ。オレは死んじまっても、オレの血はずっと続いて行く。アンタのことも、ずっと伝えていくよ。そうすれば、寂しくないだろ?』
天を仰ぐ彼女の表情は定かには分からない。やがて、彼女は僕の名前を呼んだ。震えるようなか細い声だった。
『……わたくしは、あなたを憎む』
怨嗟の声は泣いているように聞こえた。
『あなたが来なければ、心を閉ざして凍らせたままで、孤独にも耐えられたのに。今はもう、心の震えを押さえられない』
魔女フィアルカの小刻みに揺れる手をぎゅ、と握り締め、僕はその側に寄り添った。
『愛しています、フィアルカ』
『薄っぺらい言葉。わたくしのことを、何も知らないくせに』
『ええ。何も知りません。だから、これから沢山聞かせてください。あなたの好きな食べ物、あなたの好きな言葉、沢山、沢山──』
『大嫌い』
『はい。大好きです』
『絶対に逃がさない。一生かけて、付きまとってやる』
『はい。絶対に逃がしません。一生かけて、抱きしめます』
そっと彼女の身体をかき抱いた。細やかに震える体はひどく冷たい。僕の身体の熱に触れて溶けて消えてしまうのではないかと思うほどだった。卵から孵った雛が一心に温もりを求めるように、彼女は僕の胸にすがりついた。
人々が息を潜める中、魔女の嗚咽だけが、雪に閉ざされた山に響いた。
これで第二部は終了です。思ったより字数を使ってしまった……。
年末で多忙につき多少更新が遅れるかもしれませんが、完結目指して書いていきたいと思っています。




